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ch.6 急転直下

 

 戦闘を避け、ラウラの道案内に従って二階層《猫の抜け道》を目指していく迷宮探索は、アルスの思惑通りに進んでいた。

 ただ、無言のまま歩き続けるというのは堪えた。

 

「気になってたんだけどさ──テレサってどんな子なの?」

 

 アルスが背中のラウラに話を振る。

 

「冒険者歴は確か一年半くらい、だったと思います。等級は三級です」

「マジ? 早くね?」

「アルスくんが言うと最早嫌味ですよ……」

 

 十七歳でA級ということは、その過程で他の等級も駆け抜けて来たはずだ──ラウラのそんな考えを見透かすように、アルスは首を横に振った。

 

「A級は試験じゃなくて実績で与えられるもんなんだよ。だから俺、四級以降の試験受けたことないもん」

「飛び級したってことですか!?」

「よく言えばな……パーティー組んでた奴が不祥事しか起こさなくてさ。巻き添え食らって受験資格を剥奪された」

 

 思い出すだけで乾いた笑みが浮かぶ。アルスにとってマグナは最も親しい友であり、立身出世という意味では疫病神でもあった。

 ──アイツが生きてる頃はそれで良かったんだけど。

 思い出に浸りかけた所を、ラウラの声が現実へと引き戻す。

 

「……ちなみに、A級に上がるのに何をしたんですか?」

 

 A級に上がる程の実績とは何か、冒険者としては気になるところだろう。

 ラウラの質問にアルスは暫し黙り込んでから、答えた。

 

「誰にも言うなよ? 一応問題なさそうな範囲で話すけど」

「はいっ!」

「じゃあ──それでは問題です。吸血鬼には人間の貴族制度めいた階級が存在しますが、あれはどういう基準で決められているでしょうか」

 

 急にアルスが真面目な顔をして、平坦な声音でラウラに知識を問う。

 

「え、えぇ!? 何でしょう……じゃあ、力自慢!」

「違います、が。惜しい。いい線です」

「えっと、えっと……使える魔術の数!」

「違います。正解までの距離は変わっていません」

 

 直後、ラウラは閃いた。

 

「食べた人間の数!」

「はっはっはっ! アイツら一々そんなん覚えてねぇよ。俺らだってこれまでに食ったパンの数覚えてないだろ?」

 

 真面目な顔を辞めたアルスが笑って答えた。残念ながら答えからは程遠い。

 

「力の強さって発想は合ってる──ただし、膂力や魔術は関係ない。そもそもアイツら魔術を使わないしな」

「では……何を力とするんですか?」

「吸血鬼の力は血の濃さによって決まるんだ。原初の吸血鬼……上位種族の血が多く流れている個体ほど強い」

 

 吸血鬼は尋常な生物と異なり、生殖ではなく自らの血を対象へ注入する事で吸血鬼化させて個体を増やす。

 

「一番弱いのが吸血鬼・騎士(ヴァンパイア・ナイト)。そっからは男爵(バロン)子爵(バイカウント)伯爵(アール)と上がっていく。この辺は貴族階級の呼び方そのまんまだな。で、俺がA級になったのは……」

「位の高い吸血鬼を倒したから、ですね?」

「そういうこと」

 

 吸血鬼は滅多に人前へ出てこない。現代を生きる吸血鬼は真祖から遠く離れた紛い物に過ぎず、流水や銀の武器、日光などの明確な弱点を持つため倒されやすいからだ。

 

「……どの位のを倒したかは聞いても良いんですか?」とラウラが囁く様に尋ねる。

 

 ここからが本題だった。

 

「俺が殺したのは吸血鬼・公爵ヴァンパイア・デューク──血の半分以上が真祖の最上級吸血鬼だ」

 

 真祖から直接血を与えられた吸血鬼は公爵(デューク)と呼ばれ、現代においては最も上位種族に近い怪物の一種として数えられる。

 それ故に、《不死の女王(ルサルカ)》を殺す為に三年間蓄え続けた知恵と武器を試す仮想敵として、この上ない存在だった。

 もっとも──アルスが討伐したのは公爵級だけではない。

 

(正確にはそいつが支配してた街ごと滅ぼした訳だが……箝口令敷かれてっからな)

 

 民を守り国を強固な物とする為に存在する貴族が化物に飼われていた──などという醜聞が広がれば、王の治世に翳りが生まれる。

 本来ならA級冒険者の二つ名と見目は、逸話と共に吟遊詩人が語り継ぐのが相場なのだが、そういう理由でアルスを讃える歌は存在しない。

 

「公爵級……正直、想像もつきません。吸血鬼の話もめったに聞かないので」

 

 慄くラウラにアルスは苦笑が浮かんだ横顔を見せた。

 

吸血鬼(アイツ)らも知覚能力を魔力に頼ってるし、俺の得物なら大体何でも殺せるから……マジで大した事じゃないよ」

 

 不死殺しの大鎌──アルスの切札である。

 アルスがした事と言えば血染めの聖骸布で自身の魔力を隠蔽し、大鎌で斬りつけただけ。

 公爵でさえ背中の武器でひと撫ですれば死に絶えた。不死の女王討伐に踏み切ったのはこの経験があったからこそ。


(公爵よりずっと効きが悪かったし、最後に呪いまで掛けてくるとは思わなかったけど)

