54. ヒロイン・アニエス登場
聴講生は学年の縛りはなく、任意の授業を受けられる。
アニエスと接触するなら、二年生の授業。
ということで、完全アウェイな教室に、私は向かった。
「ねぇ、ご覧になって」
「まぁ、アズナヴール家のご令嬢様ではありませんか」
「あの方はもうご卒業なさったはずよ」
「でも、ほら……王太子殿下がお見捨てになって……」
あー、ベアトリスがいっていたのはこういうことね。
学生課で履修申請をしてから、教室に入った私に待ち構えていたもの。
それは、私へのひそひそ話。
直接的表現でいうと、陰口。
こっそりと後ろの席に座ればよかったんだろうけど、空いているのが最前列の二席だけだったのが運の尽き。
「よく学園に顔を出せたこと……」
「外聞を気になさるなら、ねぇ」
「しっ、聞こえますわよ」
バッチリ聞こえてるよ……。
というか、こういうのって聞こえるようにいってるんだよね。
ええい、無視よ! 無視無視! それが一番効くんだよ!
前世でSNS上で絡まれた時に学んだんだから。
「それにしても、隣国の皇帝も物好きですわね」
「傷を負った女性を欲しがるなんて……ねぇ?」
「そういう性癖ではございませんの? 美しいだけでは満足できなくなって……」
「いやですわ、ふふふふ」
……は?
待ってよ。
私はともかく、レジナルドの悪口?!
「ちょっと──」
私が振り向きざまに怒鳴ろうとした時だった。
「皆様、おはようございまーす!! 本日も大変お日柄がよろしゅうございまーーす!! 今日も元気に過ごしましょう!!」
半分ぐらい開いていたドアを、思いきり開け放つ音がしたかと思うと、教室中に大きな挨拶が響き渡った。
先生じゃない。声そのものは、とても愛らしい。
私は他の人達と同じく、ドアの方を見た。
こ、この声って、まさか。
そこに立っていたのは、キューティクルな茶髪のショートボブで、大きな碧色の眼をした美少女──アニエス・アーベル。
『BELOVED SOUL3』のヒロインだ。
全員が唖然とする中、アニエスはきゅっと唇を結んで、スタスタと──私の隣に堂々と座った。
思わずぎょっとしてしまった。
ま、まぁそこしか空いてないもんね?!
「ご、ごきげんよう……アニエス、さん」
とりあえず声だけはかける。
「ごきげんよう、マリアンヌ様」
う。こっちを見ない。声はめっちゃ可愛いけど、すっごいツンツンしてる。
ツンデレのツンなアニエスと思うとこれはこれで……。
いやいや、そうじゃなくて。
「あの、アニエスさん……先ほどはありがとうございました」
「なにがでしょうか」
「……わざとではないのですか? 後ろの人達をたしなめるために、あんな大声で」
「いいえ。私はいつもあんな感じです。お気になさらず」
ツーン。
アニエスの背後に効果音をつけるとすれば、それだ。
私、完全に嫌われてる!!
「お加減がよろしくなかったとお聞きしました。もう大丈夫なのですか?」
「ご心配をおかけするほどではありません」
「あ、あと、殿下にこれまでのことを訂正していただいたみたいで」
「私の勘違いで大変ご迷惑をおかけしました。とてもお許しいただけると思っておりませんが、後日改めてお詫びにうかがいます」
おう……。
難攻不落……。
なんでこんなに目の敵にされてるの?
まさか、これが悪役令嬢補正というものか?!
(まあ、私は一応恋敵に、なる……のかなぁ??)
ラファエルに未練は一切ない。
だってもう私には、世界一大好きな恋人……婚約者がいるのだから。
今頃、レジナルドは講義やってるのかな。
私の目的はアニエスと戦士達との話し合いだから、彼らと被る講義しか取らないわけだけど。
マーク先生の講義だけは……誰も被ってない。
でも一コマだけ、履修申請を出しちゃった。
受けるのは、明日の午後。
ほら、できるだけ、そばにいた方がいいだろうし。
先生の到着が遅れているおかげでアニエスと話せたけど……あかーん!
この調子じゃ本題を切り出せない!
うう、次の授業の魔法実技で、アニエスの心を開きたい。
ほんのちょっとだけでも!
(というか、半年前……私がアニエスと接触しようとした頃って、ここまでツンツンしてなかったような??)
交流を阻んだのは私の元婚約者だ。
そして彼は、アニエスの恋人になったわけだけど。
あの頃のアニエス、私の誘いを申し訳なさそうに断っていたし。
う、うううん??
さらに、女の勘とやらが告げている……。
アニエスから、幸せオーラを感じない。
うーん??
今ぐらいの時期って、めちゃくちゃ幸せなのでは?
だってほら、邪魔者(=私)がいなくなったわけだし。
(もしかして、ラファエルと上手くいっていない? でもラファエルはそういう感じしなかったな。最愛の魂っていってたし)
でもちょっと、アニエスによそよそしい感じはしたかも。
恋人同士って、もっとこう、ドライなのかな?
レジナルドが特殊……だったりする?
(でも実際どう切りだそう。とにかく会おうってだけで動いていたけど)
そういえば戦士達、今、全然足並みが揃ってないっぽい。
『夜の世界』って、みんなで行っているんじゃなくて、個別で対処してるってことになるよね。
現にノアは籠もっているわけだし。
(アニエスがこの態度なら、やっぱりジークハルト先生に接触するのが得策かな)
先生が来てしまってそれ以上、アニエスと会話ができなかった。
それどころか、講義が終わると、彼女はさっさと教室を出て行ってしまった。
追いかけてみようかと思って、慌てて鞄を掴んだ時だった。
私の鞄に、折りたたまれた白い紙が挟まっていた。
ノートの切れ端っぽい。
鞄に挟んであるんだから、私宛てだよね。
悪口が書かれた匿名のお手紙だったりして……。
ま、見るだけなら。
そして私は──息を、呑んだ。
『明日の放課後、体育準備室に一人で来てください。誰にもいってはダメです』
しかも、この筆蹟は──。
授業中、ちらりと見えたものに似ている。
「……アニエス?」
どういうこと?
ん? でもなんかこの紙。
ノートの切れ端だけど、なんだか……。
触った感じ、ちょっと変……。
しかも、誰にもいっちゃダメって。
(でも、彼女から接触してきてくれるなら助かる)
もしかしたら、だけど。
私が『王太子に捨てられた女』なら、彼女は『王太子を奪った女』とか、そんなこといわれてる?
そのせいで、アニエスは私と表向き、直接関わるのを避けている?
(よし、行こう。……大丈夫、うん)
となると、今日やるべきことは、魔法実技かな。
ジークハルト先生にも会えたらいいけども。