Period,4-2 噂。噂。噂。噂。
「ああ、また明日な」
「……うん、また明日」
唯斗は絢瀬にかけた電話を切ると、部屋の椅子にそっと腰を下ろす。
「さて、どうしたものか」
広まる絢瀬の誹謗中傷。裏表があるという事実も絢瀬に対して何かしらのネガティブな感情を抱いた生徒がでっち上げた、虚構と見てまず間違いないだろう。絢瀬の裏表を知っているのは、校内でも俺くらいなはずだ。それに、
「…………援助交際とは大きく出たものだな」
絢瀬に裏があるという噂以外、まったくもって的外れ。見当違いだ。いたずらにしてはタチも悪く、嫌がらせという線も考えられる。
「まぁ、考えたところでどうしようもない……か」
唯斗はその後軽くシャワーを浴びて寝支度を済ませると、そのままベットで眠りについた。
*
翌日の朝。
いつも通り電車に乗ると、やたらと周りの生徒からの視線を感じた。「一ノ瀬唯斗って、あの人かな?」「え、本当だ。写真とそっくり」などといった会話が、其処彼処から聞こえる。
そんな雑音を誤魔化すため、電車内では普段はつけないイヤホン装着することにした。今日は朝から生徒会活動があるため、宮野とは別行動だ。学校に近づくほどに登校する生徒の数も増え始め、それに比例するように視線も集まり始める。
「おっす、一ノ瀬」
そんな唯斗に臆せずと、軽快な声とともに昨日よりも一段と明るい雰囲気を醸した戸野塚智紀が、ポケットに手を突っ込みながら現れる。相変わらず制服は着崩していて、手持ち鞄を背負っている。
「……なんだ、戸野塚か。生きてて安心したよ」
「なんだとはなんだ!!? というか、お前の中で俺って死んでたの?」
「あれは、キュン死だったな。それも校舎裏で」
「いや、確かに昨日は死にかけたけども! というかキュン死って……お前いつの時代の人だよ」
唯斗は戸野塚にキュン死は死語だと指摘され、ばつの悪さを感じながら前髪をいじくる。
「にしても、お前に対する視線凄まじいな」
相変わらずの陽気さだったので、SNS上の噂のことを知らないのかとも思ったが、流石にこいつの耳にも届いているようだ。戸野塚は声のボリュームを落として、そっと囁く。
「昨日、グループチャットでかなり話題になってたぞ。一ノ瀬唯斗が絢瀬夏希が付き合ってる疑惑が本当なんじゃないかって」
ネットの恐ろしいところはそこだろう。『絢瀬の会』のホームページにあるコメント数といいね数だけが、全ての情報というわけじゃない。当然のようにその噂や画像などは、グループチャットや別のSNSに拡散される。
「まぁでも、昨日の放課後の様子を見るにお前と絢瀬は、なんともなさそうだったけどな。だから、クラスの奴らには俺から言ってやったわけ。絢瀬をもらうのは唯斗じゃなくて、俺だってな」
「ああ、それで?」
「まぁ、そしたら他のやつも『俺が、俺が』ってなったわけ。けど、最終的には絢瀬さんはやっぱり可愛いなっていう結論で落ち着いたかなぁ。俺も昨日初めて話したけど、絢瀬さんってスッゲェいい匂いするのな」
「なるほど」
なんの話をしていたのか、最後には忘れてしまう程に飛躍している。ただそれでも、戸野塚には感謝するべきだろう。少なくともクラスメイトの誤解は解いてくれたわけだ。
そこでふと、昨日から気になっていた疑問を思い出した。戸野塚ならこの件の全貌までとはいかずも、唯斗よりは知っていそうだ。
「そういえば、割合的にはどれくらいなんだ? サイトを見た全員が絢瀬の噂を信じてるわけじゃないだろ」
「あー、どうだろうな」
考える仕草を見せながら後頭部をボリボリと掻く、戸野塚。
「男子の中で信じてるのは1割くらいじゃねぇか?」
「…………マジか。思ってたより、少ないな」
「いや、そんなもんだろ。おそらく大半の生徒からしたら絢瀬夏希そんなことをしないって分かっているし。3割くらいは面白がってて、残りの半数以上はまったく信じてないんじゃないか? お前への視線も、興味と嫉妬の半々だと思うぞ」
「はた迷惑な話だな」
ただその推測もあながち間違いではないのかもしれない。そもそも、絢瀬夏希は絶対的高嶺の花として、ここ一ヶ月間崇められてきた。そんな絢瀬に根拠のない噂の一つや二つが通用するはずもない。
戸野塚智紀。見た目の割に意外と勘の鋭い男だ。
「まぁ、となると問題は女子か……」
絢瀬に対する嫉妬心や恨みを向ける視線があることは日頃から感じていた。どうやら絢瀬も知ってはいるらしいが、相手が何か攻撃してくるわけでもないのでどう対処していいのかが分からないのだろう。
「…………学校一の美少女も楽じゃねぇな」