 

 ルサルカの最期を思い出して歯噛みするアルスにラウラが言う。

 

「じゃあ階層主(フロアキーパー)も楽勝ですね!」

 

 フロアキーパーは謂わば迷宮主(ダンジョンキーパー)の下位互換。下層へと続く出入口を封鎖している魔物である。

 その戦闘力は当然高く、冒険者達が迷宮探索をしていく中で避けては通れない壁として立ち塞がる。

 楽に倒せれば倒せるだけ良いのだが──

 

「魔物にはそこまで効果ないけどな」

「そ、そうなんですか?」

「対象は生物だけだ……あ、でも普通に武器としても優秀だぜ? 刃毀れとかしたことねぇから」


 そうこう話している間に二人は炎の洞窟の最奥にまで到達した。

 

「ここがフロアキーパーの部屋か……」

 

 行く手を阻むように閉ざされた巨大な石の門扉にアルが息を飲む。

 その傍らアルスの背中から下りた、ラウラは自分の装備をマジックチェストから呼び出していた。

 一つは赤い塗料で染色された凧盾(カイトシールド)。もう一つは、肉厚な刃と打突が可能な突起を備えた斧槌とでも言うべき武具だ。

 

「血染めの聖骸布はどうしますか?」とラウラ

「使えそうなら一旦そのまま姐さんが使ってくれ」

「分かりました! ──では、開けますよ!」

 

 ラウラが門扉に手を掛けた。力強く押し込むと、石の扉が重低音と共に床を擦り上げながら開いていく。

 扉の中は洞窟とは打って変わり、石畳が敷かれた巨大な円形状の部屋となっていて、壁に等間隔で燭台が設置されていた。

 部屋全体が扉の外と比べて薄っすらと暗い。炎の洞窟と雰囲気が随分異なっていた。

 アルスはそういう物だと思ったが、この部屋に来たのが一度や二度ではないラウラは異変に気付いていた。

 

「アルスくん、いつもと様子が違うので……気を付けてください」

「初見だから俺は大丈夫。姐さんこそ、気を付けてくれよ」

 

 そう言いながら、アルスは隈なく部屋の様子を観察していく。そこでふと天井が視界に入り「うげっ」と声を漏らした。

 

(なんだこのキッショイ絵は……)

 

 冒険者歴が長ければ魔獣・魔物に対する造詣は嫌でも深まる。しかし、アルスが思わず気分を害した天井画は、現存するどの神話体系にも属さない奇怪な怪物が描かれていた。

 例えるなら、それはかつて人類が大真面目に研究した不老不死・死者蘇生の研究の過程で生まれた怪異(キメラ)に近い。

 しかし、絵の怪異はアルスが今まで見たことも、聞いたこともない特徴を持っていた。


「蛸の頭に蝙蝠の羽……巨人の体か? 何にせよ組み合わせが謎過ぎるな」

 

 未知なる存在だ。だが、アルスは絵の怪物が単なる空想の産物には思えなかった。

 絵から滲み出ている狂気、異様な迫力、生命力がこれは単なる怪物ではなく──もっと恐ろしい物であると訴えているようだった。


(イルシーナに教えたら喜びそうだな……でも、今はそれどころじゃない)

 

 これ以上考えても意味はないとアルスは切り替えて前を見据えた。

 一番奥に下の階層へと続く扉。そしてそこを守るように──二体の巨大な骸骨が立ち塞がっている。

 一体は修道服にメイスを構えた神官戦士。もう一体はプレートアーマーの上からサーコートに身を包んだ両手剣持ちの騎士だ。

 血染めの聖骸布に身を包んだラウラがアルスに耳打ちする。

 

「階層主の神官戦士ナシュトと聖堂騎士カマンターです。片方だけを集中して倒してしまうと、魔素結晶を吸収してパワーアップするので気を付けてください」

「倒すなら二体をほぼ同時に……ね。了解」

 

 二体一対の階層主と対峙したアルスがマジックチェストに触れる。取り出すのはラウラを背負うのに邪魔になった為、一時的に仕舞っておいた得物だ。

 

「来い、《ペイルムーン》」

 

 不死の女王を討伐せしめた不死殺しの大鎌ペイルムーンを呼び戻す。

 黒い金属塊から削り出した様な面一の大鎌を手の中に収め、調子を確かめる様に軽く振るった。

 

「うっし、絶好調」

 

 唇を三日月の様に歪めたアルスがゆったりした足取りで守護者の前へ出た。二体は微動だにせず、伽藍堂の目から赤い光を放つだけだ。

 戦いにおいて先手は結末を左右する要因の一つ。わざわざ出だしを待つよりかは、機を制する為に動く方が勝利へと近付ける。

 だからアルスは、最初に動いた。

 

「『咆哮・勇猛・弾ける鼓動が導くままに』……《闘いの歌(バトルソング)》!」

 

 一定時間身体能力を強化する魔術《闘いの歌(バトルソング)》。魔力強化よりも得られる効果が何倍も高く、身体への負担も少ない。

 それを自分とラウラに使ってから一気に間合いを詰めようとした。

 しかし、その時だ──ナシュトがアルスを見て言葉を発した。

 

