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死して八年、俺は孤魂野鬼(ここんやき)として蘇る――この食い荒らされた世を切り裂く   作者: Tiny Abomination in a Jar


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獣人の少年

そのぎこちない視線にははっきりと気づいていたが、俺はわざと気づかぬふりを通し、依然としてスローな動作で酒杯を傾けていた。麦酒のざらついた滋味が喉を通り、安っぽい穀物の生臭さを運んでくる。どうせこの界隈のガキがやる事など、目をつぶっていても察しがつく。飢えに追い詰められた末の、慌てふためいた仕事に過ぎない。


 指先で杯の縁の錆跡をなぞる。余光の中、あの痩せ細った影が長いことその場に立ち尽くしていた。適切な時機を待っているのだろう。ほどなくして、酒場の入り口から突然騒ぎ声が聞こえてきた。数人の武器を担いだ、酒臭い傭兵どもが木扉を蹴破るようにして闖入ちんにゅうしてきたのだ。入るなり、あちこち喚き散らしながら探し物を始め、店中の注意が奴らに引きつけられた。


 今だ。


 あの灰毛の獣人の少年が案の定動いた。身を屈め、まるで鶏を盗む野良猫のように、喧騒の援護を借りて声もなく俺の背後へと擦り寄る。枯れ木のような指が、俺の腰の財布へと真っ直ぐに伸びる。指先が財布の紐に触れようとした瞬間、俺は手首を翻し、奴の手首をしっかりと掴み取った。


 少年は全身を硬直させ、まるで釘付けにされたように立ち尽くした。直後、必死に抗い始めたが、細い手首が俺の手の中でいくらもがこうと、その力は憐れなほどに弱かった。俺は力は込めず、ただ逃げられぬよう押さえ、緩やかに振り返った。赤らんだ奴の顔に視線を落とし、平坦な声で問う。


「ガキ、何をするつもりだ?」


 俺の声は大きくはなかったが、喧騒の中ではっきりと響き渡った。あちらで喚いていた傭兵どもが瞬時に静まり返り、一斉にこちらを向いた。頭の壮漢が目を細めて数秒少年を観察し、突然目を見開くと、奴を指差して怒鳴り散らした。


「お前か! 見覚えがあるぞ!」


 壮漢は大股で突き進んできた。地面が踏み鳴らされる振動が伝わる。奴は傍らにいた者たちを突き飛ばし、少年の鼻先を指差して罵った。


「ふざけやがって! お前だな! 数日前、俺様の金を盗みやがったのは? くたばれ、このクソ野郎! 何日も探し回ったんだぞ!」


 少年は恐ろしさに全身を震わせ、顔色は瞬時に真っ青になった。先ほどまで強張らせていた意地も消え失せ、下唇を死ぬほど噛み締め、眼に涙を溜めながらも、頑なにそれを落とそうとはしなかった。周囲の傭兵どもも囲い込み、拳を鳴らしながら少年を凝視する。その口から出る汚れた罵り言葉は、聞くに堪えぬほど酷くなっていった。


 俺は依然として少年の手首を離さず、恐ろしい傭兵どもを掃視し、再び少年の緊張した顔へと視線を戻した。指先からは奴の手首の細く弱い脈動がはっきりと感じ取れる。俺は指先に猛然と力を込め、手首を抑える力を強めた。もう片方の手は既に背中の大剣の柄を握っている。


「――ジャラン!」


 脆い響きと共に、漆黒の剣身が半ば出鞘け、寒光が瞬間に酒場の喧騒を切り裂いた。俺は一歩踏み出し、身体を入れ替えて少年の前に立ちはだかる。剣先を斜めに地面へ向け、鋭い防壁を築き、突っ込んできた壮漢の正面に据えた。


「止まれ。」


 俺の声は依然として平静だったが、有無を言わさない冷徹さを帯びていた。


「物事には順番がある。このガキを先に捕まえたのは、俺だ。」


 壮漢の足が硬直したようにその場に止まった。剣身から放たれる森然しんぜんとした寒気に当てられ、半歩後ずさる。奴は俺の半ば抜かれた大剣を凝視し、俺の冷冽な眼差しを見て、喉を動かした。元々の傲慢な気炎は大半が削がれたが、依然として不服そうに喚き散らす。


