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ch.4 酒は飲んでも

 

 炎の洞窟は一層だが、決して魔物の数が少ないわけではない。

 脱水症状と栄養失調で死に掛けのアルス。

 足首を挫いてまともに歩けないラウラ。

 状況としては最悪、まさに絶体絶命──しかし、そんな状態でも二人は無事に迷宮から脱することができた。


 外へ出ると日は既に暮れ、空で無数の星々が存在を主張するように煌めいている。

 アルスは澄んだ空気の夜空に向かって拳を突き上げて叫んだ。


「シャバの空気、さいこ──ッ!」

「アルスくんのアーティファクトのおかげですね……」


 しみじみとラウラが頷く。

 その言葉にアルスが親指を立て、鎧の上から羽織っていた赤黒い襤褸布のマントを翻して見せた。


「アーティファクト《血染めの聖骸布》!  大金叩いて手に入れて正解だった……これが無かったら今の俺はいない……」

「スケルトンが五感の大半を魔力に頼っている魔物で良かったです……」


 能力は魔力の完全隠匿。

 そして、それに違和感を抱かせない為の認識阻害だ。


 知覚能力を魔力探知に頼ってるスケルトン等の魔物は、この聖骸布を纏う存在を正しく認識できない。

 二人は迷宮で生き残る為に仲良くこの襤褸布を被り、息を潜めてやり過ごす事でどうにか難局を打破したのだった。


(折角、女の子とマントの中でくっついてたのに何も覚えてねぇ……いや、唐揚げ的な料理(フリート)みたいな匂いがしたな……)


 そうやってアルスが思いを馳せていると、ラウラが頭を下げて言った。


「改めて、本当にありがとうございました。アルスくんが居なければ、今頃ボクは……」

「いやいや。それは俺も同じだって。マジで助かったぜラウラ姐さん。姐さん居なかったら俺死んでたわ」


 アルスはソロの冒険者。少しの怪我が命取りになりかねないため、応急処置等に使う包帯や捻挫に効く軟膏を多く持ち歩いている。

 ラウラは暴食の呪いによる飢餓感に悩まされていて、手っ取り早くそれを解決する為に食料と水をマジックチェストの容量限界まで詰め込んでいた。

 互いに必要な物を持っていた二人は生き残る為に協力した。言葉にすれば、それだけだ。


「……取り敢えず、帰りますか」

「だな」


 アルスはもう別れても良かったのだが──困難を共にした仲だ。情も湧く。折角生きて帰ってきたというのに暗い様子のラウラが気になったので、その誘いを受けた。

 そして迷宮都市ランドルフへと続く街道を並んで歩きながら尋ねた。


「姐さんはこの迷宮で活動して結構長いのか?」

「まだ三年くらいですね──アルスくんはどうなんですか?」

「俺は……どうだろ。一日か、二日くらいじゃねぇかな」


 アルスは日付の感覚が消えていた。

 迷宮内だと太陽と月の動きが把握できないというのもあるが、二日間に及ぶ強行軍が主な要因である事は言うまでもない。一応アルスは頭を捻ってみたが、考えるだけ時間の無駄だった。


「あはは……まだ来たばかりなんですね」とラウラが苦笑する。


 それに対抗する様にアルスは言った。


「でも、冒険者歴は七年だぜ?  多分ラウラ姐さんより長いんじゃないかな」

「そうですね。ボクは冒険者としても三年目──って七年目!?  アルスくん今幾つなんですか!?」

「十七」

「十七!?  七年目ってことは、十歳から冒険者になったんですか!?」


 ヴァナディース王国では男女問わず十五歳から成人として扱われる。冒険者として働き始める年齢はその前後が最も多い。ラウラも例に漏れず、冒険者の活動は十六の頃からだ。アルスの十歳は異様と言えた。