「闇ノ獣、殺スベシ」

 

 魔物が言葉を発する事例は過去一度も確認されていない。明らかな異常。だが、神官戦士ナシュは既に膝を突き、武器を床へ置いて祈る様に手を合わせている。

 それは祝福──アルスとの喧嘩の際、ヒューズがゼノヴィアから受けた物と同じだ。見逃す訳にはいかない。

 

「彼方ヨリ此方。ソノ存在ヲ否定スル」

 

 聖堂騎士カマンターが剣を掲げ、上段で構えながら嘯く。

 ナシュトから援護を受けたカマンターが前衛として戦う。術師と戦士のコンビなら珍しくない、教科書通りの連携──そう見えた。

 

「させるかよ!」とアルスが叫び、ナシュトへ向かう。

 

 しかしその直後、カマンターが取った行動にアルスは目を見開いた。

 

「ソノ“力”ヲ貰イ受ケル」

 

 カマンターがナシュトの頭部を砕き、露わになった巨大な魔素結晶を捕食し始めたのだ。

 

「魔素結晶を直接……!?」

 

 後方でラウラが慄いている。

 同じく異様な空気を感じ取ったアルも接敵を止め、一転して背後へ飛びいて呪文を紡いだ。

 

「『四方閉塞・逆巻く風・吠え立てろ狂風の狼』!」


 アルが着地と同時にその手で床へ触れた次の瞬間、捕食を続けるカマンターの下に巨大な魔方陣が展開された。

 魔方陣が迷宮内の空気を吸い込む様にして収束させ、大気を圧縮していく。

 

「《空断つ遠吠え(ゲイルバースト)》!」

 

 術式の完成と共に、遠雷の如き破裂音を響かせながら圧縮された空気が解き放たれ、衝撃波を生んだ。

 アルスが使ったのは、指定した地点を中心に大気を収束・膨張させることで範囲攻撃を行う風の攻撃魔術《空断つ遠吠え(ゲイルバースト)》。完全詠唱によって発動したそれは、榴弾砲の何倍もの破壊力と攻撃範囲を持ち、一個中隊を壊滅させるだけの威力を伴う。

 爆風に乗った土埃を受けながら、ラウラが興奮した様子で言った。

 

「凄い威力……!」

 

 しかし、アルスにはやや不満があった。

 

(もっとデカい魔術を使いたかったんだけど……詠唱時間が足りなかったな)

 

 魔術は呪文、ルーン語と呼ばれる魔術言語を用いてマクロコスモス(現実世界)の事象へ介入する技術である。

 しかし、介入のただ一言で片付けるにはその発生プロセスは極めて煩雑だ。

 

 古代──まだ魔術という物が無く、人間が上位種族によって支配されていた時代。

 ティマイオスという一人の男が、上位種族が魔力のみで世界を変革しているのを目の当たりにし、その法則を真似できないかと考えた。

 ティマイオスが最初に取り組んだのは戦士が魔力を使って身体能力を強化する手法の研究だった。曖昧な理論と口伝えの技を調べていく中でティマイオスは戦士の精神状況に着目し、メンタルの状態によって強化の幅に相当なブレが生まれる事を発見した。

 そうして研究を進めると、人間は魔力によって自己の存在強化という形で現実へと介入していたことが明らかになったのである。

 

 しかし、人間は魔力で身体機能を強化できても、蠟燭の火ほどの炎さえ灯すことができなかった。

 

 次にティマイオスは、上位種族“天使”を信奉する人間達が得た祝福の力に着目した。魔力と人間の精神変化が齎す現実への作用が祝福の種ではないのかと考えたのだ。

 そして異端審問を乗り越え手に入れた資料から、祝福が「魔力と信仰による精神変化」による現実への介入であることを突き止めたティマイオスは、この法則を《ミクロコスモスとマクロコスモスの類比》と名付けた。


 魔術言語──詠唱に用いられるルーン語は、より効率よく己の精神を変革する、すなわち自己暗示を掛けられるように研究・開発された物だ。

 

 人間はこの魔術言語を介して自らのミクロコスモスへ強く訴えかけ、マクロコスモスに介入することで魔術を発動する。

 故にその性質上、詠唱を完全に破棄する事は不可能だ。口にしない場合は何らかの代替手段を求められる。

 

 アルスの技量では詠唱を無理に短縮すると起動に著しい支障をきたす恐れがあり、今撃てる最大火力を選んだ訳だが──

 

「……あんま効いてないな」

 

 刹那、土煙を斬り払って魔物が姿を見せた。

 

「骨の、巨人?」

 

 ラウラが唖然として言った。

 ナシュト、カマンターの両方の特徴を備えたスケルトンは体高が融合前より一回り大きくなっており、腕が四本に増えていた。左右の腕、それぞれ片方ずつにメイスと剣を持ち、空いた二本の手は腹の前で祈る様な構えを取っていた。

 プレートアーマーのから修道服を着ている歪な恰好ではあるが、先程までとは比較にならない存在感。

 二体だった頃とは強さの次元が違う。

 

「姐さん、やれるか?」

「……今のボクでは少し厳しいです」

 

 兜の中から聞こえる悔しそうな声色に、アルスは「一旦下がってくれ」と返す。

 それからアルスは融合した魔物《ナシュト=カマンター》へと肉薄した。

 迎え打つナシュト=カマンターがメイスを振り上げ、言う。

 

