40話 様子のおかしいリザ
廊下に出ると、うおぉ……さすがに寒い。
雪国の住居ではないから、冷気を遮断して暖気を逃がしにくい作りでは無い。
こりゃもうちょっと厚着すべきだったかもしれないな、早いところリザを見つけて一緒に部屋に戻ろう。
けれど、さすがにこの気温と雪の中を散歩しに行くとは考えにくいし、この時間帯で起きて動いている宿泊客もそうそういないだろうから、悪い男に部屋に連れ込まれて……なんてことは無いはずだし、リザが本気で抵抗すれば容赦ない魔法攻撃が炸裂するから、そうなれば俺もそれに気付いて起きる。
となればリザは、この宿屋の、部屋じゃないどこかにはいるはずだ。
気配探知でもするかと思った時、
「…………ゴホッ、ゲホッ……うぅっ……」
どこからか、誰かの弱々しい咳込む声が聞こえた。
リザか?
声の方向から、この先にあるラウンジか。
ラウンジに来てみれば、やはりリザがそこにいた。
買ったばかりの毛皮のコートを羽織って、ソファに腰掛けている。
「リザ、こんなところに一人で何してるんだ」
「ぇ、ぁ、アヤトさん……」
見ると、リザの反応はどこか鈍く、顔が赤い。
それに、さっきの咳込む声も。
「まさか、具合が悪いのか?」
「だ、大丈夫です。ゴホッ……その、寒さのせいで喉が乾燥しちゃいまして……皆さんを起こさないように、咳が収まるまで、ゲホッ……」
はい、ダメ。
「リザ、あー」
リザを顎クイして口を開けるように。
「ぁ、アヤトさんっ、今キスはちょっと……!」
「ちゃうわ。喉を診るからあーって言いなさい」
「そ、そっちでしたか……ぁー……」
素直に口を開けてくれるリザ。
ふむ……
「……軽度だが、喉が少し腫れているな」
「喉が乾燥したからですよ……ケホッ」
ならいいんだが。
「待っててくれ、厨房から温かいお茶を淹れてくる」
「えっ、でも今は……」
「ちょっとパクってくるだけだ。証拠ひとつ残さないから安心しろ」
「なおダメです!っ、ゴホッ、ゴホッ……」
喉の調子が悪い時は、殺菌効果のある緑茶がいいんだが……グリーンティーの茶葉はあるだろうか。
誰もいない厨房を勝手にガサゴソして、茶葉を探す。
どの辺にあるかなー……あっちでもこっちでもそっちでもどっちでもないな……おっ、それっぽいのがあったぞ。
ケースの蓋を開けて香りを確認して……これは薬草茶の葉だな、ちょうど良かった。頂戴します。
火を焚いていたらバレそうなので、魔法で水を瞬間沸騰させる。
茶葉を蒸らして20秒……コポコポとポットから熱湯を注ぎ、薄緑色の薬草茶の出来上がり。
茶葉のケースをミリ単位で元の場所へ正確に置いて、すぐにリザの元へ戻る。
「お ま た せ」
「ほんとに盗んできたんですね……ゴホッ……」
「バレへんかったらえぇんや」
教科書通りの悪い子です、良い子は真似しちゃダメよ。
「もしバレたらアヤトさんのせいにしますよ……ありがとうございます、いただきます」
はふはふこほこほと咳き込みながらも、リザは薬草茶を啜る。
「はふ……温かくて美味しいです」
「そりゃ良かった」
これで少しは喉が良くなるといいんだが。
リザが薬草茶を飲み干したあとは、使った食器を手早く洗って、元の場所へ保管する。
茶葉の量が減っている以外は完璧な証拠隠滅だ。
あの場にいたのは俺とリザだけで、他人の気配は感じられなかったので、仮に誰かが茶葉が減っているのに気付いても、誰が盗んだのかは分かるまい。知らんぷりである。
「よし、それじゃぁ寝直すか」
「はい……コホッ」
まだ少し咳き込んでいるようだが、さっきより咳はマシになっているな。
彼女を連れて部屋に戻ると、感染したら良くないので、とリザは自分の分の毛布と枕を引っ張って、みんなと離れた位置で横になる。
「おやすみ、リザ」
「おやすみなさ、コホッ……」
……大丈夫だろうか?
まぁ、薬草茶の効能に期待するしかないか。
おやすみ。スヤー!
