69話 夢ならどうか覚めないで
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「ん、んんぅ……?」
――いつの間にか、パソコンのデスクで寝落ちしていた。
なんだかとてつもなく長い間、酷く悪い夢を見ていたような気がする。
「くっ、ぅあぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っ……」
欠伸と共に背伸びして、ずり落ちた眼鏡を正して、パソコンの画面の時刻を確認すれば、既に朝の六時前。
確か今日は休日のはずだから、この後で二度寝しよう。
その前に、
「えーっと、最後にどうしたっけ……?」
寝ている間に閉じてしまった、『文豪家になろう』のサイトのブラウザを開き直して、情報更新をすれば。
感想が書かれました
レビューが書かれました
活動報告にコメントが書かれました
の赤文字が並び、未読メッセージが何百件と届いている。
感想やレビュー、活動報告へのコメントはともかく、未読メッセージが何百件も来ているのは一体なんだろうか?
恐る恐るメッセージボックスを開くと、
「えっ、えっ……えぇっ!?」
そこには、『ファンアート描かせてください!』や『ファンアート描かせていただきました』、『応援メッセージです!』『感想欄に書ききれないので……』と言うメッセージが大量に並び、さらには、
「うっそ!?大賞受賞してるぅ!?」
目を疑った。
直近まで開催していた、『なろう大賞』に応募した作品が、受賞しているとのメッセージ。
なろう大賞だけではない、当てずっぽうで応募していた大賞全てが受賞しているではないか!?
それだけじゃない、過去に投稿していた作品にまであらゆる出版社から書籍化・コミカライズや、ボイスドラマ、アニメ化の打診まで!?
「ちょっ、なっ、何これっ、夢?夢じゃないよね?」
逸る気持ちと不安が綯い交ぜになるが、一旦落ち着こうと自室を出て、冷たい水で顔を洗う。
意識がシャキッとしたところで、これが『夢じゃない』ことを確認する。
ついでに冷蔵庫の天然水を一口飲んでから、改めてパソコンと向き合う。
やはり画面の内容が変わっていることもなかった。
「っっっっっ……!」
声を上げて喜びたい衝動をぐっと抑えて、深呼吸。
他のメッセージも一つずつ確認し、応援メッセージは噛み締めるように目を通し、ファンアート関連は毎回関連サイトにまでジャンプするのが手間だが、そんなことは些細なことだ。
ファンアートは様々で玉石混淆だったが、どれもこれもが作品を読み込んでくれたことが分かるものばかり。
ダメだこれでは落ち着かない、シャワーも浴びよう。
シャワーを浴びて、身体もしっかり洗って着替えてから。
他の投稿サイトもチェックしてみれば、文豪家になろうと同じような大量のメッセージや、メディア化に関する打診のメールの数々が!
それら大量のメッセージも、指摘とは名ばかりの誹謗中傷や、脅迫状、不幸の手紙じみたものは一切なく、全てが全て、喜ばしいものばかりだった。
「……………くぅ〜〜〜〜〜っっっっっ」
嬉しい。
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい!!
投稿小説を始めて早十年弱。
今まではそれなりの人数のお気に入りユーザーがいて、作品もそれなりの評価を得ていたが、それはしょせん井の中の蛙のようなものだった。
だが、今朝からはどうだ?
書籍化、コミカライズ、ボイスドラマ、アニメ化!
大賞受賞で賞金だって流れ込んでくる!
これまでの十年弱の活動、その全てが報われた!
今まで私の作品に指摘とは名ばかりのイチャモンや誹謗中傷をかましてきた連中、私のことをネットストークしていた連中、ざまぁ!もう遅い!!
やっぱり最後に報われるのは婚約破棄者や悪役聖女じゃなくて、ヒーローとヒロインだってハッキリ分かんだね……!
ふぅ、落ち着こう落ち着こう。
メッセージやコメントへの返信は、ひとつひとつ丁寧にね。
って、目を離していた間になろうの方にまたコメントやメッセージが!
「あっ、この人有名なイラストレーターじゃん、わざわざ描いてくれたんだ!」
ん?ちょっと待てよ?
近年に、ボヤイッターからZに切り替わったツイートを更新してみると……
「うっ、うわっ、うわぁぁぁぁぁ……っ」
数十万件のコメントやいいね!が来てるぅ!?
