story01
光があった。
空を覆い、視界を埋めて、全てを無へと還す無慈悲無情で理不尽なそれは希望ではなく絶望をもたらす光の塊だった。
あるいは、人々の胸の内にある希望という希望を吸い上げた結果だったのかもしれない——……。
「終わりだ」
空を仰ぎ見て呟いた姉は、絶望に笑うでも、理不尽に怒りを露わにするでもなく、ただ淡々としていて。
迫り来る現実を告げたその声の無機質さに酷く戸惑ったことを俺は覚えている。
誰より強くあれかしと生み落とされ、負けを知らず、前だけを見据え続けた姉の戦意を喪失させ得るものがこの世に存在するとは思ってもみなかったのだ。
「終わりってどういうことだよ」
「分からないのか。あの光が集まり終えると同時、私たちは島ごと全て消し飛ばされるんだ」
「なっ?!」
島全体を覆い尽くすための“光”が集まり切るには相応の時間を要するようで、いくらかの言葉を交わす程度の猶予はあった。
どうにかして止めなければ。
俺の訴えを姉は無理だと一蹴する。
「あれと同格の魔法を行使するには足りないものが多過ぎる」
「だけど、止めないと全部消し飛ばされるんだろう!?」
「無理だ! 無理だったんだよ、初めから!」
「俺にはそうは思えない!」
生まれた時分より身に付けている無骨なネックレスを握りしめる。
ハッとしたように姉は目を見開いて——。
第6154の“島”レオセルファの解放戦線において、苦戦をしいられた大陸政府は最終手段である対幼陸用殲滅魔法“断絶の光”を用いるもこれを阻まれ、解放軍より申し込まれた和平の条約締結をもって実質的な敗北を喫することとなる。
無知を理由に隷属化を余儀なくされていた原生の存在が、戦争の果てに大陸政府への恭順を受け入れつつも統治権を獲得するという大偉業を成し遂げたのだ。
古くは第1の“土地”ケディントルムが誕生した頃より続く慣習を打ち破り、歴史という名の圧倒的武力を覆した原生の少女の異名が、変革を望んだ創造主の意思の表れとして広く知られるようになったのは必然と言えよう。
——創世記に曰く、世界の始まりには1つの地図が存在したという。
白紙の地図、あるいは原初の地図と呼称されるそれに筆を入れると記した通りの島が現実にも現れる。
故に、海の向こう霧の先より現れる幼島は今もなお地図を記し続けている超越者——創造主の恩寵とされている。
つまり、幼島と共に生まれた原生の存在たる少女の生みの親は創造主ということだ。
土地も建物も、新たに芽吹いた命も、幼島の全てが原初に連なる生命——ケディオトルムと共に生まれた民への贈り物であるとする思想の下で、これまで不当な搾取を正当化してきた人間たちの言葉を借りるなら「少女のもたらした“変革”こそが“民への贈り物”であった」と考えられる。
まあ、だからと言って全ての歴史を過去にできるほど世の中は甘くない。
幼島が生まれる限り調査を担う地図職人の仕事は尽きないし、知性なき動植物の扱いは従来通り。
西域中部の海上でトリアクトル——風の魔石を動力源とするヨットの1種——を、操縦する青年フィオリーノも、地図職人の1人として“島”を開拓すべく新天地を目指す最中にあった。
1つ括りにした長い黒髪を風に遊ばせながら口角を吊り上げる。
目的の“島”まで、あと1歩といったところで全長20メートルはあろうかという大型の海蛇に行く手を阻まれたことに対する武者震いの類いだ。
細く長い牙を剥き出しにして威嚇するように開かれた大口もさることながら、尾の動き1つで巻き起こされた大波が今にもフィオリーノを呑み込まんと迫っている。
これをどう捻じ伏せるか。
トリアクトルを動かして船体から振り落とされないよう姿勢を低くする。
「悪いが押し通らせてもらうぞ」
波の中。
グリーンルームと呼ばれる場所に入り込む。
真っ向から挑めば格好も付くというものだが、見栄を張るべき相手もいなければその必要もない。
……だがまあ、攻略ついでに“お返し”はさせてもらおうか。
操縦を誤らないよう手足に意識を集中させつつも呪文を紡ぐ。
「“大いなる海よ 唸れ 唸れ 唸れ
天突くほどに高く唸りを上げよ!”」
グリーンルームの終点に辿り着くと同時。
カーブを決めて逆方向に上がった高波に乗る。
待ち構えていた海蛇の頭上を優に超える高さの波だ。
よぅし、このまま——。
浜辺に乗り上げるつもりでいたフィオリーノは、しかしそこで着地点に“人”の影があることに気が付いた。
ぎょっとする。
——このままでは避けきれない。
瞬間的な判断で広げた帆を上向きに変える。
「“風よ吹き荒べ!”」
詠唱の荒々しさに則して遠慮も容赦もなく編み上げられた突風がトリアクトルごとフィオリーノの体を拐って空を切った。
——高度を維持したままの状態で。
浜辺に立っていた人物たちの頭上さえもを越えて、その先の雑木林に突っ込む。
ドゴォオオオンガガガッゴンッ……!
