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ch.3 迷宮の中で

 

 迷宮──それは浪漫の象徴。

 冒険者が一度は憧れる冒険の代名詞。


 冒険者が奥へ進むことを拒むように立ちはだかる数多の魔物。至る所に仕掛けられた罠が不用意に近づいて来る者を待ち受ける。

 それは命に関わる物から子供の悪戯のような物まで千差万別だが、魑魅魍魎が跋扈する迷宮内では些細な変化が命取りとなるだろう。


 中でも《迷宮カダス》は大陸屈指の危険に満ちた迷宮だ。仕掛けられている罠には大なり小なりの呪いが込められている。一回でも罠に掛かればその後の人生には暗い影が落ちる事になる。

 しかし、それでもカダスへ挑む命知らずは後を絶たない。何故ならそこには危険を冒すに値する魅力があるからだ。


 上位種族と呼ばれる者たちが生み出したとされる魔法の道具(アーティファクト)


 力尽きた先人の遺失物。


 魔物にとっての命である魔素結晶は魔導器製造の要。人々の生活を豊かにする魔術の道具は需要が尽きず、質の高い魔導器の製造に魔素結晶は欠かせない。ある程度の大きさがあれば非常に高値で取引される。


 そして、これはカダスに限った話ではないが──迷宮の最奥には迷宮主(ダンジョンキーパー)と呼ばれる存在がいる。迷宮主が守護する場所には迷宮の命とも呼べる巨大な魔素水晶がかり、それを持ち帰る事が出来れば末代まで遊んで暮らせる巨万の富が手に入る。

 

 そんな危険と夢が詰まった迷宮カダスの一層《炎の洞窟》に、アルスは二徹の状態で挑んで(突入して)いた。

 

「ヒャァァァァァァアッハァ!」


 ハイになったアルスが無手で人骨の魔物──人骨魔(スケルトン)へ襲い掛かる。

 スケルトンへ肉薄したアルスは翡翠色の魔力を拳に込めて、その顔面へ向かって突き出した。


 それを軽快な動き(スウェー)で避けようとしたスケルトンだったが、アルスの方が遥かに速い。

 繰り出された拳打がその鼻っ柱を捉え、遠雷の様な音と共に頭蓋ごと吹き飛ばした。


 頭部を破壊されたスケルトンは力なく膝を突き、程なくして黒い靄へと姿を変える。最後に残ったのは魔素結晶だけだった。


「うひょひょ……ボロい商売やで……」


 そう言ってアルスは腰に提げた箱型の魔導器マジックチェストに触れた。

 マジックチェストは魔導器内部にある異空間へ荷物を格納できる携帯型倉庫だ。魔力を流し込む事で起動し、念じた物を手元に呼び出す。唯一の欠点は、異空間に格納した物品の総重量がマジックチェスト本体に反映されるという所だが──それを補って余りある利便性に惚れ込み、職業を問わず多くの人間が使っている。

 アルスが取り出したのは魔素結晶回収用の頭陀袋だ。既にパンパンに膨れ上がっているそれに、今しがた回収した物を押し込んだ。


「よし。次だ」


 炎の洞窟は壁自体が微かに発光していて、松明が不要なほど明るい。勢いで来ただけのアルスでも何とか探索出来ていた。

 その灯りが不幸中の幸いなのか、それとも燭台の灯火に誘われた蛾を焼く炎となるのか──アルス次第だ。


「おっ、金ヅルが列を成して歩いてやがる……ぐへへ、これから物入りだからな。たんまり稼がせてもらうぜ」


 ただ──どちらかと言うと後者寄りだった。


 

 

 迷宮カダス第一層《炎の洞窟》、灯りも無いのに薄らと明るい洞窟の中で一人の剣士が魔物と対峙していた。

 剣士は銀色に輝くプレートアーマーを着用し、黒地に金の縁取りがある腰布を巻いていた。腰布を留めるベルトには物を収納しておける小さな魔導器のマジックチェスト。左腕で凧盾を持ち、右手に長剣を握っている。


