しんじつ亭の看板娘の巻
数年前のある寒い冬の日。
王都の路地裏にひっそりと響く足音。
薄暗い街角に倒れていたのは、まだ幼さの残る小さな少女だった。
「……っ!」
オヤジさんこと辰見誠一は、仕事を終えた後にいつものように酒を買いに出かけようとしていた。その途中、冷たい風に当たりながら歩いていたのだが、何か異様な気配を感じて足を止めた。
その視線の先にあったのは、血に染まった少女の姿。見るからにただの子供だが、体力を使い果たして倒れ込んでいるようだった。
「おい、大丈夫か?」
オヤジさんはその場でしゃがみ込み、少女の手を取ると、冷たく硬くなった手のひらを感じた。その小さな体を抱え起こし、細い声をかけるが反応はない。どうやら長い間、どこかで倒れていたようだ。
「……気をしっかり持て」
オヤジさんは心の中で呟きながら、少女を抱きかかえて自分の店へ向かった。店は王都の中心部から少し外れた静かな場所にあり、夜でも常連客がちらほらと集まるところだった。だが、今は誰もいない。
「オヤジ、こんな時間に帰るのか?」
店に戻ると、居合わせた常連の一人、グランが目を丸くしてオヤジさんの姿を見た。
「どしたんだ、オヤジ?」
「……道で倒れてた子供だ。どうするかな」
オヤジさんが声をかけると、グランは無言で首を傾けた。
「うーん、まぁ、放っとくわけにもいかないな」
グランは苦笑いを浮かべて、無言で店の奥へと歩き出す。
オヤジさんは少女を奥の座敷に寝かせ、温かい布団を掛けてやる。
「……お前、どこから来たんだ?」
その問いかけに、少女は目を覚ました。
「ん……?」
まばたきして、少しずつ周囲を確認する少女。寝ている間に体が温まったのか、顔色が少し良くなった。まだ目をうつろにしているが、その眼差しはどこか落ち着いている。
「お前、名前は?」
オヤジさんが優しく声をかけると、少女はゆっくりと答える。
「……ルル」
「ルルか」
オヤジさんはその名前を覚えて、軽く頷いた。
「ここで休んでいけ、無理すんな。風邪引くぞ」
少女はちょっとした不安を感じながらも、すぐにオヤジさんの言葉を受け入れた。ここで知らない大人に面倒を見てもらうことには、やや抵抗があったが、体は動かなかった。
その晩、オヤジさんは少し温かいスープを作って持ってきた。小さな子どもに食べさせるときのように、やさしくスプーンを差し出す。
「ほら、食べろ。食べれば元気出るぞ」
「うん……」
ルルはそっとスープを口に運び、温かさを感じながら、少しずつ元気を取り戻していく。
その様子を見守りながら、オヤジさんは静かに言った。
「ここから先、お前の好きなように生きろ。でも、ここではお前のことを心配している奴がいる。だから、無理はすんなよ」
ルルはその言葉に少し驚いた様子でオヤジさんを見上げた。
「……どうして?」
「簡単だ、俺が拾ったんだから。お前も、ここで暮らしたいならそうしていい」
オヤジさんの言葉はどこか力強く、でも優しさが滲み出ていた。
その後、ルルはしばらく「しんじつ亭」に住み込むことになり、オヤジさんに料理を教わる日々が始まった。
昼間は看板娘としてお店で働き、夜は路地裏で情報屋として活動をしていた。
オヤジさんとの関係は、やがて親子のように強い絆となっていった。
数ヶ月後、ルルはすっかり元気を取り戻し、店で働く時には明るく、ちゃっかりとした性格を見せるようになった。しかし、その裏では冷静に人々の動きを観察し、情報を得る鋭い感覚を持っていた。オヤジさんにとって、ルルはただの従業員ではなく、信頼できる相棒であり、大切な存在になっていた。