「しかも年下だなんて……てっきり同い年か少し上くらいだと」

「俺、老け顔だからなぁ」


 アルスは人相が悪い──社会人経験の長さも合わさり、顔付きは同年代と比べたら大人びている。

 自虐的な言葉にラウラがあたふたし始め、今度はアルスが苦笑を浮かべる羽目になった。


「早く大人になりたかったんだよ……もっとイルシーナ()の脛齧っておけば良かったなって思う時もあるけど」


 宮廷魔導師の親だ。上手く甘えれば贅沢の限りを尽くす事もできた。もしそうだったなら──今よりずっと子供っぽい顔付きだった筈だ。


「でもまあ、これで良かったんだ」


 親友──マグナ・クローヴ。冒険者にならなければ出会う事はなかっただろう。

 イルシーナ以外の家族を知らないアルスにとって兄弟の様な存在で、初めて出来た仲間。幾つもの冒険を共に乗り越えた戦友。


「良い友達が出来たからな」


 アルスの言葉にラウラは兜の奥で微笑んだ。


「そっか、アルスくんが少し羨ましいです」

「そう言う姐さんは……」


 アルスはそこで言葉を止めた。体からキノコでも生えてくるのではないかと錯覚してしまう程、ラウラが澱んだ空気を発し始めたからだ。

 ラウラにとって仲間は禁句ワードだった。迷宮に一人で潜っていた事からも察せた筈だが、アルスはそこまで気が回らなかった。


「あはは……恥ずかしいな。ボクの方が年上なのに」


 鼻声でそう言われると何も言えない。

 大人なんだから人前で涙を見せるな──そう言うのは簡単だ。しかし、アルスは命の恩人にそんな冷たい正論を浴びせる気にはならなかった。


「何というかさ……これから一杯どう?  話聞くよ」


 辛い記憶は酒を飲んで忘れるか、勢い任せにぶち撒けてしまうのが一番。それに頼り切るのは良くないが、物は使いようだ。適度に飲んでストレスを発散する事は決して悪ではない。


「……愚痴ばかりになりますよ」

「別に構わねーよ。俺と姐さんの仲じゃんか──それよりさ、良い店教えてくれよ。俺まだランドルフには詳しくないんだ……滞在時間ほぼゼロだから!」


 そうしてアルスはラウラの案内の下、冒険者ギルドに併設されている酒場へ足を伸ばした。


 そして辿り着いた酒場で──


「ボクがどれだけ!  どれだけパーティーに尽くしてきたかッ!  カ───ッ!  つらい!  つらいれすアルスくん!」


 ラウラは荒れた。物凄く荒れた。

 骨付き肉を口いっぱい頬張り、エールで押し流す食いっぷりは見ていて気持ちが良い。塔の如く積み上げられた空き皿も壮観だった。

 しかし、アルスはそれを見て場違いな事を考えていた。


(ライオンみてぇ。カッコいい)


 兜を外し露わになった美しい唐紅の髪を後頭部で束ね、纏めるのに使った紙紐が目立たない様に側頭部から伸ばした編み込みを使って隠している。だが、目を引くのはそこではなく、一纏めになった髪が毛量の多さ故か獅子の鬣の様になっている所だ。

 更に獅子獣人(レオ・セリアン)の特徴である獅子耳を立てて唸っていたり、肉へ齧り付く時に垣間見える鋭い牙が余計にそう思わせた。


「別に太りたくて太ったわけじゃらいのに!  仕方ないじゃないれすか!  何か食べてないと人間までお肉に見えてくるんれすから!」


 テーブルを割る勢いで空になったコップを置くラウラに、アルスは思う。


(それもう追放理由太っただけじゃなくない?)


 口にしたらテーブルではなく自分の頭をかち割られるかもしれないので、アルスは黙った。

 目の前に居るのは酒乱。顔を髪色と同じ色にして、回らない呂律でくだを巻いている残念な女の子。言葉ではなく手が飛んでくる可能性は十分考えられる。

 静かにエールを呷りながら聞いていると、席から身を乗り出す様にして顔を近づけてきたラウラが言った。


「きいれんれすかアルスくん!」

「聞いてる聞いてる」


 話半分で相槌を打ちながら豆を口に運び、冷たいエールで喉を潤す──すると不思議な事に疲れが消えた。


「生きてるって素晴らしい」

「いや、まぁ……それは、そうれすけど!」


 図らずともベストな返事になっていたらしい。ただ酒と豆の黄金コンビに対する感想を言っただけなのに。

 ラウラが口角泡を飛ばしながら熱弁する。


「でもひどいじゃないれすかぁ!  ボク、がんばってたのに!  呪われたからポイなんて!」


 運が悪かった──それだけで終わらせるのは確かに不憫だった。

 冒険者のパーティーとは、一人では実力が足らない所を補い合う為にある。臨時で仲間を集う様な場合もあるが、ラウラが組んでいたのは固定と呼ばれている形式だ。それこそ、組んだからには一連托生。報酬は基本的に折板。パーティーで共有の資産を作り、保険料や武器のメンテナンスなど経費はそこから支払う場合が多い。


