転生した元OLはイケメン皇帝にムチャ振りされるようです
馬鹿でかい部屋の隅っこで、私は膝を抱えてガタガタ震えていた。
もうすぐ私は殺される。残忍な王様にいじめられて、おもちゃにされた後で面白半分に首を刎ねられてしまうのだろう。
記憶が途切れる寸前の、最期の感覚が蘇る。バラバラに散らばっていく痛みで狂いそうで、それさえも次第に消えて寒いばかりになっていく感覚が……。
「し、死にたくない……!」
いっそダメ元で逃げてみようかと思ったが、恐怖のあまり脚が竦んでその場から一歩も動けなかった。今すぐに逃げ出したいのに、ここがどこでどこに行けば安全なのかもわからない。
——そのときだった。
ズッ、と重たい足音がして、部屋の中に誰かが入ってきた。
「ひっ!」
思わず頭を抱えて丸まった瞬間、声を掛けられた。
「貴様がライラか」
静かだが、穏やかさとは無縁の恐ろしい声色だった。
しかし、予想していたのよりも随分若い。
恐る恐る顔を上げて薄眼で見ると、目の前に立っていたのはイメージしていた姿とはまるで違う、細身の青年だった。締まってはいるのだが決して暴力的な雰囲気のない、工芸品のような身体つきをしている。整った中性的な顔をしているせいもあってか、間違ったら高校生くらいにも見えた。
……ていうか、めっちゃタイプだ。特に声がエロかっこいい。
「えっ、あ、あなたが皇帝ですか⁉」
我を忘れて叫んで、ハッと口に手を当てたがもう遅かった。
——ヤバい、殺される!
……しかし青年は、特に顔色を変えることもなく私に近付くと、いきなりしゃがみ込み、顎ごと私の顔を持ち上げた。
「ひえっ!」
鼻がぶつかりそうな距離に青年の顔があった。濡れたように艶やかな黒髪といい緑色の瞳といい、酔ってしまいそうな神秘的な色気を漂わせている人だ。
「『貴様がライラか』と訊いている。耳は働いているか?」
「は、はひっ。いえ、少なくとも耳、だけ、は多分大丈夫で、はひ……」
先程までの恐怖に加え、超絶イケメンに密着されている緊張で、しどろもどろになりながら答えた。
「そうか。別にそうでなくとも朕は何も困らんがな」
「????」
わけが分からない。……ただ、青年からは威圧感こそ感じるものの、特に殺気のようなものは放たれていなかった。
ひょっとして、皇帝が人を殺すというのは嘘だったのだろうか? 考えてみれば、そんな恐ろしいことをああも普通に話しているのはおかしいではないか。ひょっとしたらこのライラという人に迷惑させられたので、私を担ごうとしていただけではないのか……?
なあんだぁ。と息を吐いた瞬間、チャリッ、と冷たい音がした。
いつの間にか私から離れていた青年が、何やら光るものを持っていた。
抜き身の短剣だった。
「誰も彼もつまらん。貴様が何であろうとも、朕を楽しませることはできまい」
「えええええええ⁉ こ、この流れで殺すんですかぁ⁉」
「うむ。殺す。朕を退屈させた罰である」
青年は何の関心もなさげに言った。
まずい。この人、殺意もなしに人を殺せる暴君さんだ……!
「ひぃっ! た、助けて下さいぃぃ!」
「そうさな。生き永らえたくば……」
青年は、気だるげな眼で私を見下ろし言った。
「何か芸でもしてみせよ」
「……芸、ですか……?」
「うむ」
青年は手の中で短剣を弄びながら、起伏のない声で言った。
「歌でも舞でも構わん。……もっとも、それをやった気取った女共はみな殺してやったが」
「……」
私は生きたかった。
せめてやれることを試してからでないと、死んでも死にきれない。
そう思うと急に、思考がクリアになった。
一発勝負のムチャ振り。考えてみれば懐かしい。
「……、失礼します」
すっくと立ち上がった。
「む?」
青年の眉が怪訝そうに揺れた。
「正しい姿勢でないといけませんので」
習ったことを思い出して呼吸を身体全体に通す。閨の冷えた空気が鼻から口まで循環していく。
「何をするつもりだ……?」
青年が問うた。僅かながらも明らかにこちらに興味を惹かれている声だ。
「私のいた国の芸です。もっとも私はプロではなくて、ただのマニアですけれど」
そう言葉を発しながら、声の調子を確かめる。問題無い。どういう理屈かは分からないが、こうして交わしている言葉は現代日本語だ。慣れない自分の声も、きっと使いこなせるという自信があった。
私は部屋の大きな布団のところから、巨大な枕を一つ拝借した。
そしてそれを床に置き、その上に正座した。
扇子も手ぬぐいもないが、まあどうにかするしかない。
たった一人のお客様に向かって深々と一礼し、私は生死を賭けた大一番の一席を演り始めた。