21. ずっと会いたかったよ
今、ベアトリスは何といった?
めーちゃん?
それは、私の前世の名前──正確には、SNSアカウント名。
『めかぶ大好き娘』の愛称だ。
「え、えっと……なんの、こと?」
その名前を知っているのは、SNSで繋がりのあった人だけ。
「あのね……あの……信じて、もらえるか、わからないけど」
ぽろ、ぽろ、と、ベアトリスの大きな瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「……私……『芭蕉』です……ノア推しの……」
私は立ち上がった。
芭蕉。その名前の由来を覚えている。
植物園で見たバショウの緑が綺麗だったから。
俳句の方じゃないんだ、と驚いたのを覚えている。
テーブルがもどかしい。
でも飛び越えることはできないから、私はベアトリスの隣に回り込んで、ぎゅっと彼女に抱きついた。
「芭蕉ちゃん!? 芭蕉ちゃんなの……!?」
もうこれで、私は自分が『めかぶ大好き娘』だと宣言したも同然だ。
ベアトリス──『芭蕉』ちゃんが、おずおずと抱き返してきた。
「う、うあああっ、めーちゃん! めーちゃんだ!!」
「芭蕉ちゃん……芭蕉ちゃんなんだね?!」
「会いたかった、ずっと、会いたかったよぉー!!」
お互い号泣した。
メイドを下がらせていてよかった。
この応接間は、父も母も使う。だから、防音がしっかりしている。
あまり人に聞かせたくないような話だって、公爵家はするもの。
それが今、幸いした。
泣いて泣いて、ようやく落ち着いて、ハンカチで涙を拭く。
ベアトリスの顔は真っ赤だった。
きっと私も同じ顔をしている。
「ごめんね、思い出したの、つい最近なの……」
しゃくりをあげながらも、ベアトリス──芭蕉ちゃんは語ってくれた。
一年前から、なんだか自分が自分でないような感覚はあったらしいが、一過性のものだと考えて、通学しながら宝飾デザインの勉強に打ち込んだ。
異世界のビジョン──それが浮かぶと、デザインの作業がはかどった。
そして、あの卒業祝いの夜。
ベアトリスもその場にいた。
そこでマリアンヌが婚約破棄を受けた時、既視感に襲われた。
この光景を何度も見てきた、と。
決定打は、その後のレジナルドの求婚に対するマリアンヌの返事。
『はい、喜んでーっ!!!!!』
マリアンヌらしからぬ、元気よくテンションの高い返事。
まるで頭の中でガラスが砕け散ったかのように、ベアトリスは『芭蕉』としての前世を取り戻した。
だが困惑している間に、マリアンヌ達は夜会を抜けてしまい、追うことができなかった。
ただ、マリアンヌが以前と雰囲気が変わった、というのは、薄々感じていた。
その変化が自分の前世と結びついたのは、まさにあの瞬間だった。
翌日、ベアトリスは熱を出した。そして今朝やっと落ち着いたので、急ぎ公爵家までやってきたのだという。
「後悔してたんだ。めーちゃんにもっと、会っていたらって。私、いつもすぐ通話落ちちゃって」
「いいんだよ。芭蕉ちゃん、仕事忙しかったじゃん。それでも、休みの日は、遊んでくれたじゃない」
次に、『めかぶ大好き娘』が事故に遭った後のことを教えてくれた。
芭蕉ちゃんは、私のSNSにお祝いのメッセージを送ったんだけど、返事が来なくて不審に思ったらしい。
そこで電話をかけたら、私とは違う声で応答があった。
『あの、■■のことでしょうか。■■は事故に遭い、亡くなりました』
芭蕉ちゃんは私の本名で訃報を告げられ、混乱したのだという。
番号は間違いなく、『めかぶ大好き娘』のものだった。
あいこちゃんも同様で、二人はもう一度家族に連絡し直して、私のマンションへ向かったらしい。
「めーちゃん、ノアとラファエルのグッズ、置いててくれたんだね」
他のキャラは交換や譲渡によく出しちゃったけど、ノアとラファエルは二人のために保管していた。
それぞれ名前を書いたボックスを用意してまで。
遺品という意識はなかった。会った時にすぐ渡せるからやっていただけ。
母から、貰ってやってほしいといわれて、ノアグッズを引き取った。
