3話 アップルパイを食べる夢
カーテンの隙間から差し込む朝日と小鳥の囀りが、瞼を促す。
のっそり起き上がってカーテンを開け、朝日を浴びる。
休暇転生、二日目だ。
うむ、スッキリしたいい目覚めだ。
すると、
「アヤト、起きてる?」
コンコンと言うノックと、エリンの声が聴覚に届く。
「起きてるよ。今開ける」
さっと身嗜みだけ整えてから、ドアを開ける。
「おはよう、アヤト」
紅色のショートボブの美少女勇者との旅は、夢じゃなかったようだ。
食堂で朝食をいただいていると、エリンが今の現状について話してくれた。
「でね、この町から少し離れた位置に、海底洞窟に繋がるダンジョンがあるの。その先にある、『ルナックス』って港町を目指してるんだけど……ダンジョンの魔物が強くて、何度もここに引き返してて」
「そこで俺が無防備に寝ていたのを見かけた、と?」
「そうそう」
要約すると。
エリンはこの先のダンジョンに苦戦していて、先に進めずに立ち往生していた。
そこで俺と出会って、俺に鍛えられたことで、先に進めそうになったとのこと。
「となると……今日はそこのダンジョンの再攻略に行くのか?」
そうだろうなぁと思ったのだが、何故かエリンは申し訳無さそうにモジモジしている。
「……あの、さ、アヤト。ほんとに私が一緒にいてもいいの?」
何を当たり前のことを言ってるんだ?
「俺はエリンの仲間だからな。魔王討伐を成し遂げるまでは、どこまでも付き合うつもりだぞ?……エリンが俺と一緒にいたくないって言うなら、話は別だけど」
というか、こんな可愛らしい美少女のためなら、魔王が何百人来たって全員まとめて滅ぼしてやれるぞ。
「そ、そんなことないよ、アヤトにはこれからも一緒にいてほしいし……でも、私はアヤトみたいに強くないから、きっと足手まといだよ?」
「それが嫌なら強くなればいいし、エリンが望む限り俺がいくらでも強くしてやれる」
「……きっと、何度もアヤトに手間かけるよ?」
「エリンを助けることが手間になんぞなるか。あ、でも俺に頼るばかりなら、考えさせてもらうけど」
「でも、本当に困った時は、頼っていいよね?」
「もちろん」
確かに俺が本気を出せば、エリンは何もしなくても魔王討伐を成し遂げるだろう。
でも、それはルール違反。
この世界の主人公は俺じゃなくて、勇者だ。
やはり、主人公が魔王を倒さないと。
「うんっ、ありがとうアヤト」
ぱぁっと、花が咲いたような笑顔。
おい、可愛いがフルバーストしてるぞ。
守りたい、この笑顔。
この笑顔を守るためなら、俺は神にも悪魔にも凡人にもなるぞ。
朝食を終えて、身支度を整え、宿を引き払い、生活必需品を買い出し、さてそれでは出発……と言いたいのだが。
今日の目的は海底洞窟の攻略ではなく、昨日に引き続き、エリンの鍛錬だ。
町を出てすぐの平原に、エリンと対峙する。
「内容は昨日と同じだ。とりあえず俺に一発当ててみせろ」
「分かった、行くよ」
徐ろにロングソードを構える俺に、エリンはスッと腰を低くして、
瞬間、ドンッと踏み込んで来た。
「おっ?」
昨日と比べても段違いに速いな、これはちょっと予想してなかった。
予想はしてなくても想定の範疇ではある、素早く振り抜かれるショートソードに、ロングソードの腹で撫でるように受け流す。
受け流されて、エリンはすぐ飛び下がり――俺の足払いを躱した。
ほほー、「反撃が来る」って分かるようになったな。
飛び下がって着地し、エリンは再び踏み込んで、踏み込みの速度に合わせるかのように鋭い突きを繰り出し、これもロングソードの腹で受け流す。
ギンッ、ギンッ、ギンッ、とエリンの連撃を冷静に受け流していく……っと、ちょっと斬撃が重くなってきたな、受け流されにくい攻撃を習得し始めたか。
彼女自身のポテンシャルや成長速度は、さすが勇者として選ばれただけあるということか。
――なら、ちょいと驚かしてやろう。
斬撃と斬撃の0.5秒の合間に、俺はステップを踏み、
「――えっ」
エリンはショートソードを突き出した姿勢のまま硬直し――た瞬間には身体が宙を舞った。俺が合気術で投げ飛ばしたのだ。
