Period,6-5 Epilogue. 暗躍①
夕闇に染まる生徒会室。
嘉之は茉莉に唯斗の話を伝えるために生徒会室に訪れていた。
『絢瀬のやつ、困ってやがったな』
ノートPCに映し出されるのは、校舎裏で女子達が会話をしている映像だ。噂の件。この一件で、必要とされた措置は大きく分けて主に二つ。事態の収集と噂の拡散防止。収集に関しては、放送委員を利用した茉莉会長の案がうまく適合した。
問題は噂の拡散防止案だったが、
『いい気味、美桜の彼氏を奪ったんだからこれくらいされて当然の報いだって。それにあいつ一年のくせに調子に乗りすぎ。ね、美桜?』
『……足りない』
『え、美桜?』
『決定的な証拠があるわけでもないし、生徒の大半は噂のことを本気で信じてるわけじゃない。もっと、追い詰めないと。……絶望させてやる、私みたいに』
そんな三人の前に臆せずと現れる、杠葉香琳。二年生の端島美桜の頬を叩くと壁際に押し付ける。まさに鬼気迫る表情。
『まったく、突然飛び出すな』
『一ノ瀬唯斗、あんたまで出てこなくてもよかったのに』
それを追うように一ノ瀬唯斗も姿を見せる。こんな状況でありながら、しかし、その目尻はしっかりとこちらを捉えていた。
「なるほどな。やはり気づいていたか」
「やはりって……あの状況で隠し撮りに気づくなんてそんなこと」
茉莉は映像を眺めながら頬をニヤつかせる。対して嘉之はそんな会長の表情を眺めながら、ため息をついた。茉莉は杠葉の案を否定しながらも、実際には彼女が求めていた証拠をあの場で持っていた。
しかし、それを隠して二人を突き返した。そこに理由などない。この人がそうしたのはおそらく興味本位だろう。
「嘉之。絢瀬の会の掲示板でついさっきあがった投稿を見たか?」
「見てないですけど……」
「そうか。なら、確認してみろ」
そういって向けられるノートパソコンには、噂を流した張本人のIDで投稿された新しい文章があった。
『一身上の都合により、虚偽の噂を流してしまいました。本当にごめんなさい』
そこに綴られていたのは、噂を流した本人とは思えない人物が書いた謝罪文。
「これは……姉さんが?」
「いいや。私は今回の件に関して、犯人との接点はない」
「では誰がこんなことを?」
「ついさっき、私に言伝をした人は誰だった?」
「…… 一ノ瀬唯斗」
しかし、彼はこの事件に巻き込まれただけ。積極的に噂を解決しようとする姿勢もあまり見受けられなかった。いや、違う。
「なにか、心当たりがあるのか?」
「…………まぁ」
昨日の授業後に送られてきた彼からのメッセージ。端島美桜に関連した話題。どんなやり方かはわからないが、あの時にすでに彼は動き出していた。そう考えると辻褄が合う。
『脅迫用で使うのであればもう必要なくなったので』
あの言葉の本来の意味、それはつまり事態を収拾する方法があるということ。
杠葉が提案した犯人に処罰を与えることで、拡散を防ぐ解決案①
会長の考案した脅迫による行動の制限で拡散を防ぐ解決案②
そのどちらでもない、三つめの解決案がすでにあったことになる。
「一ノ瀬唯斗。ただの勘の鋭い奴なのか、それとも……。宮野の話していた通り、食えないヤツだな
茉莉は誰に告げるわけでもなく、そう囁いた。
*
絢瀬との会話を終えた唯斗達は、若干の注目を集めながら教室に二人で戻っていた。放課後で人が少ないとはいえ、やはり目立つ。
唯斗と絢瀬は友達になるにあたって、ある条件をつけることにした。
二人でいる時を除いて話をする場合、本性を隠して行うこと。
元々そのつもりだったため、なんの支障もないが確認の意味合いもあった。絢瀬もこちらが本性をバラさないということを信頼までにはいかないにしろ、分かってくれたようだ。
