63. 最強のお守りは惚気の塊
「ぅわぁァ……っと、失礼しました」
結界の奥に足を踏み入れるなり、籠もっていたノアが私を見て、開口一番で小さな悲鳴を出した。
理由はわからない。
なによもう、せっかくベアトリスから「ノア元気?」って手紙きたこと、教えてあげようと思ったのに。あとついでに軽食も。
「私、なんか変?」
「いえ、マリアンヌ様にドンび……じゃない、驚いたのではないのです」
今、ドン引きっていおうとしたよね?!
「一つお聞きしますが、皇帝と何かありました?」
「へっ?! な、なにもないです!!」
キスと抱擁より先は何も!!
結局、あの後だってキスを何度かしただけです!!
「では、皇帝から何か……マジックアイテムとかいただいてませんか?」
「マジックアイテム? うーん。それっぽいのは、これかも?」
私は鞄から、鍵を取り出した。
厳密には鍵をまとめているリボン。文字を読まれると恥ずかしいから、端だけ見せた。
「うっ」
ノアが呻いた。こ、これが原因?!
でもすぐに、ノアは笑い出した。
「ははは、マリアンヌ様はとことん愛されていますね」
「えっえっ、どういうこと?」
「それ、最強のお守りですよ」
「彼はまじない、っていってたんだけど」
「はい。とっても強いまじないです」
え、マジでいったいなんなのこれ……?
戦士の中でも屈指の魔法使いのノアが断言するほどだよ?
「マリアンヌ様には感じられませんか?」
「えーと……触るとなんかちょっとあったかいな、ぐらいは」
「なるほど。普通の人とか、魔法が苦手な人は逆に全く感じないかもしれないですね。でも、僕には“視”えますよ」
ノアはすっと眼を細めた。
「神々しいまでの『気』です。形でいうなら……銀色の美しい毛並みの、紅い眼をした狼の姿をとっている」
銀の毛に紅い眼……レジナルドと一緒だ!
「まぁ、護符と一緒です。低級の魔獣や霊なら、貴女に近づこうとしないでしょう」
「そ、そんな力がこのリボンに込められているの?」
「ええ。術そのものは簡易なものです。僕が驚いたのは、込められている術者の念ですよ。……わかりやすくいうと「俺のマリアンヌに手を出すやつ、覚悟はできているんだろうな?」ですかね」
ぎょわーー?!
ノアの口からなんか物騒な台詞が飛び出した。
見ただけでそこまでわかるの……?
……ノア、恐ろしい……。
「はは、驚きました?」
「……レジナルドにもだし、ノアの発言にもちょっと」
「うーん。言い換えるなら、マリアンヌ様のことが誰よりも愛しいってことですよ。なんというか、惚気のオーラがすごくて……目の当たりにして、呻いてしまいました。今は平気ですよ」
う、うぅぅぅ。
レジナルド、なんてまじないをかけてんの……!
「具体的に何が起きるか、僕もそこまではわかりませんが、肌身離さず持っているのが正解だと思います」
「そ、そっか。元々、ずっと持っているつもりだったけど」
「仲睦まじくて、大変よろしいじゃないですか」
うー。
自分だってベアトリスとのこと惚気てたくせに。
差し入れの軽食を、ノアは喜んでくれた。
アラスターが持っては来てくれるけど、さすがに連日続けて結界を維持するのは、かなり体力を消耗するらしい。
今も、やはりアラスターが監視しつつ、侵入を抑えきれなかった魔獣をレジナルドが倒してくれないと、相当厳しいそうだ。
でも、そんなに危険な状況なのに、他の戦士は……?
それ以外の人も気づいていないの?
うーん、なんか、変。
「一番の悩みは、話ができる人が限られることなんです。皇帝やアラスターさんでは、世間話に花が咲くことはないですし」
ノア、世間話するんだなぁ……。
ゲーム中では寡黙で、アニエスとのイベントで心を開いていったから、対面して最初から明るいノアは新鮮だ。
確かにベアトリスの性格に感化されたなら、こうなるよなぁ。
ちなみにベアトリスからの伝言を伝えると、すごく嬉しそうだった。
「ところで、午後は何の授業をお取りになっているのですか?」
「歴史……だったんだけど」
私は、ある事実を思い出して、ずぅんと沈んだ。
「レジナルド、ううん、マーク先生の授業ね。隔週、なんだね……今週は休講だった……」
そう告げると、ノアは「あー……」と返してきた。
今朝、出勤する直前のレジナルドにいわれたのだ。
『お前、俺の講義を履修届に書いただろう?』
『ええ!? なんで知ってるの?!』
『担当教師が俺だからに決まっている。聴講生も例外なく名簿に記されるのだから』
考えれば当然なんだけどね……。
『だが、惜しいな』
『? 何が?』
『俺の授業は隔週だ。そこまで重要な単元でもないからな。そして今日は休講』
『……え?』
『え、ってお前。知らなかったのか?』
し、し、知らなかったよ?!
いやでも、もしかしたら履修表に書いてあったかも!!
『……そう残念がるな』
『でも』
『お前になら、いくらでも俺が特別授業をしてやる。みっちりと、二人きりで』
あああああああもう!!
耳元で囁かれて、私は思わずペチン! と、レジナルドの胸板を叩いたのだった。
レジナルドからすれば、蚊に刺された程度にしか感じなかっただろうけどね。
そして彼は、私の耳にキスしてから、部屋を出て行った。
思い出しちゃって、顔が熱くなる。
色々と恥ずかしくて。
「ベアトリスがいってましたよ」
「え? 何をいってたの?」
「マリアンヌ様には幸せになってほしい。きっとあの皇帝なら、そうしてくれるはずだって」
「……ベアトリスが……」
「僕でもわかりますよ。マリアンヌ様も、大好きなんですね」
私はこくりと頷いた。
「正直、皇帝の様変わりに驚くばかりでした。恋だけでここまで変わるのか、ともね。なにせ、少なくとも半年前までは、確かに皇帝は僕達と敵対していた」
「『夜の世界』で、だよね」
「ええ。でも、ある時期、魔獣が統率を失ったのです。同時に皇帝の姿も見なくなりましたが……それからまたしばらくして、今度は魔獣が、以前よりも知恵を身につけ始めた」
「……」
「今は、皇帝ではない別の誰かが、『夜の世界』を支配しようとしています。僕達の使命は『夜の世界』を正して、こちらの世界の平和を守ること。皇帝と積極的に戦いたいわけじゃないんです」
だからこそ、手を組むことにしたんだね。
でも戦士達全員が同じ意見でもない、ということ。
ラファエルは未だレジナルドを敵視しているし、レジナルド自身が暗躍していると思っているけど。
私は、気になっていたことをノアに聞いた。
「……ねぇ、ノア。最近、ジークハルト先生に会った?」
「ジークハルト先生ですか? いえ。ここに籠もってからは、一度も……それが、いったいなにか?」
放課後。
私は、アニエスの指定通り、体育館にある準備室に向かった。
普段は鍵がかかっているから、その前で待とう思ったの。
でも──鍵は、あいていた。
(もしかして、中にいるのかな?)
アニエス。貴女は何を知っているの?
あの手紙の『選んだ方が本物になる』ってどういうこと?
それを教えてくれる、よね?
だけど、扉を開いた中で待っていたのは──。
「よお、マリアンヌ君! よく来てくれた」
笑顔のジークハルト先生と、数名の生徒達だった。