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Period,1-4 高嶺の花には毒がある

「9時過ぎてんじゃねぇか。一日ってこんなに短かったか?」


 絢瀬と体育倉庫で話した日の放課後。日も沈み、一人になったところで愚痴のような小言を漏らす。


 唯斗は帰り道に宮野の家に訪れていた。あいつの家は決して近いわけではないが、それでも一駅分しか離れていない。そのため、中学の頃から遊ぶ時はどちらかの家がまず候補として挙がる。


 まぁでも、今日はかなり遅くなった。太陽はとうに暮れ、数メートル毎に並ぶ道路の外灯だけが、帰路を照らしていた。春の暖かな風が心地のいい夜。


 遡れば5時間ほど前になる。宮野の家の広々としたリビングで唯斗は、コンビニで買ったチョコレートのカップアイスを食べながら、思考停止でテレビを眺めていた。

 宮野の両親は共働きであるので、帰ってくるのはだいたい7時過ぎくらい。いつもはどちらか片方が帰ってくるのに合わせて、家に帰る流れだ。


『よしっと、とりあえず今日は……』

『ん……?』


 ドサッ、と。二階にある自室から戻ってきた宮野が持ち出したのは、山のようなBlu-rayディスクだ。その表紙には、アニメキャラがプリントされており、そのタイトルが並んでいる。一体何が始まるというのか、唯斗には少し心当たりがあった。


『この中から一つ選んで、それを見てもらおうかな。んーと、全部で12話くらいだから、おそらく4時間とちょっとだ。まぁ予定では、19時くらいには開放できるかな』

『え、ちょっとお前、さっきから何言ってるんだ?』

『……そのアイス。コンビニにあるアイスにしては高かったんだよなぁ』


 唯斗はなんとなくこれから起こることを察しながら、食べているアイスに視線を落とす。確かに今日は宮野がアイスを奢ってくれると言ったので、コンビニで一番高いアイスを選んだ。だが、この時に気づくべきだった。


『奢ったよな? なら、お前も俺の些細なお願いを聞いてもいいと思うんだ』

『お、おい。ちょっと待て、もうすぐお前の親が帰ってくるから全部は無理だと思うんだが……』

『あれ? 言ってなかったっけ。今日は二人とも出張で帰りが遅いんだよね』

『……は、はぁあああ〜〜』


 そんなわけで、現在に至るわけだ。


「……まったく、聞いてねぇ。それに、アニメ1クールなんて、放課後に全部見るもんじゃねぇよな、普通」


 宮野は普段はクールだが、アニメに対しての熱が入ると止められない。そんなところは昔も今も変わらないが、それに付き合わされる身にもなってもらいたい。


 視界も画面の光が明滅しているようで、ゲームを長時間やったときの酔った感覚に似ている。静かな夜道だったせいか、アニメの音声がまだ耳に残っているみたいだ。小さくだが、アニメキャラの叫声が聞こえてくる。


 こういうのをなんて言ったか。幻聴? それとも空耳だったか。


「……って、これアニメのキャラの声じゃねぇな。正真正銘、生の声だ」


 方角からして近所の公園あたり。それはちょうど唯斗が駅から数分のところにある小さな十字路を曲がって、あともう一刻で家に着くときだった。


「……ああ、もう。ちょっとだけ様子を見に行くか」


 酔っ払いが奇行に及んでいるのか。あるいは、ストレスを抱えたブラックな企業の社員が八つ当たりをしているのか。どちらもたいした話ではないが、事件性が孕んでいるかもしれないと考えると、放っては置けない。

 気づけば、家に向いていた足を傾けていた。


「———ない、————ね」


 少し歩くと、声の主の元へと辿り着く。やはり公園から聞こえていたようだ。しかし驚いたのはその声。聞こえてくるのは酔っ払いの痰が喉にかかったような声——ではなく、女性。それも若い女子高生くらいの声だった。

 ただ、ここからでは内容まで聞こえないので、もう少し近寄る。


「——————気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。死ねばいいのに」


 咄嗟に。それも情景反射的に近くにあった木の後ろに隠れてしまった。夜にこの物騒な内容と苛立った声色を聞けば誰だってこの反応をとる。


「ははっ、別に隠れるほどのことでもないよな」


 独り言のように呟いた。ただ、誰だって不満を口にすることはある。きっとこの子の場合はその程度が激しいだけだ。兎に角、誘拐やそういったものでなくて、一先ず安心するべきだろう。