「闇ノ獣──滅ビヨ」

「人違いじゃオラァ!」

 

 振り下ろされたメイスをアルスが体捌きで避ける。

 紙一重の所を通過したそれが床を叩き割り、捲れ上がった石片が矢弾の如くアルスを打ち据えた。

 しかし、アルスは鎧の防御力に物を言わせてそれを無視。大鎌の形状を利用して剣の鍔を引っ掛け、自らへ引き寄せる。

 それによりナシュト=カマンターの重心がぐらりと前へ傾いた──その直後。鎌を握る手を左手のみにして一歩前へと踏み込んだ。

 

「『大いなる水の戒めをここに解放せん』、《波濤槌(カスケードスマッシュ)》!」

 

 水の魔弾と共に繰り出された打突がナシュト=カマンターの脊髄を強かに打つ。しかし、素手で鐘を突いた様な感覚に襲われ、あまりの硬度にアルスは目を剥いた。

 瞬時に大鎌をマジックチェストに戻して、アルスは猫の様に俊敏な動きでその場から後退。再度手元に武具を出現させる。

 そこへラウラが声を張り上げた。

 

「アルスくん! 大丈夫ですか!?」

 

 手を挙げて返事としたその瞬間、ナシュト=カマンターが動き出した。

 狙いはアルス……ではなく、ラウラ。

 

「逃げろ姐さん!」

 

 知覚能力の大半を魔力に頼ったスケルトンが相手なら、いくら声を張り上げても血染めの聖骸布の効果で正確な位置まで判別できない。

 にもかかわらず、ナシュト=カマンターは一切の迷いなく動いていた。

 

(間に合えッ)

 

 急いで駆け出しながら魔力を左腕に収束させる。魔力強化が目的ではない──そこには詠唱の代替となる特殊な染料で彫られた魔導紋がある。

 鎧の隙間から翡翠色の光が漏れ出し、転瞬、それが烈風となって腕を覆う。

 アルスが手刀を作り振り抜けば、風は大気の刃となってナシュト=カマンターの背中へ向かって行った。

 熱したナイフでバターを斬るように金属の塊を両断する破壊力を持ちながら、非常に出が速い風の魔術──《魔風刃(ゲイル・エッジ)》である。

 

(それでも有効打にはならない。体勢を崩させられれば……最悪、注意を逸らすだけでも)

 

 しかし、アルスの目論見は外れた。大気の刃が不自然な挙動で外れて床を裂くに留まったのだ。

 

「矢避けの加護……!? 祝福それかよ!」

 

 巨体に見合わない俊足で一気にラウラへと肉薄したナシュト=カマンターは剣を横なぎに振るった。

 今のラウラでは受けきれない。アルスの脳裏を最悪の結末が過る。

 しかし。

 

「あんまり舐めないでくださいよ……!」

 

 それをラウラは盾で受け流し、体裁きで敵の側面へと移動。槌による打撃を膝裏に叩き込んで膝を突かせて見せた。

 

「アルスくん!」

「……なんだよ、全然動けんじゃん!」

 

 喜悦で口元を歪ませたアルスが大鎌を振り上げ、ナシュト=カマンターの頸椎へ引っかける。

 そしてそのまま、手元へ引くようにして刃を食い込ませた。

 刃と骨が火花を散らして硬質な物が擦れあう不協和音を奏でる。

 

「闇ノ、獣……!」

「だから知らん! 誰だそいつは!」

 

 アルスは立ち上がろうとするナシュト=カマンターを鎌で引き倒そうとするが──拮抗。

 この状態でアルスにできることはない。魔術による攻撃は矢避けの加護によって逸らされてしまうからだ。

 矢避けの加護は遠距離攻撃に対する絶対の防御。尋常な神官なら発動回数に限度があるが、ずっと手を組んで祝福の構えを崩さないナシュト=カマンターにそれはない。

 

「武器を振り回せる体勢ではないわな……! オラ、祝福解け! 魔風刃でその首叩き落としてやる!」

 

 アルスの左腕から翡翠の幽光が漏れる。

 祝福の構えを解けば──あるいは、アルスが立っている右手側の剣を手放せば一方的に攻撃できる。

 しかし、その時は魔導紋から奔る大気の刃が、大鎌に傷付けられた頸椎を断ち切るだろう。

 ナシュト=カマンターはそこまで理解していた。それ故の拮抗であり、膠着。


 その時、鉄の巨体が宙を舞った。

 

「判断が遅いんだよ、骸骨野郎!」

 

 アルスの魔術支援を受けたラウラがナシュト=カマンターの頭上を取っていた。

 

「やぁぁぁ!」

 

 ラウラの体重と重力を込めた一撃が大鎌の反対側へ叩きつけられる。

 衝撃音と共に火花が散り、大鎌の刃が更に深く入り込んだ。

 

「ァ、ァァァ、ァァァア!」

 

 ナシュト=カマンターが絶叫し、伽藍堂の肉体を軋ませながら祝福を解いて暴れ出した。

 床が捲れ、砂塵が舞う。しかしそれでも立ち上がることができない。


「それ──悪手だろ」


 アルスが胴体へ《魔風刃(ゲイル・エッジ)》を叩き込む。

 ぐらりと体を揺らしたそこには、斧槌を構えたラウラ。

 