しかも色んなサイトに私の作品が取り上げられているし……
SNSでは私の作品の魅力について語るスレが何百件も立てられているし……
しかもそうしている間にもコメントやいいね!がすごい勢いでカウントされていってるし……
「いや、ちょっと、待って?寝落ちしていた数時間に一体何が起きたの……!?」
も、もうダメ、寝起きから嬉しすぎるサプライズの連発に私の脳と心がキャパオーバーしてる。
それからの私の人生は大きく変わった。
勤めていたブラック企業を辞めると、打診して来ていた出版社に次々に連絡を取り、書籍化やコミカライズは瞬く間に決定、ボイスドラマやアニメ化、それに伴うアプリ、ゲーム化も承諾、決定した。
メディア化が決定したことは一瞬で世の中に知れ渡り、私へのファンアートや賛辞はさらに加速する。
ここまで名が知られるようになって、アンチや妬み、やっかみの一つも見られないのは少し不気味に思いもしたが、それだけ私の作品が良いものであり、認められて然るべき結果を出しているに過ぎないのだろう。
やがて書籍の初版が販売予定日を迎えると、全国の取り扱い店舗に行列が並び、即日から重版に重版を重ねることになる。
まさか販売開始のその日から定価の五倍以上の価格で転売すらされるとは思っていなかったけど……
コミカライズの配信予定日も迎えると、連日サーバーダウンを起こすほどの閲覧者数になり、電子書籍ではなく紙媒体での展開を望む問い合わせ、要望が現在進行系で殺到していると言う。
近々は海外への出版も予定されているのだから、もう止まらない。
何これ、もはや社会現象だ。
ボイスドラマやアニメの方も、今を時めく豪華声優陣や、日本が誇るアニメスタッフの全面協力により、こちらの展開も強く期待されている。
極めつけは一部作品が実写映画化も決定されることにもなり、こちらも人気俳優や有名監督の手による万全の体勢だ。
私は私で、原作者としてあちこちの出版社やアニメ会社、実写映画の現場に立ち会いながらも、新作小説も書き進めており、時間単位でのハードスケジュールに追われる日々……
控えめに言って、私は既に日本を代表する小説家だ。
数ヶ月前の、毎日死ぬほどブラック企業に勤める傍らで、自分への誹謗中傷や嫌がらせコメント、メッセージ、ネットストーカーと戦っていた自分が今の私を見たら、夢と現実の区別が付かなくなっていると鼻で嘲笑っていただろう。
けれど今の私は、そんな過去の自分すら微笑い返せるほどの"実"を手に入れ、今も転がり込んでくるものを受け止め続けている。
何もかも、全てが思い通りになっている。
それはきっと、何もかも全てが思い通りならない日々を過ごしてきた私への、女神様からのご褒美なのだ。
異世界転生なんてしなくても、私はこんなにも満ち足りて充足している。
さぁ、今日も朝から忙しいぞ――
………………
…………
……
「――と言う感じで、誰かが解呪しない限り、アリスは二度と目覚めることは無いだろう」
実に満ち足りた無邪気な寝顔で眠るアリスを前に、俺はみんなにそう説明したが、
「はい、アヤトくん先生。もっと分かりやすく説明をお願いしまーす」
開口一番ナナミが挙手すると、もっと分かりやすい説明を求めてきた。
人の睡眠学やら幸福論やら、専門用語を可能な限り省いた上での説明だったんだが……まぁいい、リクエスト通りより詳細な説明をするとしよう。
「つまりだな、"アリスさんにとって一番幸せで満ち足りる世界"に『閉じ込めた』ってわけだ」
実際、俺が何をしたのかと言うと。
俺の口説きオトしを受けて気絶したアリスに、永続的に夢を見られるように呪いをかけてやった。
それは、『何もかも全てが自分の思い通りにしかならない夢』だ。
自分のやること為すこと全てが肯定され、自分が望む通りに世界の方から働きかけられる。
例えばスポーツ選手なら、自分がフィールドに立っただけで会場が沸き立ち、プレーを行えばミスもせずに一人の力で圧勝し、そんな姿を見たチームメイトやスタッフ達は手放しに称賛し、望む言葉を与えてくれる。
そして試合に勝てば相手チームにまで称賛され、世界中の人々が自分を神のように崇め讃える。
