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Period,0-1 Prologue. 遅刻組

「……まったく、ついてないな」


 春。私立君ヶ咲学園の入学式が開かれる、四月八日。駅から数分のところにある、桜並木の坂道を少し登った先。その学園の校舎入口の階段で、腰を下ろし空を見上げていた。


 何事も始めと終わりが肝心である。年末が近づくと『仕事納め』と云われる重要な時期に差し掛かり、新年には『仕事始め』で緩んだ気を締め直す。それと同じで高校生活にも『始め』と『終わり』が存在している。


 ————『入学式』と『卒業式』だ。


 しかし俺こと、一ノ瀬唯斗はそのうちの一つ。入学式の日に盛大な寝坊をしてしまった。駆け出しからこうも上手くいかないと今後の高校生活も不安になる。


 案内では集合時間が九時と書かれていたが、時計の長針はさらにもう一周している頃だ。教室には誰一人として残っておらず、まさに手持ち無沙汰な状態だ。職員室には希望があるかもしれないがそこまで行くのも億劫だった。


「あー、いい天気だ。雲ひとつない空、最近曇ってたからな。これをじっくり眺められただけでも、遅刻してよかったと思うべきか」


 誰に届けるわけでもなく呟いた。特に遮蔽物もないため、先ほどから春の暖かな日差しに容赦無く晒されている。とはいえ、決して気温が高いわけでもなくむしろ快適だ。まさに絶好の入学式日和。


 そんな美しい蒼天を眺めていると、今の状況も悪く無いように思えてくる。


「……って、流石にそれはないか」


 そんな感じで軽口を叩き救いようのない今の自分を軽く自嘲していると、快活な足音がこちらに近づいてくるのを感じた。ローファの音だ。


「ねぇ君、こんなところで何をしているの?」


 とても柔らかく透き通った声が唯斗の鼓膜を揺らす。声のトーンからして、同じくらいの年齢だと判断する。だが新入生は入学式の最中のためこの学園の先輩だろう。


 唯斗は見上げていた空から女子の方へ視線を移す。そしてその瞬間、まるで時が止まったような錯覚に陥った。理由は至って単純。


 ————唯斗を見つめる彼女があまりにも美しかったからである。


 吹き付ける風になびくその金色の髪を押さえながら、弾むような笑顔を浮かべる美少女。唯斗がもしもルネサンスの芸術家ならこのワンシーンを逃すまいと、無礼にも筆写し始めるほどに。


「あの、どうしたの? 私のことじっと見て。もしかして、寝癖でもついてる?」


 数秒か、数十秒か。少なくとも不審がられるほど長い間、彼女を見つめていた。見惚れるなんて言葉があるが、まさにこういった場面で使うのだろう。不思議がる彼女の言葉が届かないほどに、無心になっていた。


「いや……綺麗だな、って」

「……えーっと?」

「あっ、いや違くて。桜、桜が咲いてて綺麗だなぁ、って」

「そ、そうですよね。桜、うん。とっても綺麗」

「はは……」


 唯斗の動揺が相手にも伝わってしまっただろう。なんとも居心地の悪い空気がこの場を包み込む。


「えーっと、もしかしてこの学校の先輩ですか? 私、今年から一年生なんですけど先輩なら敬語を使っていませんでしたので」

「いや、俺も新入生だからためだよ」

「……そう、なんだ」


 唯斗の返答に少女は小首をかしげる。共通語だと思っていたが、『ため』の意味がわからなかったのだろうか。


「どうかしたか?」

「えっと、うんん。少し大人びていたので、同い年だと知って驚いちゃった」

「なるほどな。だが、そんなこと初めて言われたぞ」


 落ち着いた雰囲気に感じられるのは、初対面の相手だから警戒しているということもあるだろう。それと友達は多くないため、初めて話す相手には緊張する。


 唯斗は座っていた階段から立ち上がると、臀部の砂を軽くはたく。


「そういえば、君も新入生ってことだけど、入学式はどうしたんだ? 集合時間どころか、入学式だってもう始まってるはずだが」


 どれくらい長いことここに座っていたのかを知る手段はない。しかし少なくとも、俺がここに来て十分以上は経っているはずだ。ということは、この子も遅刻をしたということになる。見るからに優等生気質だから、あまり想像はできないけど。