「…………ま、起きてくださいな。アヤト様、朝でございますよ」
熟睡していたら、優しい呼び声に意識を引き戻される。
この声は、クロナか。
「ん……おはよう、クロナ」
目を開けると、いつものニコニコしたクロナの笑顔が見下ろしていた。
「はい、おはようございます。アヤト様が最後ですよ」
「そうか……んょっとっ」
勢いよく上体を起こして、背伸び。
部屋を見渡すと、既にみんな起きて身辺整理をしている最中だったので、目が合った人から挨拶してくれた。
「おはようございます、アヤトさん」
ローブを装備したリザの様子を見やる。
朝になったら熱が上がっていた、ということは無さそうだ。
薬草茶が効いたようで何よりだ。
「おはようリザ。身体は大丈夫か?」
「はい、昨夜にアヤトさんが淹れてくれたお茶のおかげで、少しは喉が良くなりました」
まだちょっと違和感はありますけど、と咳払いするリザ。
「なら良かった」
さて、馬車の御者さんと、それに同行するピオンが待ってくれていると思うので、俺も急いで旅の準備を整えなくては。
窓の外は一面の銀世界だ、寒そうだなー。
朝食を終えたら宿を引き払い、昨日に買いこんだ防寒具を着込んで、馬車とピオンが待っている町の門の近くへ。
「来たわね、アヤト」
ピオンが手を軽く振ってくれたので、代表として俺が話しかける。
「おはようピオン。今日は、スプリングスの里までよろしくな」
「えぇ、よろしくね。この後すぐにでも出立するつもりだけど、忘れていることとかは無い?」
一応みんなにも忘れ物や忘れごとは無いかと訊いてみて、問題無し。
「それじゃぁ、行きましょうか」
馬車に荷物や武具を積んで、いざ出発!
カラコロと車輪が雪を踏み締めて進む馬車。
今、馬車の後方で見張りをしてくれているのはクインズだ。
一応、俺からも結界を張っているので大抵の魔物の接近には気付けるが、人の目もあるとより安心出来るので、後方の見張りをローテーションで回すことにしている。
幌の中では、エリンを始めにピオンに話し掛けて、会話に花を咲かせているので、退屈ではない。
とは言え、その会話の内容は……
「……城壁って、素手で壊せるものなの?普通、攻城兵器を使って破るものじゃ……?」
ピオンは思いっきり顔を顰めている。
「普通は無理だと思う。でもアヤトはすごい当たり前みたいに、パンチ一発でどかーんって壊しちゃうの」
エリンが楽しそうに語っているのは、俺のことである。
俺を褒め称えてくれるのは嬉しいけど、ピオンがゲシュタルト崩壊したような顔をしているんだが。
「さすがはフローリアンの英雄って言いたいけど……本当に人間?」
「失礼な。まかり間違っても人間だ」
逸般人とか、大魔王とか言われてるけど、俺は(今世では)人間だぞ。人間は人間でも妖怪人間とかでもないからな?
「海賊の砦の食糧庫を燃やして大量の餓死者を出したり、精霊を相手に素手で殴り飛ばし、竜の膂力を生身で受け止めるような人間は、人間では無いと思われます」
レジーナが真面目な顔でそんなことを仰る。
はっはっはっ、褒めても何も出ないぞぅ?0.一欠片も褒めてないだろうけど。
「SSランクの冒険者って、アヤトみたいな人ばかりなのかしら……」
「おいおい、そんなこと言っちゃ他のSSランクの方々に失礼だろう」
俺が飛び抜けて頭おかしいのであって、ちゃんとした (と言うのも変な言い方だが)SSランクの冒険者は物理法則を無視したりはしないと思う。
「………………」
こう言う会話をしていて、さり気なく俺をモンスター扱いするようなことを言い出すのはリザだが、その彼女は幌に背中を預けて静かに体育座りしている。
ぼーっとしていて、俺達の会話など耳に入っていないように思える……というか、明らかに熱がある顔をしてるんだが?
