36. アナベルの消息
ベアトリスの作戦は、本当にそのまんまだった。
変装して、在学生として学園に入り込む。
マリアンヌの名前を隠して、アニエス達を人のいない教室に呼ぶ。
少なくともこれで話すチャンスは生まれる。
シンプル・イズ・ベスト。
「アニエスさんは、確かにラファエル殿下のお心を盗んだ人ですが……彼女自身は、話を聞いてくれるとは思います」
そう、アニエスは正ヒロイン。
誰にでも気さくで、マリアンヌのことも悪し様にいわない。
まさに、ヒロイン!
(でも、断罪イベントでの彼女の様子……少しおかしかったのよね)
マリアンヌをふしだらだと、アニエスは告げた。
そのこと自体には全く傷ついていないのだが(現にそういわれても仕方ない、ハイスピードの返事をしたし)、アニエスの台詞としては違和感があった。
(想定外の出来事が起きたかのような慌てっぷり……うーん)
シナリオライターの変更かって最初は思ったけど。
この世界は、ゲームシステムという名の支配から外れている気がする。
だったら、ライターの影響とは考えられない。
……その辺りも、確認できればいいけど。
「とりあえず、先に私自身が、ノアと話した方がいいかもしれないわね」
「はい。それに、ノアはジークハルト先生と親しいです。先生からなら、アニエスさん以外の人も話を聞いてくれるかと」
「ああっ、そうね!」
ジークハルト・フォン・シュタインマイヤー。
二十八歳の体育教師。
かつて別国の騎士団にいたのだけど、三年前に退団してマルモンテル王国に来た。
豪放磊落な性格で、まさに熱血キャラ。生徒達を大事に思っていて、皆から慕われている。
戦闘での役割は盾だ。
結界を張ったりステータスを上げたりするノアとは、とても相性がいい。設定面でも、クラスで浮きがちなノアを気にかけている。
作中のアニエスに対する仕打ちは、固有ルートでは批難してくるけど、ラファエルルートでは特に描写はなかった。
マリアンヌの記憶の中でも「悩みがあればいつでもいえよ」と、優しい先生だった。
ジークハルトは戦士達のまとめ役。
彼を説得できれば、皆、話を聞いてくれるはずだ。
「でも、レジナルド……様が、本当に『夜の世界』への干渉をおやめになると仰ったのですか?」
「本人からは、まだ直接は聞いていないの……」
もう少しやり方を考えてみる、とはいっていた。
不実な夫になりたくない、とも。
それはつまり、暗躍をやめるってことだと思うんだけど。
「マリアンヌ様は、昔から先走られるところがおありですから」
グサッときた。
ベアトリス、昔って、前世のことよね?
「でも、私もレジナルド様はおやめになると思いますよ」
「ベアトリス……」
「もしも私が創造主だったら、危ないことはやめさせて、マリアンヌ様と末永く幸せに暮らしました、って“描き”ます」
──前世で、彼女は幸せな話をたくさん描いていた。
まさかマリアンヌとくっつくなんて想定してなくて、前世でレジナルドのそういう話を描いてもらうなんてことは、全くなかったけどね。
「ありがとう。ベアトリス。とても嬉しいわ」
レジナルド自身とも話し合わなきゃ。
ただ、関係修復という点でいえば、アニエス達に対する方が深刻だからなぁ。
先に手を打っておかないと。
話し合えるといいなぁ。
「んじゃ! 本題本題! 変装の練習ですよ!」
「……お手柔らかにねぇー……」
マリアンヌは眼が大きいけど、切れ長。
筆タイプのアイライナーで、目尻を下げる線を僅かに入れる。
「あまり化粧に頼ると、近寄った時に違和感を持たれやすいです」
「なるほど……」
「なので、ウイッグを使いましょう。色々持ってきましたよ」
そういえば、ベアトリスが就職するのはデザイン工房だ。
彼女自身の専門は宝飾だが、こういうのも幅広く扱っているのだろう。
マリアンヌはウェーブのかかった長い金髪だ。
それを、栗色のボブカットに変更する。
さらに、伊達眼鏡をかけて──。
「よし! これぐらいが自然だと思います!」
「すごい。印象がかなり変わるわね」
もちろん、まじまじと見ればマリアンヌとわかるかもしれない。
だが、この顔で影の薄そうな女子生徒を演じれば、誰も気に留めないだろう。
制服はまだ処分せずに取ってある。
三年生ではなく、二年生の時のリボンを使えば完璧だろう。
「ノアには本日中に連絡しておきます! 私は明日から研修があるので、お供ができませんが……」
「忙しい中、本当にありがとう。ベアトリス」
「いいえ。むしろ今日お招きいただいて、感謝しているくらいです!」
ドンッと、ベアトリスが胸を叩く。
「あ、そうだわ。ベアトリス。アナベルはどうしているのかしら」
学園で行動をともにしていた、もう一人の友人のことだ。
彼女はマリアンヌと同じく、公爵を父に持っている。三代ほど前は辺境伯だったが、当時の戦功によって公爵となったのだ。
豊かな黒髪をしていて、真面目で博識な子だ。
彼女も断罪の場にいた。だが、それ以降の連絡はない。
今の私は社交界に出るのを控えているため、会う機会もなかった。
「それが……。この間の帰りに、彼女の家にも寄ったのです。様子だけでもと思って。そしたら……」
ベアトリスが視線を伏せる。
「アナベルのお父様であるフォートリエ公爵様が、アナベルのお母様に別居を命じたそうです」
「ええっ?!」
「詳細は教えてもらえませんでしたが、事情通の兄が知っていました。正式な離縁ではないそうですが……アナベルは今、お母様と一緒に田舎に引きこもっているそうです」
全く知らなかった……。
フォートリエ公爵は厳格な人物だが、妻と不仲とは聞いていなかった。
アナベルもそんなことは一度も口にしなかった。
「そうだったの……ごめんなさい。私は何も知らなかったわ」
「私もです。アナベルは誰にも何もいわず、ひっそりと立ち去ったみたいです」
「彼女も公爵夫人と一緒に去ったのは……友人である私の『傷』のせい?」
マリアンヌの婚約破棄とそれに関連することが、影響したのだろうか。
だが、ベアトリスはぶんぶんと首を横に振った。
「アナベルが去ったのは、卒業祝いの翌日らしいのです。さすがに早すぎます。きっと在学中から、すでにご両親の関係は悪くなっていたのだと思います」
アナベルの卒業を待っていた、ということね。
だとしたら、ますます情けない。
あんなに一緒にいたのに、悩みを打ち明けてもらえなかった。
そして、自分も気づかなかった。
(アナベルが翌日に移動できたなら……彼女は高熱を出していない?)
となると、彼女は転生者ではない──?
わからない。熱を出すタイミングの問題もある。
マリアンヌが前世をハッキリ思い出したのが約半年前。
ベアトリスはつい最近で、バラバラなのだ。
思い出す条件が発熱なのかも、まだ事例は二つだけで不確定だ。
ただ、自分がいかに安穏と過ごしていたかを思い知らされた。
ベアトリスは、兄からさらに詳しく聞いてみると約束してくれて帰っていった。
自分からもアナベルに手紙を出してみようと、マリアンヌは決めた。
さあ、いざ、学園へ潜入だ!