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しじま・ミッドナイトラバー  作者: 村田天
第二章【巡り合った二人】
18/32

18.雪織千尋の自覚



「なぁ」

「うん?」

「家族が……兄弟が多いってどんな感じ?」


 人見君は一人っ子だから、わたしのような兄弟の多い家族がどんな感じか知りたいらしい。


 紙ナプキンで口元をぬぐい、お水をごくんとひとくち飲んだ。


「たとえば何が聞きたいの?」

「そうだな……楽しい部分だとか、便利な部分は……比較的簡単に想像がつく。でも、不便もあるだろ?」

「ネガティブなポイントが知りたいってこと?」

「両方知ったほうが、立体的に掴みやすい」

「……掴んでどうするの?」

「べつに……掴みたいだけだよ」


 妙なものを掴みたがる人もいるものだ。


「不便。そうだなぁ、まっさきに浮かんだのは……忘れられる」

「……もう想像の範囲外だった」


 人見君は目を丸くしてそう言い、楽しそうに笑った。


「うちの弟はほんとにちょろちょろしてるから絶対に目が離せなくて、お兄ちゃんとお姉ちゃんはしっかりついていくタイプなんだよね」

「雪織は?」

「わたしは、わりとぼんやりしてる……」


 そうすると、忘れられる。なんとなく黙って静かにしているけれど当たり前にそこにいるだろうと思われていて、いなくなったことになかなか気づかれない。また、そこまで頻繁にはぐれるほうでもないので稀にはぐれても余計に気づかれにくい。


「妹はまだ小さくて抱っこされてる時期に、わたしはデパートでぼんやりしてたら、はぐれてしまったことがあって……」

「うん」


 口に出してから気づいた。この話はあまりしたくない。


「こ、この話は……それだけなんだけど」

「それで、そのときはどうしたんだ?」


 漠然と、疑問を口にしただけなんだろう。そんな口調だった。

 でも、そのことを人見君に聞かれると、なんだか恥ずかしくなる。

 わたしは、組木君にはできた初恋の話を、なぜかこの人に話すのが恥ずかしい。


「お、同い歳くらいの子が……助けてくれた」


 それだけを言うのに、ものすごく赤くなってしまった気がする。声も上擦った。わたしの過剰な反応に、人見君が眉根を寄せて怪訝な顔をする。


「その子が、友達と遊んでたみたいだったんだけど……! 家族がどこにいるか言ったらそこまで一緒に連れてってくれたの」


 何かを誤魔化すように一気に早口で言った。

 人見君はわたしをじっと見ていたが、目を細めてどこかなげやりに聞こえる声で言う。


「……それ、男?」

「わたしは最初男の子だと思ってたんだけど……勘違いで、違ったかもしれなくて……もしかしたら女の子だったかも」

「なんだそれ……そんなこと……」

「家族がいるフードコートについたあと、呼びに来た子が名前呼んでて……その名前が女の子だったから……」


 人見君は唐突に黙りこんだ。しばらくして真顔になって口を開く。


「そのデパートって、駅前の……?」

「え、そうだよ」


 なぜ知っているのだろう。人見君もこの付近の住人なのだから想像がついてもおかしくはない。でも、少し違った期待をしてしまいそうになる。だって、あの子の名前は───


 人見君はたっぷり黙ったあとで、口を開いた。


「…………それ、たぶん男だよ」


 人見君はそう言ってお茶を飲んだ。

 わたしは身を乗り出して聞いた。


「………………ひとみちゃん?」


 思わず言うと、人見君がくくっと笑った。

 わたしも、つられて小さな声を上げて笑った。


『おーい、ヒトミ、こっちだよー』


 そんな声が脳裏によみがえる。





 午前五時少し手前。満腹でお店を出た。まだ夜は明けていない。


「さすがにそろそろ帰らないとな……」


 人見君が小さな声でつぶやき、立ち止まってポケットからスマホを出す。わたしも隣で立ち止まった。


「雪織、家の住所を言ってくれ」

「え、はい……」


 わたしが住所を言うと彼はそれをスマホに打ち込んで現在地と見比べた。


「わかった。すぐ帰ろう」

「わかったの?」

「ここからそんなに離れてないけど、少し行き過ぎてる」

「うわ、ごめん……!」

「いや、いいよ。最初からこうすれば早いのはわかってたし……悪かったな」

「えっ」


 最初からそうすれば早かった。

 そうすればわたしはおそらくもう、自宅に帰り着いていて、間違えて中華屋で食事を取ることもなかった。

 人見君はそうすれば早いのを知っていて、黙ってわたしの後をついてきていたらしい。これは、どういうことだろう。ぐるんぐるんしてきた。


 まだ家に着かなくてもいいな。

 そんなことを思って歩いていたけれど、人見君の後について歩いていたら、あっという間に知ってる道に出て、自宅が現れた。母方の曾祖父母のころから住んでいる古い一軒家だ。


「ここ……」

「うん」

「遅くまでありがとう」

「いや、こっちこそ。じゃあ」


 あまりに簡素な挨拶のあと人見君があっさり立ち去ろうとしたので、慌てて服の背中を掴んで引き留めた。


 咄嗟に掴んでしまったけれど、その感触になぜかびっくりするような感覚で、顔がボワッと熱くなった。触ってしまった。服だけど……ただの布だけど……でもあったかい。


「どうかしたか?」


 べつに言うことなんて何もなかった。

 ただ、一秒でも引き留めたかっただけだ。


 けれど、遠くの空が白味がかって、夜が終わっていくのを感じて、我に返る。さすがにもう、さっさと帰してあげないと。


「えっと……あの、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

「ありがとう」

「うん」


 手を振って人見君があっけなくいなくなる。

 背中を見ていたら、人見君が一度だけ振り返って、また手を振ってくれた。嬉しくなる。


 わたしは彼の姿が完全に見えなくなるまでそこにぼうっと立って、見送った。


 その姿が完全に見えなくなったとき、ようやく今夜が終わったのだと、そう思った。


 夜と一緒に消えていったようなあの人は、わたしと同じ学校にずっといたらしい。明日また、会えるだろうか。


 もう姿は見えないのに、心臓はまだどくどくと速い。


 なんだか一晩でいろんなことがあって、わたしは細胞から何からすっかり変化してしまった。


 胸に手を当ててみた。

 人見君のことを思い出す。


 間違いない。


 わたしは恋をした。




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