「もう、一発!」

 

 ラウラが放った駄目押しの一撃がナシュト=カマンターの頭部へ叩き込まれた。

 切れ込みに打撃の力が加わり、致命的な亀裂を生む。

 

「ワタ、シハッ……マダ……」

 

 巨大なしゃれこうべが床へ落ちた。眼孔にあった赤い光は消え、骨の体から黒い靄が立ち昇っていく。

 アルスが大きく息を吐きだしてから、片手を上げて言った。

 

「いい攻撃だったな!」

「はぁ……はぁ……アルスくんの強化魔術があったからですよ。あんなに体が軽かったのは二か月ぶりでした」

 

 息を切らしたラウラが笑みを浮かべてそれに応えた。

 しかし、これはまだ始まりに過ぎない。本番はここからだ。

 二人はナシュト=カマンターから魔素結晶を取り出し、直ぐに下の階層へと続く扉を開けた。

 

「思ったより広いんだな」と階段を一目見たアルスが言葉を漏らす。

 

 下の階へと続く階段は大人が並んで降りても余裕がある通路で、天井も高い。

 そして、壁に等間隔で並ぶ燭台の灯りが途中で見えなくなるほど長かった。

 

「帰りもここ通るのか?」とアルスはラウラに尋ねた。

「普通はそうですけど、それがどうかしました?」

「またアレと戦うのかなと思ってさ──まあ対処方は分かったから、俺一人でどうにでもなるけどよ」

 

 階層間の出入りができるのは階層主が守護する部屋だけだ。魔素結晶が出来上がれば直ぐにまた守護者が出現するため、迷宮では常に帰り道の事も考えて行動しなくてはならない。

 しかし、あくまでもそれは普通に攻略している時の話だ。

 

「帰り道に関しては大丈夫です! テレサが怪我をしていたら大変なので、帰還結晶を持ってきました!」

「なんそれ」

 

 聞き馴染みのない単語にアルスが首を傾げる。

 帰還結晶は特定の迷宮でのみ使える転移魔法が込められたアーティファクトだ。魔力を込める事で対象者を迷宮の入口にまで転移させる消耗品である。

 

「これさえあれば直ぐにでも帰れますよ!」

「おお! ──でも、お高いんでしょう?」

「いえいえ、安心なさってください! こちらなんと、ボクがカダスの中で拾ったアイテムです! なので──実質タダ!」

「素晴らしい! ブラ・ボー!」

 

 胸を張るラウラにアルスが喝采を送っていたその時だ。

 前方から重たい足音が近づいてきた。それは明らかに人間の物ではなく、二人は揃って顔を顰めながら臨戦体勢へと移る。

 二人が構えてから程なくして、足音の主が姿を見せた。

 

「……石の狼?」とラウラ。

 

 それは巨大な狼の石像だった。馬の鞍に取り付ける駄載用の(パニア)を改造した物を着けられている。

 明らかに人の手が加わっているそれを見て、二人は警戒を解いた。

 

「ゴーレムだな。大した出来だ」

 

 アルスは石の狼を作り出した魔術師の腕に感心しながら、道を譲ろうと身体を壁際に寄せた。ラウラも反対側の通路に背中をつける。

 

「……通れるかな」

 

 そしてラウラが不安そうに呟いた、次の瞬間だった。

 

「その声──もしかしてラウラ?」

 

 ゴーレムの背後にいた魔術師の少女がひょっこり顔を出して、名前を呼ぶ。

 その顔を見て暫し固まったラウラは段々と目を潤ませ──声を上げた。


「テレサぁ!」

 

 少女、テレサが軽業師のような動きでゴーレムの背を飛び越えてラウラの側に着地。それから両腕を大きく広げて抱きついた。

 ラウラも自分の心配が杞憂であったことを悟り、テレサを抱き締める。

 

「良かったな、ラウラ姐さん」


 美しい抱擁を交わす二人を見てアルスがしみじみ呟くと、半目のテレサが口を窄めた。

 

「誰? 空気を読んで欲しい」

 

 テレサの顔は嫌いな食べ物だけ作られたフルコースでも出された子供のようだった。

 アルスは口元を引き攣らせていると、ラウラがコツンとテレサの額を叩く。


「コラ、初対面の人にそんな風な口の利き方しちゃだめだよ。いつも言ってるでしょ」

「……ごめんなさい」


 親子のような会話だった。

 ラウラに促されて不承不承で頭を下げているのがまる分かりだったが、アルスはそれを受け入れた。

 子供の言うことに一々大人が目くじらを立てる方がどうかしている──笑って流すのが大人の流儀なのだ。

 アルスが咳払いしてから言う。


「水差して悪いんだけどさ、続きは迷宮を出てからにしてもらっていいか? 目的は達した訳だし長居しなくてもいいだろ?」

「ですね!」


 アルスとラウラの様子を見たテレサは首を傾げた。

 

