第89話 溶けた軌条
2019年6月13日 木曜日。山梨県のぶどう郷を、特課の悠夏と鐃警は訪れていた。中央本線のぶどう郷駅で下車し、依頼主の山梨県警捜査一課、女性警部の韮崎 笹子と合流した。
「警視庁特課の佐倉 悠夏です」
「同じく、鐃警です」
すでに本人の口から、躊躇うことなくその名を言うようになった。あれほど拒んでいたのに。
「山梨県警捜査一課の韮崎です」
韮崎警部は、2月に晏郷神社の事件で、榊原警部や藍川巡査、川喜多巡査と捜査をしたことがあった。今回は、捜査一課から紹介されて相談したらしい。
「すでに、メールにて添付したファイルに記載してますが、ここには中央本線の廃線跡があり、遊歩道として一般開放しているトンネルがあります。南甲州市が管理しており、全長は1.3キロほどです」
最寄り駅から東京方面へ少し歩くと、トンネルの入り口が見えてきた。遊歩道として整備されているが、トンネルの手前からレールがそのまま残っている。入り口の上部には、トンネルの名称が書かれていた。悠夏はその名称を見て
「大景トンネル……」
韮崎警部はトンネルには入らず、丁度レールの手前で立ち止まった。
「その昔、大景トンネルは、中央本線の単線トンネルだったそうです。しかし、ぶどうやワインの輸送量が増加し、新たにトンネルを造り、複線の下りとして使用されることになりました。さらにその後、下り専用の第二大景トンネルができ、長らくこのトンネルは放置されていたそうです」
「なるほど。だから、このトンネルの隣に2つあるんですね」
鐃警が左隣にある2つのトンネルを見ると、丁度、特急列車が下りのトンネルから出てきた。
大景トンネルは、後に全日本旅客鉄道東京株式会社から南甲州市に譲与され、観光地として遊歩道の整備を行ったそうだ。
この情報は、本事件のために韮崎警部が調べた情報である。
「それでは、韮崎警部。事件詳細を教えて頂けますか?」
鐃警が、どこからともなくボールペンとノートを取り出す。ボールペンはペン回しの要領でくるくると回しながら、正面でポーズを決めようとしたが、手から滑ってボールペンは転がり落ちた。
悠夏が黙って拾い上げて
「資料に書かれてましたけど、単独犯ではないってことですか?」
鐃警のことはスルーして、トンネルの中へと進み、話も進める。
「順を追って説明します。このトンネル内では、予約制のトロッコがあります。1キロを超えるため、往復または復路をトロッコで移動できる有料サービスです。遊歩道自体は、営業時間内であれば無料でだれもが利用できます。事件が発覚したのは、予約があり市の職員がトロッコを準備していた際に、レールの異変を発見したそうです」
トンネルはレンガ積みであり、壁面には黒くこびりついた煤煙が目立つ。勾配標や距離標といった鉄道の標識がそのまま残っており、間近で見えるが3人は鉄道に詳しいわけではないので、特には触れず。普通に歩けば、トンネルの両端まで片道半時間(30分)ぐらいだろうか。
途中、レールの真ん中に開渠水路が300メートル程続いている。湧き水排水するための水路で、蓋で閉じていないようだ。
半分を超えて約900メートル地点まで進むと、韮崎警部が立ち止まり、レールの前でしゃがむ。
「被害にあったのはこのあたりのレールで、右側レールの上部が数センチ溶けたようになっており、20箇所を超えているそう。それも、日に日に増えているらしくて……」
「確かに削ったというより、溶けたみたい……」
悠夏はタブレットを取り出して、被害に遭ったレールの一部分を撮影する。明かりがついているとはいえ、トンネルの中なのでフラッシュありで撮る。
「熱で溶ける……わけないか……」
鐃警もまじまじと見るが、トンネルの中は年間を通して一定らしい。その特長を生かして、この大景トンネルの先にはもうひとつの廃線トンネルを利用して、ワインの貯蔵庫として活用しているらしい。
「類似の事件などがないか、調査を行ったのですが、どうもこれといって……」
韮崎警部は首を横に振った。
悠夏は、レールに関して事前に1つ、記事を見つけており、タブレットの画面に表示すると
「私が見つけたのは、鹿が線路に侵入してレールを舐めるっていう記事で」
