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Period,3-3 絢瀬夏希と過去①、それと、呼び名。

 狙ったつもりはないが、なんともピンポイントな発言をしてしまう。すると、絢瀬はそっと視線を落として、大きく一呼吸する。


「ねぇ、今日の絢瀬夏希はどうだった?」


 そして、小さく呟いた。表絢瀬と裏絢瀬のどちらともいえない、その中間の声色でどこか陰鬱な表情を浮かべていた。


「昨日言ってたでしょ? 絢瀬夏希はなにを隠しているのかって」

「ああ」

「……少しだけなら話してあげる」


 そういうと絢瀬は、意気込むようにギュッと足元に力を入れる。どうやら絢瀬は本気らしい。


「ちょっと待て、絢瀬さんはそれでいいのか?」

「なに、どういう意味?」

「絢瀬さんだってそのことを、好きで話したいってわけでもないんだろ? だったらわざわざ言う必要はないんじゃないかと思って」


 手に持っていた用具を置いて軽く腕を組むと、絢瀬は唯斗に訝しげな目を向ける。


「一ノ瀬くん。昨日とは、気が変わったの?」

「いや、そんなわけじゃないけど。よく考えたら絢瀬さんの事情にずけずけと立ち入ってた気がしたんだ。だから、絢瀬さんが嫌なら話さなくても……」

「……うんん、言う。なんかここで言わないと、負けた気がするから」


 どういう理屈だ、それ。それでも、ちゃんと自分の言葉で伝えようとしてくれている絢瀬の決意を無碍にはできない。唯斗もすぅと息を吐くと絢瀬の言葉に耳をかす。そして、彼女の口から溢れた本音、


「…………絢瀬夏希は完璧でないといけないの」

「完璧か」


 絢瀬夏希は確かにそう言った。完璧。詰まるところ、あらゆる面において、他を凌駕する実力があり一つも欠けていないということだ。そして実際、絢瀬夏希はそれを現実のものにしている。奇妙な話だ。

 文武両道、品行方正、才色兼備、とまさに『君ヶ咲の絶対的高嶺の花』のとして君臨するにふさわしい。


「英才教育って知ってる? 幼い頃から家庭教師がついて指導される、あれ。私はね、学業、芸術、話法に作法。小学生の頃からそれらを毎日訓練されてきたわけ。一日のうち8時間を学校とすると、残りの9時間くらいかな。中でも、特にしんどかったのは、ピアノの発表会。お父様の……知人も来ていたから、失敗できなかった」


 それに英才教育なんて、どことなく違う世界のこと。そう思っていたが、身近にしてみるとなんとも窮屈な話だ。


 組んだ手首をぎゅっと握りしめる、絢瀬。なぜここまで話そうとするのか、唯斗には疑問でしかない。しかし、絢瀬の口調からは、何かを変えようという決意が感じられた。


「つまりは英才教育を受ける過程で、完璧な絢瀬夏希を演じるようになったってわけか?」

「まぁ、そんな感じ」

「それなら、絢瀬さんは……」

「はい、話おしまい」


 話を要約して推測を交えた考察をすると、なんとも感情の篭ってない返答。颯爽と話を切り上げると、背筋を伸ばして背を向ける。絢瀬の言葉に嘘偽りはない。ただまだ何かを重要なことを隠しているような、そんな感じだ。


「そういえば、一ノ瀬くん」

「どうした?」

「さっきからずっと気になってるんだけど、『絢瀬さん』って呼ぶのをやめて」


 さっきよりもスッキリとした口調で、絢瀬は釈然としない指示をする。


「……えっと、絢瀬さんが嫌なら、夏希さんか?」

「下の名前で呼ばないで。気分が悪い」

「おい。じゃあどうしろってんだ」


 絢瀬の無理難題な要求に頭を悩ませる唯斗。


「だから、一々『さん』付けするのをやめてってこと。うちの生徒はほぼ全員、私のことをさん付で呼んでるんだけど、ほんと意味わかんない」


 どこか不貞腐れたようにそっぽを向いて、ほっぺをぷくりと膨らませる。その意地らしい行動は素直に可愛いと思ってしまうほどだ。


「構わないけど、絢瀬さんは俺が呼び捨てにしても、不愉快じゃないか?」

「別に気にしない。むしろ、さん付けされる方が距離を感じてイヤ」

「距離を感じて……って」

「そういう意味じゃないから」


 呆れたように額に手を当てる、絢瀬。


 そこは「べっ、別にそういう意図があったわけじゃないからっ。ただ、お互いもう友達みたいなものだし、さん付けで呼びあってるのが不自然なだけなんだから」くらい言ってくれてもいいだろ。いや、ツンデレでもない絢瀬には流石に要求が過ぎるか。


「だけど朝枝先輩とは違って、俺みたいな一般生徒が『さん』付けしないってのは、いろいろ問題があると思うんだが」


 うちの学校では、絢瀬夏希という生徒を『絢瀬さん』という呼称。いや、愛称というのだろうか。とにかく『絢瀬さん』を呼び捨てにすることは軽く暗黙のルールになっている。


「杠葉さん」


 絢瀬はどこか遠くを見つめながら、杠葉の名前を呟く。


「……杠葉がどうした?」

「やっぱり。一ノ瀬くん、彼女のこと呼び捨てでしょ。さっきが初対面なのに」

「いや……まぁ、そうだが」

「なのにどうして、私には『さん』付けなの?」

「それは……」


 絢瀬は、友達やクラスメイトからも『絢瀬さん』と呼ばれている。さっきだって、初対面の戸野塚に敬語を使われていた。おそらく絢瀬にとって『さん』付されることは、別の世界の住民として捉えられているように感じてしまう行為なのだろう。


