story07
常時情報が更新されるということは、地図上に記された存在の位置情報も常に更新され続けるということで。
——つまるところ、動くのだ。
地図上に記したフィオリーノの名前が現実の動きに合わせて。
用紙の時点で1ヶ月分の食費が飛ぶ辺りからも想像はできるだろうが、完成した永久地図はボッタクリを疑いたくなるレベルで高額なため市場ではあまり取引されていない。
大陸の住人でさえ、職人もしくは担当部署の役人でもなければ中々お目に掛かれない代物だ。
羽振りのいい狩猟者なんかはたまに購入しているようだが、基本的には恒久地図——更新されないタイプの地図があれば事足りるし、何なら恒久地図すら手に取ったことがない、なんて者も世の中にはいるだろう。
社会から見放された僻地も僻地、第6166の“島”で暮らす彼らは知識としてそういうものがある、ということを知ってはいても実物を目にしたのはまず間違いなくこれが初めてのことである。
テントの前に戻ってきたフィオリーノは、すっかり目の丸くなっている3人に答えの分かりきっている問いを投げかけた。
「どうだった?」
「動いた!」
いの一番に答えたのはカルミネである。
どうなってるの、と仕組みについて尋ねられたが詳細については説明できる気がしなかったので「書き込んだ情報と連動するよう術式が編み込まれてる」とだけ。
「因みに拡大と縮小、それから回転させることもなんかもできる」
地図に触れた親指と人差し指を滑らせて間隔を広げたり狭めたりすれば、描画が大きくなったり小さくなったり。
人差し指だけで上下左右に動かせば、くるくると踊るように線が動く。
再び驚き、前のめりになった3人を微笑ましく思いながらフィオリーノは2回ほど地図を叩いた。
動き回っていた線が元の位置に戻る。
「僕もやってみていい?」
真っ先に名乗り出たのは、やはりカルミネで断られるとは微塵も考えていないような期待に満ちた顔を向けられる。
「ああ、ちょっとだけ待て」
フィオリーノはもう1枚、白紙の地図を取り出した。
1枚目はいわゆる原本ってやつで、先程の唾液のように今後も色々と混ぜ込んだインクを用いることになる。
リオネラの言葉を借りるなら“ばっちい”地図だ。
加工すると情報が壊れて抜き取れなくなる毒物劇物とか、やむを得ずそのまま使用することもあるので「触っても大丈夫なもの」と思われるのは避けたい。
新しく取り出した地図と原本を同期させて、問題がないことを確かめてからカルミネに渡す。
「情報が転写されるようにしたから触るならそっちな」
「わぁ、ありがとう!」
フィオリーノはさらにもう1枚、情報が転写されるように繋いだ地図を作った。
書き重ねている間に用紙が傷んでがダメになったり、調査中に破けたり紛失したり……。
何かあった時のための予備だ。
これを作り忘れて原本をダメにした日には1から作り直しという、地獄を見ることになる。
繋ぐだけ繋いだ後は棒状に丸めて紐で止め、腰のバッグへ。
収納魔道具には仕舞わない。
魔力干渉で用紙に編み込まれた術式が変質してしまうし、かといって干渉防止用のアイテムを使うと情報が共有されなくなってしまうのだ。
不意に視線を感じて顔を上げると、エウリアとリオネラに残念そうな目を向けられていた。
……多分だが、自分たち用の地図を作ってもらえたと勘違いさせてしまったのだろう。
「カルミネ、エウリアとリオネラにも触らせてやれよ」
流石にそこまでの大盤振る舞いはできないので、そう声を掛けてお茶を濁すしかなかった。
テントの柱の少し低い位置——カルミネやリオネラでも手の届く高さにボードを引っ掛けて、渡した地図を飾れるようにしておく。
他の場所でも良かったが、テントにあった方が雰囲気を味わえるというカルミネの意見が採用された結果だ。
「地図職人って、頑張れば狩猟者より儲かるって聞いたことあるけど……こんなので本当に儲かるの……?」
初見の感動も落ち着いて、幾分か冷静になったリオネラは地図に視線を向けたまま首を傾げた。
永久地図の凄さは分かる。
けれど用紙もペンも、用紙と対になっているインクに至るまで。
どれも地図職人の功績ではない。
少々、簡単すぎやしないだろうか。
「確かにこのままじゃあ子供の駄賃にもならないな」
リオネラの疑問をフィオリーノは肯定した。
“島”の表面情報は上空——グロリベイト山の頂上にそびえ立つ塔ユピトゥリスから観測でき、既に取得済みであるため賞金は支払われない。
ポインターで読み込んだだけの白黒の地図に儲かると言えるほどの価値がないのは事実だった。
繰り返しになるが、概念的に同一のものとして“島”と同期させるには同調率が95パーセントを超えていないといけないし、大陸が求めているのは同期後の調整まで済ませた“完成品”である。
部分的でも新規の情報なら買い取ってはもらえるが価格は歩合制で、査定も支払いも踏破登録後。
地図の作成料より道具に掛かる費用の方が嵩んで首が回らなくなった挑戦者の話は探せばいくらでも転がっている。
同じ地図職人でも大陸お抱えの探索者や恒久地図の作成と販売を主な業務としている案内者だと、また話は違ってくるのだが……。
“島”で集めた素材を売って生計を立ててる狩猟者の方が職としては安定していると言われているくらいだ。
ある種のギャンブルにも近い。
……そう、ギャンブル。
勝負に勝つことさえできれば希少価値の高い素材を売るよりもデカい報酬を得ることができる。
もう少し伝わりやすい形に直すためフィオリーノは足元に生えた雑草の中から1つ、見繕ったものをすり潰してインクを作った。
対象の葉を1枚塗り終えると同種の植物が全て色付く。
「まだ1枚しか塗ってないのに!」
「その辺りは自動で判定されるんだ」
ポインターの解析結果に基づく判定であり、はみ出すと間違った情報が地図全体に広がるため色を乗せる際には細心の注意が必要となる。
……一応、修正は可能だが用紙を余分に消費することになるのでまあ、はみ出さないに越したことはないだろう。
そして何より、ここで重要なのは自動で着色されたことそのものではなく“同種である”という解析結果さえあれば1個体から取得した情報だけで全体を識別することができるようになるという点。
「より精密に、より詳細に記された地図は人の命を救うこともある。それに“島”の情報を全て記した地図を作れたら領主にもなれるくらいだから狩猟者より稼げるっていうのはあながち間違いでもない」