第80話 その小学生、自称転生者を名乗り…
2019年5月31日。令和になって、早くも1ヶ月が経とうとしていた。関東の梅雨入りは6月7日ごろの予想で、今日は曇り空だ。警視庁特課の佐倉 悠夏は、生活安全部からの依頼のもと、都内某所の小学校にいた。協力依頼者は、警視庁生活安全部少年事件課少年事件第1係所属の綿貫 真悠子巡査長。ことの始まりは、2日前の29日。
特課の部屋に、綿貫巡査長が直接相談に来た。綿貫巡査長は、30歳前後の女性で小さな眼鏡をかけている。足が長く感じたが、特に口にはしなかった。
話の流れで、今月経費で購入したホワイトボードを使って説明を聞くことになった。鐃警と悠夏は、椅子を移動させて座って聞く。綿貫巡査長は咳払いをし、
「実は、昨日奇妙な殺人事件がありました。被害者はこちら」
綿貫巡査長は、ホワイトボードに写真を磁石で貼り付け、写真の下に被害者の名前と年齢を書く。加賀沢 蒼羅。32歳の男性。
「リストラされ、職場のノートパソコンを床に叩き付けて壊したあと、ここで被害に遭った」
次は事件現場の写真を貼る。首都高のガード下だ。壁には、落書きでよく見る書体の謎の文字がある。さらに、ポイ捨てもあり、治安が悪そうだと感じた悠夏は
「都内にも、こんなところがまだあるんですね……」
鐃警は、悠夏と気になったところが違い、本件が少年事件課というより、刑事部捜査一課が担当しそうな事件だと思っていた。口にはしなかったが。
綿貫巡査長は、さらに写真を貼る。遺体発見時の写真や証拠の類いが写った写真だ。
「犯行に使われたのは、現場に落ちていたナイフ。血痕を調べ、被害者のものと一致。事件を目撃した人はおらず、現場付近の民家に設置された防犯カメラから、犯人と思われる人物を探すも、被疑者以外は映っておらず、カメラの死角となる道路の端を歩いたのではないかと推測されます」
そこまで聞いて、通り魔事件や怨恨による殺人事件など、表現は悪いが、極々ありそうな事件だ。しかし、ここから耳を疑うような言葉が出てきた。
「被疑者については、未だ特定ができておらず。近所のカメラや車のドライブレコーダーなど、映像をかき集めても、成果はない。そこで、被害者から実際に聞き取りをする」
鐃警と悠夏は、目をパチパチさせ、互いに顔を見る。黙ったまま、写真を指して確認する。
鐃警が挙手し、綿貫巡査長に質問。
「はい。先ほど、”殺人事件”。それと”遺体”……っておっしゃいましたよね?」
「えぇ。そうです。これは殺人事件です」
「しかし、死者から聞き取り捜査って、どういうことですか?」
「言葉の通りです」
綿貫巡査長が真面目な顔で言うので、鐃警は頭を横に振って
「いやいやいや……。え? 霊にでも聞くつもりですか? 占い師とかに頼んで……?」
「警部。それを言うなら、霊媒師かと」
悠夏が人狼かなと思いつつ、訂正。
「そのような、非科学的なことはしません。本人から聞きます」
「いや、おっしゃる意味が……」
死んだ人間から、どうやって聞くというのだ。そんなことができれば、犯人の検挙率は飛躍的に上がると思われるが、あり得ない。
「今朝、このような相談が文部科学省にありました」
そう言って、表情を崩さない綿貫巡査長が一枚の紙をホワイトボードに磁石で貼る。
「千帝小学校の小学1年生で、『自分は加賀沢 蒼羅である。転生した』と」
「それ……、真に受けたんですか?」
鐃警が困惑しながら聞くと、綿貫巡査長は
「偶然とは思えないような事態であり、一応本人に内緒で探ることにした。小学校への潜入捜査だ」
「いや、潜入捜査する必要……ありますか? 本人に直接警視庁まで来て貰って、被疑者しか知らないことを聞いたり、転生者なら小学生とは思えないような知能があったりとか……、思うんですが……。佐倉巡査、僕は間違ったことを言ってますか?」
鐃警は困惑のあまり、悠夏に助けを求める。鐃警の頭の回路がショートしているのか、煙が見える。比喩では無く、実際に。煙感知器が作動しないか、少々心配だ。悠夏は、考えることを疾うに諦めており、棒読みで
「……ワカリマセン」
とだけ答えた。もはや、分からないことが分からない。何故そんなことになって、何故潜入捜査になるのか……。
気付けば、千帝小学校に潜入していた。何故。
2019年6月3日の月曜日。朝7時半。生徒が登校するのは、8時前後。月曜日は集団登校の日である。朝の会は8時20分から。
1年生のクラスは3つ。そのうち、自称転生者がいるのは、1年2組である。クラスには26人。5月初頭に席替えをしており、座席は出席番号順ではない。目の悪い人が前3列以内、あとはくじ引きだ。担任教諭は、等々力 狛江。35歳の女性で、最近は顔にできる皺(特にほうれい線)に悩んでいるらしい。あと、2児の母でもある。
職員室にある会議室で、悠夏と綿貫巡査長と打ち合わせ。教育実習生という設定で、今日から1週間潜入予定だ。事が済めば、切り上げもあり得る。
綿貫巡査長は警察手帳ではなく、一般的なメモ帳に書き取りながら
「改めて、確認させていただきます。1年2組在籍の黒川 岳君で間違いないですか?」
「はい。最初は友達同士の冗談だと受けとったのですが、親友の那須君のことも憶えておらず、自慢げに高校で習うような数学をスラスラと自由帳に書いて……。他の教諭にも相談したら、上野教頭が『都の教育委員会よりも、国に相談してみるといいよ』と。文部科学省の方の名刺をお借りして、お電話したんです」
それで、文部科学省から警視庁生活安全部に相談が来たみたいだ。まさか事件被害者とは。
「ちなみに、上野教頭さんは、今日はいらっしゃいますか?」
「おります。呼びますね」
と、等々力教諭は会議室の扉を開けて、上野教頭を呼ぶ。上野教頭は、45歳。年齢にしては若い印象の男性だった。
「私が上野教頭です。黒川教諭から、相談を受けたので、文部科学省にいる高校時代の友達を紹介したんです」
「差し支えなければ、お名前を伺っても?」
「舎人 昌広です。所属は……」
と、上野教頭は内ポケットの名刺入れを出し、他人に見えないように名刺を探して、舎人の名刺を机の上に置く。
「文部科学省の初等中等教育局ですね。ただ、名刺をもらったのは5年前に会ったときで、もしかすると所属部署は変わっているかもしれないですが……。初等中等教育局にいるのは間違いないです」
綿貫巡査長は机に置かれた名刺を持って確認し
「舎人さんなら、警視庁にお電話をいただいた方ですので、存じております。見せていただき、ありがとうございます」
と、名刺をお返しする。受けとった上野教頭は、名刺入れに戻すと、申し訳なさそうに
「今回の件、警察はどのくらい本気にされてますか?」
教諭たちは、誰しもが相手にされないと思っていた。しかし、捜査協力の話があり、なにやら大事になりそうで、想像との乖離があった。
「本件ですが……、実は」
綿貫巡査長は、殺人事件のことを等々力教諭と上野教頭に説明し始めた。
To be continued…
鐃警と同じく、潜入捜査の必要があるのかどうかよく分からない事件です。現状聞いただけだと、必要なさそうに思うのですが、果たして……
作中で6月に突入です。2019年ですが。続き物だとあまり時間が進まないのですが、今回のお話はどのくらいになるか、まだ全貌が見えず。




