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しじま・ミッドナイトラバー  作者: 村田天
第三章【朝が来た二人】
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27.人見恭介の奮闘




 今日一日で無関係な人間をたくさんぶちのめしてしまった……。すごく反省している。手当たり次第なんて、八つ当たりと変わらない。こんなのは理性的な人間のやることとは言えない。ぶちのめす相手はきちんと確認してからやるべきだった。


「ひ、人見君……何してるの?」


 いくばくかの冷静さを取り戻し、告白妨害のための作業していたら、雪織が現れた。彼女の自宅付近なので必然だった。


「……雪織」


 相変わらず、儚げな風貌でありながら、健全な生命力に溢れている。なぜだか雪織の周りの明度がおかしい。光って見えるので現れるとすぐにわかる。


 そうだ。ぶちのめす相手ターゲットのことは、本人に直接聞けば早かったんじゃないだろうか。俺の情緒が少しだけ明後日の方向に行っていて、そんな真っ当なことにすら頭がいかなかった。


「雪織……何か、困ったことがあるんじゃないか? 俺に……何か相談があったら言ってくれ」


 俺の言葉に雪織はなぜか半歩後退した。それから腕組みをして目を細め、怪訝な顔をした。


「……人見君のそういうとこ、どうかと思う」

「えっ」

「そうやって、人見君に関係ないことにまでやたらと首をつっこんで世話焼こうとするの、ほんとどうかと思うよ」


 雪織がどこか怒ったように言ってくる。思いがけずあっけない拒絶を受けてたじろぐ。


「……確かに……俺には関係ないな……」


 無関係な俺には話せない、ということだろう。

 確かに俺はつい先日会ったばかりだし、雪織のプライベートにまで踏み込むほどの友人ではないのかもしれない。それでも、落ち込んだ。


「人見君て……いつもそうやって……誰にでもそういうことしてるんでしょう」

「そういうことって……なんだよ。俺は雪織のことが……心配で……」

「心配……? 人見君に心配されるようなことは何もないよ」

「…………そうか……俺には……言いたくないか」


 俺はフェンスに開けた穴を通って帰ろうと踵を返した。ここを開けることで自宅と雪織の家の間の距離が徒歩十五分から十分まで短縮される。


「人見君」

「えっ」

「……何か、用があったとかじゃない……の?」

「用か? 穴を開けに来ていたけど」

「な、なんのために?」

「なんのって……そりゃ……」


 そうだ。俺は諦めない。絶対に邪魔をする。雪織に茨の道を歩かせる気はさらさらない。そのことだけは本人に伝えておくべきだろう。


「雪織、やっぱりそんな告白はやめておいたほうがいい……」

「…………っ! なんで知ってるの!?」


 俺の言葉に雪織が顔色をサッと変えた。

 やはり、ヤバい相手に告白をしようとしていた自覚はあったらしい。でもきっと正気じゃない。気の迷いだ。若いうちはそうやって悪そうな男に惹かれて間違いを犯しやすいものなのだ。


「……なんで……そんなこと言うの? さっきはわたしのことお節介に心配しといて……矛盾してるよ!」

「俺は雪織のためを思って……」

「わたしのためなんかじゃないよね? それ、自分のためでしょう!」


 雪織に言われて、はっとなった。


「結局、なんだかんだ言って、人見君は、わたしが告白するのが嫌なだけなんだ……」


 そうだ。なんだかんだと理由をつけたとしたって、雪織がしたいことや、雪織の希望ではない。


「そうだ……俺が、嫌なんだ」

「……ひどい。わたしは告白もさせてもらえないの?」


 気がつくと目の前にいる雪織の目が潤んでいた。


「人見君の馬鹿!」


 雪織は叫んで家に帰ってしまった。


 そんなに……。妻子持ちの避妊しない男のことが好きなのか……。必死さに胸を打たれた。


 でも俺は応援できない。

 認められない。それがたとえ雪織自身の意思を完全に無視していたとしても。俺のエゴでしかなかったとしても。


 彼女には、絶対に幸せな恋愛をしてほしい。


 だから。





 俺は昔からものごとへの執着心の薄い人間だった。


 揉めごとの八割は執着に起因する。

 執着がなければ、ほとんどの人間とは揉めない。俺は向こうから理由なき因縁をつけてくる相手を除けば、人と揉めたことがない人間だった。


 玩具がひとつしかなければ譲る。

 その場所で遊べなければほかへ行く。

 もしかしたらそれは貧しさからいつの間にか身につけた諦観だったのかもしれない。


 ただ、そうしていると、頼ってもよい人間として甘えてくる人間も中にはいた。


 一年生のときの委員会もそうだ。

 雑用が多く不人気であまりものとなった風紀委員会。

 一日置きか、ひどいときは毎日のように鍵を借りにくる先輩も。何度か言われたプライベートでの誘いは断ったが、自分に課せられた仕事の範疇内なら断ったことはない。


 俺の心は大抵凪いでいて、少しの煩わしさや、小さな悪意や面倒ごとくらいでは動いたことがない。それはよい面ばかりではなく、俺はフィクションでも滅多に感動しない。美しい自然を目の当たりにしたとしても、心は動かない。


 だから入学直後に見た彼女の姿に感動したのは、珍しいことだった。胸を打たれた記憶はずっと印象に残っている。


 あの日、空は白く、桜が舞っていた。

 少し離れたところに家族連れやカップルがたくさんいたというのに、そこだけ無音に感じられた。


 まるで、別の空間に迷い込んだかのようだった。

 俺はあの日とんでもないものを見つけた気持ちで家に帰ったのだ。


 そうして、美しい立体的絵画のような出会いをした彼女と、生きた人間として相対したが特に幻想が打ち砕かれるようなことはなかった。


 幼いころの出会いが深層に根付いていたのだろうか、実際に話したあとも、イメージは不思議なくらいギャップなくそのままだった。穏やかできちんとしているのにドジ過ぎて頼りなげな性格も、最初に見たときからまったく違和感がなかった。


 生身の人間として呼吸をし、声を発し笑う彼女は、より魅力的だった。


 彼女はとてもおおらかで、決して俺のように打算や合理性でものを考えない。それは、育った環境に起因する無垢さでもあった。ある種の後ろ盾のある強さであり、失敗が許される自己肯定感だ。


 俺はあの環境で育った彼女に憧れた。彼女自身と、彼女の人生に憧れた。


 それは自分とは縁遠い場所でずっと美しく続いてほしい人生だ。


 だから……。




 ゼッタイニ……。


 ソレヲトメナケレバナラナイ……。


 トメロ。ドンナテヲツカッテモ。


 人間を食い殺させる勅命を本能に受けたモンスターのように、俺の脳はここのところその感情に支配されていた。


 けれど、それだけじゃない。俺の心の奥底にあり、常に凪いでいて発露してこなかったさまざまな感情、執着、憤怒、憎悪、嫉妬、正義感、いろんなものがごちゃごちゃに混じり合い、強い狂気を形成してふつふつと沸き立っている。

 俺は強い悲しみを胸に感じながらも精神は高揚していた。



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