11. 婚前交渉? 2〜覇道でも魔道でも〜
「さあ、お嬢様。今日はどのような髪型で、どのドレスに致しましょう」
「うーん、悩ましいのよね。学生だった時は制服一択なのに」
「そう仰らずに。結い上げますか? でもお嬢様の御髪は、下ろしても素晴らしいので、悩みますわね」
「ほら、レインだって悩むでしょう?」
くすっと笑った後、私はレインにコーディネートを任せることにした。
彼女はなんだかんだで、その時の気分にあったものを選んでくれる。
とても信頼できる侍女だ。
今日は髪を結い上げて、いつもよりやや胸元を開いた大人な装いになった。
「……お嬢様。お願いがあります」
「なぁに?」
「どうか、皇国へ嫁がれます時は……私も、ご一緒させてください」
「レイン……それは嬉しいけど、あの、貴女自身の結婚はいいの?」
レインは、由緒ある男爵家の生まれだ。
だが十八でマリアンヌの側仕えとなって十年間、ずっと独り身。
結婚しても侍女の仕事は続けられるものの、主人が他国へ行くとなると、現地で結婚するか遠距離を許してくれる人でなければ難しい。
前者はともかく、後者は非常に稀な存在だ。
「……いいのです。私、昔一度だけ結婚しておりまして」
「えっ?」
「こちらにお仕えする以前のことです。夫には愛人がいました」
レインは本編にも登場せず、設定集でも「侍女A」としか書かれていない存在で、情報なんて殆どなかった。
マリアンヌの記憶の中にもない、ということは、まさに初耳だ。
「向こうに子ができて、離縁されたんです。だから、もうこりごりです」
レインは爽やかな笑顔で、そう告げた。
貴族の娘なら、再婚の縁もあっただろうし、親もそれを求めたのではないだろうか。
だが、彼女の凛とした表情は、とても清々しかった。
「そう、だったの……あ、じゃあ、私……婚約なんて、かなり無神経だった?」
「とんでもないですわ。自分が苦しんだからこそ、お嬢様には幸せになっていただきたいのです」
「……ほんとに?」
「ええ。大丈夫です。お嬢様は、絶対に幸せになれますわ。私も全身全霊でお支えします」
ラファエルのことをあんなに怒ったのは、過去が理由だったのかも。
とはいえ、乙女ゲームの世界だから、ルートに入った攻略対象が、ヒロイン以外を見るなんてないはず。
ラファエルがアニエスを選んだのは、彼女が正しいヒロインで、攻略されたから。
レジナルドと結ばれるヒロインは、マリアンヌだった。
でも、レジナルドにとって自分は──。
『俺を、この世界を統べる『神』にしろ』
孤高の彼に、生きていてほしいから望んだ恋の道。
同時に、恋愛ルートで性格が変わっていないか不安だった。
(あの言葉で、彼の本質は変わっていない、つまり、設定にブレはなかったと確信したのよ)
でもそれは、マリアンヌ自身を愛しているわけではない証拠。
必要だから、求めただけ。
神になる、ただそのために。
彼を『神』にするということは……。
(私は、大それた決断をしたんだ。……ううん、覚悟したことだもの)
最推しと生きる。それが覇道でも魔道でも、彼を死なせない。
ゲーム中、何度も何度も歯痒く見続けた彼の死。
唯一生存の可能性がある消息不明エンドだけが、希望だった。
……もう決めたのだから、後悔する資格はもうないんだ。
ただ、もっと他に……道はないのだろうか?
もっと、平和な道が。レジナルドがレジナルドのままで、平和に。
「……ありがとう。その気持ちだけで、私、充分幸せだわ」
レインは、レジナルドがマリアンヌを幸せにしてくれると信じている。
両親だって、国王だって、それを望んでいる。
少なくともこの家で、今回の婚約を喜ばない者はいなかった。
──戦の多い国だとわかった上で、マリアンヌの幸福を願ってくれている。
祈りは必ず届くのだ、といわんばかりの、優しい人たち。
レジナルドの手を取っても、少しぐらいは彼らに報いることをしたい。
「あのー、すみません」
着替えが終わったタイミングで、メイドの一人がドアの向こうから声をかけてきた。
レインがドアを開けた。
「レインさん、奥様がお呼びです」
「あら。ご用件は?」
「それが、大事なお客様をお見えになるから、支度をお願いしたいと」
「そう。お嬢様、すみません。失礼してよろしいでしょうか」
「ええ、もう着替えたし、大丈夫よ」
ひらひらと手を振って、レインとメイドを送り出す。
「ふぅ……それにしても、お客様って?」
それならマリアンヌ自身も行くべきでは……と、思った瞬間だった。
「──っ?!」
突然、ほかに誰もいないはずの部屋で、マリアンヌは後ろから何者かの手に口を塞がれ、身体を囚われてしまった。