「二人は何しに来たの?」


 テレサは一人で目的を達して帰る途中だったのだから、まさか二人が自分を探しに迷宮まで来たとは考えていなかった。

 ゼノヴィアから「人付き合いが致命的に下手」などと言われる所以である。人の顔色が読めないのだ。目を潤ませるラウラを見て何も察せない──鈍感な少女だ。

 ラウラからすると慣れた物だ。テレサに優しく語りかける。


「テレサが迷宮に一人で向かったってゼノヴィアから聞いて……杞憂だったみたいだけどね」

「そう──私は天才だからこの通り」


 テレサはラウラにそう言って自信に満ちた顔で鼻を鳴らし、胸を張った。そして今度はアルスを見た。


「俺はラウラ姐さんの付き添い。アルスだ。よろしくな」

「そう……今のラウラが一人でここまで来られたか怪しい。ラウラを助けてくれてありがと」


 先程とは打って変わって頭を下げるテレサに、アルスが笑って「いいよ」と返しているとラウラ言う。


「凄いですよアルスくん。テレサが素直にお礼を言うなんて、早々ないですからね!」

「それは凄いな」

「えへん」

「褒めてはねぇよ」


 そんなやり取りをしていた矢先だ。


「キャァァァァァァァァァァ!?」


 ──階層主の部屋から、絹を裂くような悲鳴が上がった。


「今度は何だよもう……」アルスが悪態を吐く。

「見に行きましょう!」そう言って駆けだそうとしたラウラが、テレサに足を引っかけられて転んだ。


 テレサは悪びれもせず、淡々とした様子で話し出した。


「先ずゴーレムを向かわせる。視界を同調して様子を伺って、解決できそうなら突入。無理ならほとぼりが冷めるのを待つか、二層に下って帰還結晶を探す──アルス、等級は」

「A級だ」


 アルスの答えをテレサは鼻で笑いながら鳥型のゴーレムを作成。悲鳴がした場所へ向かわせてから、言った。

 

「面白い冗談。ケツに蹴りを入れるのは後にしてあげる……何級?」

「ほれ」


 アルスの右腕──鎧の隙間から金色の光が漏れ出す。


「蹴りを入れるのは後にするって言ったけど……アレは嘘」

「ウァァァァァァァァァ!?」

 

 赤い魔力を帯びたテレサの華麗な跳び後ろ回し横蹴り(ソバット)がアルスのケツを強かに打ち、絶叫が階段で反響する。

 それを見届けたラウラが言う。

 

「アルスくんはA級ですよ」

「言うのちょっと遅いねぇ!?」

「最初からそう言って欲しい」

「言ってたが!?」

「普通に考えて冗談だと思う……ん、もうすぐゴーレムが現場に到着する」


 テレサが黙り込む。

 そして、彼女の視界に階層主の部屋が映し出された──




 はっきりと分かったことは、そこにまだ生きている人間が二人いたという事だ。

 一人はテレサもよく知る女神官のゼノヴィア。そして見慣れない戦士の男だ。

 男はスパイクの付いた大盾を構えて、背後のゼノヴィアを守るようにしながら一体の怪物と向かい合っている。

 その怪物は四本の腕を持った巨大なスケルトン──しかし、魔素結晶がある筈の頭部が存在していない。

 右手に剣、左手にメイスを構え、空いた手を重ねて結び、祝福を成している。

 怪物の足元には血だまりが二つ。

 一つは軽装の女剣士。下半身が潰れており、目に光がない。仮に生きていたしても致命傷だった。

 もう一つには肉片が浮かんでいるだけで、性別を特定できるような状態ではなかった。

 しかし、その側に落ちているレイピアと、戦士に守られているゼノヴィアの存在が──その血だまりは誰だったのかを暗に告げている。


「ふ、ふざけんな! 何で一層のフロアキーパーが、こんな! ……あ」


 顔面蒼白の男がテレサのゴーレムに気が付いた。

 地獄の中に垂らされた一本の蜘蛛の糸にも見えたのだろう。顔に微かだが生気が戻り──


「闇ノ眷属共ヨ、滅ビロ」


 刹那、怪物が横薙ぎに振るった剣が、男の体を大盾ごと斬り裂いた。

 飛び散る赤を顔に被り、ゼノヴィアが恐怖で凍り付く。


「た、たすけ、誰か」


 ゴーレムへと手を伸ばすが──無情にもそれは怪物によって叩き壊された。

 テレサが確認できたのはここまでだった。




 女の断末魔が響き渡る。

 顔を青くしてへたり込むテレサにラウラが駆け寄った。


「大丈夫テレサ!?」

「平気……それより早く脱出しよう。一旦下層に降りて帰還結晶を」

「ボクが人数分持ってるから大丈夫。それより、上の人は──」

「全滅した。首なしの……四本腕のスケルトンが、殺した」


 四本腕のスケルトンと聞いてアルスとラウラは顔を見合わせた。

 確実に魔素結晶は取り除いたし、魔物が消滅する際に見せる黒い靄も確認している。

 それで倒せないなら、それはもう魔物とすら呼べない怪異である。


「取り合えず脱出」とテレサがラウラへ手を出す。


 そこに、ラウラがマジックチェストから取り出した帰還結晶を置いた。

 帰還結晶の使い方は迷宮内でそれを砕くだけだ。方法は問わない。

 しかし、テレサが転移結晶を床に落として砕こうとした──その時だった。

 結晶が濁り、一人でに割れてしまった。


「……は?」


 転移が発動しない。

 迷宮の中にはそういう場所も存在するが、ここは違う。

 転移結晶が使えないとなると、脱出するには階層主の部屋をもう一度乗り越える必要があるということだ。

 三人は怪物との相対を余儀なくされた。


(魔素結晶という弱点がない魔物……! さっきみたいに上手くいく保証はない。ボクは完全に足手纏いだ。でも、最悪、二人だけは……!)

