39. 貴方がいた場所で、元婚約者と。
最低だ、私。
私史上、最悪。
走っているうちにだんだん冷静になってきた。
あんなの、レジナルドへの八つ当たりだ。
誰にだって秘密はある。
マーク先生なんて呼ばれて、この学園にいた。
きっと事情がある。
私だって、連絡しなかったじゃないの。
跡なんて、そんなの毎日なんて無理なことわかってる。
(私のこれは……ただの嫉妬)
どう言い訳をしても、それ以外にない。
頭が冷えてきても、消えない、この感情は。
どうしよう。
嫌われた。絶対に。
だって、レジナルドが追ってこない。
あの人なら、一瞬で移動できるはずなのに。
全部、全部、全部……自業自得。
「う、うあ、あ、ぁぁ……ぅ」
冷静になったはずなのに、今度は負のループから抜け出せない。
私は立ち止まって、声をあげて泣いた。
泣く資格なんて一つもないのに。
ここは学生寮ではない。いや、そもそも目指さずに駆けてきた。
ここは、図書館の近く。
オーガに襲われた場所。
そして、レジナルドが私を助けてくれた──。
私を、最愛の魂だと確信してくれた場所だ。
(なんで、ここへ来ちゃったの? 足が勝手に……)
もちろん、オーガはいない。
レジナルドも来ない。
私、ひとりぼっち。
あんな、つまらない嫉妬なんかして。
大好きな人に、酷いことをした。
アニエスは関係ない。私自身が、突き放してしまった。
(どうしよう、次、どんな顔して逢えばいいの?)
もしかしたら、逢ってくれないかも。
もう永遠に……?
「おい、そこの君。いったいどうした?」
え……?
この声、聞き覚えがある。
私は目元を手で拭いながら、後ろを振り返った。
少しだけ離れた場所に、一人の青年が立っていた。
短く綺麗に切り揃えられた、さらさらの髪。
几帳面さを感じさせる、整った顔立ち。
制服ではなく、青を基調にした私服姿。
「ラファエル……殿下……?」
アニエスの恋人。
そして、私の元婚約者。
「どうして泣いている?」
「あ……そ、その、これは」
「……待て。その声……まさか……」
ラファエルが驚きの表情を浮かべ、駆け寄ってきた。
私は逃げることもせず、ただ彼が近づくまで呆然と立っていた。
「マリアンヌ……なのか?」
「……ラファエル……」
ああ、貴方も私がわかるんですね。
レジナルドだけじゃなかった。
でもどうして、私とわかっていて、そばにくるの?
婚約破棄して、私のことを追放したがっていたのに?
アニエスを苛めた咎で……。
なのになぜ、そんな──。
心から私を心配するような、優しい顔を?
「会えてよかった。お前と話がしたかったんだ」
「え……?」
「とにかく、先に涙を拭くといい。ほら、これを」
そういって、ラファエルは私にハンカチを差し出してくれた。
シンプルで、彼がよく使っていたものだ。
私は素直に受け取って、眼鏡を外してから目元を押さえた。
ふわりと鼻腔を掠めるのは、彼が好んでいた匂い。
今も、変わっていないんだ……。
「ここでは誰が来るかわからない。図書館の中へ入ろう」
「……はい」
「変装をしているということは、素姓がバレてはいけないのだろう」
──この人は、私を断罪しようとした。
アニエスを選び、そしてアニエスに選ばれた人。
それなのに、どうして私は、逆らわずについていくのだろう。
私に会いたかったって……なぜ?
私のこと、憎いんじゃなかったの?
なんで? アニエスのそばにいてあげてよ……。
恋人なんでしょう?
図書館には、四人ほどで利用できる小さな個室はいくつかある。
ラファエルは、そのうちの一つに私を案内した。
「まずは、謝罪をさせてほしい。このラファエル・ド・マルモンテル。心からお詫び申し上げる」
「ど、どういうことですか……?」
私を長椅子に座らせたラファエルは、テーブルを挟んで向かい合うと、座らずに深々と頭を下げてきた。
いきなり、どうしたのだろう?
ラファエルは聖剣士だから、すごく姿勢が綺麗だ。
「……卒業祝いでのことだ」
「婚約破棄と、追放の件ですか?」
確かに、これまで彼からの謝罪はなかった。
でも、すぐにレジナルドに求婚されたし、追放は取り消しになっている。
ラファエルは、頭をあげようとしない。
「俺が頭を下げたところで、許されることではないとわかっている。だが、どうしても謝罪をしたかった!」
「ま、待ってください。どういうことなんですか? とにかく頭をあげてください」
ラファエル、あの件を反省しているの?
でも、なんでいきなり?
私が立ち上がって促すと、ラファエルはようやく顔をあげた。
「深く反省している。まさか、アニエスが……あんな……」
どういうこと? アニエスが?
こんなイベント、今まで一度もなかった。
いや、もうイベントなんて気にしているような次元じゃないけど。
「あの、私にもわかるように、順を追ってご説明をお願いします。いきなり謝罪をされても、正直困ります」
ラファエルは生真面目で、正義感が暴走しやすいキャラなのだ。
だから、肝心な部分を抜かしてしまうこともよくあったりする。
「す、すまない」
「とりあえず、座ってください」
「ああ……」
ぎこちないやりとりだが、お互い向かい合って座る。
ようやく、対等に視線を交わした。
(待って? 謝罪をするってことは……アニエスと何かあったの?)
どくん、と、心臓が鳴る。
まさか、アニエスと別れたから、私と再度婚約を……とか?
いやいやありえないから。
心の中で、私はぶんぶん首を横に振った。
無理。
そうだとしてもさ、無理だよ。
だって、私はもうすぐ、レジナルドの皇妃に……。
(皇妃になる? レジナルドにさっき、酷い態度をとったのに? 今度は彼によって婚約破棄されるかもしれないのよ?)
自問自答する。
でも、問いはできても、答えは出ない。
ラファエルが、ぐっと眉根を寄せて、口を開いた。
「実はあの後、アニエスから『私には、マリアンヌ様から苛められた記憶はありません』と、突然いわれたのだ」
「……え?」