「……ラウラ達はクランとかには入ってなかったのか?」


 この固定パーティーの規模を大きくした様なのが冒険者クランだ。パーティー同士が協力して相互扶助する組織であり、揉め事があればクランメンバーに仲裁を頼む事も多い。

 因みにアルスはクランにこそ属しているが、親友と組んでいた時以外にパーティーを組んだ事がない。


「皆、フリーで……いつかクランを作りたいなって……」

「あぁ……何というか」


 ──テンプレだな。


 アルスはその言葉を飲み込んだ。問題が起こった時に崩壊するパーティーの典型的な事例だったのだ。

 ラウラが所属していた冒険者パーティーはフリーランスの冒険者達が集まって結成されていた。柵がないという意味では気楽だが、問題事が起こると離散する可能性も高くなる。クランに属していると解散する前に仲裁役が入るが、そうでないなら別れる方が楽なのだ。


 ただ一点、ラウラの実力の高さを考えれば少し浅はかだと言えた。

 迷宮カダスは七大迷宮という高難易度迷宮に選ばれる危険度の高い場所だ。一層であっても、出てくる魔物が同じでも、凡百の迷宮とは質が違う。


 太って本当の実力の半分も出せていない状態で、無数の魔物を相手に立ち回るというのは、確かな地力が無ければ不可能だ。

 アルスは迷宮初心者だが無知ではない。ラウラの真の実力は相当高いと踏んでいた。

 それを加味して言う。


「まあ、そうだな……教会で診断された限りだと解けない呪いじゃなかったんだもんな。共通資産から解呪の為の料金を出すとか、やり方はあるもんな」

「皆の装備を借金して作った時だって保証人の欄にサインしたのに〜!」


 アルスはいよいよ何も言えなくなった。


 ──この世には教会どころか大陸屈指の魔術師でも解けない呪いを受けてる自分(ひと)も居るんだよ。などと言った所で「下には下がいるんですね!  良かった!」とはならないだろう。


 そもそもラウラが憤ったり悲しんでいるのは、呪われた後の仲間の冷たい行動だ。的外れな励ましほどこの世に不快な物はない。

 仲間を失った経験は同じでも、死に別れたアルスと捨てられたラウラではまるで違う。


「ラウラ姐さんは頑張り屋なんだなぁ」


 そんな当たり障りのない言葉で慰めることしか出来なかった。そうしてアルスが自分の無力さに打ちひしがれていると、突然ラウラが席を立った。

 テーブルを挟んで向かいに座っていたアルスの隣に大股で移動し、椅子が軋むほどの勢いで座り直す。

 そしてエールが入った瓶を持ち上げ、注ぎ口でまだ中身が残っているアルスのコップの縁を叩いた。


「やってることエグ……」

「なんかいいました?」

「ありがたくいただきます!」

「たくさんのんれくらさい!」


 瓶の蓋を手刀で飛ばしたラウラに並々とエールを注がれる。アルスはそれを一気に飲み干し、鼻の下に泡を付けた状態で「くぅ〜!」と声を漏らしながらコップを机の上に置いた。

 次の瞬間、アルスは自分の口元が引き攣っているのを感じた。


「……あの、ラウラさん?」


 ラウラが無言で次の酒を注いでいた。


「どうぞ!」


 満面の笑みだ──晴れ渡る青空の下、草原で風に吹かれているような爽やかな表情。先程までくだを巻いて泣いていた姿とは似つかない。


「ま、まあそんな慌てて飲まなくても」

「のんで、くださらないんですか?」

「……酒を飲みまぁす!」


 目に涙を溜めて泣く様に言われたら断れない。

 アルスは男を見せた。喉を鳴らしてエールを飲み干し、たぷたぷになった腹を摩る。


「ボクも飲みまぁす!」


 そして、ラウラも新しい酒瓶の注ぎ口を噛み砕いてラッパ飲みを始めた。


(さ、酒癖というかなんかもう……色々悪過ぎる!  破片とか一緒に飲んだらどうすんだ!?)