けれど反射で受け身を取り、素早く起き上がって『背後にいる』俺に向き直ってみせた。
うむ、受け身にも慣れてきたようで何より。この手の合気術は、変に抵抗するよりも投げられて受け身を取る方が安全だからな。
「……目の錯覚?今なんか、アヤトの身体が『剣をすり抜けた』んだけど」
エリンはゴシゴシと目を擦っている。
「目の錯覚……といえば目の錯覚だな」
魔法とか超能力じゃないぞ、やろうと思って努力すれば誰でも出来る、ちょっとした"小手先"だ。
「エリンの剣が刺さる寸前、踏み込みを若干ズラして急制動をかけたんだよ。エリンから見て、俺がブレたように見えたんじゃないか?」
「そう、それ。ちょっとだけ、アヤトが二人に見えたの」
理屈としては、激しく手を振ると手が何本にも見えるのと同じだ。
ほんの一瞬だけなら、全身でも同じことは出来るんだよ。プロのフットボールのランナーなんかは普通にやってる。
「まぁ、既に剣の間合いに踏み込んでいる状況で使うのは難しいがな。こういう小手先技もあるってことだ」
「な、なるほど……?」
今ひとつ理解して無さそうな顔をしているエリンだが、次の瞬間にはショートソードを構え直して斬り掛かってくる。
そうそう、今は鍛錬の続きだな。
途中で何回か休憩を挟みながら、昼前になったら昼食を食べて、それからまた休憩を挟みながら夕方まで鍛錬。
「ふっ……、っと。はぁっ、はぁっ、ふーっ……」
受け身を取り、即座に俺から間合いを取り、体勢と呼吸を整え直すエリン。
そしてまた斬撃の交錯。
エリンの動きが今日だけでかなり疾くなっている。
無駄な挙動は省かれ、より洗練された動きへと。
今はまだ感覚と技量が体力に追い付いていないだろうが、"ある境"を越えれば、『化ける』可能性が高い。それくらいエリンの才覚は素晴らしいものだ。
「あ……っ」
不意に、ガクリとエリンの膝が折れて、地面に横たわる。
うむ、そろそろ体力の限界だな。
「よし、今日はここまでだ」
俺はロングソードを鞘に納めて、オールリジェネレイションを発動する。
そうして瞬く間にエリンの疲労や身体の汚れが浄化されていく。
「ふあぁっ……昨日もそうだったけど、これっ、んっ、すごく、あっ……気持ちいいっ……はぁ……っ」
そしてやっぱりちょっとエッッッッッな反応をする。
起き上がって、背伸び。
「でも、これだけやってもアヤトに一発も当てられないなんて……」
しょんぼりと落ち込むエリン。
「だが、動きの無駄が無くなりつつあるし、受け身にも慣れてきている。ちゃんとこの鍛錬をしている意味はあるぞ」
「うーん……そろそろ一発当てられそうなんだけど、ここだってところギリギリで届かないっていうか」
もどかしい、とエリンは難しそうな顔をする。
そろそろ一発当てられる……わけないだろう?
実は俺自身も少しずつ、ほんの少しずつ……エリンに悟られない程度にだが、彼女の動きに合わせて手加減を緩めている。
だから、エリンの体感的にはあまり成長しているようには感じられないだろうけど、実際は凄まじい勢いで技量が向上しつつある。
まぁ、『それを実感させない』のが俺の目論見だけどな。
「さて、ゆっくりするのは帰ってからにしようか」
「うん」
砂埃を払って、エリンは立ち上がる。
エコールの町に帰還して、さて今日の宿を取ろうと思ったのだが。
「ごめんなさいねぇ、今日はもうシングルが一部屋しか空いてないのよ」
宿屋の女将さんはそう告げてきた。
「あれま」
うーむ、昨日もこれくらいの時間に宿を取りに来たけど、普通にシングルが二部屋空いてたのになぁ。
ちょいと運が無かったか、まぁ仕方ない、そういうこともあるさ。
「エリン、部屋使っていいぞ。俺は野宿するから」
「えっ、そんなのダメだよ。アヤトだって疲れてるのに……」
やせ我慢してるつもりはないぞ、俺は本当に野宿で問題ないんだ。
「エリンの方が疲れてるだろう。俺のことは気にしな……」
気にしなくていい、と言いかけたのだが、それよりも先にエリンは女将さんに向き直った。
「シングル一部屋、お願いします。二人で使います」
一緒に寝るフラグキターーーッ!
