51. 彫像の女
恋は、楽しいですか? 幸せですか?
『うん。楽しいし、とても幸せだよ』
それは、何よりです。
ええ、きっと貴女なら、大丈夫ですね。
明るくて、前向きで、眩しいほど……。
『なんの話?』
……差し上げます。……私の──を。
『え……?』
私は、彫像の女。
物語に奉仕するためだけの装置です。
それ以上にもそれ以下にもならなかった。
私には何もできなかった。
……あの方にさえ、何も……。
『待って……貴女……!』
──いいのです。私は、もう……。
──消え去ってしまいたい。この世のいずこからも。
──誰のことも、傷つけないように。
「……待って! 行かないで!」
私は勢いよく起き上がった。
ドクンドクンと、心臓が鳴る。
胸を押さえて、落ち着くまで俯く。
──誰かが私に語りかけていた。
あれは……。
(彫像の女……って、どこかで。それに、私に何をあげるっていったの……?)
とても悲しい声だった。
まるで深い淵に身を投げたかのように、消えていった。
(……レジナルドは、来なかった)
むしろ都合良く夢に現れるなんて、難しいと思うけど。
私のせい? もっと貴方を想わないとダメ?
でも、前は見たのにな……。
「……ふぁ」
あくびが出た。
窓をしめるカーテンの隙間から、薄い光が差し込んでいる。
朝だ。
よかった、寝坊してない。二度寝はできそうにないけど。
私は、そっとベッドから下りた。
スカートに折り目がついちゃった。
でも今脱ぐと、寝室を出た時にレジナルドに見られちゃう。
寝室のドアを開ける。
リビングに行ったけど、レジナルドはいなかった。
テーブルの上には、空のグラスと、六個のチョコ。
(あの後、二個食べてくれたんだ)
嬉しいな。
他の残りは、朝食にするっていってたけど。
……というか瓶の中のお酒、さらに減ってるし!
(レジナルド、どこ行ったんだろう?)
すると、壁の向こうで物音がした。
隣の部屋だ。何かを運んでいるみたい。
お父様が朝のうちに手配してくれるっていってたから、今やってくれているのかな?
うーん、この格好で、マーク先生の部屋から出て行くわけにもいかないよね。
ほとぼりが冷めるまで待っとこう。
とりあえず、まずは顔を洗わなきゃ。
脱衣場に洗面台があったはず。借りよう。
──私がドアノブを掴もうとした瞬間だった。
勝手にドアが、ガチャリと開いた。
「へ?」
「ん?」
目の前に現れたのは、腰にバスタオルを巻いたレジナルド。
銀色の毛先から雫が落ちて──上半身が、裸。
……はだ、か。
「──っ、ゃ──!?」
反射的に叫びそうになったけど、悲鳴は響かなかった。
レジナルドに素早く抱き寄せられ、キスで唇を塞がれたから。
呼吸が苦しくなりはじめると、顔を離された。
「まったく。悲鳴をあげたら、ここにいると隣の奴らに知られる。お前は今、友人の家に泊まっていることになっているのだからな」
「で、でも……」
「もう少ししたら終わる。それまで大人しく待て」
「……あの……」
「ん?」
「……シャワー、浴びてたの……?」
そう聞くので精一杯だった。
ど、ど、どうしよう。
レジナルドの素肌が、直接、頬に触れてる。
表面だけが少し冷たいけど、体温が伝わってくる。
「それ以外にないだろう」
「そ、そうですね……って、待って。着替えは?」
「クローゼットの中だ」
普通、脱衣場に持っていきません?!
というか、着替えの途中で私が起きてきたらどうするの?
「もう少し寝ていてもよかったんだぞ?」
「眼が覚めちゃって……あの、私、顔を洗いたくて」
ハッ! 私、寝起きのままだ!
髪の毛もボサボサだろうし、うううう、さらに恥ずかしい。
顔をあげられない。
でもそうすると、バスタオルが気になって……ああぁ。
「っ、ごめんなさい、服を着ないと身体冷めちゃうね」
私は慌てて、レジナルドを押し返した。
だけど、びくともしない。
「……お前は温かいな」
「起きたばかりだから……かな?」
「すまない。こうしていて、身体が冷えるのはお前の方だな」
レジナルドが、腕の力を緩めて私を放した。
すると勝手に「あ……」って、声が出ちゃった。
口を手で塞いだけど、レジナルドに気づかれたみたい。
「俺達はじきに夫婦となる。見慣れておけ」
「えっ! でも、その」
「しかし、その初々しい反応を楽しめなくなるのも惜しいな」
「たっ、楽し……?!」
なんかもう、私ばっかり焦ってる。
少し距離をとって、じーっと睨んでやる。
……う。すごい。やっぱり逞しい。
腹筋って、鍛えたら本当に六つに割れるんだ……。
……傷もある。たくさん。
見とれていると、レジナルドが、ふっと笑った。
「視線で俺を焼く気か?」
「っ……」
「お前のことも、この眼で焼いてみたいものだ」
こんなに物騒なのに甘い言葉、なかなかないよね。
朝から頭がぼーっとしちゃう。
「その沈黙。承諾と受け取るぞ」
「へっ?!」
「……ふ。ほら、俺は着替えるから、洗面台は好きに使え」
あ、冗談ね。そうよね? そうだよね?
ドキドキしちゃった……。
「そうだ。今後のことで、話がある」
「え? 今じゃダメですか?」
「……さすがにそろそろ、着替えさせろ」
「あ、はい!」
そうだったそうだった。
はー、まだ混乱の余韻が残っているみたい。
「ああ、そうだ。忘れていた」
「はい?」
「……おはよう、マリアンヌ。良い朝だ」
「っ……お、おはようございますっ」
ハプニングのせいですっかり忘れてた。
でも、今そんな優しい顔でいうなんてズルい。
私は脱衣場に入ると、慌ててドアを閉めた。
(キスよりも、裸を見るだけの方が驚くようになっちゃった)
いや、悲鳴を抑えさせるキスもびっくりしたんだけどね?!
以前だったら手で塞いできたのになぁ。
うーん、ファーストキスから、かなりハードル下がってる。
……でも、全然、嫌じゃない。
むしろ……もっと……してほしい。
たくさん、キスしたい。
私は鏡を見た。
きっと、顔が真っ赤になってるはず。
うーん、水で洗ったら冷えるかな?
「……──え?」
でも、そこに映っていたのは、全ての感情を封印したような、氷の瞳をした私──マリアンヌの顔だった。
私はゴシゴシと両眼を擦った。
再び鏡を見ると、いつもの私がいた。頬と眼の下が赤い。
「……今の、なに……?」
脳裏に、浮かんだ言葉は──『彫像の女』。
今回から新章&作品タイトル変更です。