「リザ?」
「え……、あ、アヤトさ、ゲホッゲホッ……」
「おい、大丈夫か?」
「だ、大じょぶ、です……大丈夫です……ン゙、ン゙ッ……」
咳を誤魔化そうとしてるのが丸分かりだぞ。
「どうしたのリザちゃん、具合悪いの?」
エリンもリザの様子がおかしいことに気付き、クロナ、レジーナ、クインズ、ピオンも何事かと視線を集める。
「リザな、どうも昨夜から調子が良くなかったみたいでな。夜中に薬草茶を飲ませたから少しは回復したと思ったんだが……」
「あぁ、だから今朝起きた時に、リザさんだけ離れたところで眠っていたのですね?」
一番最初に起きたのだろうクロナが、リザの行動の違和感を理解する。
「や、その、平気、ですから……んひゃっ?」
必死に取り繕おうとするリザに、エリンは問答無用で近付いて自分のおでことリザのおでこをコツンと合わせる。
男女の別なくこう言うことを躊躇いなくやるのがエリンの美点だなぁ。
「ちょ、リザちゃん全然大丈夫じゃないでしょ……なんか、すごい熱いよ?」
「ほ、ほんとに、大丈夫、平、ゲホッゴホッ……はぁ、はぁっ……」
どこが大丈夫で平気なんだ。
「エリン、離れてくれ」
「え、うん……」
俺の言う通りにリザから離れるエリン。
それを確認してから、短く詠唱。
「――『メディカルアイズ』」
鑑定魔法の派生型であり、読み取った生き物の体内――もっと言えば、血液や骨、筋肉、内臓の内部構造すらも読み取ることが出来る。
悪用しようと思えば女性の肢体を透視することも可能だが、そんなおふざけをしている場合ではない。
ただの風邪のぶり返しだと思いたいが、恐らくそうではないだろう。
リザをスキャニングし、血液情報などを読み取り……
「……これはまずいな、ウイルス性だ」
恐らくはこの世界独自のウイルスだろうか。
これに類似しているウイルスは何十種類と記憶しているが、それらと同じものかどうかは保証しかねる。
「発熱、咳、扁桃腺に炎症、関節にも熱があるな……」
過去の異世界転生で医者をやっていたことは何度かあるとは言え、この世界の医療・医学知識はまだ身に付けていないので、これがどう言うウイルスなのか、憶測でしか言えない。
医者に診せないと、どういった薬や処置が必要かが分からないため、下手に俺が手出しするのは却って逆効果になりかねない。
「アヤト、これは魔法で治せないの?」
オールリジェネレイションのことを言っているのだろう、エリンが俺の顔を覗き込む。
「それはダメだ。オールリジェネレイションでウイルスを体内から除去することは出来るが、同時に抗体も除去してしまうから、一時的に回復はしても、すぐにまた再発する。それどころか、抗体がゼロの状態で再感染するから、余計にひどくなる」
再生魔法の類は、融通が効かないことが多い。
抗体が出来るから病気が治ったり予防出来るのであって、その抗体を除去してしまったら、何の意味もない。
聖女の魔力は万能です、とはよく言うが、んなわけあるかよ。
そんな都合のいい魔法があるなら医者なんざこの世にいらんだろうがって話である。
「どうしましょう、今からでもアトラスの町に戻るべきでしょうか?」
クロナは一度引き返すべきかと意見を挙げてくれるが……
「ピオン、スプリングスの里まであとどのくらいだ?」
「そうね……雪で馬車馬の足が少し遅れることも考慮しても、あと三、四時間くらいかしら」
「三時間か……」
まだ長いな。
けれど、今からアトラスの町に引き返しても同じくらいの時間は必要だろう。同じ時間をかけるくらいなら、大きな町(里)であるスプリングスの里の医療機関を訪ねる方がいい。
……已む無しか。みんなのことは心配だが、今のリザをここで寝かせ続けるわけにはいかん。
「すまないが、俺がリザを抱えてスプリングスの里まで先に行く。俺なら十数分もあれば着くはずだ」
「えっ、危険よ!こんな雪道で、病人抱えて走るなんて……」
当然、ピオンは止めようとするが、その程度で俺が自分の考えを引っ込めると思ったら大間違いである。
「誰も走っていくなんて言ってないぞ、飛んで行くから」
雪で視界が悪い中を小回りの利かない長距離ジャンプで飛んでいくと危ないし、何よりリザの身体に負担を掛けてしまうので、フラッシュウイングで飛んでいくのだ。
「は?と、飛ぶって……?」
どういうことよ、とピオンが問い質そうとする前に、エリンが真っ先に頷いた。
「お願いね、アヤト」
「あぁ、任せろ」
手荷物を纏めると、リザをお姫様抱っこする。
「リザ、ちょっとだけ寒いが我慢してくれよ」
「は、はひ……ゴホッ、ゴホッ……」
馬車を降りて、少しだけ離れると。
「――フラッシュウイング」
背中から蒼光翼を顕現し、リザを苦しめないようにふわりと翔び立つ。アイキャンフラーイ。
「……ねぇ、アヤトってあぁ言うことを普通にやってるの?」
「そうだよ、ピオンちゃん。あれくらいのことで一々驚いてたら、いざって時に驚けなくなるから」
一体何を判断基準にしているのよ、とピオンの声が後ろから聞こえた気がしたけど、聞かなかったフリをしておこう。
