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Period, 7-3 思い出のリピート

「えっ、こんなに高価なものを食べていいの!?」


 絢瀬が持ってきたお菓子を見るや開口一番に反応したのは山下だ。絢瀬宅。いやむしろ、絢瀬邸と呼ぶべきなのだろう。その内装は外で見るよりも豪勢で、むしろ外装は控えめなくらいだった。廊下には価値も知れない絵や壺などが置かれていて、まるで西洋のお城のような雰囲気がある。


 四人が案内されたのは少し広々とした一室で、部屋の中央に存在感のあるテーブルが置かれていた。部屋の家具や時計などの家什、窓ガラスに至る全てに匠の技巧が窺える。


 勉強を始めてすでに数時間が経過していた。そろそろ休憩にしようということで絢瀬が執事に頼み、お菓子を調達したようだ。


「っていうか友香、あんたよくその学力で入学できたな」


 テーブルに並ぶマカロンと切り分けられたケーキに手をつけながら山下がため息まじりに呟く。どうやら、柏木よりも山下の方が賢いようだ。入学してすぐに実施された学力模試の成績ではほとんど最下位だったらしい。


「こういうのもなんですが、私は推薦ですから」

「かぁ、先生受けするとは思っていたが、これだから清楚系は」

「……いや、清楚系は関係ないと思うけど」

「あ、それよりも宮野くん。入試成績が一番だったってほんとなんですか?」

「どうだったかな、あんまり覚えてないけど」

「強者の余裕ってやつですね」

「なんか、本気で勉強してこの学校に来た私が馬鹿みたいだ……」


 そんな会話に宮野もさらりと混じって談笑する。この五人の中では宮野と絢瀬が頭一つ抜けて、賢い部類に入るだろう。それに続くように山下、唯斗、柏木の順。特に柏木はかなりの重症でこの学校に入ったのが奇跡的なほどの学力だ。


 というわけで宮野が柏木を教える役目を任され、残った三人で重点を復習していた。とはいえ、残る唯斗と山下も絢瀬におんぶに抱っこだったが。


「私ね。入試成績だけじゃなくて、学力模試でも二位だったんだ」


 机の上に広がっていた勉強道具をテーブル脇に寄せる唯斗に絢瀬が呟く。


「絢瀬で二位か」

「うん、宮野くんが一位だったからね」

「よく知ってるな」


 四月が始まってすぐに宮野のテスト結果を覗いたが、模試の点数が学内で一位だったようだ。


「噂になってたよ。今日だって、本当は彼の勉強の仕方が分かればいいと思ってたけど、ほんとに勉強はしてないの?」

「どうだろうな、あいつはいつも趣味に打ち込んでるイメージしかなかったし」

「趣味って?」

「いや、それは言えないけど、大して学力には関係ないと思うぞ」


 生徒会で一緒だったとはいえ、あいつがアニオタなことは知らないようだ。あいつは気にしていないが、イメージダウンを考えて控えるべきだ。


 絢瀬の頭には疑問符が浮かんでいたが、唯斗は話を逸らすためお菓子に手をつける。マカロンとケーキ、種類はザッハトルテだろうか。ジャムの風味とチョコレートの糖衣が特徴的なお菓子だ。


「うまいな、これ」

「喜んでもらえてよかった。ずいぶん昔になるけど、私も初めて食べた時のことは今でも覚えてるもん」

「絢瀬にとって、これは思い出のケーキなのか」

「……うん、そんな感じ」


 絢瀬はどこか遠くを見つめるように呟くと、そのケーキを口に運んだ。人にはそれぞれ忘れられない思い出がある。絢瀬にとってこのケーキはそれを思い出す鍵のようなものなのかもしれない。


「甘いお菓子が好きなんだな」


 絢瀬の裏は無機質な表情だったが、本当に美味しそうに食べていていた。


「んー、どうだろ。あんまり気にしてないけど甘党なのかもね」

「っ……」


 絢瀬が美味しそうにケーキを食べる姿を眺めていると、唯斗の脳裏に同じような場面の記憶が割り込む。以前にも同じ光景を見たような予感。しかし、それに気づいた時にはすでにその感覚を忘れていた。デジャブだろうか。