(A級冒険者がいるのはせめてもの救い、だけど……ラウラがネック。今のラウラじゃどう援護したって長時間の戦闘は無理。この迷宮の異変……上の部屋を突破したとして、無事に出られるかも怪しい)

 

 頭を抱えるラウラとテレサ。

 一方アルスは──


「流石に粉々に砕き切るには骨が折れるな──スケルトンだけに」


 おやじギャグを披露する余裕すら見せていた。


「……何を呑気な」とテレサ。

「ラウラ姐さんには軽く話したけど、祝福の種さえ割れてりゃ苦戦はしねぇよ」アルスはそう返して腕を組んだ。


 あくまで魔素結晶の除去という楽に倒せる手段が無くなっただけだと、アルスは割り切っている。

 仮に首を失った巨大スケルトン──ナシュト=カマンターが別の祝福を使ってくれれば、魔術によるごり押しが通る。倒し方などいくらでもあった。


「ま、後は戦ってから考えればいいさ。案外すんなり倒せてサクッと出られるかもしれねーしさ」

「……楽観的だけど、一理ある。現状だと何も分からないから。これ以上の議論は無駄」テレサが渋い顔でアルスの言葉に頷く。

「いいね。話が速い」


 ラウラも二人の言葉に頷き、意見が纏まったところで三人は階段を上り始めた。先頭は当然アルス。その後ろにラウラ、テレサ、ゴーレムの順番に隊列を組む。

 程なくして登り切り、アルスが部屋へ先行すると──そこには惨劇の後があった。


 アルスが眉間へ皺を寄せながら部屋の中へ足を踏み入れる。


「……派手にやったな、骸骨野郎」

 

 毒を吐くアルスに続いて、ラウラとテレサも慎重にナシュト=カマンターの動向を探りながら部屋へ入った。

 それを確認した後、アルスは大鎌を構え言い放った。


「俺が相手だ」

 

 作戦は単純明快、アルスの一騎打ち。

 今は異変の真っ只中であり、残る二人は外から様子を観察しつつ臨機応変に対応する。

 場当たり的ではあるが現状の最適解。

 

 しかし、それはあくまでもアルス達の視点に過ぎない。


 次の瞬間──アルス達の真下にあった床が、口を開いたように裂けた。


「闇ノ獣、イト強キ者ヨ……落チロ」


 どこからともなく聞こえた聞き覚えのある声に、アルスは歯噛みした。戦う事を放棄してくるとは考えてもみなかったのだ。

 しかし取り乱すような真似はせず、アルスは呪文を詠唱した。


「『狂乱の風霊よ・我が足に宿り・疾風と成せ』! 《風の舞踏(ゲイル・ステップ)》!」


 発動した《風の舞踏(ゲイル・ステップ)》は、足裏に接する大気を地面の様に押し固めるという物だ。

 アルスはマジックチェストに大鎌を仕舞って両手を空け、地上と何ら変わりない動きで空を駆け抜けてラウラとテレサを回収する。

 

 自由落下するゴーレムは直ぐに見えなくなったが、地面と激突した様子はない。相当な深さである。

 アルスは一先ずラウラを肩で担ぎ、テレサは脇で抱えるようにして地面を目指した。

 

 しかし、アルスを拒むように迷宮の床が裂けていき、足場が次々に消えていく。

 そこで、アルスに抱えられたテレサが声を張り上げた。

 

「私が足場を作る! 『鋼の地霊よ・尖塔の如き黒鉄の槍以て・天地を穿て』! 《鋼の御柱(スチール・ピラー)》!」


 テレサが大穴の縁からそこを塞ぐように、巨大な鋼の槍を作り出した。アルスが一度二人を降ろすためにそこへ向かう。

 しかし、それを嘲笑う様に。


「無意味」


 ──鋼の槍が霧散した。

 そこへ追い討ちを掛けるように、天井が三人を押し潰さんとするかの如く、地響きを立てて床へ迫り出してくる。

 下を見れば迷宮が開いた口も徐々に狭められていた。


 考えている時間はもうない。


(一か八か、完全に詰む前にあの骸骨野郎を倒す!)