スプリングスの里は山の中にある里だ。
普通なら山道を進むしか無いが、今の俺は飛行しているので、そんな概念は文字通りすっ飛ばして行く。
同時に広範囲の魔力探知を展開し、人が多く集まっている場所をサーチする。
・・・――サーチ完了、そこだな。
スプリングスの里と思しき場所を特定すると、そこへ向かって加速する。
普段なら人目が付かない場所に着陸してから門を潜るものだが、今は一刻を争うので門の前に堂々着陸する。
門番さんが何事かと身構えているが、こっちは急いでいるので要件を早口でまくし立てる。
「驚かせてすまないが急患がいるんだ、通してくれ」
「あ、あぁ、ようこそ、スプリングスの里へ……」
俺の剣幕とお姫様抱っこしているリザを見て、ただ事では無いと思ってくれたらしく、門を開けてくれる。
身元を確認してからとか、通行料を取るとかあるんだったら蹴り倒して行くところだったよ。ありがとうございます。
ここがスプリングスの里か。
今は雪の影響で真っ白な里だが、本来はこんな姿じゃないだろう。
道行く人に、医療機関はどこですかいと尋ねつつ、診療所へ急ぐ。
診療所が見えたので、ドアを開けつつ、
「すまない!急患が一人いる!こちらを優先してくれ!」
大声で、急患ですから切迫してますと張り上げる。
待合室にいる方々から何事かと目を向けられるが、そんなの関係ねぇ。はい、おっぱっp……
「急患ですか?」
受付の方が駆け寄って来たので、もうちょっとだけ強めに演じる。
「そうだ!この娘を、頼む!」
俺の髪やコートに雪が積もっているから、いかにも「緊急事態なので雪の中走ってきました」と言う意思表示も兼ねている。
こんな一刻を争うような状況で「順番を守れ」とか言うようなバカチンはバカチンだ。周りの患者の皆さんから針の筵になるがいい。
と、言いたいところだが、「急患ですって」「大丈夫かしら……」とおばさま方が心配してくださっているので、大義名分は取れただろう。
「分かりました、今診察中の方が終わるまでは、お待ち下さい」
「すまない、助かる……!」
さすがに診察中に横から割り込みは出来ないので、そこは素直に頭を下げておこう。「急患がおるんやぞはよせぇや」と怒鳴れば、それは急患じゃなくてただのクレーマーだからな。
「大丈夫だぞリザ、俺がついている」
「ゲホッゴホッ……はぁ、は、はぃ……」
こんなところで死なせてなるものかよ。
急患の方どうぞ、と呼ばれたので速歩きでリザを診察室へ運ぶ。
メディカルアイズで透析したことは伏せつつ、昨夜のリザの様子や、薬草茶を飲ませたこと、発熱や咳、扁桃腺の腫れなどが見られることを医師に説明し、リザの身体を触診してもらう。
が、医師の顔が徐々に険しいものになっていく。
リザの鼻の奥に細い綿棒を入れて、粘膜を採取し、結果は。
「これは……『インフェル熱』だな」
インフェル熱?インフルエンザのことをそう呼んでいるのだろうか?もう少し詳しく聞かないと分からん。
「インフェル熱?」
「本来なら、冬場の飛沫感染症だ。だが、この異常気象でウイルスが発生し、活動を開始してしまったのか」
医師が言うには先の症状に加えて、子どもの場合は、意識がないまま急に走る、部屋を飛び出すといった行動に出る恐れもあるとのこと。
リザが14歳で、まだ成長期の最中であることを考慮すると、病床から突然消えるようなことも有り得るか。
潜伏期間などを除けば、おおよそ俺が知るところのインフルエンザと同じのようだが、安心は出来ない、インフルエンザに似た病気と言うだけで、治療法が全く異なる恐れもある。
「それで、特効薬のようなものはあるんですか?」
西暦の先進国の薬局なら普通にあるだろうが、この世界ではどうだろうか。
「毎年、インフェル熱の流行に備えて、秋頃に『ハイリング草』と言う薬草を集め、その年のインフェル熱の性質を確認してから製薬するのだが……この時期だ、今すぐハイリング草を使って特効薬を製薬することは出来ない」
錠剤のように、暗所に保管しておけば数年は保つものではないのだ。
加えて、インフェル熱の性質は毎年異なるので、去年のウイルスと今年のウイルスが同じとは限らず、錠剤にして保管していてもあまり意味は無い。
……ますますインフルエンザだな。しかも西暦の製薬技術とは異なり、薬草の状態から製薬すると言う手間や時間もあるから、なおのこと質が悪い。
「では、そのハイリング草を採取してくれば、すぐに製薬することは出来ると?」
「あぁ。だが、ハイリング草は、ヴァレリオ霊峰の高地にしか自生していない植物だ。今から冒険者ギルドに掛け合って、ハイリング草の採取依頼を……」
「自分は冒険者です。ヴァレリオ霊峰の立ち入り許可さえあれば、すぐに……は、いきませんね。リザ……彼女を一人にするわけにもいかない」
先にも申した通り、急に部屋からいなくなったと思ったら、外で冷たくなっていました、なんて洒落にならん。
後続のみんなが来るまで、あと二時間半か三時間ほどか……




