嘆きの壁、崩落――英雄の無惨なる成れ果て
サヴィレックの咆哮が通路の石壁を震わせ、落石が汚泥を叩いた。六根の玄鉄鎖が、毒蛇の如き鋭さで空を切り、横一文字に薙ぎ払われる。鎖が擦れる鋭鳴が、狭い空間を威圧感で満たした。青灰色の畸変した体躯が弓のようにしなり、暗紫色の眼眸が俺たちを呪詛とともに射抜く。四本の腕と異化した触手が同時に強張り、紫の汚染液がその口端から狂熱とともに滴り落ちた。
「俺が鎖と正面を抑える。貴様は後ろに回り、隙を突け」 短く命じ、俺は長剣の柄に指をかけた。背中の蓮花が幽藍の冷光を放ち、指先から凝縮された氷霜が刃を惨白な氷殻で包み込んでいく。
迷いはない。踏み込みと同時に放った半月状の斬撃が、凍てつく空気を切り裂く。 ――ガキィィィィン! 氷刃と鎖が激突した。衝撃で錆が凍てつき砕け散るが、鎖の勢いは止まらない。尋常な冰霜では壊せぬほど、その鉄鎖は地脉汚染によって変質していた。
「ぬうううんッ!」 サヴィレックが咆哮し、六根の鎖を活物のように操り、四方から網を張るように俺を包囲する。俺は連踏で間合いを削り、格擋を繰り返した。重い衝撃が腕を痺れさせ、剣から氷の破片が飛散する。奴の力は変異体という枠をとうに越えていた。そして何より、周囲を覆う死気が、俺自身のものと同質の冷たさを帯びていることに、俺の心臓はかすかに跳ねた。 (――こいつもまた、死に浸食された存在なのか)
思考を遮るように、汚染液を纏った紫の拳が岩を砕く勢いで飛ぶ。側身で回避した俺の肩を、生臭い拳風が掠めた。後ろの石壁が大破し、砕石が舞う。その隙を突き、俺は氷刃を奴の胸へと突き立てた。 『ドレイン』。 皮膚の下に暗紅色の紋様が浮かび上がる。剣身を伝い、奴の生命精華が淡紅色のエネルギーとなって俺の体内へ流れ込む。汚染エネルギーの反撃を、俺は力尽くでねじ伏せた。
生命力を吸い取られる激痛に、サヴィレックが激しく震えた。四本の腕が俺を叩き潰そうと振り下ろされる。俺は一歩退きながら氷霜の横一閃を放ち、奴の動作を凍結させて隙を作った。 その影、シルヴィアが鬼魅のように動いた。 彼女は奴の背に貼り付き、左腕でその太い首を締め上げる。右手には細長い尖刺。狙いは正確無比――肩胛骨と琵琶骨が交わる「死穴」だ。 ――ゴキリ。 鈍い骨の音が響き、サヴィレックの身体が瀕死の魚のように跳ねた。右側の二本の腕から一瞬で血の気が失われ、だらりと垂れ下がる。鎖が地面に叩きつけられ、虚しい金属音を奏でた。シルヴィアは即座に身を翻し、毒液の滴る尖刺を次なる急所、左肩へと向けた。
「分筋で関節と鎖の接合部を狙え!」 叫びながら俺は再び肉薄した。サヴィレックは狂乱し、残る三根の鎖を俺の足元へ、左の双拳を俺の頭部へと叩き込む。俺はあえて身を低くし、地を這う氷刃で足元の鎖を断ち切った。そのまま奴の肩甲へと跳躍し、氷霜の力で頸部の動きを封じる。
「左だ! 根基を卸せ!」 俺の声に合わせ、シルヴィアが閃いた。奴の左拳をいなし、その腕の内側に滑り込む。左手で手首を極め、力に逆らわず捻り、右手の尖刺を骨の巣へと突き立てた。 再びの骨鳴り。サヴィレックの左腕もまた、すべての力を失って垂れ下がった。
四肢を奪われ、膝を突く英雄。しかし、奴はまだ止まらない。 異化した触手を振り回し、頭突きで壁を砕き、俺を振り払おうとする。俺はその触手を叩き斬り、脊椎に氷霜を流し込んで動作を強制凍結させた。 「……もう、支えきれまい」
サヴィレックの瞳から狂熱が消え、絶望と苦痛が混じり合う。最後の抵抗として放たれた鎖を俺は断ち切り、西ルヴィアの前に立ちはだかった。そして、氷霜と暗紅色の紋様が交差する一撃を、奴の心臓へと深く、深く貫通させた。 動作が止まる。 暗紫色の眼光が霧散し、最後の生命精華が俺の剣に飲み込まれていく。奴は王城の方角を見つめ、声にならぬ嘆きとともに崩れ落ちた。
剣を抜く。 紫の汚染液と鮮血が汚泥に混じり、熱を失っていく。そこにはもう、嘆きの壁も英雄もいない。ただの、壊れた肉の塊が横たわっているだけだ。 西ルヴィアは傍らで、尖刺の血を暗影の力で拭い去った。その翡翠の瞳に宿るのは、憐憫と沈痛。
だが、俺の感覚は叫んでいた。 死の臭いが、消えない。それどころか、マギナの死骸から溢れ出す濃密な死気が、俺の脳内に直接「過去」を投影し始めたのだ。 俺は「視た」。 『窃法者』『敵法師』『否定の信仰』、そして『アールヴ・ヘイムの嘆きの壁』。 そのあまりに気高く、あまりに無惨な、一人の男の歩みのすべてを。




