20話 海原に揺られて
クロナが案内するこの船は、本来ならもっと多くの観光客を相手にする豪華客船らしく、『フローリアンの英雄』らしい俺 (とエリンとリザ)を饗すために用意されたとのこと。
豪華客船と言うだけあって、船内にはパーティー会場や、万全の厨房、広々とした清潔感ある客室と、それに比例するようにホールスタッフも配置されているとなれば、船の上に高級ホテルがあるかのようだ。
過去の異世界転生から遡れば、俺はこれくらいのゴージャスな饗しくらいは慣れたものだが、貴族の家であるリザはともかく、エリンにはカルチャーショックの連続だろう。
「なんだか、船の上にお城があるみたいだね」
高級ホテルか王城かの違いではあるが、概ねその通りだろう。
「王侯貴族を乗せるための大船だからなぁ。これだけの船を俺達だけで貸し切りも同然か」
アトランティカについたらどんな無理難題を押し付けられるやら、畏れ多くて気が引けそうだ。
「わたしも客船に乗ったことはありますが、ここまで大規模な船は初めてです……」
リザも若干腰が引けている。
「まず、こちらが客室になります。アヤト様、エリンさん、リザさんと、それぞれ別々の部屋をご用意しています」
クロナが案内する客室もまた、そこそこのお値段をする宿屋の部屋よりもさらに広く、しかも部屋それぞれに浴室設備もある。
それぞれの部屋の鍵をクロナから手渡され、荷物を部屋に置いてから案内再開。
しばらくクロナのガイドに付いて行っていると、港の方から角笛が吹き鳴らされる音が聞こえてくる。
「そろそろ出港のようですね。出港の際は少々揺れますので、ご注意くださいな」
クロナの注意喚起の通り、錨を上げられ、蒸気機関が濛々と黒煙を上げながら、少しだけ船が揺れた。
「わわっ……」
「おっと」
リザが揺れに足を取られて転びそうになったので、さっと彼女の腰に手を伸ばして抱き寄せる。
「ひぁっ……あ、ありがとうございます、アヤトさん」
「ん、気をつけるんだぞ」
そっと手を離そうとしたら、不意にリザの顔がぼふっと赤くなった。
「リザ?」
「あ、あの、これは、その……ア、アヤトさんに抱き寄せられたら、こ、この間の夜を思い出してしまいましてっ……」
この間の夜?
……察した、敢えて言うまい。
エリンもなんだかモジモジしてるので、こっちも思い出したんだろうなぁ。
「あらあら」
クロナはクロナでナニを察したのか、お上品に微笑んでいる。
「客室は防音性も完璧ですので……ね?」
ね?じゃありませんクロナさん。
「「!!」」
二人もヘンな反応するんじゃありません。
出港してしばらくが経った辺りでお昼頃になったので、大食堂で昼食だ。
まさに上流階級のお偉方を饗すための、フローリアンの町ではまず見られない形態の高級料理の数々に、エリンはまたしてもカルチャーショックだ。
「こ、こんなの私が食べていいのかな……?」
っていうかどうやって食べるの、とエリンは戸惑ってばかりだ。
孤児院育ちじゃ作法も手順も知ったことじゃないだろうし、"かっぺ"丸出しって感じだ。
「エリンさん、わたしが教えますから大丈夫です」
さすがリザは貴族の娘だけあって、こういう高級料理が並ぶパーティー会場などにも出席したことがあるのだろう、手慣れている。
「アヤトさんは……大丈夫そうですね?」
「まぁ、これくらいはな」
悪役令嬢に転生した回数なんかもう忘れたぞ。つまり、それだけノーブルな作法にも経験知識はある。
俺達三人とは向かいの席に着くクロナは、目下にある料理を指しながら微笑で応じる。
「では、どうぞ召し上がりくださいませ。エリンさんも、所作や作法などお気になさらず、ご自由にお食べになってくださいな」
「リ、リザちゃんに教えてもらうので大丈夫です……っ」
郷に入っては郷に従えということだ、エリンもリザに教えてもらいながら、なんとかかんとかテーブルマナーを学ぼうとワチャワチャしているのを尻目に、俺は黙々と丁寧にいただく。ムニエルうめー。
食後の紅茶を淹れていただき、ごゆるりとクロナと歓談だ。
「クロナ、わざわざ名指しで俺をアトランティカに招き入れるということは、何かアトランティカに、あるいはその周辺に何か問題が発生したのか?」
そう。
SSランクの実力を買ってアトランティカにお呼ばれしたのは、オルコットマスターからの手紙で存じているが、詳しい具体的な理由までは聞かされていない。
いくら一個の武勇に優れているとは言え、所詮は野蛮な冒険者に過ぎないのだから、無理難題を押し付けるための方便だろうけど。