 アルスは二人を宙に放り出し、マジックチェストから取り出した大鎌ペイルムーンを手に──宙を蹴った。

 そして再び呪文を唱え始める。


「『轟く者・大地の子・詩神の箴言を以て・汝が神器を借り受ける』!」


「その詠唱は……!?」

「知ってるのテレサ!」


 それは神への畏敬や祈りを詠唱に取り入れることで、人類の集合無意識へ限定的に介入。通常の魔術よりも大きな変化を世界に齎すという現代魔術の極致。


「『御佩せる神威の帯・其は山を抜き・気は世を蓋う』!』」


 上位種族が操る力、魔法に最も近い魔術。

 その名を──

 

極大魔術(アルス・マグナ)……!」


 理論の提唱者はヴァナディース王国元宮廷魔導師イルシーナ・アールヴ。

 親友の仇を取るために奮闘する我が子のために編み出し、そして授けた……格上殺しジャイアント・キリングの術だった。


「《抜山蓋世サング・オブ・メギンギョルズ》!」


 アルスの腰から魔力がスカート状に広がる。

 《抜山蓋世サング・オブ・メギンギョルズ》はヴァナディース王国を中心に西側諸国で信仰を集める神の一柱が持つ神器に由来する魔術。

 その効果は極めて単純──術者に飛竜を縊り殺せるだけの身体能力を授けるという物だ。


「オラァァァァァァァア!」


 振り抜かれた大鎌による一撃がナシュト=カマンターの脊髄を裁断した。

 アルスは地面が口を開くよりも先に着地と踏み込みを行い、立ち止まる事なく動き回りながら大鎌を振るった。その度に黒い軌跡が風を斬り、骨を断つ。

 そうやって大鎌でナシュト=カマンターの解体を続けるアルスだったが──


「くそっ!? 迷宮狭めてんのお前じゃないのかよ!」


 ナシュト=カマンターがバラバラになって尚、迷宮の収縮は止まらない。床に落ちた骨がカタカタと跳ね回ると、どこからともなく声が響く。


「滅ビヨ。滅ビヨ。滅ビヨ」

「これでまだ生きてる判定なのか!? だったら、とことんやってやらァ!」


 翡翠色の魔力が嵐の様に吹き荒れ、細切れになった骨を浚い宙へと持ち上げる。大鎌を仕舞ったアルスが剛風を纏う拳打を打ち込んでいく。


「ダラァァァァア!」


 殴る、殴る、殴る、殴る。拳が、蹴りが、その尽くを打ち落とし、壊し砕く。


「『四方閉塞・逆巻く風・吠え立てろ狂風の狼』!」


 そして、粉々になったナシュト=カマンターの残骸に手を翳し──


「《空断つ遠吠え(ゲイルバースト)》!」


 転瞬、空力の榴弾が遠雷の如き爆音を轟かせ、その存在を迷宮から完全に駆逐した。

 魔術の余波で飛ばされたラウラとテレサを、アルスは瞬間移動めいた速度で回収。これにて一件落着……とはならなかった。


「いよいよ駄目っぽいな……」


 床に降り立って肩を竦めたアルスが《抜山蓋世サング・オブ・メギンギョルズ》の効果切れで玉の様な汗を流す。得られる力は絶大だがその反動もまた大きい。気を抜けば倒れそうな疲労感に襲われていた。

 そして、今度こそ八方塞がりだとアルスが思った──その時だった。


「やっぱり……穴の底に大きな空洞、水があります!」

 

 いつの間にか兜を取っていたラウラが、大穴に獅子の耳を向けて叫んだ。

 

 それは、死の運命を先延ばしにするだけかもしれない。

 

 しかし、何もしなければどうせ死ぬ。万が一でも生き残れる可能性があるのなら、それに賭けるのが冒険者だ。

 アルスが深呼吸して息を整える。


「しっかり捕まってろよ!」


 そして二人を抱えたまま穴の中へと飛び込み、《風の舞踏(ゲイル・ステップ)》で大気を蹴り上げて加速。

 流星の様に翡翠の魔力光が尾を引いて、三人は穴の底へ向かって真っ逆さまに落ちていった。



 

 暗い、暗い、果ての見えない場所を抜けて、その先で三人を待っていたのは──


「うそ……」


 地底とは思えない満点の星空だった。

 アルスが振り返れば、通り抜けてきた穴は塞がっている。まるでそこには最初から何もなかったかのようだった。


「アルスくん、下を見てください! ──ここ、カダスでもランドルフでもありませんよ!」


 ラウラに促されてアルスが視線を下へ向けると、見渡す限りの海とそこにぽつんと浮かぶ小さな島が見えた。

 迷宮カダスやランドルフは勿論、ヴァナディース王国近辺にまで範囲を広げても、こんな場所は存在しない。


「アルス、一先ず島に降りるべき」と脇に抱えられたテレサ。

 

「そうだな。でもちょっと待ってくれ」


 神妙な顔で言うアルスに二人が首を傾げた。

 

「魔術の効果……切れちゃった」

「だったら掛け直せばいい」


 テレサが当たり前の様に言う。

 しかし、アルスは首を横に振った。

 

「極大魔術には弱点があってな──使うと暫く魔力を体外に放出できなくなるんだ」


 大いなる力には代償が付き物だ。

 極大魔術(アルス・マグナ)は人類の集合無意識を巨大なミクロコスモスと仮定し、そこへアクセスしてより大きな変化を生み出している。

 しかし、人の身に余る力の塊へ繋がった人体には途方もない負荷が掛かる。すると……体は生命維持の為に外からの力の流入も、内側からの流出も拒むようになってしまう。

 

「それって、つまり?」


 ラウラが恐る恐る問う。何となく、答えは予想できていたが。


「このまま落ちるしかない、ってこと」


 自由落下する三人が黙り込むと風を切る喧しい音だけになった。


「「「ウワァァァァァァァア!?」」」


 絶叫と共に三人は海へ向かって落ちていった。

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