31. ダンス・レッスン4〜とても大切なものだから〜
私の部屋の窓から、輝く月が見えた。
レジナルドと私は、手を握ってそれを眺めていた。
時が止まってしまえばいいのに。
指を絡ませながら、私は彼の肩に頭を預けた。
「マリアンヌ……」
顔をあげられて、唇を重ねる。
蕩けるように、幸せ。
レジナルド──私達、ずっと一緒にいようね。
『……それって、ずるくない?』
え? 誰?
「おい、いい加減起きろ。マリアンヌ」
「うんんん……んー?」
「起きなければ、全身にくまなくキスをするぞ」
「んひゃあ?! ダメ!!」
耳元で囁かれて、私は悲鳴とともに飛び起きた。
レジナルドはそれよりも一瞬早く顔をあげたので、頭をぶつけることはなかった。
「あ……あれ? レジナルド……起きてる?」
「とっくにな」
「え、嘘! なんで?! 寝てないの?!」
「三十分は寝た。が、お前は俺以上に熟睡していた」
「えええっ!?」
寝かしつける(?)つもりが……。
ミイラ取りがミイラってこういうこと?
ま、まぁ私……寝つきがいいのが取り柄だし。
蓄音機もストップしてる。止めてくれたのかな。
「そろそろ侍女が顔を出しに来るだろう」
「そ、そうね。お茶の時間……」
「そんなに乱れていては、あらぬ誤解を招くぞ」
「あっ!? えっと」
私、そんなにやばい?
どうしよう。化粧崩れとか!?
いや、それよりも。
「……ごめんなさい」
「なにがだ?」
「せっかくくれた薔薇、散らしてしまったから」
ちゃんと受け取ったんだと伝えたくて、髪と胸に飾った。
でも寝ているうちに、差し込んだ花は抜けてしおれている。
ドレスにもシーツにも、うっすらと染みがある。
これなら、全部活けておけばよかったな。
「薔薇なんぞいくらでも贈ってやるといっただろう」
「でも、初めてくれたものだし」
「お前なら、いくらでも花を貰う機会があったのではないのか?」
そりゃ、公爵令嬢だからね。
ラファエルだって誕生日には毎年贈ってくれていた。
本人は来たり来なかったりだけどさ。
でも、そうじゃないんだよ。
「好きな人からのプレゼントは、特別でしょ?」
まぁ、特別なものを粗末にしちゃったわけで。
うう、私は色々考えが浅い……。
「ならば、そんな顔をするな。マリアンヌ」
「え……?」
「俺の贈った花が、お前の身を飾ったんだ。これ以上の『お返し』があるか?」
うう、うー。
思えば私、かなり大胆なことしちゃったのでは。
レジナルドが腰を抱いてきて、私は腕の中に引き寄せられた。
私は抵抗せずに、身を任せる。
まるで、リードされるように。
「このぐらいであっさり喜ぶ俺に呆れたか?」
「そっ、そんなことあるわけないです!」
「ほら、その言葉一つで、俺また嬉しさを覚えた。容易いものだろう」
レジナルドが私の手を掴んで、そっと胸板の左側に押し当てる。
──ドクン、ドクン。
服越しに感じる。この音は……。
(あ、レジナルドの鼓動……)
速いのか遅いのかは、正直よくわからない。
でも、ここに彼がいて、生きている証。
この世で最も尊い音。
額にキスをされ、思わず顔をあげると、すかさず唇を奪われた。
蕩けていく。愛しくて。恋しくて。
口づけを受け止めながら、倒れ込む。
唇が離れると、巻いていたストールを解かれる。
鎖骨の下に、新しい花弁が散る。
そこに触れられたら、私がドキドキしていること、すぐに知られちゃう。
すごく、すごく、恥ずかしい。
「ん……なんだ?」
しゅるる、と、胸から細いものが引き抜かれて、私は思わず「ひゃあっ」と叫んでしまった。
レジナルドが引っ張り出したのは──金色のリボン。
薔薇に結われていた、メッセージつきのやつだ。
「これは……」
「あっ、それは、えっとっ、ごごご誤解です?!」
何が誤解だというのか。
自分でいってて謎すぎる。
するとレジナルドが身体を起こし、そっぽを向いて眉間を押さえた。
……さすがにドン引きされた?
いやまぁ、鼻血よりマシだと思うんだけど。
わかんない。
私もゆっくりと起き上がって、おそるおそるレジナルドの横顔を見つめた。
「見るな」
「え?」
「俺を見るな」
声が低くなって、めちゃくちゃ不機嫌そう。
悪いことしちゃったな……。
でも、レジナルド……血色、少し良くなってる?
寝不足だからか、顔が青く見えたんだよね。
隈が消えたかだけ、もう一回確認したいんですけどー……。
「こんなこと、もうするな」
「ご、ごめんなさい」
「違う。謝るな」
じゃあなんなの?
私、どうしたらいいんだろう。
とても大切だから、ずっと持っていたいだけなのに。
「こんな、気まぐれの産物など、後生大事に持つんじゃない」
「レジナルド……?」
「お前がこんなことをするとわかっていれば、もっと……くそっ」
何を苛立っているの?
私、すごくすごく嬉しかったんだよ?
「……一つ聞いていい?」
「なんだ……?」
「私のしたことに怒っているわけじゃないんだよね……?」
「怒っていない」
即答だった。
よかった。
怒っているんだと思ったけど、違うんだったら……。
やっとレジナルドがこちらを見てくれた。
頬にいつもより朱が差して、隈も消えていた。
「怒っているとすれば──」
「え、あれ? 本当は怒って……?」
「獣を前にした、その無垢な警戒心のなさだ」
獣?
……レジナルドのこと?
いやまぁ、最後に貴方はそういう姿になるけど……。
──あんな姿に、もうさせたくない。
……あっ?!
ちが、そういうことじゃない?!
きっと私、レジナルドの何万倍も顔が真っ赤になった。
私って、どうしてこうもワンテンポ遅いんだろう。
「いったそばから、お前は……」
「うー……」
「唸るな。……俺にしか見せるなよ、そんな顔」
見せません。
それだけは、約束する。
私がこくこくと頷くと、レジナルドが柔らかく眼を細めた。
そして、私をただ静かに抱き締めてくれた。
剣を振るい続けてきた、この大きな手。
戦って、何もかもを斬って生きてきた貴方。
冷たい孤高の人。
「お前は、温かいな」
「いいえ。……温かいのは、貴方の方よ」
そんな貴方の腕は……。
包まれてしまえばこんなにも、温かいのにね。
私は、ずっとそばにいるからね。