この銀髪キャラのは娘さんの大事なものだから、ご家族が持っていてください。あと趣味用の貯金口座があるはずです、と告げて、あいこちゃんとともに交通費すら受け取らなかった。
「私ね、『BELOVED SOUL』……あれ以来、遊んでいないの」
「え……?! あ、あんなにノアに狂っていたのに?」
「ふふ……うん。だって、画面つけちゃうとさ……三人で遊んだ時のことばかり思い出すんだもん。グッズもね、押し入れに仕舞い込んでしまったの。薄い本は全部処分しちゃった」
衝撃的な告白だった。
芭蕉ちゃんは、そもそもゲームに対する情熱がなくなっていたらしい。
でも、嫌いになったわけじゃない。
二次創作も好きだし、三人で遊ぶのもとても楽しい。
ただ、作品に熱狂する時期が、もう過ぎていた。
そして『めかぶ大好き娘』の事故死で、ぷつりと糸が切れたのだという。
皮肉にも彼女は、熱が冷めたゲームの世界に転生してしまったのだ。
だから、彼女は追加ファンディスクのことは、全く覚えていなかった。
「私ね、それなりに生きて病気で死んだみたいなの」
「そう……でも、よかった。私みたいに急な事故で死んだんじゃないんだね」
「うん。……めーちゃん、また会えてよかった……」
生まれ変わっても私達、仲良くなれたんだ。
それって、すごいことだなぁ。
そうか。ベアトリスとアナベルに感じていた、懐かしい感じは……。
「じゃあ……もしかして、あいこちゃんもこの世界にいたりする?」
「わからない。それにあの後、あいこちゃんとも連絡を取れなくなって」
「そう……なんだ」
二人にとって私は、大事な友人だったのだ。
残された者同士の関係が、断絶してしまうほどの。
あの時、浮かれてコンビニに行かなければよかった。
ショックが、あまりに大きい。
「もしかして、アナベルがそうじゃないの? 何か聞いていない?」
ベアトリスは首を横に振った。
そして、口を開いた。
「あのね、多分……私、前世の記憶はあまり長くもたないかも」
「え? なんで?」
「卒業祝いの時は鮮明に思い出せたんだけど、熱に浮かされた後から曖昧なの。でも、めーちゃんとあいこちゃんのことだけは覚えてる」
記憶は消えても、思い出は残っている。
楽しいことも、悲しいことも。
……充分だよ、芭蕉ちゃん。
その後、二人で約束した。
これからも、マリアンヌとベアトリスとして生活していくこと。
お互いのアカウント名は、二人だけの秘密にすること。
例外は、他に転生者らしき人を見た時ぐらい。
「できれば前世の名前は忘れた方がいいと思う。前世は前世、今は今なんだし、ね?」
「……そうね」
「すぐには無理でも、忘れられなくても、今の自分として生きていかなきゃ」
どうも『めかぶ大好き娘』は、かなり自我が強い気がするけど。
……うん、でも、マリアンヌとして生きていかなきゃ、ね。
私は門前まで、ベアトリスを見送ることにした。
馬車はすでに呼んであった。
「それではマリアンヌ様、今日は突然の訪問、失礼致しました」
「いいえ。……私はもうすぐ嫁いでしまうから、寂しいわ」
「皇国に、遊びに行きます。これからも、お友達で……いてくれますか?」
「もちろんよ!」
頭をあげたベアトリスが、そっと耳打ちをしてきた。
「あのね、就職はするんだけど。私、ノアとの婚約話が進んでいるの」
「えっ……ええっ?!」
「まだ秘密なの。ふふっ、めーちゃんも、最推しとの結婚おめでと!」
ベアトリスが、いたずらっこのように笑う。
芭蕉ちゃんがよくしていた、笑顔だ。
軽やかなステップで、彼女は馬車に乗り込んだ。
「結婚式、絶対に行きます! 私、マリアンヌ様のために最高のアクセサリーを作ってプレゼントしますから!」
窓から元気いっぱいに、ベアトリスが手を振る。
馬車が見えなくなるまで、私は手を振り続けた。
(芭蕉ちゃんは、ノアが最推しだったからじゃなくて……)
ベアトリスとして、ノアと向き合ったんだと思う。
結果的にそれが最推しだっただけ。
記憶をはっきり思い出したのも、最近なんだし。
でも──私は?
……私は……どうするべきなんだろう。
ベアトリス編終了です。次話からレジナルドとの関係変化編。