「えっとね。それなんだけど、今朝に起こった交通事故の影響で道が混雑していたからなんだ。それも、結構近くで……びっくりしちゃった」


 どうやらこの女子生徒は、車で送迎されているらしい。さすが私立というべきか、中学まで公立に通っていた唯斗からすれば十分珍しい。それに『びっくり』って、一々表現が可愛い。


「……案外、悠長なんだな」

「あはは、確かにそうかも」


 女子生徒は苦笑いを浮かべて、後頭部に手を当てる。


「にしても、交通事故で遅刻か。なんだか、お互いついてないな」

「ふふっ。そうだね、お互いついてない」


 俺の言葉を噛み締めながら微笑む彼女は、ただただ可憐で美しかった。それも、あらゆる比喩表現すら陳腐に聴こえてしまうほどに。筆舌に尽し難いとはまさにこの事だ。


「なにか、可笑しかったか? 普通なことしか言ってないんだが」

「あっ、別に変な意味はないんだけどね、一緒だなって思って」

「遅刻のことか?」

「うん、まさか私以外に遅れている人がいるなんて、思ってもみなくて。こんな日に遅刻するなんて、なかなかないよ? 私たち、チーム遅刻組だね」


 チーム『遅刻組』か。


「にしても、道路が混雑してたって、もしかして車でここまで来たのか?」

「そういうことになるかな、専属の運転手さんが学園まで送ってくれて」


 車での送迎だけでなく、専属の使用人までいるらしい。まるで住む世界の違う話になんとも不思議な感情を覚える。だがそれと同時に納得した。彼女の口調や話し方は明らかに一朝一夕でできたものではない。幼い頃からの教育の賜物なのだろう。


「そういえば、名前。聞いてなかったね。君のこと、なんて呼べばいい?」

「俺は一ノ瀬唯斗(いちのせゆいと)だ。そっちはなんていうんだ?」

「一ノ瀬くんだね、私は絢瀬夏希(あやせなつき)

「……なつき」


 どこかで聞いたことのあるような名前の響きだった。しかしその可能性はないだろうとすぐにそれを否定する。こんなにも可愛いのだ。もし会ったことがあるなら、絶対に忘れない。それに彼女の髪は金髪。


 以前に彼女の噂を聞いていて、それが思い起こされたと考えるのが妥当だ。


「ん、どうかした? 急に難しい顔になってるけど」

「いや、なんでもない。それよりこれからどうしようか。入学式も中盤くらいだろうが、職員室でも訪ねてみるか?」

「これから、か。んー」


 彼女は顎に手を当てて考えると、唯斗の座っているそのすぐ隣に座る。そんな仕草がいちいち可愛いのは言うまでもない。唯斗の心臓はドキッと大きく弾み、しかしすぐに落ち着きを取り戻した。


「それなら誰か職員が来るまで、ここで二人で話さない?」


 彼女の予想外の答えに少し動揺する。だがすぐに、春の日差しよりも暖かいその笑みに頬が緩んでしまわないようグッと堪えた。流石に、ここで「ぐへへ」なんて声を上げてしまったら、変態認定は免れない。


「……まぁここにいれば、誰か来るかもしれないからな。そうするか」


 絢瀬はその場に座り込むと隣の空いてるスペースをぽんっと叩く。どこか気恥ずかしい感情を覚えながらも、唯斗はその誘いに応えて腰を下ろす。


 そして、二人はそれからしばらくそれぞれの話をした。先生がやってきて入学式に参加するまでの時間にするとわずか数分の間だ。しかし、その数分間はの思い出は、あの日を迎えるまで唯斗の記憶にしっかりと焼き付くものとなる。


 桜舞う校舎。入学式の日。

 その日、一ノ瀬唯斗は絢瀬夏希との《《邂逅》》を果たした。

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