「……わかった。これからは呼び捨てにするからな、絢瀬」

「うん……」


 おそらく絢瀬は、今までの友達に自分を呼び捨てにしろ、とは言えなかったのだろう。たとえ伝えたところで『絢瀬さん』は『絢瀬さん』だから、と(はばか)られたはずだ。それがこの学園のルールのようなもの。


 だからこそ、彼女と対等に話せる生徒はあまり多くない。


 唯斗は足元に置いていた袋を再び握ると、絢瀬と共にグラウンドに移動した。


     ◇ 


 グラウンドに着くと、そこには生徒会が集って用具とゴミ袋の回収をしている光景が目に映る。朝枝先輩に茉莉会長、遼太郎と錚々(そうそう)たるメンツが揃っていて謎の重圧感がある。


「あっ、なーちゃんとゆーくんだぁ!!」


 唯斗たちに真っ先に気づいたのは朝枝先輩だ。ぱぁっと明るい笑顔を浮かべて、そそくさと近づいてくる。

 まるで子犬の尻尾ようにサイドで結われた髪が左右に振れていた。


「あ、また二人で一緒にいるの? やっぱり二人は付き合って……」

「「ないですから」」

「すごい、息もぴったしだ」


 唯斗たちの反応に満足したように微笑む。そんな三人に合流するように、遼太郎と茉莉会長が姿をあらわす。遼太郎は相変わらずのイケメンで、差し込む陽光に負けず実に眩しい。


「あっ、茉莉会長と遼ちゃん」

「まったく。朝枝先輩、仕事を放っぽり出して走って行っちゃダメですよ」

「あはは、ごめんごめん。えっと、ゆーくんと遼ちゃんは親友だったよね?」

「そうですね。小学生の頃からの馴染みです。朝枝先輩こそ、唯斗と知り合いだったんですね」

「昨日の帰りにね、屋上で少し話したんだ。遼ちゃんの言ってた通り、変わった子だね」


 …………変わってるってなんだ。


 爽やかな笑顔で遼太郎は、朝枝先輩と楽しげな会話を繰り広げる。こうしてみると、二人は相性抜群な夫婦のようだ。隣では絢瀬と茉莉会長が互いに向かい合っていた。対して唯斗はというと、圧倒的な場違い感を感じて萎縮している。


「綾瀬か、昨日は資料の整理を手伝わせて悪かったな。おかげでかなり片付いた。ありがとう」

「どういたしまして。私も茉莉先輩のお手伝いができて嬉しかったです」

「いやぁ、なんて健気な後輩。是非とも嫁にもらいたいものだ」

「もぅ、冗談はやめてくださいよ」


 茉莉会長が素の状態を見せて会話しているところを初めて見たが、入学式やステージでの印象に比べてかなりラフな印象だ。規律や秩序に口煩いと勝手な印象があったが、そうでもないらしい。


 というか、嫁ってなんだ。


「そっちにいるのは、一年C組の一ノ瀬唯斗か?」


 茉莉会長に脈絡もなく名前を呼ばれて、ピクリと体が反応する。


「うちの学園の生徒は皆、名前と顔は把握しているつもりだが、違ったか?」

「いえ、一ノ瀬唯斗です。Cクラスの……」


 そうか、と茉莉会長は鼻を鳴らして、愉快げに笑う。そして、何かを思い出したように唯斗に近づくと、絢瀬には聞こえないように耳打ちする。


「そういえば、あの日は入学式に遅刻してきて、途中抜けしてたよな?」

「まぁ、いろいろと……」

「なに、気にすることはない。それにあの時は、大事があったのだろ?」


 すべての真実が既に丸裸にされているような、そんな感覚だ。この人はどこまで生徒の事情を知っているのだろうか。ふと、そんな疑問が湧く。


「とりあえず、そのゴミと用具一式はこちらで回収しよう。暑い中よく頑張ってくれた。君たちは自慢の生徒だ」


 持っていたものを回収され、手持ち無沙汰になった唯斗。生徒会の三人はどこか忙しそうに、この場から去ってしまう。遼太郎に視線を向けるも、あと少しかかりそうだから先帰っててくれ、と言われ、再び絢瀬と二人きりになった。


「それじゃ、私はもう帰るから。お疲れ様」

「なぁ、絢瀬」


 そのまま立ち去ろうとする絢瀬を唯斗は引き止める。


「……なに?」

「さっきのこと、話してくれてありがとな」

「別に、一ノ瀬くんのためじゃないから」


 それだけ言うと、先に姿を消す絢瀬。やればできるじゃんか、と思いつつ唯斗も置いていた鞄を回収してそのまま正門を抜ける。ちなみに、戸野塚は依然として気を失っていた。


「さてと……」


 鞄を握る指にグッと力を込めると、軽やかな一歩を踏み出す。コンビニに寄って、冷えピタと桃缶を買い揃えれば、準備は万全。マンションの入り口を抜けて馴染みのないエレベーターに乗る。唯斗の鼓動も高まっていた。


「……ついにきたか」


 まるでこれから魔王城に挑む勇者のような、心意気。唯斗の装備は学校指定の制服と鞄、それとレジ袋だけだ。


「大丈夫だ、問題ない」


 ぼそりと、割り切ったように独言して、インターフォンを鳴らす。この待ち時間が何よりも緊張を誘う。そして、静かに扉が開くと、そこには可愛らしいパジャマ姿の帷子がいた。


「唯斗くん……入っていいよ」


 そう、ビッグイベントである、帷子のお宅訪問の時だ。

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