 しかし、特筆すべきはそれらではなく──右手の剣が短く感じてしまう程の巨体だ。只人(ヒューム)の一般成人男性よりずっと背が高く、身体が分厚い。

 顔まで覆うヘルメットの奥で琥珀色の瞳を揺らし、剣士は呟いた。


骸骨騎士(スケルトン・ナイト)か……今の状態でどこまでやれるか」


 相対しているのは人骨の魔物──スケルトン。それも単なるスケルトンではなく、騎士と称される鎧と剣を持った種類だ。

 じりじりと摺り足で距離を測る両者だったが、痺れを切らしたスケルトン・ナイトが動き出した。鎧の重さをまるで感じさない軽い足取りで間合いを詰め、両手剣を袈裟懸けに振るう。


「ぐっ!?」


 左腕に着けた凧盾で両手剣を受けると剣士の巨体が僅かに後退した。伽藍堂の身体から繰り出されたとは思えない剣撃に顔を顰めながらも、反撃に打って出る。


「ハアッ!」


 裂帛の気合いと共に右手に握った剣を繰り出し、スケルトンナイトの胴体を突き穿った。

 しかし、鋼の鎧を切先が抉り抜くも手応えはない。人間ならば致命傷になり得たが──魔物は違う。剣士が穿ったのは肋骨の隙間だった。


(相性が、悪いッ)


 魔物──大気中にある魔素という物質が結晶化した物を核とする生物とは言えない何か。この世に未練を残した人間の姿だと言う説もある。

 魔物は特定の攻撃に対して高い耐性を持っていたり、生物としてはあり得ない特徴を有している。スケルトンであれば骨の肉体。筋肉が無いにも関わらず凄まじい膂力を発揮するその一方で、軽い分だけ動きが素早い。骨は人間よりも頑強で生半可な剣と技量では断つ事も難しい。


(スケルトンの魔素結晶は頭部!  だけど……!)


 核である魔素結晶を除去できればどんな種類・個体であっても消滅するが、当然容易ではなかった。頭を守る様に立ち回ってくるスケルトン・ナイトに剣士は歯噛みした。

 得物との相性が良くない魔物ではあったが、それでも一体程度であれば剣士一人で対処できた。

 問題は敵が一体だけではなく──複数いたことだ。


「『火の精れ、ッ!?』」


 剣士がルーン語による詠唱を試みたその刹那、風切り音と共に矢弾がその頬を掠めた。


「くっ!?」


 スケルトンナイトの背後に弓を構えた骨の魔物が一体。他にも洞窟の奥から続々と人骨魔(スケルトン)達が集まってきていた。


(……ッ! 考えるな考えるな考えるな!)


 亡者の行軍を目の当たりにした剣士の脳裏に嫌な未来が浮かぶ。だからこそ、立ち止まる訳にはいかなかった。

 眼前に迫った骸骨騎士の剣閃を右手の剣で払い、盾を前に構えて突撃した。


『火の精霊よ!』


 そして間髪入れず短い呪文を詠唱。盾の裏側に刻まれた刻印が赤熱し、一気に外側へと奔る。

 それは盾を押し当てられたスケルトンナイトの胴を溶かしながら──爆発。パキンとガラスが割れる様な甲高い音の後、骨の身体を黒い靄へと変えた。

 しかし、目下最大の敵を打倒したは良いがその代償は重い。爆炎を生じさせる魔術により剣士の盾は籠手ごと吹っ飛んでしまっていた。


「ハアッ……ハアッ……」


 身体が鉛の様に重い。視界は酩酊しているかの如く揺れ、今すぐにでも膝をついてしまいそうだった。


「こんな有様じゃ、仕方ないか……」


 剣士が自虐的な笑みを浮かべた。

 目線を下げれば嫌でも己の身体が視界に入ってくる。

 

 剣士は──太っていた。

 

 それはもう丸々と肥えていた。

 吐息から唐揚げの匂いがするのではないかというくらいデブだった。


 剣士とて好きでこうなった訳ではない。ほんの二ヶ月前まではもっとスリムで、迷宮探索を主に行う冒険者パーティーの盾役として働いていた。

 魔物から味方の魔術師を守り、攻撃役の剣士が動き易いように場を整え、好機は見逃さず一気呵成に畳み掛ける──そんな理想的な動きが出来ていた。

 今は面影すらないが。


「ハァ……ハァ……」


 呼吸を整える間もなく斧を構えた新手のスケルトンが現れる。


(嫌だ……死にたくない……こんな呪われた状態で、死にたくなくないッ)


 二ヶ月前、剣士は迷宮探索で魔物から仲間を庇った後、運悪く呪いの罠を踏んでしまった。

 掛けられたのは暴食の呪い。その名前の通り人間の食欲を増大させる効果を持っていて、寝ても覚めても何かを食べている生活が続いた。気が付けば剣士の体重はたった二ヶ月で元の二倍超にまで膨れ上がり、三桁後半にまで達した。