……じゃなくてだな(セルフツッコミ)。
おいおい、ちょっと待ちなさい。
「ご利用ありがとうございます」
しかし俺が待ったをかける前にエリンが宿代を払ってしまい、名前も書いてしまった。セルフツッコミなんてしてる場合じゃなかった。
あーもー、これじゃ同じ部屋で過ごさざるを得ないか……
エリンに先に入浴させている間、俺はベッドに腰掛けてのんびり待つ。
冷静に考えてみれば、だ。
彼女は俺の体調を心配した上で、シングル部屋を二人で使おうと言ったのだ。決して俺に"抱かれてもいい"なんて思ってはいないだろう。
エリンにベッドを使わせて、俺は床で寝れば済む話だな。
ベッドとの距離を置いて、さっさと寝れば"魔が差す"ようなことはあるまいて。
ただ、エリンの方から"誘って"きた場合は……うん、出来るだけ優しく応えてあげよう。その可能性は低いだろうけどな。
エリンと入れ替わるように俺も入浴を済ませて、夕食をいただいたあとは、二人して部屋に戻る。
寝るにはまだ早い時間だな、エリンと何か話すか。
「あぁ、そうだエリン。訊きたいことがあるんだった」
「なぁに?」
エリンはベッドに、俺は備え付けの椅子に、それぞれ座る。
「エリンは、マイセン王国の国王の命を受けて、魔王討伐を言い渡されたんだよな?」
「そうだよ」
「ということは、王都出身なのか?」
「うーん、一応……そうなのかな」
なんだか歯切れの悪い言い方だな?
「勇者に選ばれたのは、神託を受けたとか、そう言う理由だったのか?」
勇者に選ばれるとなると、何かしら重要な理由があるだろう。
するとエリンは、ベッドの上で体育座りをするように丸まる。
「両親は、私がまだ赤ちゃんだった頃に、国が魔物の襲撃を受けた時に殺されて、遺された私は孤児院に預けられたの」
前置きを置いたと思ったら、地雷案件かよ!?
思い切り踏み込んじゃったよ……
「孤児院で、多分普通の女の子として育てられたんだけど、十五歳の誕生日の時に、神託を受けたの。「あなたは勇者として選ばれました」って。それで王宮に召喚されて、王様からの詔を受けて、はい魔王討伐行ってらっしゃいって。剣なんて持ったこともないのに、魔物と戦うなんて以ての外なのに」
話が想像以上に重いんですけど!?
そう言えば昨日に言ってたな、「勇者なんて嫌だけど、嫌だからって無責任に放り出す方がもっと嫌」って……
「ア、アヤト?な、なんか、怒ってる……?」
聞いていてなんか腹が立って来たな……今からマイセン王国に飛んで行ってその王様一発ぶん殴ってやろうか。
いいや、殴る。殴るだけじゃ済まさねぇぞ、ドロップキックでもかまさなきゃ気が収まらん。
「あー……その国王達にちょっと思うところがあってな。いくら神託を受けたからって、女の子一人に何もかも背負わせるなんて……ってな」
おっと、無意識に殺気が漏れまくってたのか、エリンを怯えさせてしまった。本当にすまんな。
「……ありがと」
「ん?どうしてそこでエリンが礼を言うんだ?」
「私のために、怒ってくれたんでしょ?そういうことをしてくれたのは、孤児院の院長先生だけだったから」
ほんとに。
本当に。
どうしてこんな優しい女の子を戦わせようとするのか。
女神様が許してくれるなら、俺が今すぐ魔王を塵へと還して彼女を普通の生活に戻してやり……って、孤児院生活だったんだよな。
魔王討伐が終わったら、エリンはどうなるんだろうか。
「……そうか」
分からんことは後回しだ。
とりあえず、王様には顔面に一発ドロップキックかます。
これは決定事項だ、顔洗って覚悟しとけや、ふぁっきゅー。
………………
…………
……
いかん、話が途切れてしまった。
「あ、あのね、アヤト。明日は、さっきも言ってた海底洞窟に進もうと思うの」
ふと、エリンの方から話題を出してくれた。
「まだそんなに実感は無いんだけど、アヤトの動きにも少しはついていけるようになってきたし、そろそろ行けそうかなって」
「ふむ」
長々とこの町に居座っているわけにもいかない。
「確か、その海底洞窟を抜けた先に、ルナックスと言う港町があるんだったな」
「そうそう」
「港町か……人や物の出入りが激しいから、情報収集するにはちょうどいいな」
ついでに目ぼしい武具や道具なども見つかりそうなら、手に入れておきたいところだな。
「あの、さ……アヤト。訊きにくいこと、訊いていい?」
訊きにくいこと?「恋人とかいるの?」とか訊くなよ、泣くからな。
「内容にもよる」
さて何を訊いてくるのやら?