「なんか、聞いたことありますね。塩分でした?」
「警部。鉄分ですね。記事には、鹿が線路に侵入して事故が発生するのは何故かということを調査した結果、レールと車輪の摩擦による鉄粉が散らばっています。鹿は、本能的に必要な鉄分を補給するために、その鉄粉ないしはレールから鉄分を得るために、レールを舐めている、と。動物支障の原因が解明され、鉄道会社は、レールよりも手前に鹿のために鉄分の塊を置いて、レールへ近づけさせない方法を実践している。記事の内容を要約すると、そうですね」
「佐倉巡査。実は、南甲州市が被害届を提出する前に、鹿の可能性を考えたらしく、鹿よけで高周波を夜な夜な流すという実験を行ったそうです。ですが、被害は変わらなかったそうで……」
「南甲州市の職員が鉄道会社に相談して、試したとかですかね?」
推測で鐃警が言うけれども、今は確認できない。韮崎警部は可能性として、
「被害届を受けとる際、市の職員からは、誰かが塩酸をレールにかけたのではないかと考えている、と。ただ、専門家に聞いたら、レールは鉄ではなく鋼鉄だと言われました。文系の私は、あまりその辺りが疎く……」
「見たところ、薬品による溶ける溶けない以前に、1箇所の被害の大きさから、仮に薬品だとしたら、果たしてどれだけ必要になるやら……。今晩、カメラを設置しましょう」
鐃警が珍しく提案し、すぐに市に承諾を得て、人感センサーや動き感知して記録するカメラを設置。暗視カメラであり、乾電池4本で動き、動画がSDカードに記録される。
*
翌日の14日金曜日。営業開始前の朝8時にカメラを回収し、ノートパソコンでSDカードに記録された動画を確認する。すると、予想外の光景が映っていた。
「これ……、レールが溶けた訳ではなくて」
映像には6人ほどの集団が見える。東京側のトンネルから侵入し、なんと枕木からレールを外し、別のレールに交換している。
市の職員を含め、全員が唖然とした。堂々と盗みをしているのだ。レールの一部を溶かした訳ではなく、劣化したレールになぜか交換をしている。カメラには犯人の顔が映っており、あとは捜査するだけだが……。怪事件かと思い、特課に相談したのだが、真相は思わぬほど大胆だった。
鐃警は映像を最後まで見て、
「動物以外に、妖怪やら怪物やら、いろんなイレギュラーを考えましたけど、結局、人間でしたね」
「山梨県警捜査一課として、至急窃盗の容疑で緊急手配します」
その2日後。無事に犯人グループは逮捕され、盗まれたレールは犯行グループの倉庫から見つかった。倉庫からは、他にもバスや緊急車両の備品も見つかっており、余罪について追及する方針だ。
怪事件かと思えば、変な事件であった。悠夏と鐃警は、帰りにちゃっかり駅でお土産を購入して、東京へと戻ったそうだ。
To be continued…
作者も怪事件にするつもりで書いていたら、思わぬ所に着地しました。ただ、犯行グループが6人だろうが何人だろうが、レール1本を交換するのは無理があるのでは……。そう言う意味では、怪事件ですかね。後書きを書く際に調べたら、1mあたり50kgらしいじゃないですか。え、無理じゃない? 1本25mとからしいので、1トン超えてますよ。……たぶん、犯人は人間ではない。
もしかすると、レールを盗む際は分断して運び、劣化したレールはあらかじめ短くしており、現地で溶接したとかも考えられるのかな? もしや溶けていたのは、急いで溶接したから? しかし、何故盗む必要があったのか……。レールの製造元とか、なんかレアだったのかな。
今回は、ゆるく後書きで終わらせるという不思議な回でした。当初やろうと思ってた話は全然やらずに、2行目から何にも考えずに、黙々と最後まで書き進めてしまいました。そのため、韮崎警部も急遽登場。舞台が山梨になったので。
1話で終わらせようとすると、最後の方が駆け足になるので、やっぱり前後編とかのほうがいいのかな。ただ、それだと長いんだよね。
地名やトンネル名は架空ですが、実際に遊歩道のトンネルはあります。ただ、今は閉鎖されているそうです。昔、自分が行ったときは通れたんですが。




