56. 恋人による魔法の特別授業
もう陽が落ちようとしている。
「……ええいっ!! 凍れ!!」
放課後、私は人の来ない裏庭で、私はひたすら魔法の練習をしていた。
「うーん、ダメかぁ」
初めて受けた魔法実技は、面白かった。
みんな、色々な属性を持っていて、先生はそれぞれに合った指導をしてくれた。
私はレジナルドのいう通り、氷属性だった。
そういうのを調べるアイテムがあるんだって。
でも、私が授業中にできたのは、地面のごくごく狭い範囲に、うっすらと霜をつけただけ。
周りから失笑を買ってしまった。
同じ氷の属性を持つ子達は、雪を降らせたり、雹を的にぶつけたりできていたのに。
私の場合、何度やっても、地面に少し霜柱が立つだけ。
しかもすぐに溶けちゃう。
ゲームのマリアンヌは、暴走した結果だけど、ド派手に周りを凍らせてたはずなのに。
「もっとこう、派手なの期待してたんだけど。甘かった……」
うう、手がかじかむ。炎属性だったらあっためられるのに。
季節は陽気に満ちていて、陽が落ちてもまだ暖かいのに。
それに、さすがに疲れてきちゃった。
「お前、こんなところにいたのか」
「ひゃあっ?!」
突然、後ろから声をかけられて、私は悲鳴をあげた。
だってここ、在学中から滅多に人が来ないから。
「レ……ジ、マーク先生?」
振り向くと、白衣を着た眼鏡のレジナルドが立っていた。
マーク先生としての装いをしている。
私にだけは変装の術を解いてくれているけど、他の人には別の顔に見えているはず。
「レジナルドで構わん。ここに、お前以外の気配はない」
「そ、そう?」
「それよりも、授業はとっくに終わったのに、帰らないので心配していた」
「心配、してくれたの?」
思わず聞き返すと、レジナルドがため息をついた。
「お前な……。当然だろう」
これは、嬉しいといってはいけない雰囲気だ。
レジナルド、怒っている。
「ごめんなさい。今度からは前もって連絡するか、一度帰ってからにするね」
「……お前に謝らせたいわけじゃない」
もう一度ため息をついて、レジナルドが近づいてきた。
後ずさりしかけたけど、それは失礼だと思って踏みとどまる。
「まったく、お前は」
「……?」
「手を出せ。気づかなかったのか」
両手を包み込む、レジナルドの大きな手が、とても温かい。
私の手、すごく真っ赤になっていて、触れられるとピリッと小さい痛みが走った。
しもやけの上に、あかぎれができ始めていた。
「俺は、癒やしの術を使えない。お前のこの小さな傷一つ、治してやることができない」
ゲームにおいての知識だけど。
レジナルドには、回復スキルがない。唯一の例外は『魔神降臨』による自身の全回復効果だけ。
今のこの人に、絶対に使わせたくないスキルだ。
「魔獣からはいくらでも守ってやれる。だが……」
「充分だよ」
「充分?」
「うん。レジナルドの手、温かいから。すごく、気持ち良い」
胸の奥まで、ポカポカと温もっていくような心地。
──傷に触れられても、平気。
「私、焦ってた。魔法実技、全然ダメだったの。だから、練習しなきゃって思って」
「そうだったのか。練習していた割に魔力はあまり感じなかったが……」
「うん。発現できる力が弱すぎるせいだと思う」
こんなのじゃ、レジナルドを守るどころじゃない。
自分の身すら、守れない。
これから、立ち向かわなければいけないものがあるのに。
「……マリアンヌ」
「はい?」
「やり方を教えてやる。お前のためだけの特別授業だ」
「へっ?」
綺麗な紅色の眼に見つめられて、息を呑む。
そういえば、レジナルドも教えられるって今朝いってたような。
なんてこと思い出していると、ちゅ、と指先にキスされた。
出た、キス魔! 不意打ちだった!
「わっ!」
「魔法とは小手先で使うものではない」
私はくるっと身体を反転されて、背中からレジナルドに抱き締められた。
え、え、なに? すごい密着してる!
「己の身体の奥底に宿る魔力の源。ほんの少しでいい。その力を、血の巡りに沿わせ、まずは指先に集めることを意識しろ」
な、なんか難しい。
すると、レジナルドが私の右手を掴んだ。
「お前の利き手はこっちだな?」
「は、はい」
「よし。俺の指に重ねるようにして、前方を示せ」
レジナルドの人差し指が前をさす。
それに合わせて、私も前方──だいたい三メートル先の草むらを指し示す。
「あそこに、氷の柱を作る」
「で、できませんっ! うっすらとした霜だけで精一杯で」
「そうだ。霜を出せるなら、あとはコントロールだけだ」
そういうもんなの?
すると、レジナルドの左手が、私のお腹に触れる。
そしてゆっくりと指を滑らせて、へその下を探りあてて、手の平を軽く押しつけてきた。
「な、なに……?」
「ここだ。この辺りから、力が巡って、指に集まる。そうイメージするんだ」
でででで、できそうにない!
だって、完全に密着して、吐息まで耳にかかって。
身体が燃えて、心臓が壊れそう。
怖い。
自分の中に、とんでもないものが眼を覚ましそうな感じがして……それが、暴れ出しそう。
「大丈夫。お前なら、できる」
「っ……」
「安心しろ、俺がついている。何があっても、守ってやる」
──囁かれた瞬間。
重なる指先が、冷たくなり始めた。
でも、身体は熱いまま。
これって……!
「俺のいうことを復唱しろ。『万物の根源よ』」
「万物の……根源よ……」
「『停滞の力を示し、その場に集い留まり──凍れ』」
「停滞の力を示し、その場に集い留まり……凍れ!」
ピシッ!
ピキッ──ピキッ!
鋭い音が響く。
そして三メートルぐらい離れた先に、私の背丈の半分ぐらいの、先が尖った氷の柱が生まれた。
「う、うそ……!」
できちゃった。
なんで?! 実技では全然ダメだったし、練習では一度もこんなの作れなかった。
すごい! すごい!
しかも詠唱、習ったのと少し違う。先生は「凍れだけでもいい」っていってたけど。
「──おかしい。もう少し出せるはずだが」
「えっ? 私、失敗したの?」
「いや、成功している。……上出来だ」
「本当に?」
「ああ。今の、魔力が流れて集まる感覚を忘れるなよ」
なんか、戸惑っているように見えたけど。
わけを聞こうとしたら、顔を少し後ろへ向けられて、唇にキスされた。
「俺の生徒は優秀だな」
「先生なのに、生徒にこんなキスするの?」
「愛しい恋人でもあるからな」
婚約者よりも、恋人。
うん、婚約者でもあるんだけど。
恋人が先にくる方が、自然になってきたよね。
私は腕の中で身を翻して、レジナルドに抱きつく。
いいよね? 人は、来ないし。
私からも、レジナルドにキスしたい。
「おおい、そこに誰かいるのか?」
──って!!
このシチュエーション、既視感しかない!!