「絢瀬さんっ」
あと少しで教室に着くというところで、二人の女子生徒から声を掛けられる。おそらくは絢瀬のクラスメイトだ。
「あのね……」
そのうちの一人が、どこかバツの悪そうな表情で口を開く。
「……その、お昼はごめん」
「えっと、……どうして謝ってるの?」
「だって昼休みの放送前にデリカシーのないことばっかり言っちゃって怒らせちゃったじゃん。だから、二人で話し合って謝ろうって決めて……」
「私もごめん。もしかしたら、絢瀬さんに仲間外れされたと思われるような発言をしちゃったから。これからは気をつける」
その二人の様子に絢瀬は釈然としない表情だ。
「えっと、なんで私が怒ってるって思ったのかな」
「だって、絢瀬さん。私たちが一ノ瀬くんとの関係を言及したりしたことに腹を立てて教室から出て行っちゃったのかなって……」
「その時は別の用事があっただけだから」
「でも、放課後になってもすぐどっか行っちゃったから。私たちと話したくないのかなって思ったというか。友達として酷いことをしたなって」
女子生徒の一人の言葉に絢瀬は動揺を隠せていない。
「とも、だち……?」
「違ったかな?」
「……うんん、違くない。友達だよね、うん。だからその時のことはあんまり気にしすぎないで」
「そう、かな……」
申し訳なさそに、けれど少しだけ納得したような表情を見せる。
「それでさ、絢瀬さんのことを夏希ちゃんって呼んでいいかな?」
「えっと……」
「一ノ瀬くんだって呼び捨てで呼んでたわけだし、私もいいかなって思ったんだけど……ダメかな、絢瀬さん?」
二人の言葉に数秒黙り込んで、噛み締めた口調で答えた。
「……いい。いいよ、夏希って呼んでも。だったら私も……名前でいいかな? 友香ちゃん、凪沙ちゃん」
「「……うん!」」
絢瀬がそういうと二人はお互いに顔を合わせて、喜ばしい表情で返事をする。これから先、この三人の関係がどのように変化していくかは想像できない。しかし、この進捗は絢瀬にとって何かが変わるきっかけになるだろう。
唯斗はどこか気まずくなり、そのまま鞄を背負って階段を降りる。
呼び捨て。絢瀬がずっと気になっていたことだ。放送中に唯斗が絢瀬のことを呼び捨てした理由の一つにこのことがあった。とはいっても、それはあくまで期待に過ぎなかったわけだが。
「ねぇ、一ノ瀬唯斗。ちょっといい?」
昇降口で靴に履き替えていると、待ち構えていたかのように杠葉から声を掛けられた。
「さっき美桜先輩がきて、私に、その……感謝してた」
「そうか」
「そうか、じゃなくて。あんた、何かしたの?」
「昨日の放課後、美桜先輩と話をした。それだけだ」
「やっぱり……」
勝手に行動したことを責められると思ったが、咎めはないようだ。
「確かに話はしたが、お前に話したことは嘘偽りのない言葉だと思うぞ」
「どういうこと? なんで、そんなことあんたが……」
「これ以上は、本人に聞いてくれ」
杠葉の反応を見るに全てを語ったわけではないだろうが、それでも気持ちをちゃんと伝えたと見るべきか。ただこれより先を語ることは端島先輩の都合も考えて伏せることにした。
「ちょっと、話はまだ……」
唯斗は杠葉の話を途中で切り上げると、そのまま歩き出す。杠葉はどこか腑に落ちない顔でそれを見つめていた。
外に出ると五月のほのかに生温い風が吹き付けて、事の終わりを感じさせる。端島先輩と話したこと、それは昨日に遡る。
*
「杠葉さん……だっけ。あの子には感謝してる」
木曜日。氷室と図書館で話をした後のこと。校内に設置されたベンチに座った端島先輩は遠くを見ながらそう言った。