これだけ聞けば、失敗も挫折もなく、成功だけが約束された、幸せな揺り籠の中で生きられる理想郷、バラ色の人生、最高のハッピーエンドを迎えられるように聞こえるだろう。
だがそれを半歩ズラして解釈してみれば、『もう二度と誰も自分と向き合ってくれなくなる』と言うことだ。
自分のためを思って叱ってくれない、打ってくれない、間違いを間違っていると言ってくれない、ただただ望む言葉と態度と物を与えてくれるだけの、"人形"しかいない。
それはきっと、究極の"ひとりぼっち"だろう。
「『喋る人形に崇め讃えられるだけの人生』か……そんな人生、私なら御免被るな」
クインズは哀れみの目で、アリスの寝顔を見下ろす。
「けど、その割にはこのアリスは、随分幸せそうな顔で眠っているじゃない」
何故アリスがこうも幸せそうなのか、ピオンには理解できないようだ。
意味も理由も無く崇め讃えられ、そのために自由すら失う人生など苦痛以外の何物でも無いと思うだろう。
ところがどっこい、人間の心理はそこまで複雑には出来ていないのだよ。
「きっと、この人の前世は、ずっと誰かに認めてもらいたかった……自己肯定や、自己承認が欲しかったのかもしれませんね」
昔のわたしも似たようなものでしたから、とリザがアリスの幸せそうな寝顔をそう読み取った。
……思い返せば、リザもそうだったな。
貴族達の間では没落家だと蔑まれ、家の名誉挽回のために冒険者を目指してもバッカス達に見放されてバカにされて……半歩違えば、リザもアリスと同じように"堕ちて"いたのかもしれない。
己の都合のために他者を利用して使い潰し、禁忌にすら手を伸ばし……うん、俺とエリンがいて良かったな、リザ。
「例え作られた偽物の世界だとしても、自分にとって満ち足りるのなら、それも幸せのひとつなのでしょう」
リザの意見を補足するのはレジーナ。
幸福を与えられても、それを幸せだと思えるかどうかは、与えられたその人次第だし、別に今が幸せならそれ以上のことは今は望まない、というものだ。
「……そうかも、ね」
ふと、ナナミがちょっと物憂げに呟いた。
彼女の詳しい前世は知らないが、自己肯定や自己承認と言う言葉に共感出来るものがあったのだろう。
「アヤト様、彼女をどうなさるのですか?」
クロナは、この眠っているアリスをどうするのかと訊いてくる。
「せっかく幸せな揺り籠の中で眠っているんだ。そのまま永遠に眠っていてもらうとしよう」
死のそれではなく、文字通り、永き眠りについてもらう。ずーっとな。
……そうだ、そう言うのにちょうどうってつけの場所が、この世界にあるじゃないか。
みんなにはすぐに戻ることを告げてから、俺は安らかに眠っているアリスをお米様抱っこ (米俵みたいに肩に担ぐ)してノベラリオンに乗り込み、マイセン王国を飛び立ち、
すぐに着陸する。
そこは、港町ルナックスから少し離れた岬。
その岬の裏側――船の墓場。
なんだかんだ言って俺とアリスが初めて遭遇した場所だし、基本的に人が寄り付かない場所だし、ここならアリスの眠りを妨げる者は現れないだろう。
最奥部の、スカルリザードと戦った宝物庫の中でも、龍神の瞳が納められていた台座の上にアリスを寝かせておく。
……思えば随分こいつに手を焼かされたものだ。
でもこれで、今度こそ、最後の最後だ。
最後となると、こいつのことも何だか愛おしく……
な る わ け ね ぇ だ ろ !!
まさか殺して浄化しても怨念体になって他者の肉体を乗っ取るとか聞いてなかったわ!?
しかも"刻"を喰らってバケモン化してくるとかそれこそ聞いてなかったわ!俺じゃなきゃこんな結末にはならなかったね……!
こんちくしょう、こんだけ他人を陥れるために使えるエネルギーがあるんなら他にリソース割けよ!他人に誹謗中傷かましてないでちったぁ自分を磨けよ!
「ハァァァァァァァァァァ………」
クソデカ溜息、ひとつ。
全く、なんで人は自分を磨くよりも、他人を陥れることに思考が向くのかね。その方が手っ取り早いし楽なんだろうけどさ。
でもさ、果たしてそれは自分の力で勝ち取ったものなのか?