「ちょっとトイレに行ってきてもいいか?」


 唯斗は目頭を軽く抑えつつ、立ち上がる。ずっと座っていたため、少し部屋の外の風を浴びることにした。


「えっとね、トイレは部屋を出て右側の廊下側にあるけど、ついてく?」

「いや、ここに来る時に場所は確認したから大丈夫」


 それに一人にもなりたかったからな。やはり先ほどの感覚がデジャブだったとは思えない。唯斗はトイレを済ませて洗面所の前で手を洗うと鏡に映った自分を見つめた。あれはおそらく、あの時の記憶だ。ずっと昔、あの子が唯斗たちの家に来た時の思い出のワンシーンか。まぁ、ほとんど忘れていたのだが。


 洗面所を出て永遠にも思える廊下を見つめると、背中の辺りに嫌な汗が分泌するのを感じた。そして、完全に失念していた可能性に気づく。


「そう言えば、さっきの部屋はどこだったっけ」


       *


 来た時の情景を思い出しつつ唯斗は扉の前まで辿り着いた。窓の風景から察するに、この部屋かその隣のはずだ。


「お邪魔します……」


 中に人がいるかもしれないため、唯斗はゆっくりと扉を開ける。そしてすぐに部屋の間違えに気づく。ただ幸いなことにその部屋には誰もいなかった。


「……ピアノか」


 扉から差し込む斜光が暗い部屋に明るみを与える。そのおかげで、部屋の真ん中に置かれたグランドピアノを視界に捉えた。しかし、その存在感を除けば、実に淡白な部屋で、おそらくピアノを弾くためだけのものなのだろう。


 唯斗は校舎裏で絢瀬がピアノの発表会の話をしていたことを思い出しつつピアノに近づいて鍵盤蓋に手をかける。鍵盤もそうだが、埃の一つもない行き届いた手入がされていた。


 試しに鍵盤の『ド』の音を鳴らすと、閑静な部屋に音色が反響する。絢瀬のケーキではないが、唯斗もピアノには思い入れがあった。


「一ノ瀬くん、ここにいたんだ」


 その場にしばらく佇み干渉に浸っていると、扉の開く音と共に声が聞こえる。


「絢瀬か」


 この部屋に勝手に立ち入ったことを詰問されるかと思ったが、この時の絢瀬は静かだった。


「一ノ瀬くんには話したっけ。私がピアノをやってること」

「ピアノの発表会の話だろ?」

「そう」


 さっぱりとした返事を返すと、絢瀬はピアノの方に向き直る。ここにはあの三人がいないため、本来の絢瀬で変に媚びていない。


「弾けるのか?」

「少しは。そこ、ちょっといい?」


 そう言って、絢瀬はトムソン椅子に腰を下ろすと鍵盤に指をなぞらせる。そして目を閉じて精神を落ち着けると、鍵盤に手をかける。絢瀬が弾き始めたのは、ベートーベン作曲のピアノソナタ八番『悲愴』の第二楽章だ。


 寂寥感が漂う曲調がどこか哀愁を誘う有名曲の一つで、音域の狭さが特徴だ。


「それにしても上手いな」


 低音の度合いやペダルのタイミング、そして何より絢瀬の弾く曲は雑味が少なく非常にクリアな印象だ。唯斗もしばらく、彼女の悲愴を聞き入っていた。

 しかし、


「どうかしたか?」


 絢瀬は曲の途中にも関わらず、鍵盤を無造作に叩き和音を鳴らした。弾けないパートに差し掛かったのだろうか。いや、暗譜していたためそれも考えにくい。だが兎に角、絢瀬のピアノの実力は唯斗一人で聞くには勿体ないほどだ。


「そろそろ戻ろっか、みんなも心配するだろうし」


 絢瀬は椅子から立ち上がると、唯斗に提案する。悲愴の第二楽章は全体として五分ほどなのでそれほど長くない。しかし、このままここに居てもみんなが不審に思うのも確かだ。唯斗たちはそのままピアノ部屋を後にした。


 勉強部屋に戻ると宮野や他の三人はお菓子を食べ終わり、勉強を始めていた。中間テストも近いため焦りもあるだろう。唯斗たちも食器を片して、問題集を開く。そして、その後は特に何事もなくこの日の勉強会は終わりを迎えた。

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