第88話 オレンジ色の薬品
警視庁警備部機動隊。悠夏が、事件対処で目の当たりにするのは、初めてだ。
「機動隊って、確か警備部所属ですよね?」
「僕は、第五機動隊の人には会ったことがあるんですが、あれは化学防護部隊か、公安のNBC対応ですかね?」
鐃警の言う第五機動隊は、第一から第九までと、特科車両隊の10個部隊体制のひとつに該当する。また、化学防護部隊は、テロや化学事故に対応する機能別部隊の1つである。さらに、公安部所属のNBCテロ対応専門部隊も存在しており、NBCテロとは、核(Nuclear)、生物(Biological)、化学(Chemical)物質を使用したテロの総称である。
機動隊の機能別部隊は、よくドラマでも登場する、爆発物処理班もその1つである。他に、水難救助部隊や山岳救助レスキュー部隊などもある。今回は、未知の化学薬品が使用されたことから、対応は化学防護部隊が行うようだ。
化学防護服に身を包み、工事中のプールへと踏み入れる。学校は、プールに近い正門を封鎖し、裏門から生徒達を集団下校で帰宅させることで話を進めていた。しかし、実際のところは生徒を教室に待機させた状態を継続しており、実際に下校を判断するのは、まだ先だろう。
被疑者の阿木神 壊緒と、共犯の木野村 蔡は、黙秘を続けており、状況は変わらない。特課は何も出来ず、校舎の玄関付近で待機状態。化学防護部隊と捜査一課の報告を待つしかあるまい。
待機したまま、悠夏は事件について、改めて整理する。
「警部。事件の全貌は、まだ明らかになってないですよね……?」
「最初の事件、加賀沢 蒼羅さんが亡くなった現場には、木野村被疑者と無津呂 一範さん、そして黒川 岳がいた。捜査一課からの事件資料には、そう書いてましたね」
悠夏はタブレットを起動させ、その事件資料を開く。
「木野村被疑者に接触し、無津呂さんは不正に関して話をした。内容はあくまでも推測でしかないですが……。そこへ、偶然通りかかった加賀沢さんが合流し」
「加賀沢さんは状況が分からないため、叔父の無津呂さんに状況説明を求めたでしょうね。そのあと、阿木神被疑者が現れ、加賀沢さんを殺害。無津呂さんは、気絶させて拘束し、その後、無津呂さんの自宅で殺害した。この辺りは、捜査会議で触れていなかったので、千石警部の推測が強いかもしれないですね」
被害者2名の殺人は、やはり阿木神と木野村なのだろう。残っている疑問点は、
「残るは、転生の謎と被疑者の不正、それと例の薬品でしょうか?」
「転生の謎は、生活安全部が担当していて、不正は捜査二課からの報告があれば……。薬品は、化学防護部隊が対処して、持ち帰りから、鑑識よりは……科捜研ですかね。解析となれば、時間がかかりそうですね」
鐃警は、校庭の方を眺めていると、捜査二課の新野警部の姿を見つけた。
「二課から直接聞きましょう」
そう言って、鐃警は新野警部のもとへと走り、こちらへ連れてきた。悠夏はタブレットを操作して、最新の捜査報告書を警視庁のサーバーからダウンロードしている。リモート接続のため、ダウンロードには時間がかかりそうだ。
「新野警部、二課の捜査状況について、お聞きしたく」
「文科省と学校の不正に関してか? 結論から言うと、横領だ。文科省も学校側も被害者だ。一課が今も聴取していて、二課としては聴取がまだできていない。上野教頭から話を聞いたが、木野村教諭は最近、経理のメンバーに加わっていたそうだ。そこで、ありもしないものや金額を上乗せ計上して、くすねていたみたいだ。阿木神被疑者も、同じように横領していた。どちらが先にとか、なんで2人がそんなことを始めたのかは、取り調べではっきりさせるしかないだろうな。で、その横領以外に、まだ組対五課が調べているが、どこぞに金を流してたらしい」
