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Period,4-1 絶対的高嶺の花と偽物 Side.絢瀬夏希

 いつも通りの水温、いつも通りの浴槽、けれどその日はいつもよりも心が騒ついていた。ここ数日、特に今日は不思議な気持ちだ。家族や従者除いて、他人に本来の人格を見られたのも、自分についてを誰かに語るのも。それら全てが絢瀬にとっては、生まれて初めてのことだった。


 絢瀬はだだっ広い浴室を後にすると、予め用意されたタオルで全身を水滴を拭うと長袖の部屋着に着替える。洗濯済みの衣服やタオルの準備は、どれも従者の仕事だ。


「夏希様。本日のディナーの時刻は19:00からですので、それまでにはテーブルに着くようにお願いします。それと、本日は旦那様も戻られる予定です」


 まるで機械人形のような転調のない声が鼓膜を揺らす。


「……そう、わかった」


 絢瀬はドライヤーで髪を乾かすと、いつものように長い廊下を通って自室へと足を運ばす。どこまでも続くような赤いカーペット、見るからに高価な壺に、壁には絵画まで貼られている。


 アヤセ不動産株式会社。国内でも有数の大企業で建築や不動産だけでなく、飲食や輸出業など様々な分野を独占している。その規模はここ数年で急進的に発展していて、欧州の地域や中東まで活躍の場を広げいている。


 父はその代表取締役を務めているため、会食が多いので家族で食事を取ることは稀である。そういった時は、こうやって使用人から報告される決まりだ。


 絢瀬は自室に戻ると、その足でベットに身を預けた。


「なんだか、最近うまくいかない」


 いつからだろうか、

 そんなの決まってる。一ノ瀬くんに私の裏を知られた日からだ。不本意ながら絢瀬という完璧な仮面が偽りであることを知られ、私が弱音を吐いたところをピンポイントで目撃されたあの日。


 絢瀬の裏を知っている人間は身近に三人ほどいる。しかし、泣き言を聞かれたのは一ノ瀬唯斗が初めてだ。


「いや、違う」


 この胸のざわつきは、それだけが理由じゃない。私自身が絢瀬夏希の在り方に疑問を持ち始めている。入試では首席を逃し、体力測定でも学年で三位だった。完璧と言いつつも、絢瀬夏希は所詮その程度でしかない。


 けどやっぱり、一番の要因は一ノ瀬くんだ。公園であった日。

 『人間誰しもが裏表はあるしな。別に絢瀬にそういうところがあってもそれを否定するつもりはない』

 たしかそう言っていた。自身でも自覚していなかった、絢瀬夏希の表と裏。それまでは、完全に別人と考えていたのに、一ノ瀬くんのその言葉のせいで絢瀬夏希がまるで一人の人物みたいに出来上がった。


 私という人間はただ、絢瀬夏希を———違う。

 絢瀬(さき)の代理としての絢瀬夏希を演じるためだけに生きていたはずなのに、一ノ瀬くんは演じていない絢瀬夏希を私として捉えていた。


 私は所詮、ただの偽物。

 そうと分かっていたはずなのに、たったそれだけのことでこんなにも自分の在り方に悩まされるものなのだろうか。


「それに『話してくれてありがとう』って、何に対して感謝してるわけ?」


 あの時にも言ったが、あくまで自分のためにやったことだ。一ノ瀬くんに話せば、自分のあり方が少しは掴めるのではないかとそう思った。だから、そのために彼を利用しただけだ。


 ほんと、『よく分からない人』。


 絢瀬はベットから起き上がると、机に向かう。ただ目的は、読書や勉強ではない。そこの壁に貼られた金髪の可愛らしい女の子が両手をいっぱいに広げながら満面の笑みを浮かべている写真だ。


「…………それでも、私は」


 すべきことを放棄して、いろいろと考えてしまう弱い私を戒めようとしたその時だ。ベットの上に置かれたスマホから着信音がなった。絢瀬はベットまで行きスマホを覗くと、眉根を寄せる。


「一ノ瀬くん?」

「もしもし、絢瀬か?」

「……まさか、そっちからかけてくるなんて驚いた。それで、どうしたの?」


 絢瀬は着信に応じると、ふかふかなベットに腰を下ろす。


「SNSで絢瀬の会のサイトはすでに確認したか?」

「どういうこと?」

「まだ……みたいだな。だったら、すぐに確かめたほうがいい」


 一ノ瀬くんの声はどこか、緊張が走っていてただ事ではないことは伝わってくる。絢瀬はテーブルのノートPCを起動すると絢瀬の会のウェブサイトを開く。


「嘘……」


 思わず声が漏れてしまった。絢瀬の会の掲示板は、日割りの人気順でトップページから掲示板に飛ぶことのできるリンクが設置されているが、その人気順のトップを締める話題が全て絢瀬夏希を陥れるような内容だった。