「てめえ、どこのどいつだ? このクズは俺の金を盗んだんだ。教訓を与えるのは当然だろうが!」


「当然だと?」


 俺は眼を上げて奴を一瞥した。眼光の寒意がさらに増す。


「金を返してもらうのを邪魔する気はない。だが今は、貴様が手を出す番じゃない。」


 俺の目は奴を射抜くように固定し、警告を含んだ語気で告げた。


「これ以上一歩でも前に出てみろ。俺の剣が、見境なく動くことになっても知らんぞ。」


 壮漢の足は、硬直したままその場に縫い付けられた。剣身から放たれる森然とした寒気に、奴はただ半歩、後ずさるしかなかった。壮漢の背後から、猿のように痩せこけた傭兵が慌てて歩み寄り、その腕を引いて低く囁いた。 「あ、兄貴、よせ……衝動的になるな。あの男、どこかで見覚えがある。確か……聖都から流れてきたっていう、例の……伯爵家を血祭りにあげて放逐された……」


「聖都だぁ?」  男は一瞬呆け、次の瞬間、天を仰いで爆笑した。汚い唾液が辺りに飛び散る。 「どこのどいつかと思えば! 聖王に追い出されたただの流浪漢じゃねえか。てめえ、自分が何様だと思ってやがる。ふざけやがって、このクソ野郎!」


 話が終わるより早く、俺は少年の手首を離していた。  死の足取り(デス・ステップ)が瞬間的に起動し、暗紅色の微光が足元で一閃する。身の熟しは速い影の如く。壮漢の笑い声がまだ喉に詰まっている間に、俺は既に奴の目の前にいた。左拳を握り締め、溜めた力を込めて、奴の腹を激しく殴りつけた。


「ガハッ――!」  壮漢は悶絶し、顔は瞬く間にどす黒く染まった。身体は茹で上がった海老のように弓なりになる。俺は奴に息をつく暇を与えず、右手の勢いで奴の髪を掴み、猛然と力を振るい、その頭を隣の木製テーブルへと叩きつけた。


「ドォン!」  実木のテーブルが苦痛に満ちた呻き声を上げ、木屑が四散する。壮漢の額が角に激突し、滲み出た鮮血がテーブルの上の麦酒と混ざり合い、顔中を汚した。


 俺は身体を屈め、奴の耳元に寄せ、氷のように冷たい声で言った。 「貴様は今日、俺が上機嫌であることに感謝すべきだ。さもなくば、今頃は死体になっていたはずだ」


 壮漢は激痛で全身を痙攣させ、喉を鳴らすのが精一杯で、もう欠片の傲慢さもありはしなかった。周囲の傭兵どもは息を呑み、一人また一人と後ずさりしていく。先ほどまでの凶悪さはどこへやら、誰もが首を縮めて逃げ腰になっていた。


 俺は手を離し、壮漢を泥のように床に転がしておき、それから獣人の少年を振り返った。  ――人影がない。


 俺は眉をひそめ、酒場の客たちを一瞥した。隣のテーブルの髭面のドワーフが慌てて手を上げ、背後の閉まりきっていない窓を指差した。窓枠がまだ僅かに揺れている。今しがた誰かがここから飛び出していったのは明白だった。 「ふん、逃げるのだけは速いな」


 俺は手の埃を払い、ゴミでも処理したかのように背を向けた。  酒場の中は死のような静寂に包まれていた。地精の店主が持つ雑巾は止まり、牛頭人力工の笑い声も喉に詰まったままだ。誰もがその割れた木テーブルと、その上の鮮紅色の血痕を凝視していた。壮漢の傭兵はまだ床で痙攣しているが、俺は再びあの冷たく硬いベンチに座り直した。残っていた半杯の麦酒は、一滴も零れていなかった。


「逃げ足だけは機転が利いているな」  揺れる窓を見つめ、俺は独りごちた。  この世道、生き残る弱者は、残酷であるか、速いかのどちらかだ。あの小僧は後者を選んだ。あの手合いのように跪いて命乞いをするわけでもなく、今しがた自分に手を出した「恐ろしい奴」が大慈悲をかけるとも期待しなかった。あの一瞬で、俺が傭兵どもよりも危険な存在であると判断し、最も正しい道――逃走を選んだのだ。


「旦那……この、この酒は店からの奢りです」  地精の店主が戦々恐々と擦り寄り、俺のジョッキに発酵した褐色の液体を満たした。あの壮漢から金を取る勇気も、壊れたテーブルの賠償を俺に求める度胸も、奴にはなかった。  俺は答えず、ただ懐から二枚の銀貨を取り出し、カウンターへ清脆な音を立てて弾いた。 「俺は死人にも、生者にも、借りは作らない」


