48. 二人きりの夜2〜甘く溶けるチョコレート〜
シャワーを浴びてさっぱり。
ぐずぐずと出るのをためらって、色々歌ってたけど。
でもさすがにこれ以上待たすのはね。
私の声、聞こえてたらどうしよう?
全身を拭いてからシャツに袖を通すと、自分のものとは違う匂いがふわりと漂った。
(……レジナルドの匂いだ)
きちんと洗ってあるものだし、本当に少し香るだけなんだけど。
それでも充分、抱き締められている時のことを思い出してしまう。
あの温かくて、力強く逞しい腕。
……ゲームでは絶対に感じることはない。
今の私は、彼に触れられるんだ……。
鏡を見る。
──マリアンヌの姿が、写っている。
もうすっかりと馴染んでしまったけど。
でも、どうして私、マリアンヌに生まれ変わったのだろう──。
「あの……シャツ、ありがとうございました」
脱衣場から出て、制服を抱えてリビングルームに行くと、レジナルドがソファーに座っていた。
彼は、何だか奇妙なものを見るような表情をこっちに向けていた。
「なぜスカートを穿いている?」
「あっ! これは」
貸してくれたのは、黒いワイシャツだけ。
スラックスを借りても、私が穿いても袴みたいになっちゃうし。
でもさすがに、シャツ一枚は無理。
そりゃレジナルドは身長も高くて肩幅もあるから、シャツ一枚でもワンピースみたいになっちゃうんだけどさ。
「……慎みがないって思われたら嫌だから」
で、私の中の妥協案が、制服のスカートを穿く、だった。
確かにちょっと珍妙な格好になったことだけは、認める。
「オーガに一人で突っ込むような女が慎みとは」
「きゃー!? それいわないでください!!」
「冗談だ。お前ほどお堅くて、慎み深すぎる女は珍しい」
へ? それってどういう意味?
疑問に思っていると、レジナルドが手招きをした。
隣に座れってことね。
ソファーは二人で座っても充分すぎるほど余裕がある。
私は素直にレジナルドのいう通りにして、手にしていた制服と袋は反対側に置いた。
「並べてくれたんですね。ありがとうございます」
ポットまで置いてくれてある。親切すぎる。
というか、皇帝に給仕させるって……。
冷静に考えるとやばい。
そもそも皇帝の割りに、自分で動きすぎな気がする。
皇国の方はどうなってるんだろ。
皇帝不在時には代行する人間がいる、みたいなことは教科書の補足にあったけど。
「食べないのか?」
「あ、食べますっ。その前に、お茶淹れますね。レジナルドは何が……」
聞きかけた時、すでに彼の前には酒が注がれたグラスと、さっき見かけた瓶が置かれていることに気づいた。
すでに飲酒してる……!?
「レジナルドって、お酒好きなの?」
「嗜む程度だ」
お酒に強い人ほどそういうよね。
ソースは前世の友人二名。
私はとりあえず紅茶を淹れた。
レジナルドの分も淹れてあげると、お酒の入ったグラスを置いて飲んでくれた。
お酒だけ飲むのは、あまり良くないからね。
「いただきます」
うーん、結局あのでっかいお腹の虫は一度きりだった。
本当になんで……キス寸前で鳴るかな!?
売店で購入したサンドイッチは、ハムとチキンの二種類。
うん、冷めてもパンがふかふかしてる!
あまり利用する機会はなかったけど(大抵カフェテリアで食事していたから)、結構いける!
買えたのラッキーだったかも。
「相変わらず美味しそうに食べるな、お前」
「空腹は最高のスパイスなので……」
私、食い意地張った女だと思われてるよね……。
グラスを持ったレジナルドが見つめてくる。
一口含むサイズが、ちょっと控えめになっちゃう。
「レジナルドは? 少し多めに買ってきたの」
「……ああ、俺の分なのか?」
「そうです。何がいいのかわからなくて、適当にだけど」
「別に腹は減ってないんだが……」
嘘でしょ……?
食べずにどうやってその肉体美を維持していらっしゃる?