 ふぅ、と一息ついてこの場を去ろうと踵を返す。しかし、そこで唯斗はある違和感に気づいた。


「あー、もう……うっざいっ」

「…………この声。どこかで」


 聞き覚えのある声だった。それをどこで知ったのか、思い出すのにそこまでの労力は必要ない。


 ただ、その事実を受け入れることに対して想像以上に不快感が伴った。


「全部、消えてなくなればいいのに」


 うちの高校の生徒に知らない人はいない、普通に生活しているだけで自然と注目を集めてしまうような、そんな透き通るような柔らかく落ち着きのある声、

 ————ではない。いや。むしろ、切れ味のいいナイフのように鋭利で冷たく、その場の空気を裂くような。そんな声だった。


「…………絢瀬夏希」


 入学式や体育倉庫で話した時とはあまりに対照的な彼女の姿。信じられないというよりかは、信じたくない。何度も、自分の耳を、目を疑った。だって、あの絢瀬だ。完璧なる美少女。学園の高嶺の花。パーフェクトヒロイン。どう考えたって、そんなことはありえない。


 そんな否定が頭をよぎる。しかし、今も聞こえるこの空気をピリつかせるような彼女の罵声は、唯斗の考えを確信に至らせるための何よりの証拠だった。


「なんで、どうしてっ……うざいうざいうざい……」


 誰に対しての暴言かはわからない。しかし、絢瀬の怒気はまるで治まっていない。むしろ悪化してるんじゃないだろうか? その口調からは苛立ちが伝わってくる。


「何をするつもりだ?」


 ボソッと呟く、唯斗。

 絢瀬は何かを思い出したように、足元の鞄を探っていた。そして、その鞄の中から、一枚の青いハンドタオルを取り出すとそれを地面に投げ捨てた。今朝、昇降口で綾瀬の会の男子からもらっていたものだ。


「……っ」


 絢瀬は落ちたタオルを疎ましく睨みつけ、今度はそれ足で踏みつけた。ぐいっと力を入れて地面に押しつける、それも執拗に。軽く砂埃がたち、青かったタオルが茶色く染めていく。その様子をただ呆然と眺めているしかなかった。


「なんで、どうして、キモいキモいきもい。消えろ消えろ、くたばれ。ほんと死ね。どうして私が、私ばっかりがこんな」


 普段の絢瀬とは比べ物にならないほど低く鋭い声で、ぶつぶつと繰り返す。そんな彼女の悲痛な叫びが、誰もいない公園に小さく響く。


「…………ははっ」


 それは渇いた笑いだった。まるでいつもの天使のような笑みからありとあらゆる感情だけを取り除いたような。そんな笑いだ。

 絢瀬は額と顳顬を左手で押さえながら自嘲するように言葉を続けた。


「…………はぁ。なんで、こんなことになっちゃったのかな。私なんて、私なんて、私なんて、私なんて。…………どうせ必要ないんだ」


 唯斗は確かに感じ取った。さっきまでとはまるで違う絢瀬の声色、口調、そして表情。はっきり目視できるわけではない。ただ、段々と彼女の姿は弱々しいものになっていた。泣いているのではないかと、錯覚してしまうほどに。


「絢瀬夏希なんて、消えちゃえばいいのに。…………そうしたら、私が」


 無意識のことだ。唯斗は今にも膝から泣き崩れてしまいそう絢瀬に対して駆け寄ろうとしていた。それを自制心でなんとか封じ込める。ここで出て行っては、まずいと脳が予感する。だが、それも叶わないほどに今の彼女は孤独だった。


 放っておけるはずもなく唯斗は、足を前に踏み出して———。


「……ぃっ」


 踏み出して、真下に落ちた瓶に足を取られた。

 先ほどまで、踏み出そうとしていた大地に手をつき転がる。我ながらなんとも、バカらしい失態。声を抑えてはいたが、絢瀬の方も気づいたようで、こちらを見つめて————というよりかは睨んでいた。


「だれ…………?」


 転倒したときに打った手の甲と膝がヒリヒリと痛む。だが、そんなことを忘れてしまうほどに、唯斗の心臓は早く脈打っていた。

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