「それについては、アトランティカに着いてから、ギルドマスターとレジーナ……私の妹と合わせての予定でしたが、他ならぬアヤト様ですので、私の口から直接ご説明致します」
前置きを置いてから、クロナは話し始めた。
「実は、一週間ほど前から、アトランティカ周辺に濃霧が発生し、海水温も異常なほど高まっています。霧の影響もあって航行にも支障が生じ、水温の変化に海の生態系も崩れ、観光客も減る一方という有様」
ふむ……ヨルムガンド湿地帯と同じだな。
異常変化する環境に、乱れ崩れる生態系、発生している事案そのものは異なれど、人の営みに悪影響を齎していることに変わりはない。
エリンもリザも緊張感を持って聞いている。
「アトランティカが都市として機能するようになって以来、このような異常事態は前代未聞……私達『海巫女』の"一族"はこれを、ウィンディーネ様……この海の守護霊様のお力が弱まっているのではと考えたのですが、今の『水の霊殿』には危険な魔物が棲み着いており、ギルドが冒険者を派遣してもいずれも撤退せざるを得ない状況です」
なるほど、つまりクロナやそのレジーナと言うらしい妹さんは海巫女の一族で、今回の異常事態の解決に尽力しているのだが、守護霊であるウィンディーネ様が祀られる霊殿は現在危険地帯と化しており、迂闊に近付けないと。
ギルドが派遣する冒険者ってことは、少なくともAランクよりも格下ってことはないだろう。
一流の冒険者が束になっても攻略出来ない霊殿か、今回はなかなか大変そうだ。
「話の大筋が読めてきたな。そこで、同じような環境危機にあったヨルムガンド湿地帯の異変を解決した俺達に白羽の矢が立った……ということか」
ヨルムガンド湿地帯と違う点があるとすれば、その異変が既に周辺にも悪影響を及ぼしつつあるということだが。
「その通りです。これは本来なら、私達一族が解決しなければならないことなのですが、事態は予想以上に悪い方向へ傾きつつあり、最早形振り構っている暇はない、とギルドマスターはご決断されました」
すると、ここまで黙って聞いていたエリンが口を開いた。
「ねぇアヤト。これもあのブタさんの仕業なのかな?」
「ヨルムガンド湿地帯の神殿と同じなら、だな。だが奴の目的がハッキリしていない以上、そうだと決め付けるのは早計だ。あのブタさんとは違う誰かの陰謀の可能性もある」
しかし俺が怪しいと見ているのはマオークもそうだが、あのアリスちゃんもだ。
あのアリスちゃんが、船の墓場で会った少女と同一の存在だとして、その彼女が霊殿の近くに現れたなら、"黒よりのグレー"と見ても良いだろうが……けれども何を目的に俺の前に現れるのかはやはり分からないままだ。
あるいは……武力による排除も視野に入れておこう。
「ブタさん?……アヤト様とエリンさんのお話から察するに、今回の異常事態は何者かの悪意によるもの、ということでしょうか?」
「恐らくは、だ。全く無関係であるかもしれないが、ヨルムガンド湿地帯で起きたことも鑑みれば、可能性としては十分に有り得る」
なんにせよ、まずはアトランティカに到着して情報を集め、状況を確かめて、それから適切な手を打つ。
……まぁ最悪、力尽くでどうにでもなるだろう。女神様に土下座かます前提で、だが。
「今ここで焦っても仕方が無い。まだ二日はこうしている必要があるし、船旅の間ぐらいはゆっくりさせてもらおう」
紅茶を啜る。じんわり染み渡ってほっとします。
それから。
クロナとフローリアンの町やアトランティカの世間話をしたり、ちょっとした趣味嗜好の話をしたり、甲板の上で魚釣りに興じたり(釣った魚はその場で焼いていただきました)、夜はエリンとリザとの三人で過ごしたり (意味深)して。
ハルカスの町を出港して二日半ほどが経った今朝は、やけに霧の濃い日だった。
「霧が濃い……そろそろアトランティカが近くなってきたんでしょうか」
リザは窓の外から白く霞んだ海原に目を細める。
燦々と降り注いでいるはずの陽光は鈍色の雲に閉ざされ、濃霧で覆われて水平線が見えない。
「今日の午前中にアトランティカに入港しますって、クロナさんも言ってたもんね」
エリンも荷物を纏めて、船から降りる準備を整えている。
俺も荷物を担いで船室を出る。
船室の外には、クロナが待ってくれていた。
「皆様、おはようございます。もう間もなくアトランティカに到着致しますので、今しばらくお待ち下さい」