「ん、どした? 何か言ったか?」
「いや、なんとも」
唯斗は溢れでた呟きを誤魔化すと、戸野塚と通学路を通学路を。校舎内に入ると、集まる視線は電車や通学路の比にはならなかったが、教室ではそれも少しは落ち着いていた。おそらくは、戸野塚のおかげなのだろう。「お前には負けねぇからな」という宣戦布告を男子数人からされたこと以外はいつも通りだ。
*
『みなさん、こんにちは! 本日もやって参りました君ヶ咲名物「お昼の放送」のお時間です! 司会は私、放送委員会委員長の久保嘉之が務めさせてもらいます! そして、本日のゲストは……』
ざわざわとした生徒の話し声とともに、放送委員会の放送が校内全域に響き渡るお昼どき。カレーやラーメンなどの大衆料理が鼻腔をくすぐる、カフェテリアで唯斗と宮野は机を挟み食事を囲っていた。
「生徒会の方でも、今回の件は少し問題に挙がっていてね。茉莉会長も対処に頭を悩ませているところだ」
「へぇ、あの会長が……」
醤油ラーメンをずずず、と啜ると唯斗が口を開く。
「犯人は特定できそうなのか?」
「どうだろうな、SNS上に挙げられれているし犯人を特定するのは少し厳しいかもしれない。それに、証拠もないからね」
「証拠か。確かにネット上に書き込まれたものだからな」
「そうだね、ただこの件に関しては早急に手を打つと会長は話していたよ」
「なら安心だな」
気を緩める唯斗に宮野は「ただ、」と念押しする。
「解決方法は考える必要はあるかもしれないな。ただ噂を流した犯人を突き出すだけだと釈然としないからね」
「どういうことだ?」
「今回の件はおそらく多くの生徒が関与している。もちろん、実行犯だけでなくそれに同調した生徒全員も含めてね。そして、彼ら彼女らの中には少なからず遺恨が残るし、絢瀬ブランドにも傷がつく。もちろん、ブランドだけじゃなくて心にも、だけど」
それは笑い事では済まされないな。
唯斗は気を紛らわすため、さっきよりも勢いよく麺を啜った。
「そういえば、帷子さんの家はどうだった? 今日も休みみたいだけど」
「ぷふっ……ごほっ、………いきなりだな」
宮野から電話がかかってきた後。帷子が寝ていたのでそのまま家を出るわけにもいかず、2時間くらい滞在していた。その間、唯斗は帷子の寝顔を眺めながら、癒されていたとは口が裂けても言えないが。
「ま、まぁ。それなりに……」
「へぇ? 何かあったみたいだね」
「なんで、断定するんだよ」
「唯斗は案外、顔に出やすいからな。今だって絢瀬さんのことに関して真剣に悩んでいるようだったし」
「別にそんなことは……」
宮野のその言葉を否定しようとしたが、明らかに唯斗は絢瀬の問題をなんとか解決しようと考えていた。屋上での時もそうだ。絢瀬夏希の抱えている闇に関して少しでも情報を引き出そうとして……。
「いや、確かにそうかもな。俺は絢瀬に関して少なからず興味があるらしい」
「絢瀬、ね」
どこか、意外そうな表情を向ける宮野。唯斗は、彼女のことを呼び捨てをしてしまったことに今更ながらに気づいた。
「まったく、抜け目のないやつだな」
ただその時、唯斗の頭の中でずれていたピースがハマったような感覚がした。屋上で絢瀬に『どうして、そこまで私に干渉するのか理解ができない』と訊かれた時に答えられなかった唯斗の本心。
唯斗は絢瀬夏希に興味がある。表と裏を使い分けながら、うまく立ち回る絢瀬夏希という人物に。そして、少なからず彼女に対して好意も抱いている。唯斗には友達として、うまく付き合っていけるのではないかという予感があった。それも、公園で話した時からだ。
「ありがとな遼太郎。なんかお前のおかげで、分かった気がする」
「それなら良かったけど……」
宮野がどこか気まずそうに唯斗の背後を見つめる。それにつられて振り向くと一人の女子生徒が仁王立ちをしながら唯斗のことを見下ろしていた。
「一ノ瀬優斗、やっと見つけた!!」
「唯斗だ。『やっと』って、もしかして俺を探していたのか?」
「そうだけど、何? あんたの教室に行ってもいなかったから、校内のあちこちを探したんだから」
「それはご苦労なことで。それで、どうかしたか?」
「あんたのその態度はあまり気に入らない、……けど、まあ今はいい」
そして、流れるような薄紅色の髪をバサっと揺らすとその生徒———杠葉香琳は唯斗に言い放つ。
「今からちょっと付き合ってくれない?」
そういった意味はまったく含んでいないことはわかるが、セリフもセリフだけに、カフェテリアで昼食をとっている周りの生徒から妙な視線を集めてしまったことは、言わずとも察することは容易いはずだ。