Period,3-4 御見舞い。それと、異常事態。
扉の奥から姿を現す帷子は、前のボタン付きのグレーのパジャマに身を包んでいた。髪は横にぴょんと跳ねていて、そんな寝癖がなんとも可愛らしい。
「唯斗くん……どうぞ」
帷子は俯きながら、唯斗を廊下へと案内する。
「ちょっと待て、帷子。頼まれたやつを買ってきただけだから、部屋に入る必要はないと思うんだが」
「…………え、そう……なの?」
「なんというか、帷子も風邪をひいているわけだし、無理に押し入るつもりは……」
しかしその時、帷子の視線が物寂しそうなものに変わるのを感じて、
「お、お邪魔します……」
ここで断れるやつは本当の勇者だと、唯斗は心の中で思ったのだった。
*
帷子の部屋は予想通りというか、かなり綺麗にされていて落ち着いた雰囲気が漂っていた。唯斗はふかふかのカーペットの上の正座して足をもじもじさせる。
唯斗が女子の部屋に入った経験はゼロではないが、それもかなり昔のことなのでほとんど記憶にない。つまりは、ほぼ初めての女子の部屋。先ほどから、目線が部屋の中を右往左往していた。
「それで、帷子。体調は回復したか?」
「朝に比べたら結構治ったと思う。けど、まだちょっと頭が痛いかも」
そう言っている帷子だが、心配をかけないように笑顔を浮かべる。ちなみに帷子は、小さい木製の机を挟んで唯斗の目の前にちょこんと座っていた。
「だったら、早く布団に入ったほうがいいんじゃないか?」
「うんん。せっかく唯斗くんが来てくれたのに、ベットで寝るなんて失礼だよ」
「ああ、なるほどな。その理屈は全く分からない」
普段から時々天然を発動する帷子だが、風邪で弱っているためかいつもよりも頭が回っていないように感じる。それでも、心なしか楽しそうだから困り物だ。具合が悪いはずなのにベットに飛び込まないのは、帷子なりの誠意なのだろう。
「これ、頼まれてた桃缶と冷えピタだ」
「ありがと」
桃缶なんていまの時代、絶滅危惧種かと思っていたがこの近くのコンビニにはかなりの在庫があって助かった。唯斗はレジ袋からそれらを取り出すと机の上に置く。
「すぐに食べるか?」
「……えぇと、後ででいいかな」
「そうか」
帷子が気の抜けた返事をして唯斗の買ってきたものを握りしめる。
「唯斗くん、お茶でも入れるからちょっと待ってて」
「いや、お前は病人なんだから、早く休めって」
机に手をついてそっと立ち上がる帷子。しかし、明らかに重心がぶれていて、体が弱っているのは明白だ。
「あれ、おかしいな、視界がゆれて……」
立ち上がり部屋の扉へと向かおうとした刹那、平衡感覚を失った帷子がカーペットに倒れ込む。それを唯斗はなんとか受け止めると、帷子の額に手をかざした。すごい熱だ。落ちた衝撃でビニール袋から缶詰が転がる。
「あ、ありがと」
「まったく、無理しすぎだ」
帷子がどうしてここまで無理をしたのかは、さておき、やはりベットに運ぶべきだろう。唯斗は帷子の膕に腕を通すとそっと持ち上げる。所謂、お姫様抱っこだ。
「ゆ、唯斗くん……!?」
「布団まで運ぶだけだから、我慢してくれ」
唯斗は帷子を抱えたままベットまで移動すると優しく丁寧に、それも細心の注意を払いながらそこに下ろす。暑いかもしれないが、風邪をひいているので毛布も一緒に被せた。
「大丈夫か……? さっきより顔が赤いけど」
「う、うん。全然、だ、大丈夫だよ……?」
「なぜに疑問形……。とりあえず、おでこ出せ。あんまり冷えてないかもしれないけど、ないよりはマシだろ」
「……ま、まって」
唯斗が市販の冷えピタを帷子のおでこに貼ろうと前髪に触れようとするも、帷子がそれを拒絶する。
「あ、えっと、ごめんね。ちょっと今、汗で髪の毛がパサパサしてるから、あんまり触られると……その、困る」
「そういうものか、なら任せるが」
唯斗は手に持った冷えピタのカバーを外すとそれを渡す。帷子は自分の髪の毛をかきあげると、額にさっと貼り付けた。あまり気にすることでもないとは思ったが、おそらく女子にしか分からないことなのだろう。
「そうだ、少しだけ台所借りてもいいか?」
「……台所? 全然いいけど、どうしたの?」
「ちょっと、おかゆでも作ろうかと」
「そんな、気にしなくていいのに」
