41. お前一人ぐらい、俺が守ってやる
レジナルドとの結婚をやめろと、ラファエルはいいきった。
え、この流れで、いうの?
これだと、破棄の二枚重ね(?)になっちゃいますが?!
「あいつのもとにだけは、絶対に行くな」
「なぜでしょう。モグリッジ皇国との縁は、王国にとって何よりも欲しいものではありませんか?」
その線からつついてみると、ラファエルは眉間に皺を刻んだ。
「あの男は……ダメだ。危険すぎる」
「他国へ嫁ぐ以上、あらゆる危険は覚悟のうえです」
「そんなレベルの話ではない!!」
ラファエルは立ち上がった。
そして腕を伸ばし、テーブルを挟んで私の両肩をいきなり掴んだ。
「痛っ……!」
「お前は知らないのだ。あの男が……裏で企んでいるのか」
「……っ……『夜の世界』でのこと、ですか?」
ラファエル達がアニエスとともに『夜の世界』で戦っていることは、ゲームでのマリアンヌも知っている。
だからこそ、選ばれたアニエスに嫉妬して、妨害を行ったのだ。
でも、レジナルドが暗躍していることは知らない。
私は、前世の記憶があるから知っている。
でも、今の彼は──戦わないはず。
「……そうだ。俺達は、『夜の世界』であいつと戦っている」
「でもそれは、もう……」
「今もだ! あいつは干渉の手を緩めてすらいない!」
え……?
どういうこと?
……今も?
「あいつは、多くの兵と魔獣を従えて『夜の世界』の秩序を乱している。アニエスが倒れたので今は行けないが……代わりにノアが強固な結界で、何とか凌いでくれている」
「……」
「だが、それも長くはもたないだろう。結界はじきに破られる……お前、まさか、レジナルドの側についたのか?!」
ギリッと、ラファエルの指が肩に食い込む。
「っ、痛いですっ、殿下!」
「あいつにとって、自分以外は人間ではない。いや、自分すら人間と思っていない。眼を覚ませ!!」
「貴方にあの人の何がわかるの!!」
私は思いきりラファエルを押し返した。
さすがに不意を突かれたのか、ラファエルは手を離した。
「また、そうやって、決めつけるのですか」
「マリアンヌ……アニエスの件は俺の早合点だったが、レジナルドは違う」
「いいえ。あの人は、血の通った人間です。私の、大切な人なんです」
ラファエルが、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
……人と思っていない、なんて、違う。
あの人は、やり方を考えるっていった。
……でも。
私、大切な人を突き放した。
「泣いていたのは、レジナルドに何かをされたからか?」
「違います。私が、あの人に酷いことをしてしまって……」
また泣きそうになる。
私にだけ先生をしてくれると思ったら、そうじゃなくて。
私に逢わずに、アニエスに会っていて。
──あだ名とわかっていても、姫なんて呼んで。
私、こんな女じゃなかったはず。
独占欲にまみれて、醜くて……苦しい。
「もしレジナルドが裏で何かをしているなら、私が真意を確かめます。そして手を引くように説得します」
「マリアンヌ……お前……」
「私だって、破滅するあの人を見たくない! 好きな人には生きていてほしい!」
ラファエルは当惑したように、首を僅かに振った。
何をいっているのだ、と。
そっか。そうだった。
レジナルドが破滅するなんて、ラファエルは知らない。
ラファエル達にとっては、現在進行形の出来事。
「あいつの何が……お前をそこまで変えたのだ?」
マリアンヌが変わったのは、前世の人格が混ざったからだけど。
最推しだから、という感情から、すでに私はもう……。
一人の男性として、レジナルドのことが好き。
私が言葉を返さないでいると、ラファエルが一つため息をついた。
「わかった……。お前がそこまでいうんだ。ひとまず、信用する」
「っ! ではっ」
「しかし信用するのはお前であって、あの男ではない。そこは覚えておいてくれ」
レジナルドが手を引けば、『夜の世界』の秩序を戻すことに集中できる。
だが、説得の猶予はあまりない。
ラファエルはそういって、個室を出ようと促した。
私達は連れ立って、出入り口に向かって通路を歩く──。
──前方から歩いてくる男が一人。
私は、立ち止まって息を呑んだ。
名を呼びそうになって、唇を噛んでぐっと堪えた。
「貴方は確か……マーク先生、でしたね」
ラファエルが立ち止まり、頭を下げた。
ああ、そうか。
ラファエルには、彼が歴史教師のマークに見えているんだ。
