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Period,5-3 本番直前

 用事を済ませ、日もかなり落ち始め頃。ただ足が出向いたという理由で訪れた教室。窓際の一番後ろの席で散乱した資料と黙々と格闘する宮野を見つけた。


「まだ教室に残ってたんだな」


 どこか集中した様子で手元に置かれた表やら円グラフやらが記載されたプリントをいじっている。

 鞄を下ろし宮野の一つ前の席に座ると、宮野が困り顔で微笑む。


「茉莉会長にちょっと資料の整理を頼まれちゃってね。唯斗こそこんな時間までどこにいたんだい?」

「ちょっと、いろいろあってな。野暮用ってやつだ」

「ふぅん?」


 何かを推察するように唯斗の顔をじっと見つめる、宮野。


「そういえば、明日の放送に参加するんだって?」

「まぁ仕方なくだけどな」

「珍しいよね、唯斗がそんなことをするなんて。小学校から一緒だったけど、人前で話すところなんて滅多に見たことがないし、茉莉会長に懐柔されたのかい?」

「懐柔……まぁそんなところだ」


 会長の提示した最良の条件と解決方法、あの状況で断ることができるはずもなかった。


「あの人はすごいよ。今まで出会った人の中であれほど洗練された人はいない」

「お前こそ、誰かのことを褒めるなんてな」


 宮野は昔から何かと小器用にこなすところがあるから、誰かをここまで本心で褒めたりするのは貴重だ。


「ただ少しだけ恐ろしいけどね」


 資料にやっていた視線を唯斗に向けると、そう付け足す。


「恐ろしい?」

「あの人はどこまでも先が読める人だからね。それはすなわち、現状把握が正しくできるということでもある。だからこそ多少リスクを伴うことであっても問題なく遂行できてしまう」

「まぁ、そうだな」


 これからどうなるのかの前兆を把握することは、ずっと先のことを予測することにも繋がる。そして、茉莉会長は息をするようにそれを自然にやってのけるというわけだ。


「会長は常に相手にとって何が最善の選択になるのかを考えていて、それを行動に移している。ただ、だからこそ時々手段を選ばない時があってね」

「手段を選ばないか……確かにな」

「心当たりがあるのかい?」

「まぁな」

「結果論者ってわけじゃないけど、過程がどんなものであろうと最終的に理想の形に至ればそれでいいと考える人だからね、あの人は」


 茉莉会長にとって理想の結果とは校内の秩序が守られることなのだろう。強迫や恫喝などを用いて必要のない生徒を抑止することはその一つの手段。理想に至るための犠牲というわけだ。


 唯斗は椅子から腰を上げると、大きく背伸びをする。


「俺はそろそろ帰るけど、そっちは?」

「もう少しだけかかりそうだし、先に帰ってくれ」

「わかった、お前も暗くならないうちに帰れよ」


 唯斗は椅子の下に置いた鞄を持つと、がらがらと教室の扉を開ける。


「また明日学校で」

「おう」


 唯斗は背面越しに軽い返事を返すとそのまま部屋を後にする。夕焼けに染まる一人だけの教室。まるで世界に一人だけ取り残されたみたいで、刹那、換気のために開けていた窓から一際強い風が吹き寄せる。


