第84話 確たる証拠なき状況
”トーカー・メッセージ”。スマホを持っている人が、最初にインストールするであろうアプリの1つである。写真やメッセージをグループや個人宛でやりとりできるアプリで、スマホやパソコン、タブレットに対応している。これまでも、メッセージのやりとりはこのアプリを使用している。作成したグループの設定によっては、見たことを示す所謂”既読機能”というものをオン・オフできる。それぞれのアイコンがメッセージの右下に表示され、誰が何処まで読んだか分かるのだ。ただ、人数が多いと、読んで欲しい人が見ているか、アイコンを確認するのが大変だ。特に、アイコンを頻繁に変える人がいれば、なおさら。
”トーカー・メッセージ”は、東北のIT企業が開発したが、それに逸早く目を付けた大手の海外企業が買収し、現在は海外企業の傘下である。どうやら、その海外企業は、運営と管理を支援しており、日本向けに関しては、開発元に一任しているそうだ。
とはいえ、どこかのサイトに書かれていたインタビュー記事だから、本当かどうかはよく分からない。先日、週刊誌が、当時銀行はそのアプリ開発に関して、融資をしてくれず、応援してくれたのが海外企業だったと、素っ破抜いたが、それは本当だろうか。
「確か”トーカー・メッセージ”は、海外サーバーだろ?」
新野警部は、鐃警が業務で”トーカー・メッセージ”を使用しているのを見て、そう言った。機密保護の観点から、気になって新野警部はこのアプリの使用を敬遠している。
「お言葉ですが、警部」
と、どこかで聞いたことがあるようなセリフを言いつつ、鐃警は新野警部に対して
「メールも、各社キャリアの国内サーバーや海外サーバーですし、結局、変わらないですよ。仮にも、管理会社が情報漏洩をするなら、僕らは警察官ですよ。然るべき処罰をするでしょう」
「そもそも、機密が漏れてはいかんだろ」
「新野警部、ご尤もですけど……。そんなレベルの高い機密情報なら、そもそも口外する時点で気を配るべきではないですか? 電話であれ、口頭であれ、そもそも……。あくまでも、連絡手段の一つですからね」
さらに、鐃警は気になったことをひとつ。
「珍しいですね。そこまで毛嫌いするの。失礼ですけど、新野警部って、おいくつなんですか?」
「いくつに見える?」
「あっ、そういうの嫌いです」
新野警部の質問に、間髪入れず意見を告げた。少し新野警部は悲しげな表情をしていたが、鐃警はそんなことなど気にもせず、悠夏からの最新のメッセージを読む。
千帝小学校の校門と道路を挟んで向かい側にある、2階建てアパートの一室で、ふたりは学校周辺の警戒に当たっているが、この時間は動きがなく、外を見ても校庭で無関係な生徒が遊んでいる光景が見えるだけだ。
「佐倉巡査からの報告で、一言、”マズい状況になったかもしれません”と」
「ん? どういう意味だ?」
新野警部は眉間に皺を寄せる。外見では若そうに見えるけれど、仕草が古かったり、一部のアプリを毛嫌いしたり、本当に何歳なのだろうか。少なくとも、榊原警部よりは年上なのは分かっている。もし同期とかなら、それはそれで……
「”岳君が日に日に抜け落ちていくと発言”。”ぜん、と言いかけて、誰からの圧を感じ、口を噤みました”。あとは、”見失いました”」
「見失った? 校舎内にいるはずだろ」
新野警部は立ち上がって、双眼鏡を手にし、窓から校庭を確認する。
「あ、電話です」
鐃警は悠夏からの電話に出ると、
「警部、すみません。見失いました」
「佐倉巡査。順を追って、報告してください。あの言葉の羅列だと、ちんぷんかんぷんです」
「これは、私の予想なんですが……。岳君は、前世の記憶といいますか、被害者の加賀沢さんとしての記憶が、徐々に薄らいでいるのではないかと思われます」
「その根拠は? そうだとしたら、こんな回りくどくて悠長なこと、やってる暇は無いってことですかね?」
