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死して八年、俺は孤魂野鬼(ここんやき)として蘇る――この食い荒らされた世を切り裂く   作者: Tiny Abomination in a Jar


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血よりも濃い絆

「あんたのこと! 大嫌い! ラグお兄ちゃんをいじめないで!」  幼い声には止まらない震えが混じり、語尾は恐怖で尖り、細く張り詰めた弦のように死寂の貧民街で弾け、耳障りに響いた。 「おじさんは大嫌いだよ! さっき酒場でお兄ちゃんの手を赤くなるまで掴んだし、今度はあの黒い部屋に閉じ込めようとしてる! 聖都から来た悪魔なんだ! あの鉄の鎧を着た悪い奴らと仲間なんだ! あんたたちはいつも人を連れ去る……連れ去るだけだ!」


 俺は唖然として失笑した。悪魔? その評価はあながち間違いじゃない。満足な食事すら贅沢なこの子らの目には、全てを容易く引き裂く力を持ちながら、常に冷徹で是非も問わぬ人間は、深山の魔獣より恐ろしく映るだろう。魔獣は食うために狩るが、「俺たち」は人を底なしの深淵へと引きずり込むからだ。


「ルル! めっ、滅多なことを言うな!」  ラグは慌てて少女を引き寄せ、竹竿のように痩せた自分の背後に隠そうとした。焦りのあまり声が裏返っている。  俺は腕を組み、この茶番を悠然と眺めながら、指先で剣の柄の紋様をなぞった。 「お嬢ちゃん。お前が『悪い奴』と呼ぶ男が現れる前、あの傭兵どもがお前の兄貴の頭を酒樽に突っ込んで殺そうとしていたのを知っているか?」


「そんなの、あの黒い部屋に入れられるよりマシだよ!」  ルルは鋭い声で反論した。溜まっていた涙が決壊し、汚れた顔に二筋の白い跡を作る。 「あそこに入ったら……二度と出てこられないんだ。隣のハンスおじさんも連れて行かれたきり、戻ってこなかった。お母さんも言ってた……黒い部屋は人を食べるんだ! 骨の髄まで残さず食べちゃうんだよ!」


 俺の心臓が僅かに揺れた。なるほどな。この底辺の流民たちの認識では、いわゆる「監獄」は懲戒の場などではなく、奴隷市場か断頭台への転送門なのだ。人を食って肥え太る貴族たちの統治下で、連邦の法治など皮を剥げばただの略奪手段に過ぎない。捕らえられた獣人は、十中八九皮を剥がされ骨を砕かれ、貴族の領地の苦力か、王立研究所の「材料」にされる。  衛兵が獣人の泥棒を守るなど、彼らは信じていない。俺は救世主などではなく、狼の群れから獲物を横取りし、より体裁の良い屠殺場へ送り届けるだけの、悪趣味な狩りを楽しんでいるように見えているのだ。


「あそこに入れば、少なくとも生きられる」  俺は思考を切り離し、路地の寒風のように冷たい声を出し、ラグのタコだらけの傷ついた手に視線を落とした。 「外にいれば、明日の朝日は拝めない。あの傭兵どもは執念深い。金を盗んだかどうかはどうでもいい。重要なのは、あの酒場の客たちの前で壮漢に恥をかかせたことだ」


 ラグがガバッと顔を上げた。濁った獣の瞳に激しい葛藤が走る。泣きじゃくるルルを見、俺を見、最後には風に吹き飛ばされそうな枯葉のような掠れた声で漏らした。 「……僕が中に入ったら、ルルを守る人がいなくなる。地痞ごろつきに捕まるか、また人買いに売られてしまう。おじさん……彼女を一人にはできない」


 ようやく、このガキが「庇護」を拒んだ真の理由を理解した。命が草よりも軽いこの世道で、彼らには何もない。唯一の財産は、お互いだけだ。自保のために相手を捨てれば、生きる意味など失われる。 「ちっ」  不快そうに舌打ちを漏らす。心の中に正体不明の火が灯る。この世で最も厄介なのは、この無益で、それでいて死ぬほど重い感情だ。泥のようにまとわりついて離れない。


「なら、二人揃って死ぬか?」  一歩踏み出し、ラグの目を射抜く。その瞳に宿る決絶は、かつて伯爵邸の前で孤注一擲の賭けに出た自分を思い出させた。  少年は答えず、ただルルをより強く抱きしめた。痩せこけた肩を直立させ、その貧弱な骨格からは、聖都の騎士にも引けを取らない傲慢なまでのプライドが滲み出ていた。命を懸けてでも最後の一筋の光を守り抜くという、執念だ。


「もういい、お涙頂戴の劇は終わりだ」  俺は背を向け、哨所の方向を顎で示した。 「ラグ、お前は中に入れ。あの哨所の隊長コーシーには貸しがある。お前には飯を食わせ、行儀を教えるよう伝えてやる。看守どもにも手は出させない」


 彼が反論する前に、俺は自分を睨みつける小娘を見下ろした。 「それからお前だ、ガキ。さっき威勢よく吠えていたな。その手足、使い物になるんだろうな。あの『錆びた鉄杯亭』へ行け。緑色のゴブリンを訪ねて、皿洗いでも掃除でもやるんだ。これは『聖都から来たあの男』の命令だと言え」


 懐から体温の残る金貨を取り出した。あの壮漢から掠め取った「治療費」だ。それをルルの懐へ放り込む。金貨が粗末な布に触れて澄んだ音を立て、暗い路地で眩い光を放った。 「その金貨一枚あれば、あそこで数ヶ月の『安寧』は買える。お前の兄貴が生きて出てきたら、迎えに行かせてやる」