 アルスは辺りを見回した。良い子が真似すると大変だからだ。幸い、あたりに自分と同年代や年下は居らずホッと胸を撫で下ろした。


「うーん……ちょっと暑くなってきちゃいました……」


 ラウラは上気した顔でそう言ってルーン語で詠唱を始めた。


『妖精さん・妖精さん・ちょっとおめかし手伝って』


 刹那、ラウラの上半身を覆っていた鎧が肉体を透過する様にしてずり落ちて、大きな音と共に床に転がった。


「うぉでっか」


 アルスの口から本音が溢れた。

 何が巨大か?  無論、全てだ。タッパ、首、肩、腕、胸、腹──およそ上半身にある全ての要素が逸脱した大きさだった。守備範囲が広いアルスにとって大は常に小を兼ねる。些か健康面での心配はあるが、それは呪いさえなくなれば自然と解決するだろう。


「あぁ〜!  デカいっていっら!」


 ラウラが垂れかかってきたその瞬間、アルスに電流走る。


(こ、これは……ただ脂肪が付いてるだけじゃない!?)


 柔い脂肪の奥で息を潜める筋力にアルスは息を飲んだ。動物で例えるならそれは──


(ブタ……!)

「アルスくん……今、失礼なことを考えましたよね?」

「ヒュッ」


 いきなり流暢に話し出したラウラに喉が締まった。

 ハイライトが消えた大きな琥珀色の瞳に自分の顔が映り、アルスがたじろぐ。


「大丈夫だよ。ボク怒ってないですから。正直にごめんなさい出来たら許してあげます」


 怒ってませんと言って、本当に怒っていなかった人間を見たことはあるか?  いいや、ない。

 適当に誤魔化そう。そう思ったアルスが口を開こうとすると、ラウラが大きな手で肩を掴んで言う。


「嘘はいけないと思います」

(心が読めるのか!?  まずい……!)


 掴まれた肩の防具が万力めいた握力によって悲鳴を上げる。特殊な金属に竜の血を加えて鍛えた特別な鎧がラウラの握力に屈しようとしていた。


「何がまずいんですか?  言ってみてください」

「すみませんでし、あだだだだだだ!?」


 アルスが謝り切る前にラウラのヘッドロックが炸裂する。ムチムチの腕と胸、そしてその奥にある筋肉群が唸りを上げて頸動脈を圧迫する。


「ギブギブ死ぬ死ぬ」


 ペチペチと腕をタップしてギブアップを伝え──その時アルスに二度目の電流走る。


(クラン随一の娼館通い曰く……二の腕の柔らかさはおっぱいの柔らかさに相当するという)


 その真相を確かめるべく、そぉっと手を伸ばした所でラウラが声を低くして言った。


「ここから教会は近いので、帰魂の術(リレイズ)は直ぐに掛けてもらえますから──死んでも大丈夫ですよね!」

「ごめんなさい。それだけは勘弁してください」

「ダメですからね。本当に」


 ラウラが拘束を緩め、アルスがそこから抜け出す。

 それから二人は揃ってコップの酒を呷った。

 暫しの沈黙の後、アルスが口を開こうとした時だ──

 

「エアハルト?」


 喧騒の中でもよく通る低い声がラウラの名を呼んだ。

 二人が揃って声がした方へと顔を向けると、そこに一組の男女が立っている。革鎧に身を包んだ茶髪の青年と、ウェーブの掛かったピンク髪が特徴的な神官の娘だ。


「ヒューズさんに、ゼノヴィアさん……」


 その反応を見ればアルスでも察しがついた──二人は元パーティーメンバーだと。



 

「久しぶりだな」と茶髪の青年ヒューズが気さくに手を上げた。


 口元に笑みを浮かべるヒューズとは違い、神官のゼノヴィアは剣呑な眼差しをラウラへと向けた。


「まだ冒険者やってたのね──とっとと辞めればいいのに」


 元仲間からの歯に衣着せぬ言葉がラウラ胸を刺す。

 畳み掛ける様にゼノヴィアが続け様に言った。

 

「なに?  呪いさえ解ければパーティーに戻れると思った?」

 

 ──ラウラの体が石の様に固まった。

 

「もう新しいメンバー決まったの。アナタの居場所なんて無いから」

「ゼノヴィア、そんな言い方は……」

「自分だけ良い人ぶらないでよヒューズ。アンタだってさっき……」

 