「私がアヤトを見つけた時、アヤトって道の真ん中で堂々と眠ってたんだけど……何があってあんなところで?」
おっとそれか。
とはいえ想定はしていたからな、予め考えていたバックストーリーで話を合わせるとしよう。
ちょっと答えにくそうな雰囲気を醸し出しつつ……と。
「あー……うん。実は、俺はある旅団に所属してる……いや、今となっては「していた」の方が正しいか。そこの団長と喧嘩して……多分、寝てる間に武器とか道具とか取り上げられて、そのまま放り捨てられたんだろうなぁ」
この世界に旅団なんているのか知らないけど、まぁいるだろう。いなくても、なんとなくそれっぽい存在を示唆すれば大丈夫。
「そう、なんだ……」
エリンがちょっと申し訳無さそうな顔をする。
嘘ついてごめんな、でも本当のことを言ってもきっと信じられない……というか理解できないと思うから。
また沈黙を挟んでから。
「そ、そろそろ寝よっか。明日も早く起きないとだし」
「おっ、そうだな」
あんまり時間経ってないけど、まぁ早寝早起きすると思えばいいだろう。
では俺は部屋の片隅へ……
「アヤト、何してるの?」
「何って、床で寝るんだよ。ベッドはエリンが使ってくれ」
俺は平原のど真ん中で寝ていたらしいからな、床で寝るくらい朝飯前……朝飯前?まぁいいか、造作もないということだ。
「ダメ」
すると何がダメだったのか、エリンは俺の手を引っ張って、ベッドに引き摺り込む。
「これはもしや……俺は今からエリンに襲われてしまったりするのだろうか」
うむ、エリンもなかなか大胆だな……
「何言ってるの、どうして私がアヤトを襲うの?」
俺の言いたいことの意図が読めなかったのか、真顔で返された。
「そうじゃなくてな。年頃の男女が同じベッドの中で夜を過ごそうものなら、何も無い方が不自然だと思うんだが、と俺は言いたくてな」
「?」
あっ、これ本当に何のことか分かってない顔だ。
……院長先生、情操教育を怠ったんじゃないのか?将来エリンが悪い男に騙されて酷い目に遭っても、俺じゃ庇いきれませんよ。
なんて俺の心配などそっちのけ、エリンは部屋のランプを消すと、さっさと横になってしまう。
「ちょっと狭いけど大丈夫、ちゃんと一緒に寝れるよ」
「……ソウダナ」
シングルサイズのベッドで二人並ぶと、かなり密着しないとどっちかが落ちてしまう。
つまり、エリンの身体とか髪とか匂いとか感触とかがダイレクトに俺に届いてくるわけで。
しかも。
「すぅー……くぅ……すぅー……くぅ……」
はっや、もう寝ちゃったよこの娘。どこぞの青いタヌキ型ロボットと同居している眼鏡な小学生かね君は。
「人の気も知らないで……」
溜息、ひとつ。
いくら勇者だなんだと言っても、まだ十五歳の女の子だもんなぁ。
親の顔を知らないまま育って、神託を受けたと思ったら魔王討伐の旅に放り出されて、魔物と戦って痛くて怖くて苦しい思いを我慢しながらこの町まで来て。
辛いだろうし、寂しい気持ちもあるだろう。
俺が……俺が守護らねば……!
そんな使命感に燃えていても、やっぱりちょっと緊張するので、なかなか眠りにつけず、カチカチと時計の音だけを聞くこと一時間ぐらいか。
いくら俺が三日三晩飲まず食わず休まずぶっ続けで戦ったことがあるとはいえ、休める時に一睡も出来ないのは辛い。
すると、だ。
「ん……」
寝相なのか、エリンが俺にすり寄ってきた。
寝顔かわいいなぁ。
正直、こんなあどけないと言うか、無防備過ぎると言うか、ここまでこうでは手を出す気も失せると言うか、罪悪感があると言うか、えぇぃ意識するだけ面倒だ。
そもそも、男女としての別もついていない女の子の相手なんて、過去の異世界転生でいくらでも、それこそ万人単位でしていたじゃないか。(シていたかは別にして)
……あれだな、前世がレズハーレムで終えたから、肉体と感覚と精神がまだ上手く噛み合ってないんだろうな。
肉体と感覚は男のそれでも、精神はまだ女の部分が残っているというか。
「んぅ……ア……」
夢を見ているらしい。
「アップルパイ」
「へ?」
Apple―π?
アップルパイって言うと、あの、ジャムにしたりんごをパイ生地にぎっちり詰め込んでほんわりと焼き上げた、あの、アレか?
「ワップリュプァイもいひぃよぅ」
口をもごもごしながらぼやくエリン。
なるほど、夢の中でアップルパイを食べてるのか。
聞いてるだけで美味しそうな夢だ、孤児院にいた時の記憶だろうか。
「俺も食べたくなってきたなぁ」
最後にアップルパイなんて食べたの、何万年前だっけなぁ……いかん、腹が減りそうだ。
俺も寝よう。思考停止。
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