第83話 見た目は子ども
学校のチャイムが鳴る。午前中の2時間目の授業が終わり、休み時間になった。この休み時間は、通常10分のところ、20分もあり、子ども達は元気いっぱいに校庭へと駆け出す。1年生の教室には、数人残っている程度で、それもグループで昨日のテレビや人気の動画について、話が弾んでいる。
そんななか、ボッチがいた。いや、表現を改めるとすれば、窓際で雲一つ無い青空を眺め、自分の中にあるモヤモヤの雲模様とは違い、どうして空はこんなにも澄んでいるのだろうと、物思いにふけているのではと、犇々と感じられるような、どこか悲しそうな目をしていた。自分と今の子ども達のジェネレーションギャップ、いや、それとはまた違うものを感じさせる。自分は大人になることで、子どもの頃の何か大切なものを失っていたのではないか。そうだ、子どもの頃の輝いていた心はどこに……。
廊下から、黒川 岳のことを見ながら、悠夏がそんなふうに表現していると、後ろから
「佐倉先生。あの子と会話をお願いしますね」
と、通りすがりの綿貫巡査長、いや今は潜入中のため、綿貫先生が足を止めずに、悠夏の耳元で小さく呟いた。昨日は、綿貫先生が接触したが、黙り込んだままで、何も話さなかった。
悠夏は教室の中に入り、ゆっくりとターゲットに歩み寄る。途中、女子から「佐倉せんせー」と手を振られたので、手を振った。特に向こうからも話をするわけでもなく、手を振るだけだった。
「えっと……黒川君だったかな?」
悠夏は詳しく知っておきながら、惚けるように演技する。しゃがんで、子どもと同じ目線になる。子どもは、大人の嘘に敏感だ。ただ、相手は見た目は子ども、頭脳は大人と思われる、転生者だ。
「みんなと遊ばないのかな?」
それが分かっているのに、小学1年生を相手するように演技するのは、少し恥ずかしさがある。ただ、この羞恥心はバレないように隠す。
「べつに」
と返答する岳の態度を見て、悠夏は(昔そんな女優さんがいたような気がするな)と思いつつも、今はそんなこと、全くもって関係ないので、頭の中からすぐに消し去り
「先生には、寂しそうな目をしてたように感じたけれど」
「寂しい?」
「そう。さっき、見たよ。友達が折角誘ってくれたのに、断ってたよね。あの子も寂しそうだったよ」
岳君の親友である、那須君のことである。名前を知っているが、わざとその名前を言わなかった。教育実習生とはいえ、流石に2日目で名前と顔を覚えているのは、なんらかの形で疑われると思ったからだ。警戒のしすぎかもしれないが、用心に越したことはない。
何故、「君は加賀沢 蒼羅さんですね? 事件当夜のことを教えてください」と、率直に言えないのか。歯痒い。
「……だって、誰も信じてくれないし、誰も憶えてないんだ……」
「……ん? どういうことかな?」
「みんなのことを憶えてないし、日に日に抜け落ちていくんだ……」
「抜け落ちる……?」
岳君の言う”みんなのことを憶えていない”という状況は、すでに知っている。しかし、”日に日に抜け落ちていく”とは、一体何が? 髪の毛ではあるまいし。
「先生にだけ、教えてもらってもいい?」
「ぜん」
と言いかけたが、岳君は、ふと廊下の方を見て何かに萎縮し、
「ぜん、ぜん……全然」
と、首を横に振った。廊下の方を見ずに、また窓の外を見る。明らかにおかしい。悠夏は萎縮した理由と思われる廊下の方を見たが、子ども達がワイワイと歩いているだけで、特には見当たらない。
「ぜんせから? ん? ぼくは? ……」と、ボソッと呟きながら、気になって廊下を確認するために、急ぎ足で教室を出る。しかし、廊下を見渡しても、大人はいない。
(てっきり、誰かが「それ以上言うな」と威圧したのかと思ったけれど……。まさかね……)と考えつつも、念のため、その勘は大事にしておく。こういう勘は、おそろしく当たることがある。