「端島美桜、竹淵穂香、清水陽子……」


 宮野はテーブルに置かれていた決算書をずらして、その下のプリントに書かれた内容を読み上げる。三人は、絢瀬の会の掲示板に噂を垂れ流した人物だ。


「ほんと、茉莉会長は何を考えているんだか」


 その言葉は誰の耳に届くこともなく、五月の風にかき消された。


     *


 その日の夜。

 家に帰った唯斗は軽くシャワーを浴びて部屋でゆったり過ごしていると、数分前に送られてきていた絢瀬からのメールに気づいた。


『今から少しだけ話せる? 明日のことについて聞きたいことがあるんだけど』


 どうやら絢瀬は、電話での会議を御所望らしい。唯斗は返事をするとすぐに絢瀬からの電話がかかってくる。絢瀬といえど、この時間は暇なのだろうか。


「あや……」

「一ノ瀬くん。取り敢えず、どうして放送に参加することになったのかの経緯を説明して。いろいろと分からないことが多すぎる」


 いつかのやりとりを想起させるような強引さ。怒っているわけではないが、困惑したような語調だ。


 唯斗は首元のタオルを椅子に掛けてベットに腰を下ろすと、杠葉や美桜先輩と起こった校舎裏での出来事には触れずに、生徒会室で起こったことの成り行きを掻い摘んで語る。

 大筋を語り終えたところで、絢瀬は少し考え込んだ後に尋ねた。


「つまりは、噂の出しにされた一ノ瀬くん本人にそれを否定させて、それを笑い話に変えるってわけね。けどそれって、簡単に言ってるけどかなり難しいことなんじゃないの?」

「まぁ。それは、そうかもな」

「一体どんな方法をとるのか想像もつかないけど、まぁいいわ。とりあえず問題はそこじゃなさそうだし」


 絢瀬も茉莉会長には信頼を置いている。やり方に関してはとりあえず気にしないようだ。


「問題って、他に何かあったか?」

「あのね。一ノ瀬くん、全校生徒600人以上に向けて話せると思ってる?」

「いや、それは……」

「無理そうね」

「おい、まだ何も答えてない」


 いやまぁ、その通り過ぎて何もいえないんだが。

 絢瀬はしばらく黙り込むと、言葉を続ける。


「……わかった。これも私の失敗だし、協力する」

「協力って……」

「なに、文句?」

「いや、そうじゃないけど、俺がやらかさないようにってことか?」


 俺の疑問にしばらく黙り込む、絢瀬。そして、深刻そうに口を開く。


「……それだけじゃない。私自身の問題に一ノ瀬くんを巻き込んだ。だから、これはせめてもの罪滅ぼし」


 どことなく感じられる反省の色。もしかしたら絢瀬という人間は普通の人よりも思いつめやすい性格なのかもしれないと、ふと思った。


「それで、協力っていうけどなにをしてくれるんだ?」

「一ノ瀬くんには、明日の放送中に私の執事を貸してあげる」

「えっと……?」


 執事というのは、氷室のことだろう。にしても、貸すとはどういう意味だ?


「図書室で会った私の執事のこと、覚えてるでしょ。あの子に協力を頼むって言っているの」

「なるほど……ますます分からないんだが」

「ほんと、鈍い。まぁ端的に言うと……」


 そして、苛々とした口調で明日の流れを一通り話す、絢瀬。


「なるほど、そういうことか。確かにそれならなんとかなるかもな」

「でしょ?」


 どこか誇らしげに返事をする。こういうところはほんと可愛い。


「おそらく明日は彼女に全てを任せることになる。私は人目を集めるから教室から出られないと思うし……」

「わかった、とりあえず氷室に任せればなんとかなるってことだな」

「そういうこと」


 説明を聞き終えた唯斗はそれに納得して、会議を終える。電話を切った唯斗は絢瀬から言われた作業をこなすと、明日に備えて早めにベットで寝ることにした。


      *


 そして、翌日———金曜日、決戦の朝だ。

 人の集まる昇降口で唯斗は靴箱に入れられたワイヤレスイヤホンを取り出すと、それをポケットにしまう。つまり絢瀬の作戦はこうだ。まずは唯斗が前日に氷室の連絡先を追加しておく。これは寝る前に済ませてある。


 そして本番直前。時刻は12時をまわり、4限終了のチャイムと共に昼休みが始まる頃。携帯をワイヤレスイアホンに接続して氷室に電話をかける。両耳につけると気づかれるリスクが上がるので、右耳だけの装着だ。


