story04
フィオリーノに問題はない。
罠にハメられたとしても自己責任。
命を落とす覚悟もなく未踏地の地図なんて作れない。
だが世の中、善人だけが暮らしている訳ではないのは言うまでもないことで。
悪辣で狡猾な人間が相手の無知を利用し、騙し、良いように使い捨てるなんて話は五万とある。
特に原生の存在は軽視されやすく、奴隷とすることが大陸の法によって正当化されていた時代もあるくらいで、その“名残り”に対する抵抗運動の末がレオセルファの開放戦線だ。
純粋無垢は美徳だが、だからこそ少年が心配になるというか。
出会ったばかりの相手を家に招くのはやめておいた方がいいと思うというか。
いや、彼らをどうこうしようという気はサラサラないのだけれど。
「ありがたい話ではあるが、いいのか……?」
せっかくの善意を踏み躙らないよう聞き返せば「良くはない」と言いたげな表情を見せながらも少年は頷いた。
「奥に入らなければ平気だけど、だから安全って訳でもないし……分かってるのに何も言わないでいるのもちょっと、どうかなって……」
次の日にフィオリーノの死体を発見することになった、なんて事態に陥ろうものなら寝覚めも悪くなる。
「それにエウリアさんはすごく強いから。この島で1番になれるくらいの力がないと勝てないよ」
「それは、かなり頼もしいな」
繰り返しになるがここはエクストラランクの未踏地だ。
そこで1番になれる程度の、とくれば相当のもの。
悪事を働こうものなら追い出す。
実力があるからこその善意なら、まあ……。
ここは甘えさせてもらおうか。
「いや、世話なれるものなら是非……と、いうのが本音ではあるんだが……安易に招かせるのもどうかと考えてしまってな。掛ける迷惑の度が過ぎないよう努めるので、よろしく頼めるだろうか?」
「言い出したのはこっちだし。もちろん、構わないよ」
少年の案内で彼らの家に向かうため浜辺を後にする。
途中、積荷の回収ついでに確認したトリアクトルの状態は、やはりと言うべきか。
ダメだった。
「これがないと帰れない、よね?」
気遣わしげに尋ねられフィオリーノは頷く。
「修繕用の収納魔道具があるからそこまでの心配はいらないんだが……損傷の具合からすると1ヶ月は掛かりそうだな……」
通常では修繕不可能な大破状態だ。
中でも竜骨に入った傷が大きく、致命的。
屈んだ体勢から立ち上がったフィオリーノは腰に下げたバッグの蓋を開いた。
内ポケットに収まっている色取り取りの立方体——用途別に使い分けている収納魔道具の中からトリアクトル用のそれを取り出して起動する。
「わっ!?」
収納魔道具に収納されたことによってトリアクトルが目の前から消えた瞬間。
驚いたらしいエウリアが声を上げ、少年を後ろから抱き締めた。
未知のものを前にした小動物を思わせる反応である。
「……収納魔道具、見たことなかったか?」
エウリアは答えない。
代わりに少年が否定した。
「見たことはあるけど……そう多くはないから急だとビックリする、かな……?」
なるほど。
それは悪いことをした。
謝罪と共に危険性はないことを説こうかとも考えたが「それよりも」と、少年が疑問を口にした結果、話が逸れて有耶無耶となる。
収納魔道具自体は見たことがあるものの、その中に“修繕用”とされるものがあることは知らなかったらしい。
まあ、仕方のないことではあろう。
“対象を登録時の状態に復元する”だけで何でもかんでも元通り、とはいかない。
なおかつ対象として登録するだけでも専門の知識を要し、利便性が低い割に量産が難しく高価なので持っている人間の方が珍しいくらいだ。
知識を得る機会があっても外来が見込めないことに変わりはない島で暮らしている少年の耳に届くほどの品ではないのは確かだった。
「自動修繕機能付きの遺跡の核が原料になってて、収納すると登録時の状態まで勝手に修繕してくれる優れ物、ではあるんだがな……」
予備と収納魔道具、どちらを用意するのが安上がりかと聞かれたらおおよそ前者だ。
破片の1つでも回収できれば新品の状態まで“修繕”されるので、思い入れのある一点物が壊れた際の保険としては役立つが、それ以上でも以下でもない。
「収納魔道具って、ただ物をしまうだけのアイテムかと思ってた……」
「食べ物とか、魔力干渉で変質すると困るものもあるからカスタマイズ用の備品も含めると結構種類は豊富だぞ」
収納魔道具を必要とする職を生業にでもしない限り、知識としてすら不要なものばかりだが。
興味があるらしい少年に語り聞かせながら歩みを再開する。
——第6166の“島”は歪に曲がった杓子のような、広く中心地と呼べる大地から細めの半島が突き出た形をしており、フィオリーノたちが出会った浜辺は半島の端に近い。
そして、少年たちの言う“奥”とは中心地のこと。
半島を横断する分には問題なく、舗装こそされていないが踏みならされて歩きやすい道を進むこと約1時間。
くの字を描く島の背面から内側へ移る少し手間といったところで開けた場所に出た。
畑と呼ぶに相応しい畝が7本ほど並んだ先に大樹をくり抜いて造ったかのように継ぎ目のない建築物がポツンと1軒——。
立方体と直方体を組み合わせた形状で、デザイン性が低いことが逆にデザイン的と言えなくもない。
シンプルなのに斬新で前衛的。
緑に囲まれた中にあって、木造であるにも関わらず妙な違和感を生み出している。
窓の数からすると3階建てか。
玄関と思しき場所にドアはなく、代わりに布が垂らされていた。
「ただいまぁ」
「あれ? 何か忘れ物——」
布を片手で避けながら中に入ると、ダイニングであろうテーブルや食器棚が目に付く部屋で少年と同じ空色の瞳と灰色がかったダークブロンドの髪を持つ少女に出迎えられた。
年は少年より上で、エウリアよりは下の12、3才といったところだろうか。
事前に聞かされていなかった相手の登場にギョッとしつつ頭を下げる。
「すみません、お邪魔します」
「誰!?」
そうなるよな!!
