05. 恋といえば、そうかもしれない
半年前。
私ことマリアンヌは、高熱で倒れた。
そして、思い出した。
「そう、私は──『めかぶ大好き娘』!」
マリアンヌは一年前から少しずつ、謎のビジョンが見えるようになっていた。
人を乗せた鉄の塊が、黒い道をものすごいスピードで走っていく。
高くて真っ直ぐな建物が所狭しと並んでいて、たくさんの人が行き交っている。
見たことがない場所だ。異国? いや、異世界だ。
ある時、知らない小さな部屋に入って、動く絵画を見た。
そこには、ラファエル王太子が描かれて、喋っていた。
いや、彼だけではない。先輩、後輩、同級生、教師。
そしてアニエスに、自分。
画面の中の自分は、とても冷ややかな眼をしていた。
そんな顔をしたつもりはなかったのに──でも、なぜかしっくりきた。
その顔を、いつも見ていた気がする。自分の顔なのに、おかしい話だ。
だが、何よりも衝撃的だったのは──かつて出逢ったあの男も、そこに映し出されたこと。
『強い眼のお嬢さんだ。啼かせたくなる』
『……』
『戯れすらまともに通じんか……つまらん』
剣豪皇帝レジナルド・マクシミリアン・モグリッジ。
冷たい紅眼に、絡みつくような低い声。
初めて対面した時のあの会話を、今でもハッキリ覚えている。
怖かった。答えないことで、なんとか堪えた。
忘れられなかった。忘れようと努めた。
なのに──次第に、マリアンヌの中で何かが変わった。
少しずつ、あの男を自然と思い出す回数が増えていく。
恐怖が薄れていく。
そしてついに、抑えつけていた炎が、一気に燃え広がるような感覚に襲われて、私は倒れたのだ。
「……は、はぁ。めかぶ、でございますか?」
侍女のレインが訝しげにこちらを覗き込んでいた。
「あ……わ、忘れて。変な夢を見たの……」
「まぁ。相当高いお熱でしたものね。どうか無理はなさらないで」
レインは、私よりも十歳上で、結婚せずに私の侍女を長年務めてくれている。
本来、こまめな世話はメイドに任せればいいのに、私が体調を崩すとこうして看病をしてくれる。
額を撫でてくれる手が冷たい。何度も濡れた布を取り替えてくれたからだろう。
「ありがとう……レイン」
「お礼だなんて、とんでもないことですわ。もう随分下がっておいでですよ」
「……明日には学校へ行けるかしら」
「もうしばらくお休みになっても大丈夫ですよ。あとは卒業を待つだけですし」
マリアンヌは成績優秀だ。
すでに卒業に必要な単位はほぼ修めてあって、最終試験も問題ないといわれている。
半年後、婚約者であるラファエルと一緒に卒業する。
ラファエルは元々、同盟国から王太子妃を迎える予定だった。
だが同盟国には、数年待ってもラファエルと年齢的に釣り合う王女や公爵レベルの令嬢が生まれなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、母が同盟国の大貴族出身であるマリアンヌだった。
公爵家の娘であり、かつ同盟国の血筋も入っているマリアンヌは、国内においては最も王太子妃に相応しいとされた。
ラファエルとの仲も、悪くはなかった。
恋愛感情というよりは、幼馴染に対する親しみに近い。
だが、お互い王族と貴族ゆえに、何もかもをあけすけに語らうことはない。
一定の距離を置きながらも、彼の妻になることに文句はなかった。
だが、それが、どうしてこんなことに。
ラファエルが、新入生のアニエスを視線で追うようになったのと、ほぼ同じ頃。
脳裏によぎる謎のビジョンに悩まされ、そして──忘れようとした、あの男を鮮明に思い出すようになった。
戦狂いの剣豪皇帝。
切れ長の紅眼に見据えられ、身が震えそうになるのを必死で堪えた。
恐ろしかったはずなのに。
ああ、でも、恋とはまた違う気がする。
言い表すなら、そう、何かもっと良い言葉があるような。
半年間の密やかな煩悶で、浮かんできたのはたった一言。
『……マジで尊い……っ!』
あの剣豪皇帝を思い浮かべるたびに、自然と呟きそうになる。
なぜ? あの男は、冷酷なのに。尊いって何なの。
国王は信を置いていたけど、ラファエルは明らかに敵意を持っていた。
マリアンヌもそうだったはずなのに。
そして、前世の名前を思い出した今。
この不可思議な感情が、とても腑に落ちたのだった。
最推し。好き。最高。尊い。
──でも、恋といえば、そうかもしれない。
次回は解説回ですが、その後は物語が少しずつ動いていけるはず。