61. モーニングティーを二人で1~お前の顔が見たい、抱き締めたい~
私は晴れた空の下、草原に立っていた。
向こうに、レジナルドがいた。
やっと逢えた。夢の中でも、貴方に。
でも、私の身体はあの人にいっこうに近づかない。
彼は一歩も動いていないのに。
レジナルドの視線の先には──。
どうして?
どうして、私がいるの?
私は泣いていた。
レジナルドに何かをいっていたみたいだけど。
でも、私は走り去ってしまった。
寂しげな顔のレジナルドだけが残される。
レジナルド、『私』はここにいるよ?
気づいて──『私』を見て!
こっちを、向いて。お願い……!
「──……ゆ、め?」
私は身体を起こした。
まだ外は暗かった。
時計を見ると、まだ二度寝しても大丈夫な時間。
でも脈が速くて、もう一回眠れそうにはない。
(せっかく、レジナルドの夢を見たのに)
でも変な夢。
レジナルドが向かい合って、そして見つめていたのは私に間違いなかった。
ただ、『私』の視界は、その二人を遠くで見ているものだった。
(なんだか、泣きそう)
ごしごしを目許を拭うと、眼が冴えちゃった。
私はベッドから下りた。
足元が肌寒い。理由は簡単。
今の私は、下着の上にレジナルドのシャツしか着てない。
昨日貰ったやつだから、二夜連続で同じのを着ている。
アニエスのふしぎな手紙を見たからかな。色々不安になってしまって、少しでも彼を近くに感じたくなった。
よけいに寂しくなっちゃう夢を見たけど、ね。
「……お茶でも飲もうかな」
独り言を呟いて、私はゆるゆるとキッチンへ向かった。
お湯を沸かしている間に、カップと紅茶缶を出す。カモミールティー、自分の分も買っておけばよかったな、なんて思いながら。
コン、コン、……コン。
耳を澄まさなければ聞こえないほど、控えめなノックがした。
なんだろ?
そーっと、私はドアに近づいた。
家鳴りかな? とも思ったんだけどね。
この世界、シャワーはあるのにドアスコープはない。
近づいたけど、声はしない。
うーん、こっちから声をかけた方がいいかな?
「どなたですか?」
返事がなかったら無視しよう。
……うーん、学園寮だから大丈夫だと思ったんだけど。隣にはレジナルドもいるし……。やっぱり軽率だったかな。
「──マリアンヌ。起きているのか」
「えっ?!」
まさか、レジナルド本人?!
うわっ、もしかして、不用心だって怒られる?!
これは、丁重にお帰りいただいた方がよろしい?!
うん、そうしよう!!
「あっ、あ、えっと、お、起きてませんよ!?」
……なんて間抜けな返事。
元気に起きてますって明言しちゃった。
「……ほんの少しでいい」
「え?」
「ドアの隙間からでいい。お前の顔が見たい」
「……レジナルド?」
「今、すぐに」
ちょ、ちょっと。
どうしよう。
あ、開けられるはずないよ。
寝起きだし、この格好もまずい。
でも、掠れて、元気がない声に聞こえたから。
どうしよう。
「あ、あのね。着替えるから待って……」
「顔だけでいい。頼む。今は拒まないでくれ」
いったい、どうしたの?
昨日、何かあったの?
切ない声で、いわないでよ。
無視なんてできない。
「……」
私は、覚悟を決めて、そっとドアを開けた。
ほんの隙間だけのつもり──でも、顔を見せて、彼の顔も見ようとすると、どうしても服装もさらしてしまう。
レジナルドは、ちゃんと着替えてるみたい。昨日とは違うネクタイをしてる。白衣と眼鏡はないけど。
──ちゃんと変装術してるのかな。
私の眼には、寂しげなレジナルドの顔に見える。
あの夢の中と同じ顔だ。
私じゃない私を見つめていた時の顔。
ちくりと、胸に痛みが生まれる。
しばらく見つめ合っていると、レジナルドの口角が、わずかに上がった。
「こんな時間に、急にすまなかった。起床まで時間があるだろう。もう少し眠るとい──」
「入って」
「マリアンヌ?」
「あの、見苦しかったら、着替えますから。……ちょうどね、眼が覚めて紅茶を淹れるところだったの。飲んでいってください」
あんな顔をしたレジナルドを、部屋に帰したくなかった。
だって、夢の中で何度訴えても、彼は『私』を見なかったもの。
今は私を見てくれるレジナルドを、独りにしたくない。
着替えてから出迎えても、廊下で待たしている間に、いなくなってしまいそうで……怖い。
はしたないにも程がある。
わかっているけど。
今は、貴方を帰したくない。
「着替えなくていい」
「……」
「馳走になったら、部屋へ戻る。変装術は一応かけているがな」
あ、そうなんだ。
なんて返しそうになったけど。
私は無言で、レジナルドを部屋へ招き入れた。
飲んだら出て行くといったけど、私は静かに鍵をかけた。
(ちゃんと、ドアから入ってきてくれた)
顔を見せろって少し強引だったけど。
でも、彼がその気なら、固有スキルでこの部屋に入り込むことはできる。
それをしなかったのは、私のためだよね。
「座っててください。すぐ淹れますから」
「わかった……」
うーん、シャツの丈は長いから、下着は見えないけど、スカート(この場合はワンピースかな)でいうとかなりのミニだよね。
まぁ、レジナルドは背が高いから、見えないはず。
……座ったら見えちゃうかもしれない。
う、どうしよう。
やっぱり下だけでも何か穿かせてもらう?
でも変に意識しない方がいいのかな。
レジナルドに背を向ける形で、キッチンに戻る。
もう一度、沸かしなおそうとして、気づく。
レジナルドが座った気配がないことに。
どこに座っていいか、わからないのかな?
でも二脚しかないから、どっちでもいいんだけど。
「なぁ、マリアンヌ」
「はい?」
迷っているなら奥側に座って、といいかけた。
「抱き締めてもいいか?」
でも私は振り返らず、言葉を飲み込んでしまった。
──訊ねないで抱き締めたり、キスしたり。そんなことが多かったのに。
なんだか、らしくないよ。
「ダメです」
「……」
「お湯を扱ってますから。紅茶を飲んでからで、お願いします」
レジナルド、今はどんな顔をしているの?
でも、振り向けない。
拒んでいるつもりじゃない。本当に危ないから。
もっとも、手なんていくらでも止められるけど。
……どんな顔をして私を見ているのか。
それを知るのが、今、ちょっとだけ、不安で怖い。
「──!」
レジナルドが近づいてきた気配がした後、後頭部に柔らかな感触が一瞬だけ、した。
髪越しにキスしたんだって、わかった。
「では、楽しみにとっておく。お前の紅茶を堪能した後でな」
こういう不意打ちするんだから、心臓に悪い。
お湯を扱ってるっていったでしょ!
でも声の調子が戻っているみたいで、少し安心した。
離れたレジナルドが、席に座ったのが物音でわかった。
ポットに湯を注いで蒸らす時間が、いつもより長く感じられた。
明日は更新お休みになりそうです。