 そんな剣士を──仲間達は切り捨てた。お前の様な戦士は要らないと、パーティーから追放した。


「負けるか!」


 剣士は自らのウエイトを生かし、体重を乗せた重い斬撃でスケルトンの斧を弾き飛ばした。

 そして、よろめいているスケルトンの眼孔に切先を突き入れて穴を広げる。


「オリャァァア!」


 剣を引き抜き、広がった穴に腕を捻じ込んで魔素結晶を抜き取った。動力源を失ったスケルトンが地面に転がりそのまま溶ける様に消える。

 魔力結晶を腰に下げた袋へしまってから、剣士は両手で剣を構えた。

 兜の奥にある琥珀色の瞳はまだ死んでいない。


「絶対に、絶対に生き残ってやる……!」


 魔物を倒して、倒して、倒し続けて──集めた魔素結晶を売って金を作る。暴食の呪いは教会へ多額の寄進さえすれば解呪できる。


「負けないぞ、魔物共……!」


 呪いさえ解ければ──きっと元の生活に戻れる。仲間達と冒険者の頂を目指す、あの輝かしい毎日へ。

 だから剣士は戦っていた。

 丹田の魔力炉に意識を集中し、魔力を体全体へ行き渡らせる。それは人類が魔術を持たない時代から行ってきた原始的な魔力の使い方だ。

 そして、それは剣士が最も得意とする技術だった。


(くそっ、太ったせいか上手く使えない!  でもスケルトンくらいなら……これで!)


 身体に纏わり付いた脂肪のせいで感覚が変わっている。

 しかし、それでも風のように剣士は駆け出した。

 目の前にいた棍棒を持ったスケルトンをタックルで押しのけ、その得物を奪って自分の剣と持ち変える。そしてスケルトンの頭部目掛けて棍棒を力任せに振り抜いて、破壊。急いで魔素結晶を抜き取った。


「……次は」


 しかし、意識を切り替えたその刹那──剣士の膝から力が抜けた。


「あ」


 更に足元の小石に蹴躓き、魔物の群れのど真ん中で無防備な姿を晒してしまう。

 剣士は自分の体力を見誤った。無意識の内に太る前と同じ様に考えてしまっていたのだ。


(こんな、所で……)


 スケルトン達がカタカタと顎骨を打ち鳴らしながら、ゆっくりと近付いてくる。


(嫌だ)


 立ち上がろうにも力が入らない。

 分厚い脂肪は錘となって体力を消耗させ、精神的にも大きな負担を強いていた。剣士は既に限界を超えていた。


(ボクは、まだッ)


 仲間が居ればこんな目には合わなかった。

 けれど剣士が助けを求めて伸ばした手を、誰も掴んではくれなかった。

 だからここに、一人で居る。


(終われるか……終わってたまるか!)


 盾役は仲間を庇うのが仕事だ。

 仕事を全うしたならそれで終わり──そんな道具の様な人生で満足できたなら、冒険者になんぞなっていない。

 一人でも戦う。戦わなくちゃいけない。


「諦めてなんか、やるもんか……!」


 必死に踠く剣士を嘲笑うように骨を打ち鳴らすスケルトン達の合唱は続く。

 そして、真っ先に剣士の側に辿り着いたスケルトンが錆びた剣を振り上げた──その時だ。


「ボーナスタァァァアイム!」


 頭のネジが二、三歩抜けた様な絶叫が剣士の耳朶を打った。

 洞窟内で反響するそれを聞いたスケルトン達も顎骨を打ち鳴らすのを辞めて、音の出所を探すべく伽藍堂の目に赤い光を灯した。

 咄嗟に剣士が叫ぶ。


「こっちへ来ちゃ駄目だ!」


 助けを求めれば──あるいは、黙っていれば命を繋げられたかもしれない。息スケルトンの注意が完全に声の主へと向くのを祈るのが生き永らえる為の最善手。


 しかし、剣士は見知らぬ人の安全を優先した。


「スケルトンが数え切れないくらい居るんだ!  だから──!」


 カダスでは弱い魔物に分類されるスケルトンだが、群れとなれば話も変わる。数的有利は戦いの優勢を決する程の強みだ。仮に数人の冒険者がこの場に救援としてやってきても、剣士を助ける事は難しいだろう。

