転生した元OLは皇帝(サルタン)に処刑されるようです
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人類文明の主眼は寿命の延長これに尽きる。科学が発展するごとに明日あなたが死ぬ確率は下がっていく。災害も病気も犯罪も刻一刻と数を減らしていくわけで、となると人を殺すのはトラックばかりである。
かく言う私もその犠牲者の一人である。
これがオートバイだったりタクシーだったりしたら危ないところだったが、どうにか例によって転生し事なきを得た。
いや事なきを得たというのは不正確で、やっぱ困っていたのである。
*
「さ、寒い!」
叫んだ私は起き上がり、身体に掛けられていた布をギュッと抱き締めた。全身が水浸しで、特に背中の辺りが凍えるほど冷たかった。寝起きのせいか、何だか喉の調子が変だ。
「むっ。おい、起きたぞ!」
すぐ傍で男の人の声が聞こえた。何かめっちゃイラついてそうな低い声だ。
ひえっ、と横を見ると、髭面のおじさんが起き上がりかけの私を見下ろしている。見回すと同じくオリエンタルな服装をした男の人たちに囲まれていた。しかも全員帯刀している。
「はへぇ、な、何ですか……?」
「何だもかんだもあるかこの馬鹿女が! 自殺なんぞして手間かけさせおって!」
「そんなことで仕事から逃げられるとでも思ったかぁ!」
ちょっと喋っただけなのにえらい剣幕で怒鳴られて、いよいよ私は肝を潰してしまった。
「し、仕事!」
私はノータイムで横になっていた小さなベッドの上に土下座した。
「すみませんすみません! ただいま原稿が滞っておりまして、納期の方はどうか今一度お待ちいただきたく……!」
ほぼ毎日繰り返していた文句を早口で言いながら、私は額を連続して打ち付け平伏した。
「納期……? お前何を言っている?」
少し掠れた、訝しげな声を掛けられた。
「へ?」
顔を上げると、おじさんの隣に白衣を着た賢者風の老人が立ってこちらを眺めていた。
「ふむ。今まで生死の境をさまよっていたのですから、多少支離滅裂な言動があっても仕方ありますまい。……あー、君」
その老人はこちらの眼の前に顔をグイと寄せ、ゆっくり言葉を区切って言った。
「ここがどこか分かるかね?」
「????」
深く響く、けっこう良い声……なのだが、分からないものは分からない。
大人しくフルフルと首を振った。
「では、自分が誰かは分かるかね?」
「は、はい! TBエンターテインメント広報課の夏山樹でございます!」
「は……?」
老人は目をぱちくりさせた。
「なるほど。強い衝撃で前後の記憶が欠落する。あまり無い事例じゃが、ありえない話ではないの」
「えっ」
老人は微笑して、私の全身をあちこち観察し始めた。
今の今まで気付かなかったが、よくよく見ると私は透けるほどの薄着一枚の、ポルノまがいの格好だった。
慌てて布で身体を隠そうとしたが、そこではたと気付いた。身体がおかしい。手足が明らかに長くなっているし、あれこれ試しても引っ込まなかった腹もシュッと締まっている。
「……?」
「チッ。手間のかかる奴だぜ。病気のフリして逃げる気か? とにかくもうすぐ皇帝がお入りになる。生き返ったならとっとと支度しろ」
男が言うや否や、ベールを被った女性がわらわらと現れ、あれよあれよと別の部屋に連れて行かれた。何やら豪華なアクセサリーや博物館に置いてあるような服が沢山置いてあり、メイクルームのようだった。
導かれるまま化粧台らしき所に座る。と、目の間の鏡が自分を映しだした。
——私ではない! 鏡の中の人物は見たこともない赤髪の女性で、しかも目鼻立ちの通ったとんでもない美人だった。
「だ、誰ですこのべっぴんさん⁉」
「……自意識過剰な方ですね」
私の髪を拭いてくれている女性が呟いた。今の私より二回りほど小柄な人だ。言葉に若干圧があったが、低くもよく通るロリ声がとにかく可愛い。
「良いですかライラさま。記憶が混乱しているようですのでご説明しますよ。あなたは今日の昼間後宮の浴槽で溺れているところを発見されました。事故か自殺かはこの際問いません。……ですが生憎皇帝は今晩のお相手にあなたを御指名されています。生き返られた以上、お務めは必ず果たしていただきます。お医者様からもお体に問題はないと言われておりますので。あなたにはこれから身支度をして、閨で皇帝がいらっしゃるのをお迎えしていただきます」
「ね、や……、というと……⁉」
ここまで話を聞かされて、私は大方の事情を呑み込んだ。
理屈は不明だが、私は今ライラという女性になっているらしい。でもって彼女は後宮、つまりハーレムの女性で、今夜サルタン? の相手をしなければならないらしい。
一介の社畜OLだった自分がどうしてそんな状態になっているのか、記憶を必死に辿っていると、ある光景がフラッシュバックした。
土砂降りの雨、眩しい光と耳を劈く音、衝撃、血……。
「——私、死んだの……?」
「ええ。ですが生き返りましたよ」
フードの少女が応えてくれたが、とても返答するどころではなかった。
あの時はデスマで会社中殺気立ってて、納期が遅れるのを謝りに契約先に行くところで、あと何日か頑張れば解放されると思って……。
……そんな時に死んじゃったのか。
てか、死んだのにまた働くんだ。
そう思うと乾いた笑いが漏れた。まあ、生きてるだけでもまだましか……。
「ともあれ皇帝は後宮が騒がしかったせいでご機嫌を損ねていらっしゃいます。首を刎ねられないよう頑張ってくださいね」
「え」
などとセンチメタルに浸っていた矢先、少女からとんでもないことを言われた。
「首って、その、解雇されるんですか?」
「? いえ、普通に刀でバッサリだと思いますが」
何の気なしという感じで言われて、私は絶句した。
「昨日も一人、お勤め中に首を刎ねられていますからね。何でも笑顔が皇帝のお気に召さなかったとかで。ここのところ毎日ですから、我々掃除する側はいい加減ウンザリしています」
鏡の中の美しい顔——今は自分の顔だが——が見る見るうちに青くなった。
「ちょっ、ちょっと! こ、ここから出してください! お願いしますから!」
「無理ですよ。警備兵に串刺しにされたいんですか?」
「ひえぇぇぇ」
まずい……。
この夏山樹、生前(?)は根っからの非リア陰キャ女子だった。華の青春をアニメ雑誌片手に過ごし、クラスではキモがられて一人も友達がいなかった。もちろん恋愛などとは無縁だったし、ましてやベッドのテクニックなどある筈がない。
「お、終わった……」
転生したのも束の間、皇帝の逆鱗に触れてまた死ぬのか……。
放心している私はいつの間にか小綺麗に整えられ、巨大なベッドのある薄暗い部屋に連れて行かれてしまった。