勝てば良かろうなのだと言うのなら、まぁ、それはそれで正しいし、真理なのだろうけど。
けれどもだ、そんな悪意を以て他人を――それも何の謂れもない人を陥れたなら、陥れられた人をよく知る人達が黙っちゃいない、必ず事実を問い質そうとする。
正義は必ず勝つ、なんてことは言わない。なぜなら悪にだって善意はあるし、正義にだって悪意はある。
まぁ、自分がマウントを取りたいがために相手を蹴落とすなんてのは下衆の所業だし、それが明るみになりそうになったら証拠隠滅して何事も無かったかのように振る舞うのは論外だが。
証拠隠滅したところで、『それが行われたと言う事実が消えるわけではない』からな。
究極的に、『"悪"を自覚している者が正義であり、それを自覚出来ない者が"本当の悪"』なんだろう。
アリスの場合は、悪の自覚の有無どころか、そもそも自分が何をやってるかも把握してなかったんだろうな。
――だからといって許されることではない。
アリスさんが俺に行った行為は明らかに一線を越えていた。
自身の行いが自身に返ってくる――自業自得、因果応報、諸行無常と言うのは簡単だ。
でも、全否定はしない。気持ちを全て理解できずとも、俺が同じ立場だったら、果たしてそれらを飲み込んでいれただろうか。
所業に怒りを覚えることはあっても、憎しみで刃を浸すことはないと誓う。
それが俺の、一人の創作者としての誠意だ。
「――おやすみ」
せっかく幸せな夢を見ているんだ。
夢の中でしか幸せになれないなら、どうか永遠に眠っていてほしい。
船の墓場を出ると、ノベラリオンを待機させていたそこに、エレオノーラが待ってくれていた。
「上手くやってくれたようですね、アヤトくん」
「まぁ、上々と言ったところかと。エレオノーラ、次元封鎖は解除してくれましたか?」
「既に解除済みです」
「よし。では、マイセン王国に戻るとしましょうか」
その前に、ノベラリオンのフェイスと目を合わせて。
「今日も最高にカッコよくてイカしてたぜ。ありがとうな、ノベラリオン」
『イイッテコトヨ!オレトオマエハ、イッシンドウタイダカラナ!』
ノベラリオンのツインアイがチカチカと発光する。やっぱりカッコいい。
「……久しぶりに会えたから、もう少し語り合いたいところなんだがな」
『オマエヲマッテイルヒトタチガイルンダロ?オレノコトナラキニスンナ!オレタチハマタイツデモアエルシ、セカイノキキニハマッサキニカケツケル。ソウダロ?アヤト』
「あぁ……そうだな」
グッ、と右の拳を突き出せば、ノベラリオンもまた右のマニピュレーターを握り拳にして擦り合わせてくれる。
「『またな、相棒」』
互いに頷き合うと、ノベラリオンはスラスターウイングを広げて翔び立つと、次元の向こう側へ消えていく。
エレオノーラと並んでその雄々しき後ろ姿を見送って。
「そう言えばアヤトくん。ノベラリオンに最初に乗り込んだのは確か……79878893年前でしたか?」
「確かそれくらいだったかなと」
宇宙の極悪帝国、イヤーガラセ帝国が全宇宙征服のために地球に武力侵攻を仕掛けてきた時、ノベラリオンのパイロット『コータロー』として異世界転生した俺は、ノベラリオンに乗り込んでイヤーガラセ帝国の巨大ロボットや大型バイオ兵器をちぎっては投げを繰り返して戦っていた。
やがて地球側が反転攻勢を仕掛けると同時に、イヤーガラセ帝国にクーデターが発生、皇帝『イッチャモン』からその座を奪い取った野心家『ヒボー中将』を討ち倒して帝国を滅ぼし、世界の平和を取り戻した後、ノベラリオンは秘密基地の格納庫の中で、世界の危機が再び訪れるその時まで、永き眠りについた。
俺が魂からその名を呼べば、いくら時が経っても、宇宙の彼方にいたって、すぐに再起動して駆け付けると約束を交わして。
「まぁさすがのアイツも、自力で次元の向こう側に異動は出来ませんから、エレオノーラに異世界同士の直通ゲートをリンクしてもらう必要があったわけですが」
「アヤトくんとエリンさんを別の異世界へ送るのと、同じことをしただけですから、この程度はお安い御用です」
フフン、と腕組みしてドヤ顔をしてみせるエレオノーラ。かわいい。
――すると、ちょうど岬に立っていたのを良いことに、水平線の向こう側から、ぼんやりとした輝きが顔を出してきた。
「美しい夜明けですね」
眩しそうに目を細めながら、エレオノーラが呟いた。
「はい。いい朝焼けです」
太陽が必ず沈むように、明けない夜もまた無い。
「最後の戦いを終えて、共に夜明けを迎える……今の私って、すごくヒロインっぽくないですか?」
「それを言わなきゃ完璧だったのに。やっぱりエレオノーラはダ女神ですね」
「なんだとこらぁぁぁぁぁ!!」
――さて、帰るとしようか。