 しかし──剣士の想いは届かなかった。

 

「俺の美少女センサーがかつてないほどビンビンだぜ!」


 どうやら声の主はどうしようもない頭をしていたらしい。それでも剣士は懸命に訴えた。

 

「そ、そのセンサー壊れてますよぉぉぉぉお!  美少女なんて居ませんからァァァア!」

 

 必死に声を張り上げる。

 何で自分はこんな事を頑張ってるんだろう──言い表せない感情にほろりと涙が溢れた。

 だが、涙は直ぐに引っ込んだ。激しい揺れと共に壮絶な破砕音が洞窟内で反響し始め、それどころではなくなった。


 音は秒を追うごとに大きくなっていく。

 それはもう砕くとか壊すだとか、そんな次元の音ではない。何かが硬質な物を轢き潰していた。


 そして、破砕音を聞いていたスケルトン達の様子が変わった。逃げるでも、音がした方へ向かうでもなく、スケルトン達は顎骨をカタカタと鳴らし始めた。

 まるで見えない何かに怯えているようで──


(な、何が近付いているんだ?)


 立ち上がる事を忘れ、剣士も同じ様に洞窟の奥へ視線を向けた。

 すると、洞窟の曲がり角から一人の少年が姿を見せた。


「確かこの辺りから……」


 乱雑に伸ばした黒い髪に切長で鋭い目付き。翡翠色の瞳は薄暗い洞窟で微かに発光しており、少年が辺りを探る度に軌跡を描いている。

 身に纏う金属鎧には瞳の色と同じ竜の鱗が縫い付けられ、背中に括り付けた長物武器(ポールアーム)は赤黒い襤褸布の様な物で覆い隠されていた。


 物騒な見た目ではあるが冒険者なら珍しくはない。

 しかし、剣士は少年が手に持った物を見て顎が外れるくらい大きく口を開いた。

 少年の手にはパンパンに膨れた頭陀袋があった。


「お、いたいた……美少女はっけーん」


 その発言も相まって、まるで年端のいかない少女を狙う誘拐犯の様にも見え──剣士は叫んだ。


「キャァァァァァァァア!?」

「あ、あれー!?  思ってた反応と違う!」


 絹を裂いた様な悲鳴に少年は困惑していた。

 しかし直ぐに切り替えたのか、剣士を落ち着かせる為に武器を地面に置き、両手を広げて無害さをアピールし始めた。


「大丈夫!  ダイジョ──ブ!  俺、怖くない!  俺、良い奴!」

「本当に良い人は自分の事を良い人だなんて言いませんよ!」

「それは……そうなんだけどさ!?  やめてよねこの状況で正論振り翳すの!」


 剣士の正論に少年は涙目になった。助けに来たのに悲鳴を上げられ、正論で殴られる──確かに泣きたくもなる。


「俺が何したって言うんだ!?」

「奇声を上げてたじゃないですか!  二回も!」


 身から出た錆びだった。


「何やってんだ俺ェ!?」

「ボクが知りたいんですけど!?」

「美少女のピンチに颯爽と登場して、好感度を稼ぐつもりだったのに!」

「一言一句全部最悪!」


 剣士が放った正論の刃は凄まじく、的確に少年を傷付けていた。膝と手を突いて泣き崩れた少年を剣士が白い目で見ていると、これまで静観していたスケルトン達が動き出す。

 それを見た剣士は冷静に状況を判断し──剣を地面へ突き立てた。


(……変な子だけど、助けに来てくれたのには変わらないんだよねッ)


 そしてそれを杖の様にして、転けた時に痛めた足を引き摺る様にしながら立ち上がった。引き抜いた剣を構えて少年に言う。


「ボクのことは放っておいてください。それより早くここら逃げ」

「話はまだ終わってないでしょうがぁ!?」

「何か始まってましたか!?  というか、今それどころじゃ──危ないッ!」


 少年の後ろでスケルトンの一体が戦鎚を振りかぶった。


(間に合え!)


 剣士が足の痛みを堪えて少年を庇おうとした、その時だ。


「人が話してる最中だろうがカルシウム野郎!」


 少年の裏拳がスケルトンの腕を殴り壊した。


「さっきからカタカタカタカタ……喧しい!」


 少年は怒号と共に放った拳打でスケルトンの脊髄を砕き、更に下半身との接続を失って地に落ちた頭部を踏み割った。そして靄となって消えた後に残った魔素結晶を蹴り上げて手中に収め、頭陀袋の中に放り込む。


(もしかして、袋の中身って全部──!?)


