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Period,2-4 雨宿りと、回想と。

「やっぱり優しいね、唯斗くんは………」


 やっぱり、というのはどういう意味で言っているのだろうか。唯斗がぽかんと口を開けていると、それを察して帷子が補足する。


「……ほら、入学式の日。保健室に連れて行ってくれたよね?」

「ああ、そのことか。それは……まぁ、帷子が式中に辛そうにしてたから」

「でも、体調が悪いことに気づいてくれたのは、唯斗くんだけだったよ?」


 上目遣い……、身長差的に狙ってやってるわけではないだろうが、なんとも小悪魔的に見つめてくる帷子。くっきりとした二重の純真な瞳が唯斗をまじまじと捉えて、ドキッと心臓が弾む。


 唯斗は歯切れの悪さを感じて、後頭部のぼりぼりと掻きながら入学式の日のことを思い出した。


     ◇ 


 確かに唯斗はあの日、遅れて入学式に参加した後のこと、隣に座っていた生徒の体調が悪いことに気がついた。


「…………はぁ、はぁ」

「……ねぇ、君。さっきから、呼吸が荒いけど大丈夫?」

「う、うん。ちょっと体調が悪いだけだから、心配しないで」


 その女子生徒は優しく微笑むと、胸のあたりに手を当てる。口では、大丈夫、と明言しているが、彼女は明らかに具合が悪そうだった。咳もしている。金属製のパイプ椅子が並び連なるこの状況下では、先生からの視線も遠く、おそらく式が終わるまで気づかれないだろう。


 壇上に立つのは現生徒会長である、久保茉莉。そして、彼女に相対している入試成績トップの生徒、宮野遼太郎。今は、新入生代表挨拶と在校生代表の祝辞の最中で入学式が終わるまではもう半刻ほどある。


 彼女は大丈夫と言っているが、やはり強引にでも先生のところに連れ出した方がいい。しかし、そうすると彼女の入学式が潰れてしまうかもしれない。どうするべきか、をどうしても決めきれないこの状況。なんとも、歯痒い気分を感じていた。


「……新入生代表、宮野遼太郎」


 宮野の挨拶が終わり会場が拍手に包まれる。プログラム通りなら次は生徒会長の祝辞だ。久保会長は会場を一瞥したのち、赤茶色の長い髪を手で払うとごほんっ、と露骨な咳をする。そして、


「初めまして、新入生諸君。生徒会長の久保茉莉だ。在校生代表の祝辞をする前に、一つだけ言っておきたいことがある」


 その突然の出来事に、ざわざわと会場に座っている生徒間で話し声が聞こえたことはよく覚えている。しかし、この突然のことに焦りを感じていたのは、生徒だけではないようで、列の外側で入学式を傍観している教師たちにも、同じような緊張が走ったのを肌で感じた。


 これは何かのハプニングなのだろうか、この場にいる誰しもがそう考えた。だが、そんなこともお構いないしに茉莉会長は言葉を続ける。


「まず、君たちが最も優先するべきことは何か、それを少し考えてもらいたい。これから始まる学園生活か? 勉強に明け暮れる日々か? 級友と仲を深めることか、自分らしくあることか、晴々としたイベントごとか、それとも、君たち自身の体調か」


 その時、一瞬だけ彼女と目があったような気がした。


「これから入学する諸君らには、いま何をするべきか、何をしたいのか。そのことを常日頃から考えることを肝に銘じておいてもらいたい」


 茉莉会長は、ふぅ、と一息つく。そして、「それでは、代表の祝辞に移る」とだけ言って、祝辞の言葉を読み上げ始めた。


 おそらく大半の生徒には、何が起こったのか伝わっていない。おそらくは、会長自らによる激励か何かだと捉えられたはずだ。だが唯斗だけは、これを受けて別の可能性を巡らせた。


「ねぇ、君。……ちょっといい? やっぱり、保健室に行こうよ。体調崩しちゃったら、元も子もないから」

「えっ……?」


 唯斗は隣にいた女子生徒———帷子柚木の手をとると、立ち上がり横に並ぶパイプ椅子の列を通り抜ける。幸い、遅れてきたこともあって、座席が端っこに位置していたので、視線をそこまで集めることもなかった。


「どうかしたか?」


 体育館の脇に並んでいるスーツの女性が怪訝な表情を浮かべる。


「すみません、この子の体調が優れないようなので、保健室に連れて行ってもいいですか?」

「っ……」

「……そうか、それなら仕方がない。一階の保健室の場所はわかるか? 悪いのだが、こっちもこれから、生徒誘導をしないといけなくて、手が離せないんだ」


 唯斗は小さく頷くと、その子の方を向き直る。


「大丈夫、保健室までの辛抱だ。そこまで、歩けそうか?」

「…………えっと、うん。多分……」


 その後、唯斗は保健室に彼女を運び入れ、そのまま保健室で時間を過ごした。その道中に、彼女の足の力が抜けて肩を貸すことになったのだが、そこを誰にも見られてなかったことは唯一の救いだった。