例えるならばそのような、酷い音を立てながらも無事勢いを無くしたトリアクトルはギリギリのところで難を逃れた太い木の前に横たわった。
無茶に耐え、上陸を果たしてくれた相棒への労いもそこそこにフィオリーノは急いで浜辺に引き返す。
風の勢いが良すぎたために道を戻るだけで数十秒を要することになったものの、視界は開けていて迷惑を掛けた相手の姿はすぐに見えてきた。
——年の頃で言えば15、6のの少女と、少女より幼く10を数えて間もないであろう少年だ。
お互いの身を守るように抱き締め合いながら唖然とした様子で座り込んでいる2人は海水を浴びてずぶ濡れだったが目立った外傷はない。
しかし、パッと見では分からない位置に傷を負った可能性もある。
安堵するには早い。
「すまん! 怪我はなかったか!?」
声を掛けながら駆け寄る。
——と、フィオリーノの手が届く距離に入る直前。
少年がビクッと体を震わせた。
すぐさまその場で立ち止まる。
レオセルファの解放戦線以来、原生の存在の扱いについては見直されたものの、過去の行いがなかったことになる訳ではない。
現地の民にとって大陸側の人間は侵略者に他ならず、ここ、第6166の“島”が危険度の高さから大陸お抱えの調査隊はおろか民間の有志たちからも見放されたエクストラクラスの未踏地であることを踏まえるなら恐怖心を植え付けるには十分過ぎる程の戦闘が彼らの目の前で行われた可能性はけして低いものではなかった。
「本当にすまない。人がいるとは思っていなくて、わざとではないんだ」
刺激しないよう慎重に、害意がないことを示すために両手を上げつつ膝を折る。
怪我の有無を確かめるために怯えさせては元も子もない。
怪我はないか。
そもそも言葉は通じているのか。
ゆっくりと尋ね直そうとしたフィオリーノは、しかしそこで少年と少女の容姿が精巧な人形が如く整っていることを認識してしまう。
特に少女は、濡れて輝く白銀の髪と宝石のような碧眼がこの世に存在するどんな装飾品よりも美しく彼女自身を飾り立てており、絶妙なバランスで清楚さと艶やかさを両立させている。
詩人が居合わせたなら彼女を賞賛する詩を飽くことなく綴り続けただろう。
原生の生物は“島”と共に生まれ、創造主が直接デザインしたものと考えられていることからしばしば芸術品に例えられるが稀代と付けて相違ない程の完成度。
まさに、芸術品だった。
少女には劣るものの空の青さを切り取ったかのように澄んだ瞳を持つ少年も美を冠するに相応わしく、中性的な顔立ちで、灰色がかったダークブロンドの髪が不思議な魅力を醸し出している。
フィオリーノが2人の美しさに気を取られて言葉を失ったことで落ちた沈黙を破る者はおらず、両者は共に無言のまま、互いの存在を網膜に焼き付けるかのように見詰め合った。