 元パーティーメンバーのやり取りを見て、ラウラは肩を落として俯いた。

 パーティーを追い出された時からこうなる事は分かっていた。

 それでもまだ三年間の冒険の記憶が、楽しかった思い出が残っていた。

 

「いい加減アイツに付き合うの面倒だったし、丁度良かったって!」


 だが、ゼノヴィアの一言で砕け散った。

 いつかクランを組んで迷宮カダスを攻略し、歴史に名を刻む冒険者になるのだと──そう思っていたのは自分だけだった。


(じゃあ、ボクが頑張る意味なんて……もうどこにも)


 涙も出ない。単なる自分の独り善がりだったと分かっただけ。

 しかし、ラウラが喉の奥に痺れる様な違和感を覚えた次の瞬間だった。


「ふぅ」


 背後に居たアルスによって耳に息を吹き掛けられた。


「ひゃあっ!?」


 自分の口から出た声に驚いたラウラが手で口を塞ぐ中、アルスは欠伸を交えながら言った。


「何であのおばさん、ラウラ姐さんのこと目の敵にしてんの?  アレか?  肌年齢への嫉妬?  それとも……そういう日か?」


 デリカシーの欠片もない失礼な言葉のオンパレードにラウラが白目を剥く。

 ゼノヴィアはまだおばさんと呼ばれるほどの年齢ではない。まだ二十五歳だ。肌だってよく手入れされている。ラウラがパーティーに加入したばかりの頃は「若さに甘えたら痛い目見るわよ」とスキンケアについて熱弁していた──


「……なによ」


 しかしよく見れば、昔とは違う。化粧がほんのり厚くなっていた。


「言いたい事があるなら口に出しなさいよ」


 背後のアルスが動く。ラウラは嫌な予感しかしなかった。


「テメェらみてぇなジジババと冒険するなんてこっちから願い下げだヨッ!」と裏声のアルス。

「アルスくーん!?  やめて!  変なこと言わないで!?」

「介護士じゃねぇんだ!  足手纏い連れて下層になんて行けるかヨッ!」

「本気で怒るよ?」

「むしろここまでやってまだ猶予くれんの優し過ぎ、あだだだだだだだ!?  すみませんチョーシこきましたァッ!?」


 ラウラのアイアンクローがアルスに炸裂する。

 特殊合金の鎧を軋ませる握力だ。真っ赤な花を咲かせるまでそう時間は掛からない。


「ギブギブ!?  頭割れちゃうぅぅぅ!?」

「もう余計なこと言わない?」

 

「それは無理。だって姐さん泣いてるし」


 刹那、ラウラはパッとアルスのこめかみから手を離した。悶絶して蹲るアルスを見下ろしながら、自分の目尻にそっと触れる。

 涙は出ていない──そう思っていたのに。

 ラウラの指は湿っていた。


「随分と仲が良さそうだが──新しい仲間かい?」


 ヒューズが笑みを崩さずに問うと、ラウラが答えるよりも先にアルスが言った。


「そうだが?」

「アルスくん……?」


 ──どうして。

 そう聞く事さえ出来ない。自分を庇う様に前に立ったアルスから肌がヒリつくような威圧感を感じたから。


「君は彼女の呪いを知ってるのか?」

「知ってる……呪われてるからやめとけってんなら余計な心配だ。何なら俺も呪われてるし」


 アルスの言葉にラウラは目を見開いた。そこで漸く、迷宮で肩を寄せ合っていた時から今に至るまで──自分の話しかしていなかった事に気が付いた。


(ずっと、気を遣ってくれてたんだ……自分だってしんどい筈なのに)


「何?  傷の舐め合いってこと?  ダサいわね」とゼノヴィアが鼻でアルスを笑う。


「舐め合ってるつもりはねぇよ……物理的に舐め合うのはいつでもウェルカムだけどな」


(違うかもしれない。許容範囲が広いだけなのかも)


 ラウラの中でアルスの好感度が乱高下する。


「……ラウラ、仲間は選んだ方が良いんじゃないか?」


 そして余りにも真っ当な言葉がヒューズから投げかけられ、喉を詰まらせた。

 そもそも仲間という間柄なのかも怪しいのだが──それを指摘する余裕は今のラウラにない。

 代わりにアルスが小馬鹿にした様に言った。


「何だよそれは。自己紹介か? ラウラが呪われなきゃ「アナタの才能についていけましぇん」って言えないテメェらのよ」


 無論、それは煽りである。

 ゼノヴィアの額に青筋が浮かんだ。


「変態と一緒にしないでくれる?」

「全くだね……それと、ラウラにパーティーから外れてもらったのは彼女の自己管理がなってなかったからだ。食欲が増す程度の軽い呪いでそうなったのは心の弱さ──怠慢だろう」