そのままクロナに連れられて、下船を待つ。
いやにジメついた海風だ。海水温が高まっているせいだろうか。
「この辺りの海域には、武闘派で悪名高い『バーロックス』という海賊が横行しています。さすがに護衛艦がいる中で襲撃を仕掛けてくるとは思えませんが、万が一ということもありますので、お気をつけください」
海賊ねぇ。
武闘派で悪名高いとなると、エリンが言うところの「悪い海賊」だろうか。
バーロックスなる海賊が現れることなく、無事にアトランティカの港へ入港。
港は、どこか黙々と沈静化している。
本来ならもっと賑わっていているのだろうが、昨今のこの悪天候続きでは活気も盛り下がるものだ。
「はぁ……いつまで続くんだこの霧……」
「今日の11番船も、出港は見送りだってよ……」
「滅入る天気だ……」
船乗り達の話を耳にすれば、あまり嬉しくないワードばかりが聞こえてくる。
先の見えない情勢に、船乗りも都民も不安が高まる一方か。
「さぁ皆様、参りますよ」
そんな中でも気丈に振る舞うように、クロナはニコニコとした微笑を絶やさずに俺達を案内してくれる。
行き先は、冒険者ギルドの出張機関だ。
フローリアンの町の集会所よりも二周りは大きい集会所に入り、そのまま受付カウンターの奥まで連れて来られる。
庶務室か応接室か、他の部屋と比べても豪華だ。
赤絨毯が敷かれ、本棚に囲われた部屋のマボガニーのデスクに座るは、美男と言うべき騎士のような正装を纏った、金髪の男性が一人。歳は俺よりも一回り歳上だろうが、組織の長としての風格に満ちている。
「ギルドマスター。クロナ、ただいま戻りました。フローリアンの町より、英雄をお連れしました」
「うむ、よく戻ってきてくれた」
琴を奏でるような声の後、ギルドマスターは俺達三人に向き直る。
「あなたがフローリアンの英雄の、アヤト殿であらせられるか」
英雄とか柄じゃないし不本意なんだけどなぁ。まぁここは話を合わせておこう。
「お初お目に掛かります、ギルドマスター。こちらのクロナからご紹介に預かりました、アヤトと申します。こちらの二人はエリンとリザです」
俺が礼儀正しく頭を下げてみせ、エリンとリザも慌てて一礼するのを見て、ギルドマスターは襟を正した。
「私はこのアトランティカのギルドマスター、『エリック』と申す。此度は無理を言ってすまない。だが、ここ昨今の異常事態を解決出来るのは、あなたの他におるまい」
古風な喋り方をする人だな。なんかカッコイイ。
「事態は既にクロナからお聞きになられているとは思うが、改めて私の方から説明させていただこう」
エリックマスターが説明する内容は、おおよそクロナが説明してくれたことと同じ内容だった。
やはり問題の場所――水の霊殿に何かが起きているらしい。
「クロナの証言通りなら、今の水の霊殿は相当に危険な場所だ。ギルド肝いりの冒険者ですら潰走するともなれば、SSランクであるアヤト殿に頼む他に手は無い。英雄よ、どうかこの異変からアトランティカを救ってはくれまいか」
「分かりました。では、早速霊殿に向かう準備に取り掛かりましょう」
こっちは三日間の船旅で英気は十分養われたんだ。そろそろ身体を動かさないと鈍りそうなくらいにはな。
「水の霊殿への案内は、クロナが請け負ってくれるのか?」
「はい。水の霊殿の扉は閉ざされていますので、海巫女の一族である私が……、……ところでギルドマスター、レジーナはどちらへ?」
ふとクロナは、妹さんはどこへ行ったのかとエリックマスターに訊ねる。
クロナの妹なら、その人も海巫女の一族だ、今回の件にも関わっているかもしれない、この場に立ち会っていないの不自然と思ったのだろう。
「レジーナか?そう言えば、今朝はまだ見ていないな。この時間になっても起きていないということはあるまいが……」
……ん?なぁんか嫌な予感がするんだけど。
こういうのって、多分この後すぐに……っと、走る足音が近付いて来た。
ノックもそこそこに、ギルドの職員らしい人が入って来た。
「ほ、報告!」
「なんだ騒々しい、今は……」
客人がいるのだぞ、と続けようとしたエリックマスターだが、すぐに「お聞きください!!」という職員の声に跳ね返された。
「レジーナ様が、何者かに拉致された模様です!」
うん、そうだと思っていたよ。
「なに!?」
「拉致!?」
エリックマスターとクロナが同時に驚愕し、エリンとリザも動揺している。驚いていないのは俺くらいか。