「今朝、等々力教諭から、直近の話を色々と聞いたんですよ。そしたら、昨日言っていたことを憶えていないことがあったらしく、その内容が、岳君ではない記憶ですね」
「んー……。それだけだと、厳しいですね……」
唯でさえ、あり得ない状況下である。選択を誤れば、どうなるか分からない。
「等々力教諭の言葉を信じるのであれば、他にも事例はあるそうです。時間の関係上、伺うことができたのは一部ですが……」
「つまり結論から言うと、岳君は被害者としての記憶が徐々に無くなってきており、早く保護する必要があるってことですか?」
「それもありますが……、私が心配しているのは、岳君の身に何も無ければ……と」
「ん? ……佐倉巡査が言いたいのは、見失った結果、加害者の手に渡ったのではないかと、そういうことですか?」
「そうです……」
「それが本当なら、非常に危険ですね。本当ならば」
鐃警が念押しをすると、悠夏は慌てて喋っている自分を落ち着かせるために、一呼吸して
「増永さんと木野村さんのどちらも姿が見えないんです。職員室にも、教室にも」
特別支援教室の専門員である増永 郷美さん。5年1組担任の木野村 蔡さん。どちらも、黒川 岳君への頻繁な接触を確認しており、警戒に値する人物であった。
「今の状況証拠……というよりも、証拠とさえも言えない状況で、捜査員を校舎内に立ち入らせるのはできないと思います……」
警察官と分かる状態で突入は出来ない。確実なことが分かっていないからだ。あくまでも、悠夏の推測の域でしかない。会話を聞いていた新野警部は
「上野教頭に協力依頼をして、空気環境測定者として、校舎内の怪しいところを捜査するなら、人員を確保できる」
空気環境測定とは、建物内の浮遊粉塵、一酸化炭素、炭酸ガスなどの量や温度・湿度といった測定を行うことである。不特定多数が利用する建物の衛生管理上、法律で定期測定が決められている。学校も学校環境衛生として、測定することはある。ただ、機材があるかどうか。
「ここから300メートルほど離れたビルで、別件の捜査をしている捜査員がいる。清掃員や空気環境測定者として、潜入捜査中だ。清掃員だと、学校では怪しまれるが、そっちならどうだ?」
思わぬ提案に、鐃警は悠夏にそれを伝え、悠夏から上野教頭に相談することに。新野警部は、潜伏中の捜査員のうち、空気環境測定者としてのメンバーに連絡を取り、指示を出す。
周囲がドタバタと動く中、鐃警は自身の中で引っ掛かることがあった。新野警部は指示連絡で忙しくしており、鐃警の声は聞こえていない。
「被害者の記憶が勝手に消えるのなら、被疑者は放置しておく気がしてならないんですよね……。わざわざ、被害者に手を下すような必要があるのかどうか……。もしも、記憶が自然には消えていないとしたら……。被疑者が恫喝ないしは、薬物で意図的に消しているとすれば……」
20分休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。3時間目の授業が始まるが、等々力教諭が1年2組の教室に入ると、ひとつだけ空席があり
「あれ、黒川君は? 誰か知ってる?」
岳君の席は空席だった。さらに、5年1組は担任の教諭が姿を見せず、学級委員の子が職員室まで呼びに来た。ただ、職員室にも、その教諭の姿は無かった。
To be continued…
実際には、空気環境測定実施者って言うそうです。軽く調べたら、5日間の講習を受けると取得できる国家資格らしいです。へー。
新野警部の所属する捜査二課の捜査は、内偵捜査やら記録の洗い出しなど、情報収集が地道に時間をかけて捜査することが多いみたいです。作中の捜査描写は、あくまでも想像でしかないのですが。
さてさて、今週も更新に間に合いましたが、依然としてストックがない厳しい状況が続いています。
気付けば9月ですよ。年末年始のヤツもぼちぼち準備期間なのかな