     ◇ 


 唯斗もその時のことは鮮明に覚えているが、やはり感謝されるようなことをしたかと言えば、当たり前のことをしただけだと答えるしかない。優しいというよりかは、そうしないと気持ちが悪かっただけだ。


「それにあの時、唯斗くん。ずっと保健室にいてくれたでしょ?」

「まぁな。あそこで帰ったら、帷子が一人で教室に戻ることになっていただろ」


 自分でもバカだとは思うけど、一緒に居ることが無理やり保健室に連れて行った責任だと考えていた。


「……そういうところが優しいんだよ」


 そんな風に噛み締めたように納得されるとどう反応していいか困る。言うに及ばず、唯斗の顔はすでに真っ赤だ。


「そ、そういえば、帷子も話があるようだったけど、どうしたんだ?」

「あっ……えっとね」


 恥じらうように両指を重ね合わせ、もごもごと言葉を続ける。


「今日は偶然、雨が降って居合わせたけど、これからもこんな風に一緒に帰れたらいいなぁ、って思ったんだけど」

「……お、おう」

「唯斗くんはどうかな? もちろん、宮野くんも一緒でいいから」

「……いや。全然、だめじゃねぇよ。むしろ、こっちからお願いしたいほどだ」


 話を誤魔化そうと、別の話題を振ったはずなのに余計心拍数が上がっている。あまりの可愛さに顔から火が出るような思いだ。帷子の方を向くと、彼女も頬に赤みが差しているように感じる。


「…………へへ、やっと、……えた」

「……帷子、いま何か言ったか?」

「うんん、なんでもないよ」


 その時、帷子が何かを呟いたが、その声はあまりに小さく街の雑音にかき消されてしまった。帷子は袖で口元を隠しながら、その綺麗な目を細める。


「……あっ、雨止んでるね」

「ほんとだ」


 唯斗が空を見上げると先ほどまでかかっていた雨雲が何処かへ消え去って、その隙間からは橙色に染まる空が見えた。


「いい時間だし、そろそろ帰るか」

「うん」


 その日は、そのまま帷子と二人で帰路に着くことに。その頃には、服も乾いていたので、道ゆく人に帷子の下着が見られるような居た堪れない事態は避けられた。


 帷子の家は駅の方という話だったが、駅から徒歩5分ほどのアパートという話なので、家まで送ることにした。帷子の両親は、家に帰るのが遅いらしく、一人の時間が多いという話だ。


「あっ、そういえば。携帯の番号を交換してなかったよな?」

「……た、たしかに。言われてみれば、そうかも」


 家の前に着くと、唯斗は帷子と連絡先を交換をしてそのまま別れた。いろいろあったが、結果オーライなのかもしれないと、そんな陽気なことを考えていた。


     ◇ 


 帷子と連絡先を交換したその日の夜。

 唯斗は自室でスマホを眺めながら、頬をニヤつかせていた。寝る直前だったため明かりはついておらず、画面の光だけが静かに部屋を照らしている。


 まさか、帷子と連絡先が交換できるなんてな。


 頭の中で、今日の出来事を思い返す。ただいつまでも、こうしているわけにもいかないので、横になっていたベットから体を起こした。

 

 机の前まで行くと、少年と少女が笑顔を浮かべている写真と、フォトフレームが視界に入る。二人の子どもは互いに手を繋いでおり、少年は無邪気にピースサインをしている、そんな写真。少女の方は黒髪で、その表情は微笑んでいるもののどこか物憂げだ。


 少年の方は唯斗の子どもの頃の写真で6歳くらいの頃に近所の公園で遊んでいる時に撮ったものだ。唯斗はそれをなぞるように指を這わせて、机上にあったそれを静かに倒した。そして、窓枠の近くまで歩みそこから夜空を見上げる。


 空には綺麗な月が浮かんでいて、心がスッと洗われるような感じがする。


「…………優しいか」


 夕方、帷子(かたびら)が話していたことを思い出す。しかし、それは唯斗が素直に受け入れられるような言葉ではやっぱりなかった。利己主義とでもいうのだろうか。『助けたい』というより、『助けないと』といったよく分からない正義感があの時の唯斗には働いていた。


「…………まったく。いつまでも、過去に囚われるな」


 そう、分からず屋な自分自身に言い聞かせるように呟く。


「そろそろ、あいつのことは忘れないといけないんだ」


 その時、確かに唯斗の顔に憂愁の影が差した。

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