「言うこと欠いて論点ずらしに精神論か……熱くなるなよ。冗談に決まってんだろ──半分くらいはな」


 怒気を滲ませるアルスの右手が翡翠色の魔力光を放つ。

 怯えた様子でゼノヴィアが後ずさる中、ラウラはアルスの真意に気が付いた。


「ア、アルスくん中指を!?  中指を下ろしてください!」


 魔力強化の光で燦然と輝く中指がヒューズとゼノヴィアに向けられていた。


「ラウラ姐さんごめんな──俺、自分に嘘は吐けない!」


 それは美しい台詞ではあった。

 自分に嘘を吐かないことは確かに良いことだろう。己の気持ちに蓋をして、壊れるまで我慢するより余程いいに決まっている。

 やってる事の汚さに目を瞑ればだが。


「いや、免罪符にはなりませんからね!?  ……言ってる側から手を増やさないで!  卑猥な動きを止めてください!?」


 ラウラに止められて尚アルスの中指は天を指していた。

 更に左手の中指も立てられ、同時にアルスは中指で天を突き上げる様な動作を加えていた。

 そこまでされて黙っていられる程、冒険者は穏やかな生き物ではない。


「上等だクソガキッ!」


 怒りが臨界点を超えたヒューズが口調を荒げ、拳を振り翳した。アルスは微動だにせずその一撃を右の頬で受け止め──衝撃音。

 騒がしかった酒場が水を打ったように静まり返った。

 静寂の中、威嚇する獣を想起させる壮絶な笑みを浮かべたアルスがヒューズに告げる。

 

喧嘩、成立(かうって、こと)だな?」

 

 その言葉は水鏡に投げ入れられた石の様に静寂を破り、歓声となって酒場を揺らした。


「喧嘩だ喧嘩ァ!  椅子と机どかせ!」

「組み合わせは誰と誰だ!?」

「ヒューズと……この辺りじゃ見ないガキだ!」

「いつもスカした顔して女侍らせてるヒューズが喧嘩!?  吹っかけても薄ら笑いしかしなかったヤツが!?」

「どっちに賭ける!?  俺ァ、ガキの方に賭けるぜ!  前々からヒューズが気に食わなかったんだ!」


 冒険者にとって喧嘩を超える酒のつまみはない──面白いカードであればある程、盛り上がる。

 凄まじい速度で場が整っていく中、アルスが言う。


「嫌われてるねぇ、ヒューズの兄貴」


 ヒューズは冒険者たちの中であまり人気が無かった。ノリが悪く、パーティーメンバーが女子ばかりだったのが主な理由だ。いつも胡散臭い笑みを浮かべているのも拍車を掛けていた。

 それは喧嘩を買った今でも変わらない。口元に笑みを作り、目は油断なくアルスの一挙一動を追っている。


「何とでも言えばいい。だが喧嘩を売ったこと、後悔するなよ」

「あっはっはっはっ、はぁ──する訳ねぇだろ。お前こそ覚悟しろよ。女泣かしてもまだヘラヘラしてるその面ァ、パンパンになるまでド突き回してやる」


 そう言って、酒場に集まっていた冒険者たちが用意した即席の闘技場へ向かおうとするアルスのマントを、ラウラは咄嗟に掴んだ。


「……え、もしかして俺が負けると思ってる?」アルスがショックを受けたように眉を下げる。

「ち、ちがっ、そうじゃなくて……何でこんな事を?」


 質問の意味が分からない。アルスの顔にはそう書いてあった。


「だ、だってアルスくんには関係ないし、無駄に怪我するリスクを負ってまで喧嘩なんて」

「んー、まぁ。無駄ではないな。少なくとも俺はスッキリする……マジでムカついてるのもあるし」


 それは清々しいほど自己中心的な言葉。


「気に食わないんだよ。姐さんが呪われたのは自分の仕事を全うしたからだ。でも、アイツらは仲間としての責務を全うしなかった。なのに、口を開けば丁度良かった? 自己管理? 怠慢? ──どっちがだよ」