あ、いやいや、実際に裸を見たんじゃないけど。
抱き締められるたびに、逞しさにドキドキするから。
「でも、何も食べないでお酒飲むのはあまりよくないですよ?」
胃が荒れる原因にもなるんだよね。
だから、ちょっと何か食べておいてほしいんだけど。
お茶の時もコーヒーだけだったし、もしかして食への関心が薄い?
「じゃあこれ! 一口だけでも食べて!」
「チョコレートか?」
じゃーん! と私が掲げたのは、その通りチョコレートの箱。
売店で残り一つだった。
箱を開けると一口サイズのものが九つ入っていた。
どれも形が違う。ハートとか星とか。かわいい。
ちょっとでも胃に入れとくと全然違うはず。
「はい、どれでも好きなのをどうぞ」
私は箱を差し出した。
たぶんこれ全部、ミルクチョコかな?
ビターが好きっていわれたらどうしよう。
「お前が選んでくれ」
「え?」
「どれでも構わないなら、お前の選んだものがいい」
「えーっと、じゃあ……これ?」
私は、少し考えてから、ハート型を指さした。
ベタかな!? 正解がわからない!
でも味が一緒なら、何の形を選んでも変わらないし。
というか残り全部あげるよ!?
「──食べさせてくれないのか?」
「へ……?」
「てっきりそのつもりだと思っていたんだが」
レジナルドが、僅かに口角をあげて見つめてくる。
いたずらっぽい微笑。
私は、ちょっとだけ指先を迷わせてから、ハートの形のチョコを摘まんだ。
そして無言でチョコをレジナルドの口元に近づける。
どどど、どうしよう、なんか喋った方がいい?
でも「はーい、あーんして」なんて恥ずかしい。
なんかこう、恥ずかしい!
大事なことだから二回いいました!
ほんの僅かに開いたレジナルドの唇に、チョコが触れる。
優しかったり情熱的だったり、私に口づけてくれる唇……。
ちろりと覗かせた舌。私を見つめる紅の眼。
指先が熱くなって、表面がぬるりと溶ける。
思わずチョコを落としそうになった瞬間、レジナルドに手首を掴まれた。
「っ……!」
「……甘いな」
チョコは落ちずに、レジナルドの口の中に入った。
……私の指先ごと。
何もいえなくなって、視線を伏せる。
レジナルドの舌に触れた場所が、燃えるように熱い。
何でもなかったように手首を離された。
私は手を引いて、握られた場所をきゅっと自分で掴む。
……すると、シャツからも彼の匂いを感じて。
どうしよう。
心臓が痛いぐらい、鳴ってる。
チョコを噛み、お酒と一緒に飲み込んだレジナルドが、私の髪を梳いてきた。
「悩ましい顔をしている」
「そ、それって……どんな顔……?」
「俺のことしか考えられなくなった顔だ」
「っ、あ、当たり前でしょ……!?」
この状況でどうやって別のこと考えるの?
素数でも数えろっていうの?
意識しないなんて、無理……。
「その顔、他の男にあっさりと見せるなよ」
「……? 見せませんよ?」
「不安だな。お前が頬を少し染めただけで、転ぶ男はごまんといるだろう」
……意地悪な人!
「レジナルドだって……」
「俺が? なんだ?」
「先生してるし、他の子に手を振るし……アニエスのこと『姫』って呼ぶし」
もう怒ってないんだけどね。
でも、そんなこといわれたら、いいたくなっちゃう。
「ああ、お前、それであの時……?」
「認めます。嫉妬してたって。……ごめんなさい」
「……いや。お前が謝るな」
レジナルドはもう一度、私の手を取った。
私は素直に、その動きに委ねる。
手の平に、口づけをされた。
「許せ、マリアンヌ。あれぐらいで嫉妬されると思っていなかった」
「ゆ、許すも何も、もう怒ってないの。……でも、他の男に見せるなっていうなら……私だって同じ気持ちなんだって、いいたかったの!」
「俺の嫉妬の方が苛烈だと思うがな」
唇を当てながら話されると、吐息の震えがダイレクトに伝わってくる。
くすぐったい。
思わず、私も笑ってしまった。
レジナルドが、優しく微笑み返してくれる。
──すごく、嬉しい。