とても冷ややかな顔をしている──このレジナルドが。
「個室から二人で出てくるのが見えた。軽率な行為は、感心しない」
「彼女とは誓って、何もありません。ですが、以後気をつけます」
「反省したなら、さっさと行くといい。そこの彼女には、資料探しを手伝ってもらいたい」
「ですが……」
「さすがに卒業生、それも王太子殿下に手伝わすのは気が引ける」
ラファエルは結局折れて「すまない」と私に小声で告げ、図書館を出て行った。
レジナルドは、その背中が見えなくなるまで睨みつけていた。
──射殺さんばかりの、絶対零度の視線で。
「さて。君はいったい、王太子殿下と個室で何をしていた? 彼の婚約はさすがに知っているだろう?」
「やめてよ……私には、貴方の術がかかっていないんだから」
「答えるんだ」
「……嫌っ!」
私は思わず、後ろへ振り返って駆け出した。
だけど、本棚に挟まれた行き止まりに入り込んでしまった。
方向転換した直後、レジナルドが目の前に現れた。
一瞬で移動する術だ──と思った瞬間、私の脚の間に足をいれてきた。
私には僅かにも触れないけど、これじゃ動けない。
私は壁にもたれざるを得なかった。
「──捕まえた」
低い声が頭上からして、私は観念してゆっくりと顔をあげた。
レジナルドの紅眼が、眼鏡越しに私を静かに見下ろしていた。
捕まえたって、何よ。
……怖いよ。
レジナルドがため息をつく。
「……まったく。お前に拒まれるのは……想像以上に、堪える」
「レジナルド……?」
「こんな感情は、経験がない。初めて味わう。……くそ……」
……レジナルド、苦しそう。
私に怒っているんでしょ? なんでそんな顔するの?
「家で大人しくしていろといったのを覚えていないのか」
「……覚えてたけど。こっちも事情がね?」
「またそれか。……いや、俺ももっとはっきりいうべきだったな」
レジナルドが足を引き、身を屈めて壁に手をついた。
顔が近づく。
これ、ファーストキスの時と同じ体勢だ……。
「学園内は危険だ。お前を巻き込みたくない。今すぐ帰れ」
「……何か、大変なことでも起きているの?」
「知ればお前は、絶対に「放っとけない」とか言い出すだろう」
私の性格、よく知ってるよね。
(……あ、なんだか、普通に話できている?)
レジナルドが、そういう雰囲気にしてくれているんだと思う。
怒っていて、怖いなんて思ったけど、今はそれを抑えてくれている。
「そうね、放っとけない」
「おい……」
「それって、レジナルドの身にも危険が及ぶってことでしょ?」
「……俺を案じているのか?」
「? そうだけど?」
レジナルドが、眉根を寄せ、視線をわずかにそらした。
……私が貴方を心配するの、そんなに意外なの?!
「お前はこうも容易く、俺の調子を狂わせる……」
一瞬、またしっかりと眼が合ってから、私は抱き締められた。
温かい──。
なんだか、すごく久しぶり。
「帰れ。俺と結婚するまでは、家からも出るな」
耳元で囁かれたけど、私は首を横に振る。
「嫌よ。貴方といます」
「……いうことを聞け」
「貴方だけに危ないことをさせるのなら、一緒になれなくてもいい」
レジナルドが、私の肩に埋めていた顔を上げた。
いってはいけないことだったけど、いわなきゃ伝わらない。
「何の役に立たないかもしれない。でも、そばにいさせて……」
「……お前」
「お願い。せめて近くにいたい……んっ」
言葉は、重ねられた唇に呑み込まれてしまう。
熱く優しいのに、どこか貪るような激しさがあって。
離れた時、私は壁ではなくレジナルドの方にもたれた。
「触るなと逃げて、一緒になれなくてもいいといい……なのに、そばにいさせろ? 我儘が過ぎる」
「……ごめん、なさい」
「俺はただ、お前のために……」
「でもね、貴方が独りで戦おうとしなくなるなら、私は何でもする。貴方が私のためと、いってくれるように、どんな手でも使う」
私にできることは、あまりないかもしれない。
足手まといかもしれない。
でも──嫌なの。
私の知らないところで、この人がもし破滅の道を進んで……。
ううん、進まされていたとしたら。
私は、永遠に後悔する。
ふと、ため息が聞こえた。何度目かな。
「──約束、だったな」
「レジナルド……?」
「お前一人ぐらい、俺が守ってやる、と。なら、せめて俺の眼の届く場所にいろ」
「それって……」
「ったく。俺に、こんなにも譲歩させる女は……お前だけだ」
呆れたように、レジナルドがいう。
私は、そんな彼の首筋に、自分から思いきり腕を回して抱きついた──。