「聞こえてるか?」

『大丈夫。そっちこそ、準備はいい?』

「お、おう」


 この後、スマホをポケットに仕舞えばおおよその準備は終了する。感度の高いイアホンのようで耳元から氷室の囁きが聞こえてこそばゆい。いろいろと申し訳ない気分だ。


「夏希様から聞いてるとは思うけど、本番中は私の話したことだけをそのまま伝えればいいから。余計なことを考える必要なんてない」


 右耳のイアホンから聞こえる淡々とした声。

 なぜここまでの準備をするのか。絢瀬が唯斗を巻き込んだことを反省しているのは事実だが、やはり、それと同じかそれ以上に唯斗を監視する意味合いもあるはずだ。言うに及ばず、この放送は学校全体に放送される。

 もしそんな場で唯斗が絢瀬に関する不都合な情報———つまりは公園で知った絢瀬の裏などを流せば、それが全校生徒の耳に入ることになるのは必至。その事態を起こさせないために氷室がいるというわけだ。


 唯斗は放送室まで足を運ぶと、そこには久保先輩と数人の生徒が見られた。

 中に入ったその瞬間、体の内側からグッと緊張が押し寄せる。


「えっと、一ノ瀬さんですか? まだ人が集まってないので、少しばかりそちらの椅子で待っててください」


 肩の下辺りまで伸びた長い黒髪の女子。ぱっちりとした目にかからないくらいの長さに整えられたた前髪がなんとも上品な感じを醸している。

 唯斗は案内されるがままにマイクの置かれた放送部屋へと足を運んだ。


「紹介が遅れました。私は二年Cクラスの江本です。本日は久保くんと一緒にラジオパーソナリティ……えっと、司会進行を務めさせてもらいます」


 一度立ち止まり自己紹介をする江本、その笑顔はなんとも眩しい。

 放送室の中は機材用スペースと放送用スペースに分かれていて、なんとも本格的なラジオ番組のような空間だ。唯斗は放送側の椅子に腰をかけると江本先輩から台本を渡される。


「久保くんはまだ来てないみたいなので、私が代わりに説明します。まずこれが今日の台本ですね。ただ、これをあてにしすぎないでください。状況に応じていろいろと変わりますので」

「わかりました」

「緊張……されているようですね」


 唯斗の顔を覗き込むように膝に手を置き腰を曲げる、江本先輩。


「そうですかね」

「はい。『僕は今緊張しています』って顔に書いてありますよ?」

「えっと……」

「ふふっ、冗談です。まぁでも、楽しんでやることが一番だと思います。変に力まずに、今日は楽しみましょう!!」


 江本先輩は励ましの言葉をかけるとせかせかと機材ルームの方へと行ってしまう。おそらくは段取りの確認をしてるのだろう。その他の生徒も忙しそうに手を動かしている。


「あっ、久保くん。やっと来た!! もう、どこ行ってたの?」


 そんな中、扉の奥から嘉之先輩が姿を現す。相変わらずの爽やかフェイス。


「あはは、すみません。ちょっと姉さんに呼ばれてしまって……」


 二人は仲睦まじく話をしながら放送スペースの方へと再び戻ってくる。


「一ノ瀬唯斗くん、改めて本日は協力いただきありがとうございます。手筈通りであれば、あと数分で始まりますのでそれまではリラックスしていてください」


 ……あと数分。

 頭の中で久保先輩の言葉を反復する。急に背筋から変な汗が分泌されるのを感じた。心臓の鼓動が高鳴っていることが。そして、握り締めた指が震えているのが確認せずとも分かる。


「音響、その他、準備完了しました」


 その言葉を合図に久保先輩は唯斗の向かい側の席につく。江本先輩はその隣だ。二人とも余裕綽綽な顔をしており、慣れたようにリラックスしている。


「よし、それじゃあそろそろ始めようか」

「…………っ!!」


 久保先輩がその一言をこの場の全員にかけると空気が一気に変わった。音響ルームの張り詰めた雰囲気がガラス壁越しに伝わってくる。


 みんなこの放送を———いや、都度の放送を真摯に取り組んでいる。

 もしここで唯斗が失敗したら、この放送が台無しになってしまう。

 

 ふと、そんな思案が頭をよぎる。


 ————そしてその考えが、唯斗の限界まで高まっていた緊張を加速させた。

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