「港の船員の目撃証言によると、二日前に入港したコスタリアの船に、不審な荷物を積載しているのを見たとのこと!恐らくは、その荷物がレジーナ様ではないかと!」
「バカな!何故その場で摘発しなかったのだ!」
「それが、声を掛けたところに危害を加えられ、そのまま拘束されていたようです!」
死人に口無し、とはいかないが、縛られてその辺に転がされていたんじゃ、見過ごすしか出来ないよなぁ。
「コスタリアの船が何故そんな……まさか、偽装船!?」
クロナがもしやの可能性を口にする。
民間船を装ってそれらしいことを言ってれば、普通はそうだと思うだろうな。それで懐に入り込んだところでターゲットを拉致る、と。
しかしどこの誰がそんなことを……
「この海域でそんなことが出来るような組織は、バーロックス以外にいるものか!奴らめ、何を企んでいる……!」
バーロックスというと、さっきクロナが言っていた海賊か。
ただ女欲しさに、ギルドの懐に踏み込むなんて危険を冒すほど、連中もサ↑ル↓では無いだろう。
そうなると、やはり海巫女の一族が狙いだろうか。しかし、海巫女を手に入れたところで、どうするつもりなのか。
ふむ、そろそろ俺も口出しさせていただこうかな。
「まぁまぁ皆さん、一度落ち着きましょう。とりあえず、クロナの妹さん……レジーナさんと言いましたか。その彼女が、バーロックスなる海賊に連れ去られた、というのはほぼ間違いない。そうですね?」
「アヤト、よく落ち着いてられるね……?」
エリンも大概落ち着いてると思うけどな。
「慌てても事は解決しないからな。事実を一つずつ押さえて、的確に手を打っていけば、必ず取り戻せる」
俺の言葉を聞いて、エリックマスターも一度深呼吸して落ち着いた。
「……そうだな、アヤト殿の仰る通りだ。私達こそが、冷静にならねばならん」
しかし、とエリックマスターは眉をしかめる。
「バーロックスの本拠地の場所は掴んでいるのだが、奴らの武力は並大抵のそれではない。ただ戦力を揃えて向かわせても、返り討ちに遭うのが関の山だ」
エリックマスターが言うには、何度もバーロックス討伐の部隊を向かわせても、その都度に痛手は負わせることは出来ても、それ以上にギルド側の被害が深まるばかりか、武器や船そのものを奪われてしまうことも多々あったらしい。
おいおい、そりゃぁ海賊どころじゃない、マジの一大勢力じゃないか。
「なるほど、正面からぶつかるのはさすがに危険か……いや、それも面白いと言えば面白いか」
「そんな相手に正面からぶつかれるのはアヤトさんくらいでしょう……」
リザが顔を引き攣らせている。
「だが、どちらにせよ正面突破は無しだな。向こうには今、レジーナさんという人質がいる。あまり派手に動くわけにはいかない」
うーむ、ここは隠密作戦で行くか。
「バーロックスの場所は分かっているのですね?なら、俺がそこへ潜り込んで、レジーナさんを救出しましょう」
「しかし、これは我らアトランティカのギルドの問題、ただでさえ協力していただくアヤト殿の手を、これ以上煩わせるわけには……」
云々と言わせている時間は無い、ここは強めに押して行こう。
「さぁ急ぎましょう、あまり時間を掛けていては、奴らがレジーナさんにナニをするか分かりません」
多分男所帯だろうし、そんなところに美少女が一人で居たら……なぁ?
「……申し訳ない。どうか、レジーナを救出していただきたい」
「お任せください」
着いて早々に人質救出作戦、なかなかハードだがやるしかあるまい。
「アヤト、さっき「俺がそこへ潜り込んで救出しましょう」って言ってたけど……一人で行くんだよね?」
ふと、エリンがそう声をかけてきた。
「隠密作戦だからな、あまり人を連れ立って行くと却って目立つ。バーロックスの根城の場所まではクロナに案内してもらって、そこから先は一人で行かせてもらうよ。心配か?」
今回の救出ミッションの肝は、『いかに敵に見つからずにターゲットを救出するか』に掛かっている。
まぁぶっちゃけると、レジーナさんの身柄さえ確保すれば、あとは力尽くでいいんだけど。
「うぅん、アヤトなら大丈夫だし、あんまり心配はしてないかな」
「そうです。アヤトさんに何かあったら、それはもう世界の滅亡と同義ですから」
おいこら二人とも。そこは少しは心配するフリくらいはしてくれよ。
「私もついていく!」って強情張られるよりはいいけどさ。
それじゃぁ行くとしますか。
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