「なるほど。それで、組対五課も動いていたんですね」
「で、例の薬品の入手先が、そのどこぞの組合か何からしい。詳しくは、組対に聞いてくれ。自分は、これから警視庁に戻るから、そろそろ……」
そう言って、足早に新野警部は去って行った。例の薬品とは、間違いなくオレンジ色の薬品のことだろう。
「あの薬品、何だったんでしょう?」
悠夏は、コンクリートの床に飛散した薬品を思い出すが、色の他にこれといって特徴は無い。
3時間後。更衣室に隠されていた同様の薬品を、数点回収して、安全を確認した上で、規制線は解除せずに維持し、警視庁へと移動する。学校の生徒は、集団下校を行い、教員達は緊急の保護者説明会と、その後に行う記者会見の準備で慌てていた。
*
2019年6月12日水曜日。特課のデスクで、いつも通りに仕事を熟していた悠夏のもとに、事件の続報が記載された資料が届いた。
「警部。先日の小学校で起こった事件について、資料が届きました」
A4サイズの封筒を開けて、資料を取り出し、紙を捲って一番気になっていたことを先に確認すると
「どうやら押収した薬品は、着色された水だったそうです。阿木神へ確認したところ、調書には『騙しやがったな』と発言したそうです。阿木神は、薬品が劇薬、死に至るような毒だと思い込んでいたようで、その発言の後はイライラして歯ぎしりをしていた、と」
「佐倉巡査。プールで割った薬品も、同じということですか?」
「これには、そう書かれてます」
鐃警は悠夏から資料を受けとり、目を通すと
「薬品を割ったときは、自分も含めて周囲の人間を殺そうとしたということですかね? 本人は、撒布することで効果があると思っていたそうですから」
「組対五課が逮捕した組織は、金銭の受け取りと薬品を渡したことを認めたものの、薬品は水を着色しただけで、劇薬だと騙し、渡していたと。組織から押収した薬品ですが、いずれも水だったそうです」
報告書を捲ると、押収した薬品を陳列した写真がある。鐃警はさらに捲って、供述をまとめた部分を読み、
「組織は金目的で。阿木神と木野村も、金目的。だとしたら、どうして被疑者と組織が……」
供述調書に目を通して、その記載を見つけた。
「阿木神は組織からお金を借りていた、と。木野村とは恋人関係。なるほどね……」
「警部。ただ、1つだけ分からないことがあります」
「どうして、黒川君が加賀沢さんだと、転生したと証言したか。ですか?」
「そうです。結局、あれから黒川君は、事件発生前の本来の黒川君に戻ったそうです。自分は転生したと言っていたことさえも忘れて」
「その点について、被疑者は”そんなことが、あるわけないだろう。現場に居合わせて目撃したけれど、子どもだから信じてもらえないと思って、ついた嘘じゃないのか?”と。なんなら、警察はそんなファンタジーを信じるんですかと、馬鹿にしているみたいだった、とも書かれてますね」
「嘘だとしても、黒川君が加賀沢さんのことをかなり細かく話していたそうですし、信じられないですね……」
「黒川君が、加賀沢さんとよく会ってた可能性も考えられますよ? 言わないだけで」
「それを言い出すと、はっきりとせずに幕を下ろしそうですね……」
悠夏の思ったとおり、転生に関してはその後触れることはなく、黒川君のついた嘘ということで片付けられた。調べようにも何も無く、要の黒川君は「知らない」と答え、被疑者も信じていない。
結局、本当に嘘だったのだろうか……?
To be continued…
先週の段階では、あと2話必要かなと考えていましたが、今回で区切りがつきました。
更新には間に合ったけれど、執筆が更新日当日という過去一、ギリギリですね。
来週はアフターか短めの話か。100話に向けて、また長めの話もありそうです。




