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転生した元OLは昔取った杵柄を披露するようです

 いわゆる声フェチ、というヤツだったのだろう。物心ついた頃から、声で人を判断する癖が染みついていた。可愛い声、かっこいい声、面白い声。とにかく自分の好きな声の人に見境なく寄って行ってしまう子供だったらしい。

 中学に上がるくらいの頃には、思春期特有の全能感から自分は声優になるものだと考えていた。何を考えていたのか親も協力してくれ、私は養成所の門を叩いた。

 それでまあ、「好き」という程度で本物に叶う筈もないことを知った。

 というかそもそもの勘違いとして、人の声が好きなのと自分が喋るのが得意なのとではまるで違うに決まっているのだ。あちゃーって感じだった。

「えー、やはり後宮なんぞにおりますとまず大切なのは色気でございます。ではその色気とは何かと申しますと、私が考えますに形無くして人の所作を上品に見せるものではないかと……」

「?」

 青年はポカンと首を傾げている。それはそうだろう、当の私だって何をやってるんだという気がしなくもない。しなくもないが、今更やっぱなし等と言える筈もない。

「まあ例えばその、シモな話ではありますがお尻からブッと出てまいりますあのガスですな。あれを屁なんぞと言いましたらまあ気品もへったくれもございませんが、これをおならと申しますと、まあどこかしら丁寧な印象になるわけでございます……」

 こうやって喋れば喋るほど、師匠の声が蘇ってくる。


『噛んでもいいから前を見て喋れ』

『ただ客を見ると緊張してダメになるから目を合わせるな』

(どっちだよ……)



『一々理屈で覚えようとするな。オンザジョブトレーニングだ』

(テレビか何かで見て言ってみたくなったのかな)


 既に10年以上昔の記憶なのに、美声とは程遠い師匠のダミ声は記憶の中で最も鮮明に響いた。

「あるお寺に大層見栄っ張りな和尚さんがいらっしゃいまして、とにかく知らない、ということが言えない方でした……」

 その記憶の声を辿って、蓄音機よろしく再現していく。


『だから俺の真似をするんじゃあなくって、テメエの芸をやるんだよ』

(……、それができれば苦労しないんだってば)


 声は遠くに、けれどもハッキリと私の舌を伝って現れる。

 演目は「てんしき」。おならの隠語であるてんしきという言葉を知らない和尚さんが、知ったかぶりで恥をかくという落語の見本みたいなしょうもない話だ。江戸の教養なんて何もなくても分かる、ちょっとした冗談話。

高校生の、落語なんて何も分からないガキでも笑わせられる噺だ。

「『おーい! 珍念! 珍念はおるか!』」

 高座の端から端まで届く師匠の声。本物には追い付かないと分かっていても再現しようとする。

 少なくとも青年は神妙な面持ちのまま、話に耳を傾けてくれている。面白いかどうかは知らないが、このまま注意を惹くことさえできれば延命には……

「ライラとやら」

 さして大きくもない声が、閨の空間を完全に覆った。

 展開しかけていた声の世界が、フツと途切れた。

「さっきから一体何を話している?」

「あ……っと」

 ヤバい! 表情は変わらないが声のトーンが明らかに不機嫌気味だ。

 一瞬、その圧に気圧されそうになった。


『客に怖気づくな! 下手には出ても畏まる必要はねえよ。殿様でも和尚さんでも馬鹿にして転げさせるのが落語だぁ。トチったら口八丁でごまかせ!』


(……ええい!)

「えーその、分からないというのは珍念だのてんしきだのを、ご存じないということで?」

「……む」

「いえもちろん、そんなことはないのは存じております。聡明な常勝者であらせられる皇帝(サルタン)さまにおかれては、知らぬ言葉などあろう筈が。まさか珍念やてんしきなどという、庶民の子供でも知っているような言葉など……」

「むむむ」

 途端に青年の声の様子が変わった。

「もちろんである。朕を誰と心得る。世の言葉で知らぬものなど……」

「えーへへ、でしたらソノ、珍念ってえ言葉の意味を一つ私に」

「むむっ! ……いや、貴様。後宮の女の身分で朕に指示を出す気か? けしからん!」

 そう言って青年は、馬鹿でかい布団の上に勢い良く腰掛け、私を指差した。

「……かわりにその、貴様が語って見せよ。朕が閲してやるゆえな」

「ははっ」

(来た‼)

 私は内心の興奮を抑えながら、喋りに喋りまくった。「てんしき」が終わったら、すかさず話を繋げて次の演目に移った。

正直ウケてるかはよく分からなかった。青年はとにかく躍起になって私の一言一句に耳を傾け、ときには短刀を抜かれもした。その度に命がけの口八丁手八丁で、どうにか続きを聞いてもらった。

我ながら驚くほど快活な噺しっぷりだった。生きるか死ぬかとなると不思議と肝が据わって、眩暈がするほど頭がよく回った。

和尚さんのように知ったかぶりかつ負けず嫌いの皇帝陛下は、まあ随分執拗に話の続きを求めてきた。

喋った。

喋った。

喋った。

もう舌も口も疲れて疲れてカラカラで、いよいよ限界だと思ったそのとき、部屋の窓から地響きのような声が聞こえた。

 見ると、ターバンを巻いた礼拝者らしき人々がモスクに向かって歩んでいるのが目に映った。

 細くも眩しい曙光が、閨に差し込んだ。


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