『絢瀬夏希には、誰にも言えないような裏がある』

 いいね:380 コメント:259

『絢瀬夏希は、入学試験で不正行為を働いた』

 いいね:341 コメント:204


 まず驚いたのが『いいね』の数があまりにも多いこと。そもそもこの掲示板には『いいね』以外の評価ボタンがないから、これが大衆の意見を反映させているように感じてしまう。中でも、最もその数が多かったコメントが、


『絢瀬夏希は援助交際をしている、一ノ瀬唯斗もそのターゲット』

 いいね:471 コメント:468


「そういうこと……」


 絢瀬はどこか納得したように、呟いた。

 一ノ瀬唯斗。彼はきっと、自分が巻き込まれたから自分から好きでもない私に電話をしてきたのだと、そう直感した。


「心当たりはあるか?」


 一ノ瀬唯斗自身が書き込みをした可能性も一瞬だけ考えたが、おそらくその可能性は低い。まず、絢瀬夏希の裏を知ってから行動までに日数が空いている。絢瀬夏希という存在を失墜させたいなら、公園で目撃した日に書き込めばいいはず。


 それに、ここはあくまでも『絢瀬の会』の掲示板上だ。いくらそれっぽい誹謗中傷を書き込んだとしても、その大半が戯言で終わる。つまり、これは単独犯ではなく、集団で仕組まれたことと考えるのが妥当。


「一ノ瀬くん、学校内に話せる人はどれくらいいる?」

「なんだ、その質問。関係ないだろ」

「いいから」

「えっと……ざっと思い浮かぶのは七、八人といったところだな」

「そう」

「なんだよ……」


 彼はあまり友達が多くない。となると、彼が実行犯というケースは現実的に考えられない。


「そういえば、心当たりだったっけ。決してない、わけじゃないけど」

「あるのか、何があった?」

「入学当初から、うちの学校の二年生の女子に目をつけられていたような気がする……けど、それだけじゃ証拠にならないし」

「なるほどな、絢瀬の人気ぶりだ。その線も十分に考えられるか」


 一ノ瀬くんは真剣に犯人を推理しているようだ。ただそれは言うに及ばず、彼自身のためであり、私のためではない。


「とりあえず、今は様子を窺うことくらいしかでき無さそうだし、とりあえず後のことは追って話すから。一ノ瀬くんを巻き込んだのは申し訳ないと思ってる」

「…………えっと、どうした? どことなく、しおらしいけど」

「バカにしてるの? 別にそんなこともない」

「そうか」


 それじゃ。もうそろそろ切るけど、いい? と絢瀬。


「ああ、また明日な」

「……うん、また明日」


 電話を切ると、絢瀬はテーブルに手を突きその場にへたり込む。


「……嘘。なんでこんなことになったの。頑張ってたのに、どうして……」


 絢瀬は無性に頭を掻き毟りたいという衝動に襲われた、目眩もする。視界も涙で覆われて、体には力が入らない。絢瀬はテーブルに置かれた手に力を入れて、どうにか立ち上がるとそのままベットに倒れ込み、枕に顔を押し付ける。


 枕元には一本の赤いリボンが置かれていて、絢瀬はそれを握りしめた。


 一ノ瀬くんとの電話中に気持ちが溢れ出さなかったのは、何も考えられなかったからだ。絢瀬夏希という仮面が剥がれ落ちていく現実に脳の処理がついていかなかった。


「私なんて、私なんて、私なんて、私なんて……」


 弱音を吐いたところで、状況が改善されるわけでもない。そんなことくらいわかっている。けど、こうでもしていないと、精神を安定な状態に保てないのだから仕方がなかった。


 時計を見ると18:50を回ったところで、あと数分もすれば使用人が呼びに来るだろう。父との会食を経て、その後は家庭教師による勉強が深夜まで続く。絢瀬はその耐えがたさにリボンを握る指に力を込めた。


 しばらくして、心が落ち着いた絢瀬はベットから起き上がると癖のついた髪を直す。そろそろディナーの時刻だった。自室を後にすると、そこには使用人の姿があった。毎度毎度、ご苦労なことだと、思いながら絢瀬はダイニングルームへ足を進める。


 テーブルにはすでに父が腰を掛けており、母と私もそれに並ぶ。


「会いたかったよ、我が愛娘」

「お帰りなさい」


 いつもなら、素直に笑えていたはずなのにどうしてか口角に妙な力が入る。


「どうしたんだ? 少し元気がなさそうだが……」

「うんん、大丈夫だよ」

「それならいいんだが、何かあったらすぐにいってくれ。咲の頼みならなんでも聞くからな」

「ありがとう、お父さん」


 やっぱり最近うまくいかない。






====================================

あとがき。

物語が始まって以来、初めての絢瀬視点です。

多少。伏線を貼り過ぎた気はしますが、いかがだったでしょうか。

それと、昨日は忙しくて投稿できませんでした。

本日は、18時から19時くらいを目処にもう1話投稿する予定です。


よろしくお願いします。


速水雄二

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