10. 婚前交渉? 1〜夢の中で逢えたら〜
衣擦れの音が、やけに耳に響く。
マリアンヌは、自由に身体を動かせなかった。
「お前の唇……王太子に、触らせたことはあるか……?」
マリアンヌは、ふるふると首を横に振った。すると、低く笑う声がした。
「この甘さを知らずに手放すとは。愚劣極まる」
「……っ」
「さあ、お前に至高の快楽を教えてやろう」
マリアンヌは、思わず腰を引いた。だけど、まるで全身が金縛りに遭ったかのようで──。
「無駄だ……。お前はもう、未来永劫、俺だけのものだ……」
あ。
「あかーーーーーん!! このゲームは健全!!」
「しかし歩く天然◯◯指定皇帝陛下ボイスあざーーっすっ!!」
「だがそこまでだーーーっ!! これ以上は危険だーーっ!!」
大絶叫とともに、私はカッと眼を見開いた。
ゴッツン!!
そして直後、脳天に大打撃を喰らった。
「は、はれ……? いったい何が……?」
視界に入ったのは、上下が反転したマリアンヌの部屋だった。
痛い。めちゃくちゃ頭が痛い。
ちょっと眼がぐるぐる回ってる。
あ、でも今日すっごい晴れているなー。
「お、お嬢様?! どうなさったのですか!? きゃーーー!?」
ノックを省略し、勢いよくドアを開けて入ってきたレインが、私を見て悲鳴をあげた。
そりゃそうだ。
お目覚めのお嬢様が、ベッドから上半身が落ちていたからだ。
寝相があまりに悪すぎる。
「お、おは、おはよ……レイン……良いお天気ね……」
「いいいい、いったい何が?! さっきの声は?! 天気なんかよりも、お怪我は?!」
「だ、だいじょーぶ……ちょっと頭をぶつけただけよ……わー目がくるくるする」
「ちょっとどころじゃありませんわ!! 気をしっかり!」
レインに介助されて、私はひとまずベッドに乗せられてから、身体を起こした。
「ごめんなさい。本当に何でもないのよ」
「何でもないはずがございませんでしょ……! 大声を出してベッドから落ちるなんて!」
「へーき平気。んー、いい朝だわぁ」
私は、軽く伸びをした。
まだちょっとズキズキするけど、深刻なものじゃない。
おかげさまで眼がすっきり覚めた。というか覚めなかったらやばい。
だってさ、なんか……すっごい夢見た気がするから。
あ、あはは。あー、よく覚えてない。覚えてないったら。
「誤魔化してはいけません! お嬢様は、とてもとても大事な御身なのですから」
レインがビッと人差し指を立てる。
「お嬢様はっ! あのモグリッジ皇国の国母となられる存在なのですよ!」
「国母はまだちょっと早い気がするけど?!」
というかレイン、こんなキャラだったっけ……?
すごいテンションが高い。いや、もしかしてマリアンヌが床に脳天直撃している姿を見て、混乱しているのだろうか。
「いいえ。早いなんてことはございません。皇妃となられましたら、いつご懐妊なさってもおかしくはないのですからね!」
「あ、あはは……ははは……ソウデスネ」
そうだ。
卒業祝い及び断罪の夜から、十日。
私はラファエルから婚約を破棄された。本来ならそこで、国外追放の罰を受けるはずだった。
だが、そこに割って入ってきたのが、私の最推し。
モグリッジ皇国の剣豪皇帝レジナルド。
主人公サイドから見て敵キャラ。ラスボスではないが、夜の世界の戦場でアニエス達を最も苦しめる存在だ。
その彼が、王城に賓客として招かれていたのだ。
そしてあろうことか、婚約破棄された私こと悪役令嬢マリアンヌに求婚したのだ。
で、私は……オッケーしたのだ。
最推しが、最推しだったから。そんな理由で。
「ラファエル王太子殿下とのことは、誠に残念でございました。まさかあんな、平民の娘に夢中になられた上、あのような侮辱……悔しいです」
レインが、わなわなと震える。
彼女はその場にいなかったものの、帰宅した時に事の次第を報告すると、まずラファエルに激怒した。
『うちのお嬢様が、そんなことなさるはずありません! 絶対にありえません!』
マリアンヌの罪について、彼女は速攻否定してくれた。
そのまま王城へカチコミに行きかねない形相だったので、私は彼女を止めるため、レジナルドに求婚されたことをいわざるを得なかった。
『まあっ! あのモグリッジ皇国の皇帝陛下が、お嬢様に求婚ですって?!』
あの時のレインの喜びようときたら。
そう、モグリッジ皇国が実は裏で色々と関わっている件を知るのは、アニエスと戦士達と、彼らの動向を探っていたマリアンヌだけ。
表向きは友好国であり、このマルモンテル王国の国王はレジナルドと個人的な親交がある。
本来なら、王族の姫でなければ嫁げないような相手なのだ。
それを、公爵家の娘を皇妃にと望んだ。
この上ない名誉なことだ。
「でも、結果としてようございました。旦那様も奥様も、それはそれはお喜びでしたし」
「……お父様とお母様のご意向も、先にお訊ねしなきゃいけなかったのにね」
「いいえ。答えは一緒だと、お二人も仰っていたじゃありませんか」
マリアンヌの両親は大喜びだった。
もちろん、ラファエルとの婚約破棄には、二人も嘆き、そして怒った。
『あの王太子め! 我がアズナヴール家にどれだけの恩があると思っているのか!』
『でもよかったわ。母は嬉しいです。娘がモグリッジの皇妃だなんて!』
『そうだな! 立派な支度をしてやる。お前のためなら、なんでも用意しよう』
『可愛いマリアンヌ。幸せになるのですよ。私達はずっと貴女の味方です』
国王の承認はあっさりと下りた。ついでに追放もなし。
まるで最初からマリアンヌをレジナルドに嫁がせることが、既定路線だったのではないかと思うほどのスピードだった。
(うーん。あれかな、ファンディスク効果? とか?)
身も蓋もない話だと思ったが、そもそもレジナルドと結ばれるのは、ファンディスクあってのこと。
うん、ここはやっぱり、未プレイのファンディスクの世界だ。