 最後の一口を飲み干し、俺は立ち上がった。漆黒の『ヴェサリオの残酷』を再び背中のベルトに固定する。  酒場の古びた木扉を押し開けると、初春の冷たい風が泥の匂いを連れて吹き抜けた。レグニッツの街道は薄暗く湿っており、今はひどく汚らしく感じられる。


 本来なら、そのまま黴臭い宿に戻って眠るはずだった。だが、俺は自分でも不可解な直感に導かれ、少年が消えた方向へと歩き出した。  ここには整然とした石畳の道などない。一歩踏み出すごとに足首まで埋まる泥濘があるだけだ。朽ち果てたボロ小屋が、継ぎ接ぎのように土壁にへばりついている。  半壊した古い倉庫の裏手で、俺は足を止めた。  中から押し殺したような咳と、少女の細い啜り泣きが聞こえてくる。


「……ラグお兄ちゃん、血が出てるよ」 「平気だ……声を出すな、ルル。あの男、あの大きな黒い剣を背負った悪魔は、追ってきてないよな?」 「う、うん……でもあのおじさん、怖かった。あの傭兵たちより、ずっと冷たかった……」


 俺は断壁の影の暗がりに立ち、兄妹の会話を聞いていた。  先ほど酒場で、傭兵どもはこのガキが金を盗んだと言っていた。だが、俺が奴の手首を掴んだ時、その手には何もなかった。掌にあったのは、長年の労役でできた分厚いタコだけだ。それは泥棒の手ではない。労働者の手だ。  一体何が、子供を苦力に駆り立て、その苦力ですら足りずに盗みにまで手を染めさせたのか。


「ちっ、面倒な」  俺は懐から油紙で包まれた、酒場でついでに買っておいた燻製肉と、まだ温もりの残る金貨の袋を取り出した。  わざと足音を荒げ、腐った木板を踏み砕いた。 「誰だ?!」  少年の驚叫が暗い廃墟に響く。絶境に追い詰められた孤狼のような鋭さだ。


 俺は身体を傾け、背後の人間族の小さな女の子を必死に守ろうとしている灰毛の少年を眺めた。俺の姿を認めるなり、少年の瞳孔は瞬時に収縮し、さっき俺に強く掴まれて赤くなった手首が、激しく震え出した。


「二つの道をやろう」  俺は燻製肉を奴らの前の泥地に放り投げた。瞳の光は相変わらず二月の雪のように冷たい。 「一つ、これを持って俺の視界から消え失せろ。そして明日、またあの傭兵どもに捕まって引き裂かれるかだ」 「もう一つは……」  俺は遠くで火が灯る衛兵の哨所を指差した。 「あそこへ行け。看守のコーシーに、『聖都の英雄』の財布を盗んだと言え。俺が奴に一ヶ月ぶち込むよう伝えてやる」


 少年は呆然とした。地面の肉を見、それから俺を見た。  ルルが少年の背後から恐る恐る顔を出し、不釣り合いなほど澄んだ瞳で、俺という「悪魔」を凝視していた。


「なぜ?」  少年は掠れた声で問うた。 「理由などない」  俺は闇の中へと背を向けた。 「ただ、この腐りきった世道で、簡単に死なせてやるのは……あの食い物にするだけの雑種どもを利するだけだと思ったまでだ」


 俺は向き直り、薄暗い路地の中で、断壁の下に縮こまる兄妹をじっと眺めた。 「ありがとう……」  ラグは低く、一文字ずつ牙の間から絞り出すように言った。彼は地面の肉を見つめ、喉仏が激しく上下したが、手は伸ばさなかった。その野生味を帯びた瞳には、俺には読み取れない躊躇いが満ちていた。 「だが……俺は、まだ中には入れない」


 俺は眉を上げた。本来の歩みは止まった。「なぜだ? 中には酒がないからか、それともベッドが硬すぎるか?」  少年は口を固く結び、一言も発さなかった。拳を固く握り、関節は力の入れすぎで青白くなっている。  その時だ。ずっと後ろに隠れていた人間族の小さな女の子――ルルが、突然尻尾を踏まれた仔猫のように飛び出してきた。細い両腕を広げ、ラグの前に立ちはだかり、大粒の涙を溜めながらも、頑なに落とさず俺を強く睨みつけた。


「お兄ちゃんをいじめないで!」

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