 しかし、アルスなりの流儀に則った決断だった。


「どうする? 要望があれば叶えるぜ?」


 そしてアルスはシャドーボクシングをしながらラウラに仕返しの方針を尋ねた。


「ボ、ボクは……」


 普段のラウラ・エアハルトならアルスを止めた。しかし今、ラウラの体には大量のアルコールが入っている。


「ぼくは」


 先のやり取りで緊張と緩和を経たラウラの酔いは──最高潮に達していた。


「言い訳のしようがないくらい、ぼこぼこにしてやっれください!」

「了解──じゃ、とりあえず俺の鎧と武器は一旦預かってもらおうかな」


 鎧下に来ていたインナー姿になったアルスが舞台に上がると、観衆が騒めきヒューズの笑みが崩れた。


「ようやくニヤケ面が取れたな色男。じゃあ、ルールの説明といこう」

「……なに?」

「ルールは簡単。御覧の通り俺は丸腰。ノーガードだ。ついでに魔術も使わない。その代わり、お前はフル装でそこの神官からありったけの支援魔術(バフ)を受けてもらう」

 

 ──?


 酒場は二度目の静寂に包まれた。

 ラウラも、ヒューズも、ゼノヴィアも、冒険者のおじさん達も──皆、一様に目を丸くしていた。

 その代わりってそういう使い方をしても良い言葉だっただろうか、と。

 しかし、次第にアルスの言葉の意味が分かってくると騒めきが大きくなっていく。


(ア、アルスくん!? 大丈夫なんですか!?)


 ラウラの酔いが再び吹っ飛んだ。

 そのルールは余りにも傲慢だった。しかし、アルスの顔には余裕しかない。


「反応悪いな。早く準備しろよ。手加減してやるって言ってんだよウスノロ」


 親指で首を掻き切り、その先を床へと向けてヒューズを煽る。

 完全に悪役である──徐々に観衆の気持ちがヒューズへと流れ始めた。

 ヒューズが感情を押し殺すように低い声で言う。


「……ゼノヴィア」

「分かってる──殺すのよね」

「ああ」


 冒険者の喧嘩は決闘に近い。その結果が何であれ、作法に則り見届人を選定すれば罪に問われることはない。


「見届人は俺、ジョウ・レーンが務めさせてもらうぜ」

「よっ、名物審判!」

「お前がいなくちゃ始まらねぇ!」


 見届人は有志の者によって行われる場合が殆どだ。この酒場では常連客の冒険者が執り行う。

 あとは簡単だ──自分の冒険者等級と名前を名乗る。二つ名がある者はここぞとばかりに名乗ることも多い。


「第二級冒険者──《破光剣》のヒューズ」


 真っ先に名乗ったのはヒューズだ。特殊な魔力塗料で首筋に刻まれた紋章──冒険者のシンボルである剣と月が交差した意匠のそれが、二級であることを示す青白い光を放った。

 更にヒューズは腰に佩いた細剣(レイピア)を引き抜き、一閃。

 大気を切り裂く鋭い音に観衆が沸くのと同時、ゼノヴィアの《祝福》が完了しヒューズの能力を大幅に底上げした。


「二級が祝福まで受けりゃ一級相当じゃねぇか……」

「あの坊主まだ二十にもなってないだろ。流石に装備も魔術も無しなんて……勝ち目ねぇよ」


 観衆の声に気を良くしたヒューズが細剣(レイピア)の本領、刺突を見せる。大気を突き穿った剣圧が離れた位置にいたアルスの頬を浅く斬り付けた。

 騒めく周囲の人々にラウラも焦燥を覚える。ヒューズの実力は良く知っている──祝福を受けたヒューズは一級相当ではなく、一級冒険者ですら手古摺る魔獣を討伐できる事を。


「アルスくん……!」


 悲痛な声音で祈るように自分の名を呼ぶラウラに、アルスはただ一言告げる。


「大丈夫……俺、こう見えて結構強いんだぜ」


 ──冒険者の等級は全部で七段階存在する。

 数字だと六級から一級。数字が若いほど等級は上となる。


 六級、五級は初心者。四級で駆け出しを卒業し、三級で漸く一人前と見做される。等級の分布図で厚いのは四級と三級の層だ。この二階級で全体の四割を占める。五級と六級を含めれば六割を超える。