 ルルは呆然とし、手惑いながらも重い金貨を抱えた。その光が涙痕だらけの顔を照らし、青い瞳に初めて迷いが浮かぶ。 「いいか、一度しか言わないぞ」  俺は振り返り、呆然と立ち尽くす兄妹に鉄のように冷硬な声を浴びせた。 「俺がいつまでもボディーガードでいると思うな。この世で人間らしく生きたいなら、まずは泥濘の中で他人の喉笛を噛み切る術を覚えろ。分かったか?」


 言い捨てて、俺は歩き出した。問答する暇などない。語りすぎれば無意味になり、道は己で歩むものだ。  俺はラグを仔猫のように片手で吊り上げて哨所へ向かい、ルルはラグの裾を必死に掴み、泥まみれの路地で何度も転びそうになりながら、頑なに手を離さずついてきた。


「おじさん……お願いだ、別の場所にしてくれ。どこでもいい。西の採石場なら仕事がある、眠らなくたっていい、衛兵のところ以外なら……頼む、お願いだ!」 「黙れ。あの採石場は貴族の私有地だ。入った獣人で三日以上生きた奴はいない」 「違う! あんたには分からないんだ!」  ラグが突然火事場の馬鹿力を出し、激しく暴れた。首筋に青筋が浮かぶ。 「父さんは……父さんはあそこで死んだんだ! この辺りで一番丈夫な獣人だったのに、貴族の箱を少し傷つけただけで『教育』してやると言われて閉じ込められた! 三日後、放り出されたのは麻袋に詰められた砕けた骨だけだった……母さんが哨所に抗議しに行ったら、そのまま連れ去られて戻ってこなかったんだ!」


 俺の足が止まった。指先が食い込み、爪が掌を突き刺す。視界の隅に、歪に積み上げられた石の塊が見えた。寂しい墓標のようだ。  クソッタレ。苛立ちが頂点に達した時、人は何かを噛み砕きたくなるか、煙草に火をつけたくなる。心に立ち込めるこの重苦しい霧を払いたい。一時的な麻痺でいい。  俺は冷え切った空気を深く吸い込み、苛立ちを押し殺して問いかけた。 「……なら、あの娘はどうした。親はどうしたんだ」


「ルルには……ルルにはパパもママもいない」  ラグの声が低くなり、抵抗する力も弱まった。 「父親は連邦の兵士で、国境で戦死した。弔慰金が届いた時にはもう遅すぎたんだ。家は借金取りに奪われ、母親と彼女は囚人馬車に乗せられて聖都へ売られるはずだった。でも、聖都で何か騒ぎがあったらしくて、慌てた護送兵たちが彼女たちをこの辺の奴隷市場に捨てて逃げたんだ。母親は道中の風邪がもとで……この春を待たずに死んだ」


「それで?」俺は喉を締め付けられるような感覚を覚えながら追及した。 「……魚市場で物乞いをしていたら、死にかけているルルを見つけたんだ。母親の古着を抱きしめて、隅っこで震えていた。捨てられた子猫みたいに」 「それでお前についてきたのか? 売り飛ばされるとは思わなかったのかよ」俺はルルを見やり、あえて揶揄するように言った。 「この世界じゃ死体ですら金になる。ましてや生きた人間だ。王立の薬師連中にでも売り飛ばせば、贅沢はできずとも、毎日泥棒をして飢えを凌ぐ必要もなかっただろうに」


 二人は揃って首を垂れた。霜に打たれた茄子のように反論する気力も残っていないようだ。 「そんなことしない!」  ラグが突然顔を上げた。その瞳が驚くほど輝く。 「彼女を見た時、決めたんだ。一生……いや、僕が死んでも、彼女を僕より先に死なせたりしない。彼女は僕の家族だ! 世界でたった一人の家族なんだ!」 「ルルも! ルルもお兄ちゃんをいじめさせない!」  少女は泣き顔を上げ、小さな手を握りしめた。その掌に、未熟なオークの力が集まり始める。淡い紫の光輪が輝きを増し、少年特有の無謀さと決意を帯びる。


 俺は眉を上げた。まさかこの小娘、魔法の天賦ギフト持ちか。  次の瞬間、拳大の紫のエネルギー球が、細い流光を曳いて俺に突進してきた。


「ならば第一課始めた。『判断』」  冷徹に告げ、足元のルーンを起動させる。淡い緑の光膜が俺の周囲に展開した――対魔法結界アンチ・マジック・シェルだ。ほぼ同時に抜剣し、漆黒の剣先を少女の鼻先に、寸分の狂いもなく突きつけた。 「ガキ、覆水盆に返らずという言葉を知っているか? 一度やったことは、もう取り返しがつかない。必死の覚悟と、相手を確実に殺す力が揃わない限り、安易に魔法を放つな」


 後ろのラグの瞳孔が収縮し、猛然とルルを突き飛ばして庇った。鋭い剣先が少女の髪を掠め、ラグの頭皮を裂く。一筋の鮮血が滲み出した。 「狂ってる! あんたはマジでイカれてる! もうやめろ!」  俺の低吼が響く。胸に溜まっていた苛立ちが爆発した。俺は二人の首筋に、正確に一撃ずつ拳を叩き込んだ。  二人は短い呻きを漏らし、糸が切れたように気を失った。


 俺は諦めたように溜息をつき、一人ずつ肩に担ぎ上げて宿屋の方へと歩き出した。  夜は深まり、夜風が泥の匂いを運んでくる。 「クソッタレ! なんでこの俺が、今さら人買いみたいな真似をしてるんだ!」

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