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しじま・ミッドナイトラバー  作者: 村田天
第二章【巡り合った二人】
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17.人見恭介の夕食




 なんだかんだ腹が減っていたのだろう。そこそこ量のある唐揚げ定食を、すぐに食い終わってしまった。

 年齢的なものもあるのか、やたらと腹が減る。いちいち味は意識していない。空腹がおさまればそれでいい。


 目の前では雪織千尋が柔らかな手つきで食事をしていた。一口が小さいので箸の往復回数は多くなるが、箸使いは如才なくスマートだ。

 彼女は一見ぼんやりした印象だが、食事のペースや問題集の解き方を見ていても実際はそこまで鈍臭くはない。むしろ集中力はかなり高いほうな気がする。何かに没頭すると、ほかのことが抜け落ちるタイプ。そこが致命的にうっかりしているというか、迂闊なだけだ。そんなところは容姿と相まってどこかおっとりした印象をもたらす。


 しかし、その容姿で迂闊だと、人は放っておけないだろう。そんなことをぼうっと考える。


 目の前の雪織の小さな口に、タレと油を纏った肉が、鮮やかな緑のピーマンが、細く刻まれたタケノコが、どんどんと咀嚼されて吸い込まれるように彼女の体内に消えていく。その表情は、丁寧に味わっていて満足そうだ。青椒肉絲という食物が今、彼女によって形や存在の意味を変えている最中だった。


 俺は彼女の胃の中に取り込まれた青椒肉絲のことを少しだけ考えた。


 ぱくぱくといい調子で食べていた彼女だったけれど、ふと気がついたようにこちらを見て赤面して、そこからペースが遅くなった。

 見過ぎていたかもしれないと思い、壁に貼ってあるメニューに目を逸らす。それでも、時々見てしまう。彼女の唇が脂でほんのり艶めいている。


 雪織が青椒肉絲をあらかた食べ終わり、水を飲んで息を吐いたころ、話しかける。


「そういえば、雪織……家族が多いって、何人兄弟?」

「え、うん。お兄ちゃん、お姉ちゃん、わたし、弟と、妹。全部で五人」


 雪織が指を折りながら言った言葉からひとつの古い記憶が想起された。






 俺が中学一年生くらいのころだったか、この店で食事をしたとき、賑やかな家族が近くのテーブルにいた。

 親二人と子供がたくさん。一番下の女の子はまだ幼児といえるくらい小さくて、小学校低学年くらいの男子がフォークを落としたとか、これは食べれないとか、賑やかに食事をしていた。


 俺と母はどちらも比較的低温系だし、静かに食事をしていた。そもそもわが家はただ食事をとりにそこに来ていた。外食はそのころから珍しくはなかったし、飯を食う以上の意味はなかった。だからいつも、もくもくと食べて帰る。


 そこにいた家族は明らかにレジャーとしてそこに来ていた。普段は食べないものを食べる喜び、揃って夜に出かける楽しさを笑いながら分け合っていた。


 もちろん彼等にも苦労はあるだろう。子がたくさんなのだから親はもちろんのこと、兄弟が多いからこその不便や窮屈さだってあるだろう。

 たぶんどの境遇にも苦労はあるし、楽しみだってある。そんなのはわかりきったことだ。


 それなのに、そのとき自分のテーブルの静けさに目線を戻し、俺は普段は感じない、むなしさに似た孤独感が薄く芽生えたのを覚えている。

 皿には少し冷めた餃子がひとつのっていた。口に入れたけれど、味けない。


 俺はそのとき感じた飢えに似た孤独感を、頭の隅に追いやり、見ないようにした。俺とは関係のないことだ。他人を見て羨んだところでその人になれるわけでもなく、何もいいことはない。


 それでも明るい笑い声が聞こえるたびに何度となくその家族に視線を向けてしまう。


 賑やかなだけでは記憶には残らない。その家族が印象に残っていたのは、単純に全員美形だったからだ。幼児まで明らかに造作がよかった。


 俺と同じくらいの歳のころの女子もいた。

 彼女は賑やかな家族の中で、騒いではいなかったけれど、にこにこしながらゆっくりと青椒肉絲を食べていた。自分くらいの歳の子どもが好むものにあまり思えなかったので覚えている。


 あの子は普段どんな生活をしているのだろう。


 俺が家でひとりで夕食を食べているとき、狭いアパートですることもなく天井を見ているとき、彼女は何をしているんだろう。

 ここで食べているということは住んでる場所もそう変わらない、同じ場所で飯を食べている歳も近そうな子なのに、別世界の人間に感じられた。

 特別に幸せそうだとか思ったわけじゃない。妬んでもいない。ただ、漠然と別世界の住人。

 もう顔も覚えていない。その家族は綺麗だったからその子も美形だったんだろう。


 ふと思い出した。その子は、今、どうしているのだろう。


 焦点を現在に戻したそのとき、目の前で青椒肉絲をにこにこと食べる雪織の姿が記憶と重なった。


 そうして、はっきりとは覚えていなかったその子の顔を、俺は急に思い出した。


 ほとんど口を開かなかった彼女が賑やかな家族の喧騒の中ぽそりと言った「おいしい」が目の前の雪織と重なる。


 それを見たら、楽しい気持ちになった。


 俺はあのとき、もしかしたらあの子と一緒に食事をしてみたかったのかもしれない。そんなふうに思った。




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