「その余裕がどこまで続くか見物だね……」ヒューズが笑みを見せる。


 ヒューズの二級は上から数えて三番目──冒険者稼業で安定した生活ができる水準。全体の二割弱。十分な実力を持ってはいるが、一流を名乗るにはやや物足りない。

 その上の一級は常人が到達できる最高地点、一流の冒険者だ。その実力もピンキリだが、キリの方でも二級冒険者のワン・パーティーに相当する。


「泣いて謝るなら許してやるが?」


 笑顔を浮かべるヒューズに、アルスはインナーの右腕部分を捲り上げることで答えた。

 そこに刻まれた階級章から金色の光が漏れ出す。


「金の階級章……まさか!?」


 ラウラが声を震わせた。

 それは一級冒険者の証──ではない。

 ヴァナディース王国を含む、西側諸国で活動する冒険者の頂点だけが持つ最強の証明。魔術師の階級において最上位の達人(アデプト)の頭文字を与えられた十三人の冒険者。

 

 その別名は──人の形をした怪物。

 

「A級冒険者、アルス・ライザック。俺は性格が悪いからな……お前が泣いて謝っても許さない」

 

 歓声が爆発した。

 大気がビリビリと震え、酒場の窓を揺らす。

 生きている間に出会う機会なんて殆どない存在だが──その逸話は噂として耳に入ってくるのだ。


 曰く、山より大きな巨人の首を斬り落とした。

 曰く、有翼の獅子を素手で絞め落とした。

 曰く、千人の盗賊を五分と掛けず鏖殺した。


 こんな物は序の口だ──挙げ出したらキリがない。

 しかし、そんな怪物の前に立たされているにも関わらずヒューズは余裕さえ見せていた。


 ──化物であったとしても、まともな装備を着けていない今なら勝機は十分ある。


 剣圧で頬が裂けるなら、剣の直撃を受ければ死ぬ。魔力による身体強化の限度は魔術による物よりずっと低い。

 

「名乗りは済ませた。先手譲ってやるよ、せ・ん・ぱ・い」

 

 それが決闘の開始を告げる合図となった。

 アルスが煽った直後に、ヒューズが一息で剣の間合いまで踏み込んだ。


 移動の余波が大気を押し出し、衝撃波となって酒場を突き抜け観客達を打つ。

 冒険者達の歓声を背に、ヒューズが必殺を喫した刺突を放たんと剣を構えた。グリップに刻まれたルーン文字が呪文詠唱を肩代わりし、魔術を構築──切先から閃光が奔り出す。


 光魔術《閃光刃(フォースエッジ)》は、目眩しと同時に間合いを誤認させる。更にヒューズは切先に魔力を集中させ、本来の物より射程を縮める事で威力を底上げしていた。

 その殺傷力は当然、先の剣圧の比ではない。


「死ねッ、A級──!」


 鋼より硬い飛竜の鱗さえ貫く一撃。

 しかしその一撃をアルスは──


「魔術は良いけど剣の腕がお粗末すぎ」


 魔力によって強化した右膝と右肘で挟み込む様にして受け止めた。

 ヒューズが剣を押し引きするがアルスはビクともしない。片足のまま不動を維持し、少しだけ肘の位置をスライド。レイピアを抑えつける力を上げていく──そして。


「……あ」


 甲高い音を立ててレイピアが折れる。

 構えを解いたアルスが拳を構えた。


「冒険者の喧嘩は、殴られたら同じだけ殴り返すもんだけど……覚悟はいいか?」


 そうは言うがアルスにヒューズの返事を待つ気などなかった。

 力強い踏み込みによって酒場に激震が走る──遅れて、遠雷の如き轟。

 アルスは床からの反作用を上乗せした拳打をヒューズの正中線へ捩じ込み、分厚い皮の鎧を拳の形に歪ませながら突き飛ばした。


「ヒューズ!?」ゼノヴィアが悲鳴を上げる。


 床を何度も跳ねながら吹っ飛んだヒューズは、そのままの勢いで酒場の壁を突き破り──石畳の街路で泡を噴いて気絶した。


 勝者は一目瞭然。


 アルスは勝ち誇るでもなく、吐き捨てる様に言った。


「拳ってのはこうやって打つんだ。勉強になったな、優男」


 そして、しっちゃかめっちゃかになった酒場を見て一言。


「修繕費は全部敗北者持ちで頼むわ」


 全責任をヒューズに擦り付けた。


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