「その調子だと、ご飯もあんまり食べてないんだろ? 病人は寝て待ってろ」
帷子の部屋を出ると唯斗は、帷子家のキッチンに立つ。お米と鍋、それと塩さえあれば、難しいことはない。あとはレシピ通りに作るだけ。制服の袖を巻くると「よしっ」と軽く意気込んだ。
「ほら、できたぞ」
三、四十分もすれば、簡易的ではあるがあっさりとしたシンプルなおかゆは炊き上がった。冷蔵庫を漁らせてもらい、梅干しを乗っければ完成だ。
「さてと……」
ここは、俺が食べさせるべきなのだろうか。俗にいう『あーん』というやつ。俺と帷子の関係値を考えれば、時期尚早な気もするが、男としてここは堂々とするべきだろう。
「帷子、体調が悪いんだから、食べさせようか?」
「……えっと?」
「さっき倒れただろ、身体に力が入らないんじゃないか?」
唯斗の誘いに頭を悩ませる、帷子。そして何かを決意したように、顔を赤く染めながらそっと微笑む。
「……な、なら、お願いしようかな」
「まかせろ」
*
「ご馳走様でした……」
「えっと、どうして唯斗くんがご馳走様をしてるの?」
「気にするな」
唯斗は両方の手を合わせると、深々と天に拝んだ。あーんと口を開けてお粥を頬張る帷子もかなり心にくるものがあった。
「けど、少し不思議。まさか唯斗くんがうちにいるなんて」
帷子はベットの上で逆向きに寝返りを打って唯斗から顔を逸らすと、掛け布団に顔を埋めながら独り言のように呟く。
「なんかわかる気がする。俺たちが最初にあったのが一ヶ月前ってのがあんまり信じられないな」
入学式以降、帷子と少しずつ話すようになったものの、連絡先を交換したのもつい先日のことだ。
「……唯斗くん、一つだけ頼みごとしていい……かな?」
「ああ、いいけど。どうした?」
「寝るまでの間でいいから、その……手を握っててほしい」
手……? 手ってなんだ? ……えっと、『握って』って言ったのか?
「…………ごめん、もう一回言って?」
「……ばか」
顔を赤く染めて小さく、罵倒する。
「ほら、これでいいか?」
「う、うん……ありがと」
触れた指の、手のひらの先から帷子の体温が伝わってきて、形容し難い胸のざわつきを感じた。
人って、こんなに暖かいんだな。そんな生まれたばかりのアンドロイドみたいな感想を吐く。
「…………すぅ……ぅ」
それから、三十分くらいこの幸せな時間が続いた。だんだんと心拍数も落ち着いてきて、どこか安心感を覚えていた頃。その雰囲気を妨げるように一通の電話が届いた。
「どうした、遼太郎?」
『すまない、ちょっとだけ時間あるか?』
「……まぁ、少しなら。ちょっと待ってくれ」
唯斗は帷子の方に視線を向けるが、どうやらすやすやと眠っている。ここで電話を続けるわけにもいかず、帷子の手を離すと部屋の外へと移動する。
「大丈夫だ。それで何があった?」
『まぁ、見たほうが早いはずだ。とりあえず、絢瀬の会のHPを開いてくれないか? リンクはメールに送った』
「また付き合ってるとか、そういう噂か? 遼太郎だって、面白がってただろ」
『少し、状況が変わった。これは、まずいことになったかもしれない』
その声のトーンは、昨日までの楽しげなものとは異なり、真剣さが電話越しでも伝わってきた。唯斗は状況が理解できないまま、とりあえず宮野が送った絢瀬の会のサイトを開く。
「なんだ、これ……」
『絢瀬夏希には、誰にも言えないような裏がある』
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『絢瀬夏希は、入学試験で不正行為を働いた』
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『絢瀬夏希は援助交際をしている、一ノ瀬唯斗もそのターゲット』
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こうして、並べてみると実に嘘くさい内容だ。しかし、その投稿につけられたグッドとコメントの数こそが宮野の危惧していた異常だろう。
「これはまた、面倒なことになったな」
この日、
唯斗が目にしたのは、ネット上に匿名で投稿された誹謗中傷の数々だった。