悠夏が教室の方に戻ると、岳君の姿はなかった。
「あれ?」
と、思わず口に出すと、先程手を振ってくれた女子グループが
「先生、気付かなかったけど、黒川君も廊下に出たよ」
「体育館の方に向かってたよ」
と、丁寧に教えてくれた。
「教えてくれてありがとう」
と、お礼を言うと女子グループの3人は「えへへ」と、見るからに喜んでいる。再び廊下に出ると、等々力教諭を見かけ
「等々力先生、すみません。黒川君、見ませんでしたか? 体育館の方に行ったらしんですけど」
「ごめんなさい。子ども達が喧嘩してたのを見て、気付きませんでした」
廊下の突き当たりで、2年生の男子が2人言い争っている。それの仲裁で、気付かなかったようだ。
「体育館なら、中庭を抜けた方が早いけど」
それ以外だと、廊下を回ってぐるりと行けば、体育館に着く。校舎は、上から見るとコの字型で、真ん中には上靴のまま遊べる中庭があり、コの字の左上側が体育館の入り口である。コの字の左下側からだと、体育館まで距離があり、靴に履き替える必要があるのだ。
休み時間は、まだ半分ある。悠夏は廊下をぐるっと回って、体育館の玄関へと行く。体育館の入り口には、冷水機と上履きを置く下駄箱があり、体育館の中は、体育館シューズが必要になる。本来なら。すでに下駄箱には、15人ぐらいの上履きがある。休み時間を使って、体育館で遊んでいるみたいだ。キュッキュッと、体育館シューズと床の擦れる音やボールを弾く音、いろいろな声が聞こえる。
悠夏は、入り口から体育館の中を確認したが、バスケや鬼ごっこをする子ども達ぐらいで、岳君の姿は見えない。
(いないのかな?)
すると、後ろから
「佐倉先生?」
と、声をかけられて驚き、振り返ると那須君がいた。どうやら、トイレから戻ってきたようだ。悠夏はしゃがんで、同じ目線になるようにして
「黒川君、見なかった?」
「見てない。教室だと思う」
そう言って、体育館の中へ走っていった。
「さて、体育館倉庫か校舎のどこかの教室か……」
独り言を言っていると、今度は体育館の中にいた体育会系の男性教諭がこちらに気付き、声をかけてきた。
「どうしましたか?」
「1年の黒川君。体育館の方に走ってきたみたいですけど、見ませんでしたか?」
「黒川君ですか。見てないですね。前は、休み時間に那須君とよく来ていたのに、最近見ないですから」
ということは、体育館倉庫の可能性は低そうだ。体育館シューズが必要だろうし。ただ、体育館シューズの必要性については、それを知っていれば、だけど。
「ありがとうございます。えっと……」
「竪川です。4年2組担任で、休み時間は、主に体育館で遊ぶ子ども達の安全を確保するため、自主的にここにいますので」
「佐倉です。今は1年生の教室で、教育実習生です」
と、いう設定の潜入捜査員(警視庁)である。
竪川教諭は「では」と、お辞儀をして戻っていった。さて、悠夏は状況から考えて
「となると、中庭からいける、他の教室か……。もしくは、物陰か……。さっきの廊下から威圧した人物と会ってることも考えて、慎重に考えないと……」
もしも、悠夏の考える威圧した人物がいるとすれば、大方、事実を言わせないようにしている人物であり、つまりは被疑者の可能性がある。
「被害者と被疑者が接触してるとなると……、面倒だな……」
可及的速やかに、保護する必要があるだろう。そうしないと……
To be continued…
ネタが古い古くないはさておき、潜入捜査展開中です。登場人物が増えていく。ちょっと登場するような生徒の名前までは決めなかったけれど。それと、ある程度のストックを作らねば。ストックが1話たりともないので、毎週ギリギリで更新継続中です。『黒雲の剱』のストックも少ないので、危ういな。
もしものときは『エトワール・メディシン』最優先でいきます。




