58. マリアンヌという悪役令嬢
ジークハルト先生が、ノアから私達の話を聞いたのはなぜか。
レジナルドの質問を、私はすぐに理解できなかった。
ノアはジークハルト先生と仲が良いんだよ?
そういう話ぐらいはするんじゃないの?
めちゃくちゃ恥ずかしいけどさ!!
というかジークハルト先生の耳打ち、ばっちり聞こえてる。
「いや、いい方が悪かったな」
レジナルドが、小さく息をついた。
緊張が少し解けたみたい。
「あいつがノアと交流があることは、俺も把握している。問題は、いつ、その話をノアから聞いたかだ」
「いつって……?」
「ノアは、俺と接触をはかった日からずっと、あの結界の中に籠もっている。ノアが俺達のことをジークハルトに話した、つい最近とはいつのことだ?」
私は思わず「あっ!」と声をあげそうになった。
ノアはレジナルドと共闘して、今は厳重な結界の中にいる。
戦士達には、結界を張っていることはいってあるけど、彼らを結界内に招いていない。
「でも、ノアだって一切外に出られないわけじゃないんでしょ? ジークハルト先生に話すタイミングがあったかも」
うーん、でも、どうなんだろう。
外へ出た時にジークハルト先生に接触できたなら、戦士達に説得をお願いしていそうだし。
「ノアがずっと結界にいたという証明は、少々難しいが、わざわざそんな話のために外へ出るとは……接触したとも聞いてないしな」
「そうなの?」
「それに、あいつはなぜ部屋へ送れ、と……お前が寮にいることまで知っている? お前、そのことを公言したか?」
私は首を横に振った。
教師なら把握していてもおかしくない気がするんだけど。
(でも、聴講生になったと聞いたっていってたような。伝聞レベルなら、寮にいるなんて断定できないよね?)
確かに、ジークハルト先生の言葉には、細かな部分に違和感がある。
「ジークハルトのことは確証があるわけじゃないし、ノアが教えた可能性も無論、ゼロではない」
あくまで用心しとけってことかな?
じゃあどうしよう。ジークハルト先生から、戦士全員と共闘できるようにしてもらおうと思ったのに。
私のできること、だんだんなくなってるなぁ。
やっぱり、明日の放課後にアニエスと会って直接話すしかないね。
「そして、アニエスにも少し注意しておけ」
「え?」
「……お前、やはり家に帰るわけにはいかないか?」
……私、本当に、何の役にも立たない?
ここにいない方が、やっぱり、貴方のためになる?
そうだよね。
もうノアと共闘しているし、アラスターもいるし。
ジークハルト先生の違和感も見抜けなかった。
私の知らないところで、話はかなり進んでいる。
そして私を守るために、貴方に、遠回りをさせている。
足手まといでしかない。
「──違う」
「レジナルド?」
「お前に、そんな顔をさせるためにいったんじゃない……!」
「……」
「お前がそばにいてくれれば、俺は……それで……」
貴方はそういうけど。
とっても、苛立ってる。
私に対する苛立ちではなかったとしても。
私に力があったら、貴方にそんな顔、させなかったよね。
「すまない。送ろう」
「はい」
「ただし、寮の前までだ」
「え……」
「そろそろ夕食の時間だろう。食堂へ行け」
「レジナルドは?」
「仕事が残っている。帰りは深夜だ。お前は、ゆっくり休むといい。練習で疲れただろう」
声は優しいけど、私を見てくれない。
私は自然と、手を繋ごうとしたんだけど。
すっと、避けられちゃった。
そっか。当然だよね。
私にはレジナルドに見えているけど。
──今は、マーク先生なんだもんね。
私は、マーク先生の後ろを三歩下がってついていった。
会話はない。
彼が何か考えていると思うと、声をかけられなかった。
ジークハルト先生が現れるまでは、私の身体を抱き締めて、魔法を教えてくれて、キスを交わしていたのに。
(あれ? レジナルドの白衣、裾に緑のインクが……?)
それはほんの少しで、後ろから見ないとわからなかった。
ううん、インクじゃない。
魔獣の血だ。図書館で見たのと一緒。
レジナルド、戦っているんだ。
わかっていることなのに。
私の見えないところで、ずっと、戦ってる。
私は、今日魔法のやり方まで教わって、レジナルドのおかげでやっとまともに使えたレベル。
話し合いだって全然進んでいない。
何もできない。できていない。
(マリアンヌもこんな気持ちだったの? ラファエルが戦っていて、アニエスはそれについていって……自分は取り残される)
彼女は本当に『悪役令嬢』なの?
私がマリアンヌに転生したから、疑問に思うだけ?
どうして、彼女は『悪役』と呼ばれなくてはいけないの?
好きな人を助けられない自分が、悲しかっただけでしょう?
無力な自分を、呪いたかっただけなんじゃないの?
誰か一人でも、その苦しみを理解してくれていたなら。
あるいは、しっかりと打ち明けていたならば。
マリアンヌは、悪役令嬢なんて存在にならなかったはず。
マリアンヌは、やっぱりラファエルが好きだったのかな?
幼馴染って気持ちが強かったはずなんだけど。
それに、どのルートでも妨害していたから、アニエス自身に嫉妬したからだと思っていた。
でも……。
今の私は、レジナルドが好きなの。
私、貴女の想いを塗り替えてしまったの?
ごめんなさい。──それでも、この気持ちは変えられない。
寮の前まではあっという間だった。
レジナルドが立ち止まって、私も歩みを止める。
「マーク先生、ありがとうございます」
「いや。生徒を守るのは教師の義務だからな」
お礼をいうと、彼が振り返ってそういった。
その言葉が、胸をちくりと刺す。
でも、笑わなきゃね。
「お仕事、お疲れ様です。無理はしないでくださいね」
「ああ。君もな」
彼は手を振って、歩き出した。
既視感。
家で初めてキスをした日も、彼はこんな風に去って行った。
だけど、なんだか、とても遠くなるのが早い。
食堂へ行くと、すでに寮生の夕食の時間が始まっていて、席は混雑していた。奥に空いていた席に座って、食べ始める。
今日のメインは、ビーフシチュー。
とても美味しいはずなのに、味気なかった。
昨日、レジナルドの隣で食べたサンドイッチの方が、ずっと美味しかったな。
レジナルドを想っている時、切ないけど、胸があったかい。
一緒にいると、すごく、幸せ。
だから、あんな風に別れると、寂しくなってしまう。
私はレジナルドが、好き。
……私、ずっと前から、あの人が好きだった。
今世でも──心から、愛しています。