『端島美桜。二年A組34番の生徒で普段から仲間と集団で行動しており、一年生の冬頃から同じクラスだった生徒と交際もしていました。特に目立った特徴があるわけではないですが、その人当たりの良さから多くの生徒と親しかったと記憶しています。また……』
唯斗が嘉之先輩に放送の参加条件として提案したのは、端島先輩の情報だった。校舎裏での引き際のよさ。それに違和感を感じて、気になってはいた。
だが本格的に接触を決めようと思ったのは、茉莉会長の解決案②が提案されたときだ。このままでは、よからぬ結果になると直感した。
「憎かった。あれほど好きだと言っていた私のことを振った彼ではなく、彼の新しい思い人である綾瀬さんのことが。でもちゃんと考えてみれば、あの子の方が魅力的なのにね」
端島先輩はどこか憂いを含んだ笑みを浮かべる。
「多分、私は初めから間違ったことをしてるって気付いてた。気付いていながら恨みに身を委ねて友達に協力を求めてあの噂を広めようとした。あんなに広がるとは思ってなかったけど、私と同じ気持ちの人がいるんだってわかったら、止まらなくなった」
彼女は語った。彼女が綾瀬を恨んでいた理由。そして、感情が抑えられなくなっていたこと。『いいね』を押した人の中には、絢瀬のことをよく思わない人もいたはずだ。それが彼女の背中を後押しして、考え方を正当化させた。
自分の事情を語ることで彼女は気持ちを整理して反省する。気持ちを話すことで人間は精神的に救われることがあるがその例だ。罪悪感を拭うために半分被害者である一ノ瀬唯斗に罪を告白した。
おそらく、脅迫ではこうはなっていなかった。彼女が自分の意思で吐き出した言葉。強制ではなく任意。会長の解決案では、端島美桜という生徒の気持ちのやり場がなかった。だからこそ、唯斗は動いた。
「本当にごめんなさい」
端島先輩は立ち上がると、唯斗に深々と頭を下げる。
犯した罪を打ち明けて、楽になることはある種の甘えだ。先輩は自らの妥当性を主張して許しを乞うている。起ってしまったこと、やってしまったことは変わらない。事実はずっと先までその人の脳に残り続ける。だが、
「全然、大丈夫です。この件に関しては、先輩だけのせいってわけでもないですし、僕だって実際にやられたらどうなっていたか。だからあまり自分を責めないでください」
唯斗が望むのは罪を背負わせることではない。
唯斗は彼女の犯したことを肯定する。
先輩が抱く負の感情の共感、もしも自分がその立場だったらという同調、掲示板に『いいね』を押した他者への責任転嫁、そして、『仕方がなかったね』という使い古された慰め。
たとえ、これが彼女にとっての甘えになるのだとしても構わない。
唯斗はそのとき、確かにそう思った。
*
杠葉と別れたあと、帰路に着く唯斗に待っているのはいつも通りの道だ。
いつも通り改札を通り乗り込み、いつもと同じ電車に揺れる。
『そう俯くなって、お前は俺よりもすげぇヤツなんだから大丈夫だ』
鮮明に蘇ってきたあの時の記憶。遠い夏の日。
『あとは任せたぞ、———』
その夏以降、怠惰に貪ってきた嘘だらけの人生。
でも、絢瀬と屋上で話したとき、その無駄に貪ってきた時間がどこか有意義だったと感じられた。きっとこれが今の俺にできることだと思った。
——————『救う』こと。
唯斗は家の鍵を開けると、扉を開き玄関の電気をつける。
「ただいま……」
いつも通りのことだが、返事が返ってくることはない。
普通を演じてきた。
平凡を演じてきた。
それを変えるつもりはない。
けれど、あの放送室で唯斗はもう逃げないと誓った。
自分の中で、明らかな変化があった。
これから先。偽物と、
嘘と罵られようと構わない。
この日、一ノ瀬唯斗は他者のため、自身を偽ろうと決めた。