間髪入れずに誰何を問うという、もっともな反応に内心で同意を返す。
何からどう説明したものか。
「地図職人のフィオリーノさん。しばらく滞在するらしいから、うちに泊まってもらおうと思って連れてきたんだ」
招かれざる客を招き入れたにも関わらず悪びれる様子もなく、フィオリーノを紹介した少年の言葉に同居者が絶叫を響かせたのは致し方のないことだったように思う。
「は、はぁあああああ!?」
「別にいいでしょ?」
「いい訳あるか! アルヴァロさんもいないのに、何かあったらどうするつもり!?」
「エウリアさんがいるから大丈夫だって」
「エウリアさんに任せきりって訳にもいかないでしょ!」
悪意がないことを誓えはしても、それを信じてもらえるかどうかは別の問題だ。
見知らぬ相手を急に連れ帰ってくるな、という同居者の主張は正しい。
……テーブルに添えられた椅子や棚に並べられた食器の数からして、4人目で最後だとは思うが“アルヴァロさん”とやらも不在にしているようだし。
話は一旦、白紙に戻すべきか。
成り行きを見守りながら考える。
元より、意思の疎通を可能とする知的生命体との邂逅は望めないものとして準備を整えて来たので、ここで追い返されたとしても困ることはない。
下手に食い下がって印象を悪くするよりはマシだろう。
不意にダークブロンドの少女がフィオリーノに視線を向けた。
「ああ、すみません。とりあえず座ってください」
「……いいのか?」
「強盗の類いって訳ではなさそうだし。仕方ありません」
不本意であることを隠そうともせず、しかしながら追い出そうともしない少女に椅子を勧められて、少し悩んだものの素直に甘えさせてもらうことにする。
少年とのやり取りは口論よりもお説教に近く、反省を求めながら、しかしフィオリーノを連れ帰るという判断そのものを否定する気はないように感じられたからだ。
2対2で向かい合うように置かれていた椅子を3対1となるように動かしてから、少年を挟むようにして少女たちは席に着く。
「改めて僕がカルミネで、こっちが姉のリオネラ、こっちがエウリアさん」
進行役を買って出た少年、改めカルミネに紹介されて頭を下げ直す。
「フィオリーノです。それで、あーその、泊まらせてもらえるかどうかなんだが……」
「大丈夫だよ。外が危険なことは姉さんだって分かってるから」
「……仕方ありません」
渋面である。
それでも「仕方ない」と受け入れた相手の厚意には、辞退よりも誠意で応えるべきだろう。
……ここで断ると今度は罪悪感を抱かせそうだし。
ただ、問題はまだ残っている。
「“アルヴァロさん”? って、言ったか。もう1人いるんだろう。その人は大丈夫なのか?」
「兄はしばらく留守。待っててもダメ」
答えたのエウリアだった。
……兄、兄か。
と、なると大人というにはまだ若い年の頃だろう。
どこへ、何のために出掛けているのかは定かではないけれど宿泊の許可を得るのが不可能なほどの期間、家に戻る予定がないらしい。
「機嫌 悪くなる でも、大丈夫」
「それは大丈夫じゃなくないか?」
「愛想はないし容赦もないけど優しい人なので」
大丈夫らしい。
エウリアの意見にカルミネが同意し、リオネラが否定しないのであれば、フィオリーノは「そういうもの」と認めて引き下がる他ない。
……大丈夫ではないと思うんだけどなぁ。
「地図職人の方ってことは地図を作りに来たんですよね? それってどのくらい掛かるものなんですか?」
リオネラからの質問にフィオリーノは考えながら答えた。
「最短でも1ヶ月だな」
島の規模を考えるとどんなに急いでも数ヶ月は掛かる。
途中で地図の作成を諦め、トリアクトルの修繕を終えた場合の“最短”で1ヶ月だ。