 自分の予想が正しいなら、一体どれだけの魔物を少年は屠り去ったのだろう。

 瞠目する剣士に向かって、少年が言う。


「改めて……俺は通りすがりのメチャ(つよ)冒険者──美少女の助けを求める声を聞きつけて参上したぜ!」


 剣士は少年の言葉に目を丸くした。


「……あは、あははは!」


 そして声を上げて笑うと、少年は心底不思議そうに首を傾げて言う。


「何がおかしいんだよ?」

「いや、だって……美少女なんていないのに」


 武器も魔術も使わずに単なる魔力強化と拳一つで魔物を狩る存在など、剣士は聞いたことが無い。

 そんなにも強い冒険者が危険を顧みず、意味不明な理屈で存在しない誰かを探しにやってきた──笑うしかなかった。

 だが、少年は真面目な顔で言い放った。


「いるじゃんか。俺の前に」


 頭陀袋から手を離した少年が拳を構えた。


「人の美しさとは外見のみならず!  その内面から現れるもんだ!」


 閉ざされた洞窟の中で一陣の風が吹く。

 時間にしてほんの一瞬、少年の姿が視界から消えたかと思った──通路にいた全てのスケルトンが壁へ叩きつけられ粉々に砕け散った。


「……嘘」


 開いた口が塞がらない。何が起こったのかまるで理解できない。

 数の差など些事だと言わんばかりの暴虐。生物としての格の違いに腰を抜かして座り込み、ただ息を飲むことしかできなかった。

 少年はそんな剣士に笑いかけた。


「この状況で誰かを思いやれるなんて、おねーさんも大概イカれてるよな──大丈夫か?」


 少年の言葉に剣士は固まった。


「おねーさーん?  おーい!」


 少年が剣士の眼前で手を振る。そこでようやく口を開いた。


「……分かるんですか?」

「何が?」

「ボクが女だって事を、です」


 剣士の言葉に少年は放心した。質問の真意を測り損ねていた。


「見れば分かるだろ?  もう少し痩せた方が健康には良いと思うけど……」


 何故ならそれは当たり前の事だったから。

 

 ──臭い、近寄らないで。左官屋のオッサンみたいな匂いするの。正直無理。

 ──悪い……その、隣を歩かれて勘違いされたら、さ。お互いな?  わかるだろ?

 ──迷宮には連れていけない。今のアンタは、足手纏いだから。


 刹那、剣士の堪えていた物が決壊した。


「う、うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁあん!」

「わぁ、泣いちゃった」


 他人事な少年は剣士の向かいに座り込み、自分の名前を口にした。


「俺、アルス・ライザック。おねーさんは?」

「エアハルト……ラウラ・エアハルトです」


 少年──アルスは「良い名前だな」と力強く頷いてからおずおずと尋ねてきた。


「ところでラウラ姐さん、飯と水持ってない?」

「ね、姐さん? 干し肉と水くらないならありますけど……それがどうかしたんですか?」


 次の瞬間、アルスが頭を地べたへ叩きつける様に下げた。

 足さえ挫いていなかったら礼だけ言って逃げ出すレベルの奇行ではあったが、頭を地べたに擦り付けたままアルスが言い放った言葉──ラウラは絶句した。


「よく考えたら俺、二日間飲まず食わずでさ……落ち着いたら何か、視界が白黒で。頭痛と眠気が」


 俗っぽく言えば、死にかけだった。

 急いでアルスを起こして見れば顔は土気色。唇はかさかさで紫に変色している。先の奇行も頭を下げたのではなく、前へ倒れただけだった。

 ラウラは慌てて腰のマジックチェストから取り出した水筒を手に呪文を唱えた。


「『大いなる水の精霊よ・どうかこの瓶一杯の慈悲を・我らにお恵みください!』」


 水筒に刻まれたルーン文字が青光を発して内部に水を貯める。ラウラは直ぐに蓋を開け、アルスの口元へと持っていった。


「今すぐこの水を飲んで横になってください!? 」

「面目ない……」


 この、どちらが命を助けたのか分からない不思議な出会いが──アルスとラウラの命運を分ける冒険の序章。

 これは二人の冒険者が呪いを解くまでの道程だ。


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